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“いだてん”第39回「懐かしの満州」

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脳出血を起こして倒れた志ん生ビートたけし)は一命をとりとめ、弟子の五りん(神木隆之介)に、戦争中に満州へ兵士たちの慰問興行に行ったときのことを語り出す。三遊亭圓生中村七之助)と共に満州を巡っていた孝蔵(森山未来)は、小松勝(仲野太賀)と出会っていた。やがて終戦。おりん(夏帆)は帰国しない孝蔵を占ってもらおうと、日本橋のバー「ローズ」を訪ねるが、そこに田畑(阿部サダオ)が現れる・・・。

感想:
懐かしいという気持ちにはなれませんでした。
第1回「夜明け」で登場した小松。志ん生に弟子入りして五りんの高座名を貰い、今回彼が小松勝の子であることが正式に判明する。

有力なマラソン選手だった勝は、東京オリンピックで金の夢が消えたが、いつの日にか再びと思っていたでしょう。その小松が出征し満州にいた。沖縄に転戦する際に生きるためと脱走し、出会った志ん生の落語を聞いて満足し、その感想を「絶品」と記した葉書を息子・金治に送ったあと、ソ連軍に撃たれて亡くなったという。志ん生を演じる森山未来さんの演技には志ん生が乗り移っているようで、すばらしい演技でした。

勝は落語「富久」を演じる志ん生の走る身振りに、自分が走る姿を重ねて大満足だったのでした。生きられないと知って、息子の金治に、自分のみじめな姿を見せたくないとマラソン選手になれとも言えず亡くなった。
“りく”(杉咲花)が、ハリマヤ足袋となって戻ってきた夫を迎えるシーンには泣きました。この時代の日本女性は、日本歴史のなかで最も悲惨な体験をもったかもしれません!

満州では、中立条約があるにもかかわらず突然のソ蓮軍の侵攻という国際条約違反で、多くの人が亡くなり、夢を失い人生のドン底に突き落とされた。日本人にとって決して忘れてはならない歴史であり、描かれてよかった。しかし、懐かしいとは思わない。

こんな辛い悲しいなかで、たとえ酒のため、女のためであっても(笑)、笑ってくれ!と満州の地で高座に上がる志ん生の心意気に感動です。終戦直後の混乱のなかで、生かされた命をどう使うか。孝蔵に変化が現れる回でした。

もう戦争の話はよして、オリンピックの話を聞きたいです!

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脳出血を起こして倒れ入院中の志ん生、五りんが気を利かして酒を持ってくる。なんとウオッカを持ってきた。これはダメだろいと、満州での出来事を思い出し、五りんに話して聞かせる。

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昭和20(1945)年春、孝蔵は軍隊の慰問に1か月ほど満州にいかないかと誘われ、三遊亭圓生はこれを即決、孝蔵も酒が飲めると行く気になっていた。その晩、空襲で、家族が無事だったが、自宅が焼けてしまった。皆が反対したが、長女・美津子が家のことは心配しないで行っていいというので、「少年飛行兵になりたい」という長男・清を自分の弟子にして残し、満州に渡った。

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満州で、圓生と軍隊慰問と日本人相手の興行を続け、1か月予定が気がつけば2か月を過ぎていた。
大連の関東軍の部隊慰問を行っているとき、高座を終えた孝蔵のところに見知らぬ青年が訪ねてきた。それが学徒出陣でやってきた勝だった。
この日、孝蔵が「富久」を演じていた。これを見た勝が「主人公の久蔵が
走るホームがおかしい。短距離ホームだ。長距離ホームはこうだ。呼吸法がなっとらん」と言いがかりをつける。孝蔵が怒ると逃げ去った。

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7月、孝蔵と圓生奉天に渡り、新京の放送局から来た若い社員に出会う。小噺も歌も玄人はだしのその社員は、森繁久弥渡辺大知)と名乗った。森繁によると沖縄の日本軍は全滅したという。孝蔵は勝が沖縄に配置換えになると言っていたのを思い出し、彼も亡くなっただろうと思っていた。

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森繁によればソ連軍が中立条約を無視して奉天に攻め込んでくるという。
それから数日後、広島に、3日後長崎に原子爆弾が投下され、その噂が奉天まで伝わってきた。

8月10日、ソビエト軍が攻め込んでくるという情報が流れ、残留邦人たちが逃げ惑う中、孝蔵と圓生は路地で勝とぶち当たった。沖縄に向かうはずだった勝は、出発前夜、分隊長から「死にたいやつは行け!妻子を内地に残してきた者は今すぐ逃げろ、今なら見逃してやる」と言われ、軍服を捨てて逃げてきたという。「いい隊長に恵まれたな!」と孝蔵。

