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宮﨑あおいさんを応援します

「Fukushima 50」(2019)

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2011年3月11日の東日本大震災で未曽有の事故に見舞われた福島第一原発で、最悪の事態を回避すべく原発内で戦い続けた50人の作業員たちの奮闘物語。

 あの日からもう9年かという感慨、どちらかというと自分のことしか考えないような世間にあって、故郷のため、人のため、使命のためにと自分の命を投げて働いた人がいたという物語、こんな話があったのかと感動しました。

原作は門田隆将さんのベストセラー・ノンフィクション作「死の淵を見た男」。未読です。監督は「沈まぬ太陽」「空母いぶき」の若松節朗さん。脚本は大河ドラマ「軍師冠官兵衛の前川洋一さん。
主演に佐藤浩市渡辺謙さん、共演に吉岡秀隆・安田成美・火野正平佐野史郎・荻原聖人・小野寺秀樹さんらとても豪華です。

あらすじ(ねたばれ):
2011年3月11日午後1446分地震発生。強い揺れ!Ⅰ・2機サービス建屋の2階中央制御室、別称「中操」の伊崎は落ち着いて「来るよ!訓練通りにやれ」と指示。一方事務本部棟の吉田は、散乱する室内でヘルメットを被り、免震重要棟(災害対策室、「災対室」)へ走る。TVで地震規模を確認し伊崎に「大津波が来るぞ」と連絡。
津波の発生から大きな波に成長して防波提を超え、原子炉建屋などの諸施設を襲うCG映像は、怖い、日本でしか描けないすばらしいものに出来上がっています。

伊崎は冷静に室内を点経し「電源が落ちた!」と吉田に報告。PM3:40吉田は東京電力本社(東電本社)に「SBO」(電源焼失)を報告し、電源車を要請した。そして消防隊に「注水しろ!」と指示。ここまでの所長吉田と当直長伊崎は喋らなくても同じ行動がとれ、また作業員の動きも見事でてきぱきとなされよく訓練されている。
一方東電本社は現場からの電源車要請、たかがの電源車でさえ速やかに処置できない。本社はこの段階で何をやるべきかが全く訓練されてない。

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「中操」では伊崎が「行動が2時間、これ以上の場合は帰れ!」など放射能汚染下の行動基準を示す。そして、「メルとダウンを防ぐための“水の供給系”を確保する」と消防系ライン確保のための開弁作業を手動で行う作業員を原発建屋に送り込む。真っ暗のなか余震に悩まされながら次々に弁を開くことが出来た。これが事後の原子炉冷却に大きな役割を果すことになった。

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「災対室」では吉田が消防隊に注水を指示し、自衛隊に消防車支援を要請する。自衛隊への要請はよく思いついた!(「日本沈没」(1973)」地震災害のなかでやって来れるのは自衛隊しかない。この作品で知ったのですが、自衛隊の支援は給水だけでなく、危険な作業のなかでの大きな精神的な支えになっていった。
さらに諸計器を読み取る電源として自家用車からバッテリーを集めるよう指示した。このバッテリーのお陰で格納容器圧力を計測でき、のちに最悪のドライウェルベントを行うことなく事態収拾ができた。この初期対応がすばらしいと思いました!

伊崎は給水弁を開放するために派遣した作業員が思いもしない放射線を浴びていることに驚き「おかしい!」と吉田に報告した。
吉田は東電本社にヨウ素の配分基準(40才以上には配分なし)の変更について意見具申。そして「電源車はどうなったか?」を確認。本社は返事が出来ない
ここまでの描写で、東電本社こそが、大混乱の元凶であったことがよく表われています。

1945、官房長官が記者会見。原子力災害対策特別措置法で対応することを発表。2050、双葉町の伊崎家では避難準備が始まった。

「中操」では自動車バッテリーを継ぎメーターを読むことができるようになった。圧力容器の圧600パスカルに驚く。正常の1.5倍に伊崎は「ベントしかない」と吉田に報告。吉田は「ベント準備、明けかたにやる」を伊崎に伝えた。

0306経産大臣が「ベントを手でやるしかない」と記者会見。

吉田は東電本部と「現場を無視して勝手にするな!時期はこちらで決める」と調整を終えた。放射能や建物崩落のなかでの作業だけに、「現地に任せるしかない」という吉田の言い分が正しいことが分かります。
吉田はベントの及ぼす影響を地図で確認して伊崎に「頼む!」と指示した。

伊崎は誰にやらせるか悩んだ。全員がやると手を上げたが、年配者でやることにして2名2組のベント隊を編成した。放射線と余震による崩壊下の作業、まさに戦場だ。辛い人選だった。このシーンは心が痛んだ!
A組に大森(火野正平)と工藤(石井正則)。B組に矢野(小倉久寛)と小川(邱太郎)。準備が完了したことを吉田に報告した。

伊崎一家は、半径10km圏内の住民避難指示により、再度バスで避難所を変えることになった。

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0550吉田は東電本社の小野寺(篠井英介)に「ベントをいきます」と報告すると「首相が行きますのでよろしく」という。吉田は「全面マスクが不足しているのでマスクは持たせてくれ」と話すが受け付けなかった。

