明けましておめでとうございます!本年もよろしくお願いします。
ジャンルも人種も超えて愛された数々の楽曲の誕生の瞬間や、歌うことに全てを捧げた彼女の栄光と苦悩を、「I Will Always Love You」など数々のヒットソングとともにドラマティックに描き出すという、美しく力強い歌声で世界を魅了したアメリカの人気歌手ホイットニー・ヒューストンの半生を描いた伝記映画。
監督:「ハリエット」のケイシー・レモンズ、脚本:アンソニー・マッカーテン、音楽:チャンダ・ダンシー、音楽監修:モーリーン・クロウ。
出演者:「スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け」のナオミ・アッキー、「プラダを着た悪魔」のスタンリー・トゥッチ、アシュトン・サンダース、タマラ・チュニー、ナフェッサ・ウィリアムズ、クラーク・ピータース、他。
ホイットニーの歌は島津亜弥さんが歌う「I Will Always Love You」位しか知らないが(笑)、薬漬けでバスの中で亡くなったというニュースは知っていました。本作が「ボヘミアン・ラプソディ」のアンソニー・マッカーテンの脚本だというので、ホイットニーのライブでも観ようかと、歳の瀬にこの作品を観ました。
ホイットニーのバイオグラフィの中から人生のエポックとなる歌を選びその歌のエピソードをつけたライブを観てくれます。
すばらしい歌声に歌詞、その歌詞に込められた彼女の人生を垣間見て、ラストのバスの中で「I Will Always Love You」を回想しながら亡くなるシーンでは号泣しました。
彼女は人を愛し、愛されたかった。彼女がこの歌を唄った背景がよくわかり、詩の意味が彼女の人生でした。彼女の歌は聞く人に伝わる、そこには人を愛してやまない嘘のない彼女の人生があったからだと思います。きっとこの作品を観ておくと、深くホイットニー作品を楽しめるのではないでしょうか。
あらすじ&感想:
冒頭、1994年のアメリカン・ミュージック・アワード賞での挨拶で「3曲メドレーで歌います」と「I Will Always Love You」を歌い出します。大拍手!「3曲メドレーで歌う」ということに、この歌へのホイットニーの想い(謎)を明かすよう、彼女の歌の旅が始まります。
1963年、ホイットニーは歌手である母シシー(タマラ・チュニー)の三女として誕生。4歳で教会の聖歌隊で歌い出し、ソリストになっていきます。先生は母で、常に「貴方の声は神に貰ったもの。曲には物語がある。頭とハート、度胸で歌いなさい」と教えていました。ホイットニーの歌い方にはこの考えが溢れているように見えます。
母はツアーに出て家を空けることが多かった。父ジョン(クラーク・ピータース)とこれがもとで大喧嘩となる。
これに嫌気がして、ホイットニーは教会のボランティアでロビン(ナフェッサ・ウィリアムズ)に出会い、煙草(薬)を喫いはじめ、ふたりは終生の友となっていった。
20歳の時、クラブで歌う母のバックコーラスを務めていた。「凄い子がいる」と聞きつけたアリタ・レコード社長のディビス(スタンリー・トゥッチ)がクラブにやってきた。
母が「喉が痛い」とホイットニーに変わり、彼女が「Greatest Love of All」を歌い上げた。ディビスは大感激で契約を交わしました。
このときディビスが提示したのは「私生活には関与しない。必ずビッグは歌手にする」というものだった。「どんな曲がいい」と問うとホイットニーは「鳥肌が立つような曲、山登りでぶっ倒れるような曲!」と答えた。しっかりと発声法を鍛えられた。
「ディビスが凄い新人を見つけたらしい」という噂の中で、ホイットニーのアルバム収録が始まった。ホイットニーが「How Will I Know」を緊張して唄い出した。すると「テンポが遅い!」と母シシーが舞台側で指導する。(笑)スタジオは大拍手だった。大成功だと思ったが、ディビスが「男がいるか?」とダメ出しし、「この曲は次に回す」と言ったが、ホイットニーが「私がサビを作る」と引き取って収録することにした。この曲はこんな思い出のある曲でした!
しかし、大変なことが起こった。この歌を唄ったことで、ホイットニーとロビンが恋に落ちた(レスビアン)。父ジョンが「スキャンダルになる」と激しく怒ったが、ホイットニーの態度は変わらなかった。
ディビスが次に選んだ曲がこれだった。曲を聞いてホイットニーは「凄く言い!」と踊り出した。「I WANNA DANCE WITH SOMEBODY」だった。
この曲を歌うライブがすばらしい、画に引き込まれ、踊りたい気分で観ていました!
この曲でホイットニーは“ビートルズを抜いた」と誰もが賞賛する歌手”となった。24歳でアメリカ人の心を射止めたのだった。が、ホイットニーはヨットでクルーズ、酒のラッパ飲み。2ndアルバムの製作が噂されていた。
「楽曲が黒人らしくない!黒人アーティストの魂を売った!」と非難が起こった。ホイットニーはこれに「歌に黒人も白人もない自分のやりたい曲を歌う」と公言していた。
父ジョンが新しい会社を立ち上げ、ホイットニーに「ロビンを首にしろ!」と要求してきたが、これを拒否した。ホイットニーはディビスに「映画に出たい」と伝えた。
グラミー賞表彰式に参加。「白人ヒューストン恥を知れ!」と罵声が飛ぶ中で会場入りした。そこで出会ったのがポピー・ブラウン(アシュトン・サンダース)だった。落選したホイットニーを「気にするな!」と励ました。ホイットニーは彼に恋した。ロビンには「これ、有名税よ!」と言い聞かせた。(笑)ロビンは泣いたが「秘書」としての関係が崩れることはなかった。
ホッピーとの関係がマスコミで騒がれるようになっていった。
ディビスから次のアルバムにとLAリードの曲を紹介された。「悲しすぎる、ピンとこない」と断った。「まだ君はガキだからしょうがない」と笑った。
ポピーとデイト。彼が「元カノに子供が出来た」と告白。ホイットニーは怒って逃げ出した。ホピーが追っかけて叫ぶ“愛“の言葉に、彼を受け入れることにした。(笑)
ロビンにホピーと結婚することを伝えると「国歌独唱の依頼よ」という。ホイットニーはこれを受けた。練習もした。
第25回アメリカンフットボール“スーパーボール”会場。沢山の衣装が準備されていたがこれを無視視してスポーツウエアーで、割れんばかりの歓声の中、ステージに立った。この映像はすばらしかった!
