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“いだてん“第32回「独裁者」ムッソリーニに譲ってもらおう!

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銀メダルを獲得し帰国した前畑(上白石萌歌)を待っていたのは、東京市長永田秀次郎イッセー尾形)らによる落胆の声だった。田畑(阿部サダオ)は選手をかばって激怒するが、国民の大きすぎる期待に前畑は苦悩する。満州事変を非難する国際世論に反発した日本は国際連盟を脱退し孤立しはじめるが、治五郎(役所広司)らは粘り強くオリンピック招致を目指す。熊本の金栗(中村勘九郎)のもとにはマラソンで九州一周を目指すという青年が現れる。
感想:
「独裁者」、ここではヒトラームッソリーニ。第11回オリンピック開催地のドイツは、ヒトラーの首相就任で取りやめると予想していたが、彼のひとことでそうはならなかった。このことで、日本が開催希望している第12回の開催地にローマが選ばれる公算が高くなった。そこで考えた案が、ムッソリーニを説得して開催地を譲ってもらうという奇想天外なはなしが実話だとは驚きです。

このために政治が作ったという日本紹介パンフレット「日本」、初めて見ました。

国際連盟で「リットン報告」が認められ、日本が国連を脱退するという国際環境の中にあっても、オリンピックの意義のため東京開催を主張する嘉納治五郎らがいたことに驚きでした。そのなかで、岸日体協会長を失ったのは悲しい。岩松了さんの泣くか笑うしかない顔が見れなくなり寂しくなります。

前畑選手、東京市長の批判とも激励ともとれる言葉に驚いたでしょうが、国民の励ましで次のオリンピックを目指し練習を開始。このプレッシャーは計り知れない。

四三が、訪ねてきた小松勝(仲野太賀)と九州一周のマラソン旅に。四三に船問屋の仕事は会わない、小松をオリンピック選手に育てたいと夢でも見たのでしょうか?そっと送り出すスヤには四三の寂しさが分かっていた。
五りんの噺から小松は父親と判明、母親は“りく”ということになります。どんなストーリーが用意されているのでしょうか。楽しみです。

政治と菊枝(麻生久美子)の結婚。菊枝はなかなか政治から返事がもらえなかったが、「ローズ」のママ(薬師丸ひろ子)の占いが外れ、結婚が決まるとは。(笑)しかし、政治はいい奥さんを持ちましたね!好きな仕事に出来た嫁、例外なく、大きな仕事をします。( ^)o(^ )

***
1932年、田畑(阿部サダオ)率いる日本水泳陣はロサンゼルスオリンピックで男子は金、銀、銅のメダルラッシュ。女子では18歳の前畑(上白石萌歌)が銀メダルを取った。全種目が金にはならなかったが、現地の日系人たちを歓喜させた。
帰国した日本選手団は東京駅で大歓迎を受け、日比谷公園で行われた「大市民歓迎会」に招かれた。

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その控室で、永田東京市長が前畑選手に「なんで金メダル取ってこなかった。たった1/10秒、ひとかきで2着。この悔しさ忘れんで4年後に頼むよ」と声を掛けた。政治が腹を立て「あんた泳いでみろ!苦しんで取ったメダルだ」と食って掛かった。大横田(林遺都)が「すいませんでした」と泣いて頭を下げた。
これを見た岸が「国を背負って戦う者は命がけだ!これが分からんのか」と激しく憤った。永田は「全国民が応援しているから悔しかった」と謝った。

宿舎に帰ると畑には全国から激励の手紙が届き、「4年後のベルリンでは金メダルを」といく手紙を目にして迷った。初穂(木竜麻生)が「自分の人生、自分で決めたらいい」と。4年練習して勝てるという保証はない。母が枕元に立ち「いったんやり始めたことは途中でやめたらあかん。銀は途中だ」と励まし、前畑は「やる!」と決心した。
早朝4時にプールに向かい、頭からお湯を被って寒さを堪え、前畑は泳ぎ出す。この日から1日およそ2万mを泳ぐ毎日が続く。

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岸(岩松了)は体協会長として、昭和天皇にオリンピックに関するご進講という大役を果たした。岸はこのことを大変な誇りとした。このとき左目が二重になっていたという。( ^)o(^ )
岸は「オリンピック無用論を唱えるヒトラーが首相となったら、ドイツがベルリン大会を返上し、ローマが第11回大会に繰り上がり、第12回大会は東京に転がり込むかもしれない」と天皇に語っていた。

しかし、その通りにならなかった。昭和8(1933)年1月、首相に就任したヒトラーは態度を変え、ベルリン大会指示の声明を出した。オリンピックを利用して、ドイツを世界の一流国と認識されることが狙いだった。

オリンピック東京招致を言い出した永田市長は、部下の汚職の責任をとって突然辞職した。そして、ジュネーブで開かれた国際連盟総会では、満州事変に関する「リットン報告書」が可決され、3月に日本は国際連盟を脱退した。

そんな状況のなかで、東京市庁舎で「紀元2600年、国際オリンピック競技大会東京開催に関する実行委員会」が開かれた。突然部屋に入ってきた杉村に背負い投げで投げ飛ばされた。(笑)嘉納の門下生で柔道六段、満州事変で国際連合を脱退しその事務長であった杉村は仕事を失い理事に就任。とても向こう意気の強い人だ。

