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「プラトーン」(1986)ベトナム戦の実態、国家の無策を“映像で訴えた作品”

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ベトナム戦争の実態を描いたオリヴァー・ストーン作品。第59回アカデミー賞(1987)作品・監督・録音・編集賞の4部門受賞作。

南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)のゲリラ戦に挑む米軍の戦い方を浮き彫りにするように、プラトーンという戦闘最小単位部隊(30名から40名で編成)の戦い方を描くことで、とても分かりやすくベトナム戦の実態、国家の無策を“映像で訴えた作品”です。

戦争の記憶を忘れてはならない、語り継がれねばならない。ということで、DVDで観賞。

監督・脚本オリヴァー・ストーン。監督は第25歩兵師団の3/22歩兵大隊B中隊に所属しベトナム戦に参加している。撮影ロバート・リチャードソン、音楽:ジョルジュ・ドルリュー

出演:チャーリー・シーントム・ベレンジャーウィレム・デフォーら多数。ジョニー・デップベトナム語通訳兵として参加しています。


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あらすじ:
1967年のベトナム。白人の若者クリス・テイラーは自分と同年代の、しかも少数民族や黒人・貧困層という底辺層である若者が、職業と現金を求めて軍隊に入隊していく現実に憤りを覚え、愛国心から大学を中退して陸軍に志願しベトナム戦争の戦場へやってきた。
配属された歩兵小隊のいち兵士として、ベトコン掃討作戦に参加し、地獄のような戦場を体験し負傷して戦場離脱するまでの、そこで見た戦闘の実態と何を感じ取ったかをあぶり出した作品。

感想(ねたばれあり):
砂埃のベトナム基地に降り立ったテイラー(チャーリー・シーン)、その顔は自信に溢れていた。米軍ベースで「怖さはここにおれば分かる」という言葉が耳にしながら雑用勤務に励んでいたが、いよいよベトコン情報を求めて密林のなかに出動、初陣!

〇初陣
1967年9月カンボジア国境付近。深いジャングルの中にテイラーはいた。足に蛇、首に虫。朝、5時に起きて歩き出し、午後4時ごろタコつぼを掘り地雷を敷設して敵を待ち伏せする毎日。指示はすべてバーンズ曹長からでる。小隊長ウォルフ中尉は飾り物。エリアス軍曹がよく面倒を見てくれる。

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夜間、雨の中歩哨任務につく。敵影が見えるが地雷を発火できない。敵が地雷に触れて射撃が始まるが、何が起こっているのか皆目分からない。戦闘が終わり、戦死者Ⅰ名。バーンズ曹長から「眠ったやつは死体で返してやる」と嫌味を言われた。これにエリアス軍曹が上手く諫めてくれた。Ⅰ週間の行動でテイラーは「理性が通じない、地獄だ。来るんじゃなかった」と思った。

基地に戻った小隊は次の作戦に備えての整備・休養。営舎ではバーンズが小隊の親分で近寄り難い雰囲気があった。小隊長は影が薄い。営舎内では賭博や大麻を嗜む。テイラーはエリアスから大麻を教わり、慕うようになっていった。
  
〇ダニ村の襲撃作戦
1968年元旦、カンボジア国境での衝突が増加し、ベトコンを求めて出動した。
ベトコンの砦を発見。飯を作っていたらしいが兵士の姿がない。エリアスが壕に入り捜索。突然、爆発が起こり、2名が戦死。エリアスが小隊長に増援を要請したが、川下に敵が現れたとエリアスと4名を残して、小隊主力は川に向かった。途中で喉を切られ吊るされているマギーを発見、マギーの殺され方にバーンズは怒りを露わにした。

ダニ村に入った小隊。
射撃で脅しながら捜索。壕を発見、子供がいるにもかかわらず手榴弾を投げ入れる。そこで一個連隊分の武器を発見。テイラーが村人を尋問するが反応なく兵士の行方が掴めない。バーンズが「皆殺しにしよう」と老女を射殺。

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これにエリアス軍曹が「やめろ!」と取っ組み合いになった。エリアス軍曹が小隊長に「何故止めないか小隊長は!」と詰め寄ったが「上から焼き払えと言ってきている」と村の小屋に火をつけて焼くよう命令した。村人たちは縄で繋ぎ連行されていった。姿を見せないベトコン戦法に打つ手がない現場の小隊が採った策は村を焼き払い、村民を追い払うことであった。

中隊集結地に戻ると

エリアス軍曹が中隊長ハリス大尉(デイル・ダイ)に村民を射殺した実情を訴えた。大尉は「ベースキャンプに戻って実情を聴く。違法があれば軍法会議。ここは戦場だ、内輪喧嘩はよせ!明日東方から再攻撃する、その後司令部に来い!」と小隊長に指示した。バーンズ曹長とエリアス軍曹の対立はこれで決定的なものとなった。