ホイットニーの国家独唱はいまでは伝説になっていますが、すばらしかった!アメリカの魂が響き、鳥肌立った!母シシーが「一生もの!」と泣いた。
ディビスから「結婚は延期しろ!映画の話が決まった。“ボディガード“で相手はケビンコスナーだ。I Will Always Love You“を歌え!」と伝えてきた。ホイットニーは「歌えない!」と断った。
ホイットニーは映画初出演で歌のようにはいかない、落ち込みこともあったがポピーの励ましで撮り終えた。ディビスが現場にやってきて「離別のシーンに必要だ、コスナーの要求だ」と言った。ホイットニーは「気にいった」と受けた。
1992年、ポピーと結婚、長女が誕生した。
結婚して問題となったのが「秘書」を巡る夫ポピーとロビンの争い。ホピーがマネージャーとなり「3曲をメドレーで歌う」企画を持ち込んできた。ホイットニーは「登山を登るように歌う私には無理」と断ったが、実際に歌って息が続くかどうかを試して、歌えることが分かった。
1994年、南アフリカのマンデラ大統領就任祝に招待され、スタジアムでこの歌を唄った。民衆と一体となり、雰囲気にひたりと合った映像は、感激ものです。
しかし、幸せな生活は長く続かなかった。
夫ホピーの浮気が発覚し大喧嘩となった。ディビスがアルバムを出さないかというが、「マスコミに追い回され、家ではホピーと娘では休めない。娘が私の裏を見るのも辛い」と断った。さらに稼いだ金の管理で父ジョンと揉めだした。
ホイットニーがディビスを訪ねると「いい曲が見つかった。この中から探せ」と言った。そこで見つけたのが「Could I Have This Kiss Forever」。スタイルを一変させ、これでアルバム(2000年)を作った。
「人前が一番輝ける!」とツアーにでた。パリでは大歓迎されて歌うが、夫ホピーが訪ねてきたことで、麻薬不法所持やホイットニーの荒れた生活などスキャンダル記事に追い回される。そして「風邪だ!」と突然ツアーを中止した。
ディビスに呼び出され「幸せになれ!リハビリだ!薬は止めろ」と注意された。ホイットニーは「これまでのこと、ドラッグのお陰よ!」と応じた。ディビスが曲「I Believe In You And Me」をかけて聞かせた。この曲はホイットニーとホピーが愛し合っていたときのもの。ホイットニーはリハビリを受け入れた。(2004~2005)。リハビリ中に訪ねてきたホピーに離婚を言い渡した。父との関係も断ち切り、父の葬儀に出なかった。
麻薬不法所持で警察に逮捕された。その後、自宅で娘を見ながら「私に力を与えて!強い心を!」とリハビリ務めた。2005年ホピーと離婚した。
2009年、シカゴで復帰の舞台に立った。大変な歓迎だった。「I Didn't Know My Own Strength」を歌った。この歌は「堕ちたホイットニーの今」を歌ったものだった。大拍手だった!
ディビスに「ツアーに出たい」と話すと「少し休め!」と返ってきた。ホイットニーはこの言葉に泣いた。
翌日のニュースでは「期待はずれだった!声域が狭い」という酷評だった。
2012年2月のビバリーヒルトンホテル。グラミー賞前夜祭にパフォーマンスを披露するため、娘を伴って滞在していた。
ホールで声を出すとディビスが「大丈夫か?」と言う。「なんとかする、ポプラの曲だから」と応えた。
バーテンから「1994年のステージを観た、よかった」と褒められた。しかしサインをくれと言われサインすると、見えないところで捨てる男を見た。
部屋に戻り、娘に蜂蜜を買いに行かせ、バスに入った。そこで「メドレーで歌います」と“I Will Always Love You”を歌う夢の中で・・・。ホイットニー、48歳の人生だった。
まとめ:
ホイットニーの最期、歌いたくて唄いたくて仕方がなかった!この人生にこの歌ありのラストシーン、バスの中で「I Will Always Love You」を回想しながら亡くなったという設想、泣けます。
タイトルは「I WANNA DANCE WITH SOMEBODY」となっていますが、「I Will Always Love You」の間違いだと思いました。この曲が私にはベストでした。2009年のライブで「I Didn't Know My Own Strength」を歌うホイットニー。こんなに自分を赤裸々に出して歌える人はいないと思った。
ホイットニー役のナオミ・アッキー、歌は唄わないが、全く違和感がなかった(フアンには顔と声が一致しないことに違和感があったかもしれない)。
後段のホイットニーが憔悴してからの演技が素晴らしかった。実像にほぼ近かったのではないでしょうか。
すばらしい歌“ザ・ボイス”を残したホイットニーに「無駄な人生ではなかった」と涙しました!
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「I Will Always Love You」