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“いだてん”第29回「夢のカリフォルニア」


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いよいよロサンゼルスオリンピックが開幕。日本水泳チームの総監督として現地に乗り込んだ田畑政治(阿部サダオ)は、広大で美しい選手村で各国の選手たちが交流する姿を見て、これぞスポーツの理想郷と感激するが、その一方で日系人差別も目の当たりにするなど複雑な想いも抱く。全種目制覇を絶対の目標とする田畑は、本線に出場するメンバー選びで非常な判断を下し、高石勝男(斎藤工)ら選手との間に軋轢を生む。田畑の執念は実を結ぶか・・。
感想:
とてもオリンピックに参加できるような国内状況のなかで、ロサンゼルスのオリンピックに米国に次ぐ大きな規模で参加。彼らは何を目指したか?田畑政治は水泳で全種目優勝だと選手にはっぱをかけ、勝てない選手はたとえ高名な高石でさえ切ってしまう。非常なように思えて、政治の狙いは「犬養首相が撃たれた以来、不況、失業、満州問題と、新聞には暗い記事ばかり。オリンピック期間中だけでも明るくしたい」というもの。この大きな志に泣きました。お調子者の“政治“ではないですね。日本人として最も大切にしなければならないものを持っています。

このために政治はオリンピック前に日米対抗水上競技会で完膚なきまでに米国を叩き、本番で米国選手にプレッシャーを感じない対策を打っていたという勝つための戦略がすごい。ある意味、ハワイ急襲作戦よりスケールが大きい。

勝つためにと、ベテランの高石を主将に据えて選手に目を光らせる構想。「最後に、有終の美を」という選手たちの要望を聞き入れず、勝ちを取りに行く政治の意地。選考会で勝てなかった高石に「勝っちゃんありがとう!おつかれさん!」と労い、泣く政治。こういう人には、人がついてきます。

日系人がロスで人種差別に苦しんでいる。この選手団を見て喜び、大きな力添えになったでしょう。
オリンピックだから同じプールに入ると言う白人の傲慢さ。今でも続いている人種差別問題、こういう歴史に触れているのがいい。

東京市長永田秀次郎イッセー尾形)と嘉納治五郎役所広司)は進める東京オリンピック開催。IOC委員総会に招聘状を提出。戦艦大和建造の時代に、よくぞやったなと人物の大きさを知ります。

先回と言い今回も、色濃くクドカンさんの言いたいことは言っています。こういう大河は今までなかったですね!
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満州事変、5・15事件など不穏な事件が相次いで起こった1932年夏、「こんなときだから、スポーツ大国に成長した日本の姿を世界に見せなければいけない!」という加納治五郎の激励を受けて、水泳チームはま~ちゃんが総監督、監督松澤、主将高石でロサンゼルス大会に参加。政治は高石に「試合には出さないがチームをまとめるキャプテンとしてロスに連れていく」と明言していた。

6月23日、選手団を乗せた大型客船「龍田丸」が横浜から出航した。選手131名、役員61人というアメリカに次で2番目に多い選手団がハワイ、サンフランシスコを経由して7月9日のロサンゼルスに到着。リトルトーキョーで歓迎パレードが行われ、現地日系人から歓迎を受けた。

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オリンピック村では「文化や人種を超えたスポーツの楽園だ」と、外国選手団と一緒に踊り、政治は「オリンピック最高!」と歓声を上げた。

宿泊施設として選手村が本格的に導入されたのはこの大会から。芝生が茂る広大な敷地に真新しいコテージが並ぶ。3か月間、37か国2000人がここで生活した。

翌朝、選手たちが集合すると、政治が国旗を掲揚し、松澤(皆川猿時)が「水泳以外は“ふんどし”姿はいかん・・・」と訓示を述べが、政治は松澤の訓示を止め、掲示版の張り紙を読み上げる。「一種目も失うな!俺が言いたいのはこれだけだ、以上!」と訓示。

朝食を済ませてバスでプールに移動するが、黒人の守衛が中に入れてくれない。バスの運転手が「俺たち(日系人)のために、失業したんです」と話す。
練習を始めると、アメリカの選手たちがプールから上がってしまう。「日本人と一緒に泳ぎたくないということか」と野田(三浦貴大)に、政治は「貸し切りだ」と意に介しなかった。こうして、1か月の練習が始まった。

午後の練習のあと、リトルトーキョー日系人主催の歓迎パーテイーが開かれ、その席で、店主が「日系人はプールに入れない。有色人種と白人と一緒に泳ぐことは認められない。勝って我々の鬱憤を晴らして欲しい」と訴える。

暑さを避け午後4時に練習を再開すると、またアメリカの選手たちがプールから出て、遠巻きに日本選手の方を見ている。政治が抗議しようとすると、そこにアメリカチームの監督キッパスが現れ「日米対抗戦で敗れて、日本のクロールを研究しているんだ。メダルをひとつもやらん。我々の前に平伏させてやる」というが、政治は「お土産をくれる」と聞こえたようだ。(笑)