これに対して小隊内兵士の間では

「バーンズ曹長についてゆけば安全だ、敵を間違えない」。「キリスト国がこんなことするか?」「聖人ぶって、ワシントンのお偉いさんと同じだ」「エリアス軍曹はかたずけた方がいい」と兵士たちの声が上がった。

バーンズ曹長は「証拠はなにもない!」と軍法会議など鼻にもかけない。兵士には生きてアメリカに帰れることが第一。そのためなら何でもやる。バーンズ曹長は生きるためには何でもやる鬼だった、一方のエリアス軍曹にはまだ人間らしさを残していた。

夜、テイラーが「バーンズ曹長と仲が悪いの?」とエリアス軍曹に聴くと「あいつは自信家だ。’65まではこうではなかった。今は変わった、この戦争は負ける。アメリカは長い間他国に対して横暴だった。バチが当たる」と嘆いた。これはオリバー・ストーンの言葉でしょう。

〇翌朝、ダニ村作戦の再開

雨の中、川沿いに進む。体力も気力にも限界だった。士気は低下して仲間割れが起きる。善悪の区別がつかない誰と戦っているのか、除隊の日だけが楽しみだった。

ジャングルのなかで、ベトコンの待ち伏せ射撃を受け、よく準備された砦に遭遇した。ベトコンの姿は見えない。ウォルフ小隊長が砲兵射撃を要請しようとすると、エリアス軍曹が「先例がある。砲弾で攻撃したら敵は穴に入り、味方同士が戦うことになる。俺に行かせてくれ!」と援護射撃を要請し、分隊には「森林に隠れている敵が飛び出したところを射撃せよ」指示して、ひとりで密林に消えていった。これにバーンズ曹長が激しく反対した。ウォルフ小隊長が座標を間違えて射撃を要求したため小隊兵士の上に砲弾が落下し死傷者がでた。バーンズ曹長が小隊に退却を命じ、密かにエリアス軍曹を追い、撃った

小隊に戻ったきたバーンズ曹長は「100m先でエリアス軍曹は死んだ」と言ったが、救出されたヘリから下を見ると、ベトコンに追われ、撃たれ、ヘリを仰ぐエリアス軍曹の姿があった。エリアス軍曹が何を言いたかったか、テイラーは「バーンズを訴えてやる!」と思った。

〇集結地に戻った兵士たち。

「バーンズ曹長がエリアス軍曹を撃った!」「バーンズ曹長の恨みを買うな!」「バーンズ軍曹は7回弾に当たって死ななかった」と兵士たちの中で囁かれていた。バーンズ曹長は「俺は逃げん。現実にいい兵士とは命令通りにすること。無視するやつは殺す」と息巻いた(小隊長無視!。

バーンズ曹長が「仇を討ちたければやれ!俺を殺せ!お前らは死の意味が分かっていない!」と宣う。テイラーは頭にきて、バーンズ曹長に飛び掛かったが逆にナイフで切られた。これを見た兵士たちはバーンズ曹長に反抗することに尻込みした。

翌日、小隊は再びダニ村へ派遣された。付近にはベトコン141師団が潜伏しており、他部隊が大打撃を受けたという。「自分たちの位置が全部相手に掴まれているなかでの戦闘だ、生きては帰れん」と不安がる兵士たち。突然キング兵長(キース・デイヴィッド)に帰国命令が出た。これはバーンズ曹長の配慮だったらしい。

〇ベトコンの本格的夜間攻撃

夜間、配備陣地前面にベトコンが現れた。照明弾が打ち上げられ、ベトコンの本格的な夜間戦闘が始まった。大兵力に包囲され、もはや壕陣地にへばりついて戦うことが出来ない。壕を飛び出しての激しい白兵戦となった。

大隊指揮所にもベトコン兵がなだれ込む状況となり、やむを得ず、戦闘地域全域に無差別航空攻撃を要請したため、アメリカ空軍の爆撃によって小隊はほぼ全滅した。

朝、目覚めたテイラーは、負傷した足を引きずり戦場を確認すると、バーンズ曹長が虫の息で生きていた。テイラーはバーンズ曹長を撃った!

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救援部隊に救出されたテイラーはヘリの上から、死体だらけの戦場を見ながら、「エリアス軍曹とバーンズ曹長は僕の心の中でいつまでも生き続けるだろう。僕の中にはあのふたりの血が流れているかもしれない。しかし、生き残ったものにはやるべきことがある。戦場で見たことを人々に伝え、残された人生を命に賭けて意義あるのもにしなければならない」と思いながら、野戦病院に送られた。

まとめ:

見えない敵、村民と混在する戦場、指揮組織が機能しない部隊。自分がこの戦闘に参加していたらどう行動したかと考えると、テイラーと同じで、答えが見つからないこの腐敗した戦場で小隊レベルの部隊に答えを求めるのは無理、戦争の目的は何かと政治が問われる!

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