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“いだてん”第41回「おれについてこい」

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平沢和重(星野源)の名スピーチで1964年の東京オリンピックの開催決定。田畑(阿部サダオ)を事務総長に組織委員会が発足する。顧問として大物政治家の川島正二郎(浅野忠信)が参加。」川島は東龍太郎松重豊)が当選した都知事選で田畑と対立した因縁があった。メダルを取れる競技を正式種目に取り入れようと考えた田畑は、鬼監督・大松(徳井義美)とキャプテン河西(安藤サクラ)率いる女子バレーボールチームに注目する。

感想:
「おれについてこい」は東京オリンピックで金メダルの女子バレーボールを率いた大松監督の専売特許言葉だと思っていましたが、東京オリンピック委員会を率いた田畑のやり方だったですね!

こういう人がいたから、記憶に残るオリンピックになった。政治家、官僚をこけにする態度は良くないが、国の名誉にかかわれば、このやり方でなければだめだったでしょう。よくやった!! アベサダさんの演技も冴えていました!

回転レシーブの起源が柔道。納得しました。ドラマでは大松監督より河西選手に迫力でありました! 安藤サクラさんの役作りが凄い、目の力が違います!

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東京オリンピックで柔道を正式種目に決めたことがすばらしい。これは加納事業に負うところが大きい。外国で日本人と言えば、柔道が出来ると思われるようになりました。

決まりかけた選手村「朝霞キャンプ」を「代々木ハイツ」に引き戻そうとする田畑のこだわり。その理由が「ロサンゼルス大会での記憶」。
ここではオリンピックの意義が問われていますが、政治家には田畑の叫びが分からない。
田畑の選手村選定要件は、
「選手村はスタジアムの興奮が冷めない距離でないとだめなんだ。ロスは最高だった。戦った選手たちが芝生に転がって、レコードかけて踊って、選手の記憶に刻まれるのは選手村で過ごした時間なんだ。共産主義、資本主義、先進国、途上国、黒人白人黄色人種、ぐちゃぐちゃに混ざり合って、純粋にスポーツだけで勝負するんだ。終わったら選手村で讃え合うんだ。そういうオリンピックを東京でやりたい。そのためには代々木でなければだめだ」。
とてもいいセリフでした。クドカンさんがこんな素敵なセリフを書く人とは知らなかった。薄っぺらな田畑という印象がありましたが、」これで一変、最後まで楽しめそうです。(笑)

2020年オリンピックのマラソン開催地を巡る問題。田畑なら東京というでしょうね。札幌は国際マラソン大会にすぎないということ!いい問題提起になりましたね!

***
田畑は5年後のオリンピックに向けて組織委員会が立ち上げられた。政治家が我も我もと殺到し、委員の数字は予定の2倍にもなった。頼みもしないのに自民党幹事長・川島正二郎(浅野忠信)が鷹揚にやってくる。

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組織委員会顧問に自民党幹事長・川島正二郎、会長に元大蔵大臣の津島寿一(井上順)。事務総長に田畑が就き、オリンピックの司令塔となり、この時期が田畑の黄金時代となった。田畑は国立競技場周辺を「俺のオリンピック」と称して模型化し、渉外部の岩田、式展課の松澤らを率いて辣腕を振るった。

田畑は競技種目で選定に取り掛かった。女子バレーボールにメダル獲得の可能性があることを知り、岩田(松坂桃李)、松澤(皆川猿時)とともに大坂の日紡貝塚女子バレーボールの練習の視察に出かけた。

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“鬼の大松“こと大松博文監督(徳井義美)が女子選手相手とは思えない練習をしていた。大松はインパール作戦に従事したという猛者。田畑が「軍隊式はよくない。嫁入り前の娘にバッカンバッカン玉投げて、罵倒して、なんだ!」と注意するが、「9人制が6人制に切り替わり、国際大会に出るには必要」と大松は意に介しない。徳井さんはしっかり頑張っていました!

田畑は大松を治五郎の柔道場に連れてきて、「粛々と己の技を磨き、礼に始まり礼に終わる」と練習する様を見せた。大松は柔道からヒントを見つけ女子バレーの伝家の宝刀となる「回転レシーブ」を編み出した。

このころ川島は東を宴席に招き、「田畑をどうにかしてくれ!どうにも受け付けん!」と頼むが、東は「彼は若い者の信頼が絶大」と断っていた。

組織委員会では、選手の設置場所について話し合いが行われた。7つの米軍キャンプのいずれかを1万人の選手を受け入れる選手村として活用したいとアメリカと交渉することにする。真っ先に、田畑が会場に近い代々木のワシントンハイツを押した。当時ワシントンハイツは日本のなかのアメリカだった。アメリカは朝霞と言ってきていた。
島津らは朝霞キャンプを視察。ここが広大な土地を利用出来るのでよいと喧伝し始めた。