政治は各国の記者たち、朝日の尾高(じろうシソンヌ)らの取材を受け「米国、恐るるに足らず!」と強気の態度を示した。

こんな記事が日本の新聞に掲載されたころ、治五郎は「アメリカ、フランス、ドイツのIOC委員が、東京が8年後のオリンピック開催地として名乗り上げたら必ず支持するという声明を出した」ということを知る。治五郎はロサンゼルスでのIOC総会で正式に立候補を表明すると決意した。

その頃、孝蔵一家(森山未来)は、家賃がいらないというので、本所・業平の長屋に引っ越していた。この長屋は関東大震災のあと、沼地だった場所に立てられており、孝蔵と“おりん”(夏帆)は大量のなめくじに悩まされていた。(笑)
この頃大西洋で日本の大艦隊が訓練していた。東京の下町ではなめくじの艦隊が猛威をふるった。これが艦隊の由来。孝蔵は、おかめの面塗りで糊口を凌いでいた。 「なめくじ艦隊 志ん生半生記」

選手村では松澤と高石が、夜、各選手の泳ぎを撮影したフルムで分析健闘していた。高石は主将としての役割をしっかりこなしていた。そんな高石に松澤が同情していた。高石は深夜、選手村を抜け出しひとりで練習に励んでいた。

政治の訓示の「失うな!」の部分が破り取られている。選手たちに政治のやり方に反発があるようだ。

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7月18日、選手村に前畑秀子上白石萌歌)、松澤初穂(木竜麻生)、小島一枝(佐々木ありさ)ら、女子選手が到着。彼女たちはホテルで宿泊。前畑らは親善大使として着物姿でレセプションパーテイーに駆り出された。政治は「まるでおまえら芸者か!」と気に入らなかった。(笑)
その席で政治は、アナウンサーとしてやってきた河西三省トータス松本)、松内則三と顔を会わせた。河西からラジオ出演を依頼されると「選手はだめ、主将の高石を出させます。あれはノンプレイング・キャップテンですから」と返事する。

松澤のところに小池、宮崎、大横田(林遺都)が訪れ、「門限が来ても帰って来ないで練習している。高石さんを出場させ有終の美を飾らせてあげたい」と訴える。

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深夜練習する高石と鶴田(大東駿介)。鶴田が「今回なかりは来るんじゃなかった。若い者に追いつけん」と話せば、高石が「なにがノンプレイング・キャプテンが、阿保めが!」と政治への怒りを爆発される。鶴田が「これはま~ちゃんの作戦や。いま日本選手はアメリカにプレッシャーを感じない。日米対抗戦で勝っているからだ。俺たちの敵は宮崎、小池で、もはやアメリカではない。そこまで見越してま~ちゃん、あんたをキャプテンにしたんじゃないの」。

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その頃、田畑は野田と日本料理店で食事をしながら打ち合わせをしていた。食事の合間に日系二世のウエイトレス・ナオミ(織田梨沙)に「日本とアメリカ、どちらに勝って欲しい?」と聞くと、彼女は「あんまり、勝てる勝てると言わない方がいい。こちらで嫌われている日本人がオリンピックに勝てば、日系二世たちが虐められる」という。これに腹を立てた政治が「やってみなくちゃ分からないからおもしろいんじゃねえか!!」と声を荒げた。

政治が選手村に戻ると、松澤から「高石を出場させて欲しい」と若手の要望を聞かされ、「何であんたはメダルにコダワル!」と迫られる。
政治は「今このチームに必要なのは勝てる選手だ。メダルを狙える若手選手を落として、高橋を出す余裕はない。日本を明るくするためだ。犬養首相が撃たれた以来、不況、失業、満州問題と、新聞には暗い記事ばかりが載っている。誰かが明るいニュースを書かねばいけない。水泳が全種目制覇できれば、オリンピック期間中だけでも明るいニュースが一面に載り続ける。号外が出るかもしれないね!」だってもう書いてきたから」。これを聞いて松澤は泣いた!ドアの外で高石が聞いていたことに、ふたりは気付かなかった。

政治は全種目金メダルを取ったときの号外記事を書き、速記係の菊枝さん(麻生久美子)に預けてきていた。菊枝にはさん付け、惚れてんですね!(笑)

7月24日、運命の選考会。アナウンサーの予行も合わせ行われた。1位小池、2位鶴田。「自己ベストだ!」と政治が喜んだ。

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運命の自由形100mで高石は宮崎らに大差で敗れた。政治は高石にかけより「勝っちゃんありがとう!おつかれさん!」とねぎらった。ここは泣けましたね。情けのわかる男だった。

さらに翌日、政治は代表選手の名を発表した。そこに高石の名はなかった。ここでの政治が高石の手を握った。
高石はこの日、政治とともにラジオ番組に出演し、キャプテンとして、若い選手たちについて明るく語った。

その頃、ロサンゼルスに到着した治五郎は、IOC総会で永田東京市長からの招聘状を読み上げた。東京は、正式に1940年のオリンピック招致に名乗りを上げたのだった。
7月30日、10万の大観衆の中で、ロサンゼルスオリンピックが華々しく開会した。
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