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「キネマの神様」(2021)映画館で“映画を観て欲しい”という山田洋次監督の願いがこもった作品!

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松竹映画100周年記念作品としての山田洋次監督、89歳にして89作目の作品。もう何が描かれているかが分かるような作品です。

原作原田ハマさんの同名小説、と言っても大改編らしく「キネマの神様(ディレクラーズ・カット)」(原田ハマ著)としてノベライスが発刊されています(笑)。未読です。脚本:男はつらいよ お帰り寅さん」の朝原雄三さん、撮影:山田監督作に多く関わってきた近森眞史さん、主題歌:RADWIWPS feat.菅田将暉「うたかた歌」。

出演者:沢田研二菅田将暉宮本信子小林稔侍、寺島しのぶ永野芽郁野田洋次郎北川景子、他。

あらすじ:

かつて映画監督を志すも夢破れ、今やギャンブルに明け暮れる借金まみれのダメ親父ゴウ(沢田研二)。妻の淑子(宮本信子)や娘の歩(寺島しのぶ)にもすっかり見放されたゴウだったが、行きつけの映画館“テアトル銀幕”の館主テラシン(小林稔侍)だけは、いつでも温かく迎えてくれた。2人は青年時代、同じ撮影所で汗水流した盟友だった。助監督として働いていたゴウは、名だたる名監督やスター女優の桂園子(北川景子)、近所の食堂の看板娘・淑子(永野芽郁)らに囲まれながら夢を追い求め、青春を駆け抜けていた。ゴウとテラシンン(野田洋次郎)は淑子にそれぞれ思いを寄せていた。

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そしてついに初監督作品「キネマの神様」の撮影初日を迎えたゴウだったが転落事故で大怪我をして田舎に帰ってしまったが、淑子は周囲の反対を押し切ってゴウを追いかけていった。

あれから50年後の今、ゴウの脚本が映画好きの孫・勇太(前田旺志郎)が発見し、ゴウと勇太はキネマ雑誌の脚本賞に挑戦。はたしてどんな形で「キネマの神」が降りてくれるかという、山田監督らしいファンタスティックな作品です。

映画最盛期と映画離れの現代が交差しながら展開する物語。最盛期では映画監督を志した主人公ゴウが山田監督の青春時代が被さるように描かれ、現代では監督がこれまで描いてきた人生に落ちこぼれた男の再生物語となり、キネマの神は必ず映画館に降臨する、「映画館で映画を観て欲しい」とい願いが込められた作品になっています😊

特に映画最盛期の話を理解するにはパンフレットがあった方がいい。当時の映画製作環境が分かればとても楽しめる作品になっています。

山田監督の若かりし頃、小津安二郎監督に反抗的であったというエピソードが見てとれますが、本作では東京物語」(’53)をモチーフにした作品で、原節子さんや田中絹代さんを彷彿とさせる北川景子さんの美しさに圧倒されました。

感想:

日本で行われた「ラグビー・ワールドカップ」の翌年。非常事態宣言が出され、オリンピックも甲子園の高校選抜野球大会が中止になるなど考えもしなかったコロナ禍。映画も映画館で観ることが難しくなった今

かって映画監督を志し挫折したゴウは今では博打で大きな借金を産み、家族を苦しめる存在になってしまった。娘の歩と妻の淑子に「博打を取るか淑子を取るか」と迫られ、年金通帳と金融カードを取り上げられ、映画を観るだけが許されることになった。

ゴウはかっての友人テラシン(寺林新太郎)の経営する小さな映画館「テアトル銀幕」を訪れ、夜半誰もいない劇場で、ふたりで、自分が助監督を務めた出水博監督(リリー・フランキー)の映画「花筏」を観ることにした。この出水監督は松竹黄金時代の清水宏監督のようです。

主演は桂園子。園子を演じる北川さんはまさに原節子さんでした!園子の顔がアップされるとゴウが「園子の瞳に俺が写っているんだ」と言い出す。大きく瞳がアップされて、その瞳にかって助監督だったゴウが出水監督と映画を撮っている当時の撮影現場へと移って行きます。

この“現在から過去への移行”がすばらしい!ここから松竹映画隆盛時の映画つくりの世界が描かれます。

出水監督は「演技よりも感情!」と園子の演技をコケにし、また「夕日を撮れ!」と命じられたゴウが太陽の沈みを止めようと海めがけて走る。(笑)清水監督の逸話を生かした撮影風景や撮影所前にある料理屋“ふな喜”に集まって、監督、ゴウが脚本を練るという、当時の絆の強い映画屋一家が描かれます。

撮ったフルムを映写技師のテラシンに渡して、映像を点検する。そこに仕出し弁当を持ってきたのが“ふな喜”の娘・淑子だった。ゴウが「淑子ちゃんだ」と紹介するとテラシンは一目惚れした!

