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「エディット・ピアフ 愛の讃歌」(2007)最期、すべてを燃やしてゼロから生きる!

愛の讃歌」「ばら色の人生」など、数々の名曲を残したフランスの国民的シャンソン歌手、エディット・ピアフの伝記ドラマ。その波乱に満ちた47年間の生涯を描き、フランスで500万人以上を動員。ピアフになりきった主演マリオン・コティヤールは、第80回アカデミー賞主演女優賞受賞しています。

エディット・ピアフシャンソンはよく耳にしましたが、その私生活は知りませんでした。この作品で彼女の悲劇的な生い立ちを知り、なぜ彼女が残しでた歌が「愛の讃歌」「ばら色の人生」なのか?

監督:オリビエ・ダアン、脚本:オリビエ・ダアン イザベル・ソベルマン、撮影:永田鉄男、音楽:クリストファー・ガニング。

出演者:マリオン・コティヤール、シルビー・テステューシ、パスカル・グレゴリーエマニュエル・セニエ、ジャン=ポール・ルーブ、ジェラール・ドパルデュー、他。

あらすじ:

1015エディット・ピアフ大道芸人の父とストリートシンガーの母に出来た子で、両親が離婚し、ノルマンディーで売春宿を営む父親の母親に預けられた。ここで売春婦のディティーヌ(エマニュエル・セニエ)に可愛がられ、売春婦の悲惨な生活を目にして育った。そして数年にわたり角膜炎で苦しんだ。

その後、父親に引き取られ、サーカス団でしばらく暮らし、父親がここを辞めて大道芸で生計を立てるとになり、初めて観衆の前で歌ったのがフランス国歌だった。とてもいい声で大喝采を得た。

父親から離れ、友人のモモーヌ(シルビー・テステューシ)とストリートシンガーになり歌っているとことをナイトクラブのオーナー・ルイ・ルプレ(ジェラール・ドパルデュー)によって見出され、彼の店で歌を歌うようになり、大評判となった。ルプレはエディットの身長が小柄にも関わらず迫力のある声であることに、“ピアフ”(小さなスズメ)という芸名をつけた。ピアフは酒を呑み、男と付き合い始めた。そんな中で、ルプレーが悪組織から刺殺されるという事件が起き、ピアフとモモーヌは共犯者と告発されたが、ピアフは無罪となり、モモヌは連行されてしまった。歌っても娼婦上がりの女と軽蔑されるようになった。

ピアフはレイモン・アッソ(マルク・バルベ)のもとで基礎から歌を仕込まれ舞台に立った。大変な成功を収め、ツアーにレコードにと引っ張りだとなっていった。

1940にはジャン・コクトーの舞台に出演し、戦場に発つ兵士が持ち込む曲にも気さくに応じて歌った。「ばら色の人生」はこのころの歌だった。

1947年、ピアフはアメリカへの公演旅行に旅立ち好評を得た。運命の人プロボクサーのマルセル・セルダン(ジャン=ピエール・マルタンス)と出会った。マルセエルの世界選手権試合を観戦し、その勝利に狂喜した。もう彼への愛が止らなくなっていった!愛の讃歌はマルセル・セルダンに捧げられた曲だった。そんな中で出会ったのが大女優で歌手でもあるマレーネ・ディートリヒ(カロリーヌ・シロル)。ふたりは意気投合した。しかし、彼の家族には迷惑をかけないと結婚を迫ることはなかった。

1949年10月、マルセルに「飛行機で会いに来て!」と伝え、その夜彼との逢瀬を楽しむ夢を見た後、彼が飛行機事故で亡くなったことが知らされ、大きな悲しみを味わうことになった。

1955年8月、ピアフは最初の夫ジャックと仲間たちとカリフォルニアを旅行中自動車事故に遭い、その後深刻なモルヒネ中毒に苦ししみ、しばしば公演中の倒れることがあった。貧しかった頃の育ちの悪さを露骨に出し、横柄な態度で人に接するという悪い生活スタイルを見せ見苦しいピアフになっていった。薬を首に打ちながら「歌がなくなったら死んでしまう」と舞台に立ち続けた。そして倒れ、南仏グラースで療養生活に入った。

1960、パリの「オランピア劇場」で、療養中のピアフはようやく立てるという体調でコンサートを開いて「水に流して」を唄った。これが最後のコンサートとなった。ピアフは再度入院し、1963年10月10日、47歳で、二番目の夫:テオ・サラポスに看取られ亡くなった。

感想:

作品は、舞台で突然倒れ歌を唄えなくなくなったピアフが病院で苦しむ姿を主軸に、悲劇的な幼少時や劇的な歌手レビューと名声、ボクサー・マイセルとの大恋愛とその死、モルヒネ中毒による苦しみ等の人生エピソードを交差させながら描き、“人生に後悔なし”と呟いて亡くなるという感動的な結末になっています。

病魔による意識の混濁の中で若いころ幼い娘・マルセルを網膜炎で死なせた罪に苦しみながら、ラストの舞台で歌った「水に流して」を思い出しながら「すべてを燃やしてゼロから生きる!」と亡くなった死に様に感動しました。

自分の人生最期に何を残すか!これまで生きたことへの感謝しかない!愛の思い出をもって天国に行きたいと思っています。

ピアフの死の直前の容姿は、80歳台にも見えるほどに老け込んでいました。若いころの苦労が祟ったのでしょうか。マリオン・コティヤールが若いころからここに至るまでのン・コティヤールが歌っているとのこと。ほとんど見分けがつかないほどで素晴らしい円・コティヤールが歌っているとのこと。ほとんど見分けがつかないほどで素晴らしい円技でした。

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