一方、オリンピックシンボルマークは亀倉雄策前野健太)の意見でデザインを募集することにしたが、締め切り間近になっても亀倉の案が届かない。催促すると慌ててバー「ローズ」でデザインしたのが、斬新なデザインだと絶賛されるあのシンボルマークだった。(笑)

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金栗四三中村勘九郎)は68才でいまだ足袋で走っていたが、上京して聖火ランナーを目指すことにした。

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田畑は世界の黒澤(益子直純)が記録映画の監督に決定した。しかし、世間のオリンピックムードは上がらない。田畑はかってヨットでオリンピックを目指した岩田を専属の職員になれと勧め、「ロンドンオリンピックを徹底的に視察し、盗めるものは全てを盗め!」と1年間、ローマへ派遣した。

田畑は、組織委員会の職員を集め、ローマのIOC総会で東京オリンピックの競技種目が決定する前に日本がメダルを稼ぐために何を加えるべきかを検討する。「必ず勝てる、バレーボールだ」と田畑が叫ぶと、壁に掲げられた治五郎の肖像画が音を立てて傾いた。(笑)

ローマの総会で、柔道が東京オリンピックの正式種目に決定した。

岩田が、83か国、5000人を超える選手が参加したローマオリンピックの視察を終えて帰国した。
日本選手団は体操で4個の金メダル、陸・水泳が振るわず、総合で世界8位という結果に終わっていた。岩田は特にマラソンアベベの優勝が印象的だったと語った。
岩田は8ミリで撮ってきたオリンピックの映像を見せた。閉会式での電光板「1964 TOKYO」の文字を見て、松澤が大感激する。田畑は「泣いてる場合か、式典課!黒澤監督がすごいこと言っていたぞ」と気合をかけた。

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「黒澤は、映画製作を依頼したのだが、『聖火はギリシャから先ず広島に運び・・・』と開会式の演出まで考え始め、25億円を要求してきた」と田畑が話すと、岩田が「ローマでは、政府から金は全く出ておらず、サッカーくじトトカルチョ)の収益で賄われた」と言い、田畑らはこれを取り入れようと盛り上がった。

記者を招いての公開討論の場で、東がトトカルチョの件を持ち出すと、津島が「神聖なオリンピック大会の費用を博打で賄うのはけしからん!」と激怒した。
川島が「政府は十分だす!黙れ!」と大声を出す。田畑が「お役人は口を挟むな!」と応じる。
島津が「選手村はどうする。朝霞は金がかからん」と朝霞を押すが、田畑は代々木を主張する。
川島が「貴様たちのオリンピックではない。国民のオリンピックだ。オリンピックで日本は変わるんだ!貴様のやり方で盛り上がるなら、手を引く!」と田畑に釘を刺す。
田畑は「国民のオリンピックとおっしゃいましたね、幹事長!だったら国民の一人一人が俺のオリンピックだと思えるように盛り上げてくれよ、先生方。功名心で組織委員に名を連ね、公開討論にしか顔を出さん、そんな役立たずの役人や政治家は出て行ってくれ!」と応じ、トトカルチョの提案を取り下げた。

オリンピック競技場の建設が始まった。代々木の室内プールは丹下健三の設計によるものであった。

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昭和36(1961)年のIOC総会はアテネで行われ、平沢(星野源)の見事なスピーチによって、男子バレーボールが正式種目に決まった。女子バレーボールについては次の年に要請することにした。しかし、総会では近代五種を外したことで不評だった。田畑は「人気がないオートバイでどうかと聞け」と(笑)

田畑は、訪ねてきた平沢に「代々木ワシントンハイツ返還の交渉を水面下で行ってほしい」と平沢に頼み見込んだ。
平沢が「なぜ代々木にそこまで拘るんだと聞くと、「選手村はスタジアムの興奮が冷めない距離でないとだめなんだ。ロスは最高だった。混沌、カオスだ。戦った選手たちが芝生に転がって、レコードかけて踊って、選手の記憶に刻まれるのは選手村で過ごした時間なんだ。岩田をローマに派遣したのも、それを感じて欲しいからだったからだ」と田畑はいう。

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岩田が「アベベの走る姿とゴールの瞬間に鳥肌が立った。かってエチオピアに軍隊を送り出したコンスタンティヌス凱旋門を通過してまだ走れると足踏みをし、群衆に担ぎ上げられた」。ここはめずらしい記録映像で見せてくれ感動しました。「これが田畑さんのいうオリンピック!」と話す。
アベベは偉いが、名もなき予選で敗れた選手でも生涯自慢できるものにしたい。共産主義、資本主義、先進国、途上国、黒人白人黄色人種、ぐちゃぐちゃに混ざり合って、純粋にスポーツだけで勝負するんだ。終わったら選手村でたたえ合うんだ。そういうオリンピックを東京でやりたい。そのためには代々木でなければだめだ」。平沢は「私に、考えがある」と応じた。
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