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ゴウはテラシンと淑子のために園子が運転する車で伊豆半島のドライブを計画した。当時、女優さんが車を持っていたらしい!淑子が将来何になるかと聞くので、ゴウは映画監督、テラシンは映画評論家か小さな映画館を持ちたいと答えた。淑子は映画監督に関心があるようだった。

 ふな喜”に集まったゴウやテラシン、園子ら。園子が小田安三郎監督(山崎貴)に「紅茶を飲むときスプーンを2回半廻して飲みなさい」と指示され、「2回だった」と注意され悔しくって泣いたという話を披露する。そして「ゴウちゃんはどんな監督になりたいの?」と聞いた。

ゴウは「映画大好きな奥さんがヘソクリで貯めたお金で憧れのスターの映画を見に来る。するとスターはスクリーンから出て、奥さんを江の島のドライブに誘って抱擁する。こんな夢の中に入るようなファンタジーな作品を目指す!」と「キネマの神様」の構想を披露した。園子は出演したいと大感激。ゴウは「出水さんとか、娘が嫁に行くって父親が悲しむ日本映画はダメだ!(笑)思い切ったファンタジーな作品を目指す」と付け加えた。ゴウが語る内容はアニメを使ってファンタジーに描かれます。

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テラシンが熱病で寝込んで、ゴウが見舞った。どうやら淑子への恋患いらしい。「ラブレターを書けと!」と元気付けて戻った。ところが園子から「淑子に会いに行け」と言われ“ふな喜”に行くと、淑子が「テラシンさんから手紙を貰って悩んでいる」という。「初恋の人だろうが」と言うと「バカ!」とキスされ、テラシンへの返信を託された。永野芽郁さんの昭和女性らしい演技がいい。

ゴウはテラシンに呼び出され「淑子ちゃんから返事がない」と打ち明けられ戸惑った。淑子の返信を渡すと、テラシンは激怒した。

この結末は今から9年前、淑子が求人ポスターを見て小さな映画館「テアトル銀幕」を訪ねたことで描かれます。「こんな歳で雇ってもらえますか」と支配人に尋ねると「歳はいいが、どんな映画が好きですか?」と問われ、「フランック・キャプラの“すばらしき人生”」と答えると{淑子ちゃんか!ゴウはどうしている?}と大きな声を上げた。以来、淑子はここで清掃の仕事をすることになった。テラシンには「ゴウとは撮影所で一緒に飯喰った仲」とその友情は消えてなかった。テラシンは独身で、伊豆に旅行したときの淑子の写真を大切にしていて、“忍ぶ恋”だった。

テラシンとゴウ、そして淑子の“三人の友情”は、観る人に委ねられ多くは描かれないが、とても暖かくて、テラシンを演じる小林稔さんの情感溢れる演技に泣かされます。

ゴウは監督として初作品「キネマの神様」を撮るとこになったが、連日下痢に悩まされる。脚本を読んだ園子が「書き込みが細かすぎる。撮影は生もの!」と心配した。初日から撮り方でベテランカメラマンと衝突し便所に走る。(笑)「“もう夫婦でない”とことを“俯瞰で撮りたい”」と二階に上がったが、カメラマンの猛反対を受けて、二階から落ちて骨折。ゴウは辞表を書いて、岡山の田舎に帰って行った。

淑子は、「不幸になるから」と皆は止めたが、「わたしがコウちゃんを幸せにする」とゴウを追った。

物語は現在に戻る。ゴウは「花筏」を観終わって、淑子が帰ろうというのを断り“テアトル銀幕”で過ごし、家に戻った。孫の勇太の部屋に寄ると「お爺ちゃん見直した!」とテラシンから借りた「キネマの神様」の脚本を見せ、「これを現代風に直そう!賞金は100万円だ」という。「いい脚本だろう!女優が階段から落ちてボツになった映画の脚本だ」と言い訳して、ふたりで校正し、イネマ雑誌の木戸賞に応募した。

なんとこの脚本が受賞した。喜んだテラシンは“テアトル銀幕”でお祝いのパーティーを開いた。ゴウはここで「東村山音頭」を唄い踊った!家に戻ると淑子がテラシンから預かったと封書を渡す。開けると伊豆旅行したときにテラシンが撮った淑子の写真だった。😢淑子の差し出す水を一杯飲んだところで、ゴウは倒れて入院した。

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受賞式には淑子と歩が参加。受賞挨拶は歩がゴウのメモを読んだ。「家族のお陰だ」と家族への感謝だった。

退院の日、ゴウは小田監督の「東京の物語」を見たいとテラシンの劇場に家族と一緒にやってきた。テラシンが「コロナで劇場も危ない」という。ゴウは「これではどうにもならんかもしれないが」と70万円を渡した。テラシンはありがたく受け取った。

「東京の物語」、ラスト近くで、尾道から列車で東京に戻る主人公の桂園子が、突然スクリーンから降りてゴウの隣にやってきて「撮影所に行こう!」と誘ってくれた。現代のゴウの魂が若きゴウとなり園子と一緒に撮影所へと消えていた。

救急車のけたたましいサイレンが響く。

ゴウのみならず映画の好きな人にとっては最高の「人生の終わり方」でしょう。

「映画には神が宿っている、劇場で観て欲しい」という山田監督からのメッセージでした。コロナ禍真っただ中の公開ですから、一層このメッセージが心に響きます。

スクリーンからスターが飛び出すというやり方はバスターキートンが最初に使った手法(1924)だそうで、監督はゴウを喜劇王志村けんさんに演じて欲しかったんだと思います。亡くなられてとても残念だったでしょう。また、この役を沢田研二さんが演じ、どこか志村さんがいるようで、ふたりの友情に感動しています。志村さんのご冥福をお祈りします。

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