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0711総理は「災対室」に「なぜ早くやらないか!」と現れ、吉田と面談。吉田は「ベントは決死隊をもって手動で行う」と説明した。総理はヘリで飛び去った。
このシーンに大きな反響があるようですが、総理が現場を確認して帰ったことが分かるシーンになっています。総理が来たことでベント時期がズレ、放射線濃度が上がり、建屋温度上昇で、ベント作業に大きな狂いが出たことは事実です。

直ちに伊崎はベントに取り掛かった。A組が放射線被ばくと余震に悩まされながらもベント弁開放に成功。無事帰還を祈っていた伊崎はほっとした。しかし、B組はさらに強い放射線で作業時間が短縮されベント弁開放に失敗した。悔やむ彼らの姿に伊崎は「ありがとう」と言葉を掛けた。

ここに「Ⅰ号機が自分の子供のようなもの、やらせて欲しい」と5・6号当直長の前田(吉岡秀隆)と内藤(三浦誠己)が駆けつけた。イチエフ作業員が全力で当たることになった。二人は装備を整え、一号建屋に急いだ。そのときⅠ号機から白煙が上がった。伊崎は「危険だ!」と前田と内藤を引き戻すために作業員を走らせた。生死を掛けた作業だったことが分かります。この白煙はベント成功の印だった!彼らは世界に例のない作業をやってのけたのだった!

「中操」では若い西川(堀井新太)が「ここに居ても意味がない」と言い出す。伊崎が「メーターを見ているだけで意味がある。俺がお前らを退避させる」と説得する。Ⅰ号機が水素爆発。これは大きなニュースになった。伊崎はベテランを残し免震重要棟退避した。

このあと3号機、4号機で水蒸気爆発が起き、3号機でメルトダウンが始まった徴候が出た。
現地は給水活動を続け、「中操」ではひたすらメーター監視を続けた。水不足で海水を使用し始めた。これに東電本部から真水を使えと激しい命令調で指示して来たが吉田は無視した。

2号機のサプレッション・チェンバー圧力が低下しはじめ、吉田は最小限の人数に絞り、主力を第2原発に移動させた。ここでの人選も厳しいものだった。また別れのシーンが悲しかった!

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総理が「東電は撤退するのか?」と東電本社に乗り込んで来た。TV会議の模様がTVで流れ、総理の「撤退はない!しっかり守り切れ!逃げきれないぞ!」に現場ではブーイングが起きた。吉田の覚悟は決まっていて、TVに背を向け服装を整えた。
現場の空気とは全く異なる総理の言葉だから当然です。何故こうなったのか?が問題で、この教訓を生かして欲しい!

2号機のサプレッション・チェンバー圧力がゼロになり、自衛隊によるヘリ放水が実施され、東電本部からは「ドライウェルベントを行え!」と指示してくる。その時が来たかというよう空気に包まれた。
こんな状況のなかで「中操」に残った作業員から「伊崎さん、2号機の圧が350パスカルに下がっている」と伝えてきた。これで一時的な危機は去った!

・・・・・・

伊崎と前田は避難所を訪ね、家族に会い、町民の方々に「富岡をみじめなことにした!許して欲しい」と謝った。町民は「そんなことはない、故郷を人を守ってくれた。ご苦労様でした」とふたりを労った。

吉田は2013年7月9日、癌で、58歳という若さで亡くなった。

2014年の春、亡くなった吉田の手紙を携え、帰還困難区域に咲く桜を眺めにやってきた。吉田の手紙を読みながら、生きていることの意味、故郷の早期復興、そして原子発電の是非を問うのであった。

感想:
物語は大震災から5日間。地震発生から時程に従い、ほぼ正確に出来事を追い、原発の作動状態、現地の作業員の活動、内閣及び東京電力本社の動きが描かれ、“事実”を大切にした物語です。これに、うまく作業員家族の話を絡ませたヒューマンドラマになっていて、退屈せず小難しい話もないエンタメ作品になっていました。

津波地震による原子発電建屋や諸施設、原子炉の破損・爆発状況がCGによりリアルに描かれ、迫力がありこれが物語を盛り上げています!

全面マスクに耐火服、空気ボンベを背負った作業員たちが目に見えない放射線といつ爆発するかわからない環境のなかで郷土愛、強い友情、家族の愛情で恐怖を克服して危険に立ち向かう姿に、俳優さんたちの熱演も加わって、「よくがんばってくれた!彼らの頑張りがなかったら原子炉は暴走していた」と感動しました。

震災から3年後、伊崎が帰還困難区域に咲く桜を眺めるラストシーンで、伊崎は何を想っているかを観る人に任せる演出ですが、この物語をヒーロー物語で終わるのは惜しい!
吉田所長が伊崎に残した「我々は自然をなめていた!なんで格納容器が爆発しなかったのか分からない!」という手紙に原子力発電に対する厳しい姿勢を見ることができますが、ここはもうひと押し欲しいところです!

実名で登場するのはイチエフ所長の吉田昌郎のみで、その他は全て仮名です。主体を当時の現場作業員の行動に置き、これを正確に描き、内閣や東電本社の行動は、この現場の状況を見ればどうあるべきかがわかります。当時の総理や東京電力関係者を批判しようとしたものではなく、「今後の教訓」と捉え政治問題化しないことを願っています。しかし、外国の方はびっくりするでしょうね!   
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