この席で治五郎は、元国際連盟事務次長・杉村陽太郎(加藤雅也)、元貴族陰議員伯爵・副島道正(塚本晋也)、陸上総監督・山本忠興I(田中美映)、水泳総監督・田畑政治、そして永田の後任東京市長を実行委員にすると告げた。

政治はいまだロスオリンピックの想い出でに浸っており、記者の仕事は無理。(笑) 見かねた緒方(リリー・フランキー)は政治にロサンゼルスオリンピック回顧録を書くよう命じた。ただし夜だけだと念押しした。
残業して励む政治に、速記の菊枝が手作りの弁当を渡す。政治は「高橋菊枝。俺に適っているか?地味な女」とバー「ローズ」のママ・マリー(薬師丸ひろ子)に占いをしてもらうと「どちらもむすばれない!」だった。(笑)

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緒方に「いつかの見合い写真、どうするか?」と聞かれ、「まだまだ仕事に励みたいし気になっている人がいます」と返事。菊枝が驚いた顔をする。緒方が「ちゃんと写真を見たのかね」と。政治が何気なくそこにあった見合い写真を開くと、なんと晴れ着姿の菊枝。「結婚しよう!」と菊枝に叫んだ。

この年の4月、政治と菊枝の結婚式。松澤(皆川猿時)から結婚には三つの袋がある「胃袋、お袋、給料袋」と祝いのことばが。そこにやってきた河野(桐谷健太)が花嫁に「口が悪い男で大変だぞ」というと「口が悪いということは心は口ほど悪くない」と賢婦ぶりを発揮。
お祝いの席に落語家「志ん馬」が呼ばれていた。高座に上がった落語家は孝蔵(森山未来)で、政治は「金馬」と騒ぐ。孝蔵は「あんた浜松のカッパ」と。このころの孝蔵はお座敷や結婚式の余興、ラジオ出演の機会も増えていた。

同じ頃、熊本の池部家に小松勝(仲野太賀)という青年が四三を訪ねてきた。四三の著書「ランニング」を読んで感銘を受け、九州一周の旅の途中で立ち寄ったという。

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四三は小松の脚を調べ、足の寸法を聞いて小松の金栗足袋を履かせ、水を被って、「ちょっと伴走してくる!」とスヤ(綾瀬はるか)に小松の九州一周に付き合うという。小松が驚くが、スヤは「着替えは二、三枚でよかね」と送り出した。(笑)
このくだりを語る五りん(神木隆之介)が「親父も水をかぶって・・・」と涙ぐむ。小松は五りんの父親で、母はシマ(杉咲花)の娘“りく”ということになります。( ^)o(^ )

永田の後任東京市長には牛塚虎太郎(きたろう)が就任した。

5月、治五郎はIOC総会のためウイーンに発った。このIOC委員会で杉村がIOC委員に選ばれ、日本人のIOC委員は治五郎、岸、杉村の3人となり、開催国決定のための投票時には、日本の票が3票となる。

杉村がウイーンから帰国すると、喘息発作の入院中の岸を見舞った。そこには政治と野口(永山絢斗)が見舞いに来ていた。杉村が「1940年の候補地は、東京、ローマ、ヘルシンキに絞られた。アメリカ、スウェーデンの委員が東京を支持するという声明を出し、投票は2年後、オスロでのIOC総会で決まる」と岸に報告した。
岸は「また、芽が出た。7年後にオリンピック、病に臥せっておる場合じゃない」と涙ながら喜んだ。

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しかし、10日29日、岸は亡くなった。葬儀の席で、治五郎は亡き岸に東京オリンピックの実現を誓い、政治も体協理事として東京招致に邁進しようと決意した。岸の後任IOC総会委員に副島が選出された。遺影の岸の左まぶたの二重は生涯の光栄の明かしとなった。

昭和9(1934)年、治五郎、杉村、副島はアテネIOC総会に出席し、ローマを視察して帰国した。
ローマの競技場は大理石の荘厳なもので完成間近で、IOC総会ではローマ開催を支持する委員が圧倒的だった。

実行委員会ではその報告がなされると、「独裁者がいると仕事がはやい。東京はどうすべきか」と話しになり、重苦しい空気となるが、政治は「誰のためのオリンピックとか国のため軍のためとか、ごじゃごじゃ難しい話をしてもしょうがない。お祭りですよ、嘉納先生、諦めるか取りに行くか、簡単に考えたらいい!」と発言。これに治五郎が「譲ってもらおう。ムッソリーニに!」と発言。これに、杉村が「10月からイタリア大使として赴任する」と応じる。「それならムッソリーニに会える」と治五郎。「トップがひっくりかえれば国家が変わるこれが独裁国家」と杉村。副島と宇塚が困惑するが、治五郎と杉村はすっかりその気になった。

治五郎は政治に、日本の魅力を世界に伝える資料を作るよう命じた。政治は「日本を知らない、言葉も通じない彼らには目で訴えるんだ」と日本の魅力をふんだんに盛り込んだ写真集を作ってIOC委員に配ることにした。

政治はすぐに作業に取り掛かり、部下や後輩を家に呼び、菊枝の手も借りて、年の瀬には「日本」という写真集を完成させた。神宮競技場、神宮プール、富士山や京都などの景勝地も掲載した写真集を見た治五郎は、「ジャパンでなく日本が気に入った。こいつがあれば鬼に金棒、まずローマへ赴きムッソリーニを説得・・」と話しながら、うずくまってしまった。
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