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“いだてん”第38回「長いお別れ」

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嘉納治五郎役所広司)の死によって求心力を失う組織委員会日中戦争が長期化するなか、1940年の東京オリンピック開催への反発は厳しさを増していく。追い詰められたIOC委員の副島(塚本晋也)は招致返上を提案するが、嘉納に夢を託された田畑(阿部サダオ)は激しく葛藤する。金栗(中村勘九郎)の弟子、勝(仲野太賀)はりく(杉咲花)と結婚するが、戦争が2人の将来に立ちはだかる。同じころ、孝蔵(森山未来)は志ん生を襲名する。

感想:、
昭和14(1939)年に第2次世界大戦が、そして昭和16(1941)年12月、太平洋戦争が勃発。日本でのオリンピック開催は夢と消えた。ロサンゼルスオリンピック前に、嘉納治五郎東京オリンピックを夢見て完成させた神宮外苑競技場で修学半ばの大学生を戦場に送るセレモニーをするという、オリンピックの理想と全く異なる光景を前に政治が慟哭し、「ここで必ずオリンピックをやる!」と決意した気持ちが伝わってきます。

なぜこうなったのか?戦争の経緯は全く描かれないが、陸軍の梅津美治郎中将(千葉哲也)が、聖火リレーを行うことについて、紀元2600年の記念行事である東京オリンピックで異国のギリシャから火を借りるなど言語道断だと言ったという、バカにもほどがあります。軍発表には「嘘でも喜べ!」と何も考えず万歳、万歳と手を上げた。こんなバカな時代があった。
こういう人たちに戦争が指導されていたという事実が描かれたのはよかった。

小松勝とりくは結婚し、子供を授かった。しかし、勝は東京オリンピックの夢を諦め、陸軍兵士として戦場に赴くという。りくは母・シマを失い、次は夫を失うかもしれない。
りくが千人針に5銭(五輪旗)を縫い付けた手ぬぐいを渡して泣く。「必ず生きて帰るのよ」というスヤの言葉に皆が泣いた。
皆は勝の運命を知ってか知らずか、泣きながらバンザイと見送った。りくのあまりにも悲しい運命に泣いた。当時、日本にはこういう女性が大勢いたことを思うと、あまりにも惨い。

昭和18年ごろの、勝てない戦争に、戦死することを知りながらバンザイと叫んだこの悔しさに、市民の悲しみはよく描かれている。
平和と“長いお別れ”、戦争への激しい怒りを感じる回でした。戦場の惨さを描くことなく、二度とこのような愚かな戦をしてならないと訴えるところがよかった。

***
昭和13(1938)年、嘉納治五郎を失った日本スポーツ界は力を失っていった。横浜港で、オリンピック旗に包まれた嘉納を棺をゆかりに人たちが出迎え、皆が泣いた。清さん(峯田和伸)は「オリンピックを見せくれねえのか」と泣き、政治は平沢(星野源)から渡された治五郎のストップウォッチが何時に押されたのかと気にかけ、四三は「必ずオリンピックをやる」と誓った。

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居酒屋に永井道明杉本哲太)、可児徳古舘寛治)、野口源三郎永山絢斗)、田畑が集まり酒を飲み、治五郎を偲んだ。
可児が「嘉納さんはさっさと死んでずるいよ!あんた国技発揚のためにオリンピックをやれ」と田畑にけし掛けると、「嘉納治五郎がいかに偉大だったか証明してやる」と言明した。しかし、その後のオリンピック委員会は迷走を続けた。

東京オリンピック東京大会組織委員会では、
陸軍の梅津美治郎聖火リレーに異を唱えた。紀元2600年の記念行事である東京オリンピックで、異国のギリシャから火を借りるなど、言語道断だというのだ。
スタジアムは依然として決まらず、東京市長牛塚虎太郎(きたろう)が12万人収容の駒沢競技場の建設を提案すると、大量の鉄骨を使用することに梅津が反対した。

副島(塚本晋也)が田畑と東龍太郎(重松豊)に、IOC委員長のラトーゥルから私信が届いていることを告げた。イギリスとフランスが正式に東京オリンピックのボイコットを申し出たのだった。
副島は「返上しよう」と言い、その場で近衛首相に電話をかけようとした。田畑が「やらないってことはゼロだ。成功すればプラス。失敗すればマイナス、でも返上はゼロだ。これでは何も残らない何も学ばないことなる。嘉納さんはやって欲しいんじゃないか」と電話するのを止めた。
副島が「嘉納さんはもういない」という。治五郎のストップウオッチを出して「
ここにいるんだ。総理に電話するなら戦争を止める、一時停戦だよ」と喰って掛かったが、副島は「君が持っており。いつかやれる!」と止め津態度を変えなかった。

副島は近衛首相に電話し、7月14日、政府は正式にオリンピックの中止を決定した。
副島は「売国奴と呼ばれても後悔はしない。返上が半年遅れたら、どの国でも開催できない。このたびの責任をとりIOC委員を辞職します。いつの日はアジアで、願わくばこの東京で、オリンピックが開かれることを夢見て」と書き送った。