孝蔵と圓生は、このあと大連に戻って二人会をやることになっていて、ついて行きたいという勝に、圓生が「逃亡兵を連れていると、敵味方両方から狙われる」と断った。「俺たちはこっち、あんたはあっち」と別れたとき、突然中国人が日本人を銃撃する。自分たちにも銃を向けられたが、よく分からないが「次だ!」と言って逃げていった。小松の姿を見て逃げて行ったらしい。

3人はそのまま大連に行き、8月15日を迎えた。玉音放送を街頭のラジオで聞いた。中国人は大喜びで、ひっちゃかめっちゃかだった。
二人会を開く映画館に行ったところ、中は荒らされめちゃめちゃ。圓生が興行主から貰ったとウオッカの瓶が入った箱を抱えて戻ってきた。3人でそれを飲んだ。ウオッカに酩酊した勝が、四三とともに上京し、マラソン東京オリンピックを目指していたこと、あげんいい加減な男、働いているのを観たことがないと金栗を偲び(笑)、5歳になる息子がいることなど身の上を語った。「走りたか!走りたか!オリンピックは永久に来ない」と浴びるように飲んだ。

孝蔵が「引き揚げたら息子の噺を聞くのが楽しみだ」というと、勝は「息子がオリンピック選手になったらうれしいでしょうね」とつぶやいた。

二人会の当日、大混乱の中にもかかわらず、会場には100人ほどの客が集まった。どいつもこいつも暗い表情、話ばかり。
圓生が「居残り佐平次」という色っぽい噺で笑いを取る。どんなネタをやればいいかと孝蔵が考えていると、勝が「富久だ!」という。

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「これはケチつけられたからいやだ」というと、勝が「距離を伸ばせいい。浅草から日本橋までは4~5kmだが、久蔵が大騒ぎして走る噺だから、10kmにしたらいい」という。「そんなに走るやつはいない」と言えば、「俺が走っていた」と勝。孝蔵は久蔵の行き先を日本橋から芝に変えて、“ススハハ”と小松の走る振りを真似て、喋った。森山さんの熱演でした。

孝蔵の落語を思い出しながらの帰り道、ポストを見つけて、絵葉書に「志ん生の富久は絶品」と書き、ポストを投函した直後、ソ連軍兵士が乗ったトラックがやってくる。逃げる勝に機関銃の銃声が響いた。

路上に倒れている勝を見つけた孝蔵が駆け寄り「起きろ、起きろ」と促すが、動かない。ソ連兵の姿を見て、そのままにして戻った。落語を聞く人たちの笑いのなかで、この悲劇を描くという演出、孝蔵の無念さが伝わってくる、悲しいシーンでした。

五りんはこの話を、りくの元に戻ってきた勝の履いていた足袋を抱いて泣く姿を思い出し、亡き父が母りくに送った絵葉書を手にして泣いた。ここは貰い泣きでした。

志ん生は話を続けた。
ひどいもんだった。女はみんな連れて行かれ逆らったら自動小銃で撃たれる。いっそ死んでしまおうと残ったウオッカに手を伸ばすと、圓生に「せがれの高座、見るんじゃねえのか」と止められ、悔しさで瓶を叩き割った。

この頃k、内地では息子の清が高座に上がり一生懸命に喋るが芽が出ない。友人の万朝(柄本時生)も孝蔵はダメかもしれないと心配しだす。おりん(夏帆)は心配のあまりバー「ローズ」のマリー(薬師丸ひろ子)7に占をお願いに行くと「諦めろ!」と言われる。そこには生彩のない政治もやってきていた。

昭和21年1月、孝蔵と圓生は帰りの船を待っていたが、いつになるか分からない。圓生は小唄の師匠と所帯を持つことになり、孝蔵にも義太夫の師匠を紹介する。和服美人の写真を見せられ孝蔵もその気になって会ってみると、写真とはまるで違い、酒癖がひどく、孝蔵はほうほうの体で逃げ出した。(笑)
そこからが本当に惨かった。食うために何でもやった。

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昭和22(1947)年1月、引揚船が出ることになった。この2年間は芸の肥やしになった。もぅ2度と満州には来ないと孝蔵は思った。ところがそこに、中国人の服装で美川(勝地涼)が現れ、「昔がなつかしい」と思ったがそれどころでないと別れた。これには驚きです。

圓生とも離れてさらに極貧生活を続けた孝蔵は、昭和22(1947)年1月、ようやく引き上げ船に乗ることができた。圓生が2か月後に戻ってきた。

孝蔵が家族の元に戻ると、ありんと子どもたちが涙で迎えた。孝蔵は「また貧乏に逆もどりか。俺たちだけではない。日本が本当に貧乏になった。みんなでやっていけばいい」と高座に上がる。孝蔵の第一声は「ただいま帰って参りました!」で、富久を語り始めると、どっと座が沸く。
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