政治は神宮競技場で練習する四三と小松を訪ね東京オリンピック返上を伝えた。四三は「耐え忍びますが、小松が・・」という。政治が小松に「返上、走らんでよい」と伝えると「まだ、ヘルシンキがある」と意気込む。
政治はストップウォッチを捨てようとしたが、動いているのでやめて、大切に保管することにした。

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昭和14(1939)年9月1日、ヒトラー率いるナチドイツ軍はポーランドに侵攻した。これにイギリス、フランスが宣戦布告し、第2次世界大戦が勃発。世界中が戦争に巻きこまれた。

ハリヤマ製作所では四三(中村勘九郎)、スヤ(綾瀬はるか)、辛作(三宅弘城)が勝を囲んで話し合っていた。四三が「東京オリンピックも中止となり、ヘルシンキもおそらく中止になるだろう。熊本に帰ったらどうだ」と言い出すと「箱根がある」という。四三が「競技場の軍事教練はスポーツでない、心気臭で!」というと辛作が「何年も置いてやってんのは楽しいからだ。バカみたいに笑え!」と怒り始める。この時代、笑うことがなくなっていた。すると、スヤが「あんたもオリンピック中止になったとき同じことを言っていたよ。勝さんには東京に残りたいわけがあるでしょう」とりくに話を向ける。

勝がちょっと走ってくると駆け出すと、りくが自転車で後を追った。坂道を走る勝にりくが伴走し、追い抜こうとしたところで勝が「りくちゃん、俺と一緒になってくれんね!」と叫んだ。りくは返事もせずに全力疾走し。勝は必至に追いかけた。これスヤと四三の出会いに同じ。(笑)

しばらくして、ハリマヤで勝とりくの結婚を祝うささやかな宴が開かれた。
男手ひとつでりくを育てた増野(柄本佑)は、亡き妻・シマ(杉咲花)を思って「大切にしなかったら殺す」と泣き出したり、勝をどなりつけたりと大騒ぎだった。(笑) 

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翌年の秋、りくは金治という男の子を産んだ。

同じころ、孝蔵は古今亭志ん生を襲名した。古今亭志ん生を継いだ者は代々短命であり、先代も長く患ったあと、50で亡くなっている。おりんが「50ならあと1年、さんざ貧乏して、ようやく内職しないで人並みの生活ができるぐらいになったのに」と涙ぐむ。孝蔵は「早死にするというが、法律でもあるのか?そんなものは、御破算にしてやる」と言い放った。

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昭和16(1941)年、
志ん生が寄席にくると「紺屋高尾」を山崎松雄(中村七之助)が喋っていて、それを憲兵が聞いている。「付き馬」が禁止、いや大半が禁止という状況に志ん生が怒る

昭和16(1941)年12月8日、日本海軍のハワイ・真珠湾攻撃により太平洋戦争が勃発。大本営発表では連勝連戦と報道されたが、戦況が正確に伝えられることは次第になくなった。軍発表には「嘘でも喜べ!」と何も考えず万歳、万歳と手を上げた。こんなバカな時代があった。
箱根駅伝も2年連続の中止。明治神宮富士浅間神社駅伝という長い名の駅伝、これには小松も参加した。

兵力不足が清国化した昭和18(1943)年には、学徒出陣が決定した。20歳以上の文科系大学生が徴兵対象となった。
これにより、勝も出征することになった。ハリマヤで食卓を囲みながら、四三が「無理してでも熊本に連れ帰っていたらよかった」と口にした。勝は「そしたら、金治も生まれてこなかった」と金治の顔を見た。
そこに、増野が現れ、勝に「約束を破った!」と掴みかかる。柄本さん登場でいっぺんに戦時下ムード。すばらしい演技でした!

これを救ったのが
「バッテン、バッテン」と騒ぐ子供たちと金治の笑顔だった。増野が「立派に戦ってお国のために」と言い、りくが千人針の5銭(五輪旗)を縫い付けた手ぬぐいを渡して泣く。「必ず生きて帰るのよ」というスヤの言葉に皆が泣いた。

勝は「金治が3歳になったら冷水浴をさせて欲しい」と四三に頼み込んだ。
増野の「勝君バンザイ!」に、皆は勝の運命を知っていてか、泣きながらバンザイと見送った。
昭和18年ごろの、勝てない戦争に、戦死することを知りながらバンザイと叫んだこの悔しさに、市民の悲しみはよく描かれている。

10月21日、出陣学徒壮行会が神宮外苑競技場で開かれた。オリンピックを呼ぶために治五郎が建設したスタジアムから、学生たちが戦地へと送り出されるのだった。当時の壮行会の写真がカラー処理され、うまくドラマに合うよう加工されていて、リアルだった。

田畑は「競技場にこんなに入るならオリンピックが出来た。残念」とスタンドから学生たちの行進を見ていた。田畑は、河野(桐野健太)の姿を見つけ、あとをつけて「これで満足かね、河野先生。俺は諦めん、オリンピックはやるぞ、必ず、ここでな!」と告げた。

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小松が、スタンドのりくに目線を送って、軍靴を響かせ消えていった。東條秀樹総理大臣のバンザイで今回の幕。二度とこのようなことがあってはならない!!
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