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「ディア・ファミリー」(2024)娘は救えなかったが、世界を救うことになる家族の物語、泣けます!

 

監督は「君の膵臓をたべたい」(2017)「君は月夜に光り輝く」(2019)の月川翔さん。これら一連の作品は死生観にまつわる恋物語で泣かされる。さて家族の物語をどう描いてくれるかと観ることにしました😊

国産初のIABPバルーンカテーテルの開発に成功した東海メディカルプロダクツ前社長筒井宣政さん家族の物語です

この話は知らなかったのでとても参考になった。医学と工学の結びつきのための町工場の活躍や医学界のどうしようもないしらがみが描かれたのもよかった。

心臓に欠損がある娘の痛みを家族が共有し、娘が亡くなっても同じ病気の人たちのためにと頑張る姿。泣け!というようには描かれないが、家族の頑張るところに痛みが感じられ、痛みがあるからこそ高みを目指して頑張る家族の絆に涙があふれる。こうやって家族が努力する先に見えてくるもの、“何のために生きているか”、そのために何かをしたいと思わせてくれる作品だった

公開日の次の日には特番が組まれ「映画ディア・ファミリー、奇跡の実話に挑んだ軌跡 現場メイキング」(日テレ)として30分番組が放送され、ねたばれも糞もない全てが明かされているので感想は書きづらい。(笑)

原作:ノンフィクション作家・清武英利による『アトムの心臓「ディア・ファミリー」23年間の記録』、未読です。監督:月川翔脚本:「永遠の0」「ラーゲリより愛を込めて」の林民夫、撮影:山田康介、編集:穗垣順之助、音楽:兼松衆、主題歌:Mrs. GREEN APPLE

出演者大泉洋菅野美穂福本莉子、新井美羽、上杉柊平徳永えり満島真之介戸田菜穂川栄李奈有村架純松村北斗光石研

物語は

1970年代。小さな町工場を経営する坪井宣政と妻・陽子の娘である佳美は生まれつき心臓疾患を抱えており、幼い頃に余命10年を宣告されてしまう。

どこの医療機関でも治すことができないという厳しい現実を突きつけられた宣政は、娘のために自ら人工心臓を作ることを決意。

知識も経験もない状態からの医療器具開発は限りなく不可能に近かったが、宣政と陽子は娘を救いたい一心で勉強に励み、有識者に頭を下げ、資金繰りをして何年も開発に奔走する。しかし佳美の命のリミットは刻一刻と近づいていた。(映画COMより)


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あらすじ&感想

冒頭、IABPバルーンカテーテル治療とはいかなるものかが描かれる

1991、10代の少女が緊急治療室に運び込まれ、バルーン(風船)のついた大動脈内カテーテルを心臓に近い大動脈に挿入し、 心臓の動きに合わせてバルーンを拡張・収縮させて心臓疾患の患者を救う映像。

2002年、ある表彰式典で山本記者(有村架純)から「IABPバルーンカテーテルでは娘さんを救えないのに、何故これに繋がったんですか?」という質問を受け戸惑う坪井。

坪井が何故IABPバルーンカテーテルを開発するに至ったかがテーマです

 1972年、宣政は名古屋の小さな高分子化学の社長さんだった

宣政はアフリカ衣装で「西アフリカで自社製品のプラスチック髪止めが売れた」と上機嫌で戻ってきた。父親が残した借金の返済、心臓疾患の次女・佳美(3歳)の治療費を稼ぐために精力的に働いていた。陽気でアイデアマン、家族思いで、進んで難局に立ち向かう男のようだ。

1977年、佳美(8歳)は三尖弁の不全、心臓2か所に穴があると診断された

医者から「治療法はない、10年間の寿命だ」と言われた。妻の陽子から「次どうするの!」と声を掛けられ、医療機関に当るために東京に発った。しかし、どこも引き受けてくれるところはなく、米国にも当たったが駄目だった。

「諦められない」という宣政に陽子が人工心臓の話を持ち出した

宣政は「何もしないよりやってみる10年にしたい」とこれまで貯めた金を寄付して研究してもらうため東京都市医科大学の石黒教授(三石研)を訪ねた。石黒から「子牛での実験だが生存149日という段階だ」と断られた。他の大学にも当たったが駄目だった。

1978年、宣政が自分で人工心臓を作ると決心

夕食の準備を手伝う佳美を見ていて、宣政は「死なせてはならない!開発にはどの研究機関も時間がかかる。自分で作る」と決心した。妻の陽子が「こんな簡単なことに気付かなかった!」と笑う。妻のこの明るさ、夫への信頼感というのがいい。

宣政と陽子は石黒教授を尋ね、協力を願い出た

教授は「医学の世界ではなく工学の世界だから技術者の協力がいる。一緒にやろう」と協力してくれることになった。早速研究チーム員4人に挨拶した。彼らが「曲がるイン・ビトが作れない」と嘆くのを見た。宣政が触り、「作れる」と思った。

宣政は東京大学医学部の授業に顔を出し勉学

学生に「人工心臓、10年で出来るか」と聞くと「30年かかるだろう」と言われるが、3倍努力すればいいと考えた。(笑)

工場に研究室を作り人工心臓を作ることにした

イン・ビトを作り大学の研究所に持っていくと皆に喜ばれ、「心臓のポンプ部分を作るが、これには自転公転成型機が必要だ」という。宣政は大学に任せては時間がかかると自分で作ることにした。

会社の研究室で心臓ポンプ部の製作に入った

型枠にハメた樹脂心臓ポンプ部を剥ぎ取れない。何度も実験を繰り返す。社員の中から会社を辞める者も出てくる。しかし、現場の中村が支えてくれた。

大学の研究室も金が続かないと根を上げ、「10年では無理」と研究医の富岡(松村北斗は去って行った。

やっと心臓ポンプ部を型枠から外せるようになったが、これに人工心弁を取り付け、人工血液が必要で数千万円かかることがわかった。

1984年、愛知メヂカルプロダクツ社を立ち上げた

佳美は高校に入学した。残された時間はあと4年だ。工場の研究室をリニューアル、クリーンルームを設けた。自転公転成型機も新しくした。これで心臓ポンプ部も厚みに変化をつけられるようになった。「人工心臓で150時間存命した」というニュースを目にし、これでいけると思った。

石黒教授に出来上がった心臓ポンプ部を見せると、「記事の人は亡くなった。何度も人工心臓が故障し、その都度胸を切開して取り替えた。最後は自分で止めた。人の尊厳性に批判が起こっている」と言い、「実験するのは良いが、実用化しない」と言われた。宣政が自分で臨床試験をするとして試算すると1000億円を超えることが分かった。

こんな状況の中で佳美が倒れた。

大学の研究室にいた宣政は富岡に車で病院に送ってもらった。富岡はバルーンカテーテルの研究をしていることを知った。

医者から「佳美の症状は完治不可能」と告げられた。これまで泣かなかった三女の寿美(新井美羽)が泣いた。

長女の奈美(川栄李奈)が叱りつけた。家に戻って佳美が姉の奈美に「私は死ぬの?」と聞くと「退院できた、大丈夫だ!」と応えるが、佳美が居ないところでそっと泣く奈美だった。

石黒教授は研究室を閉鎖した

宣政も工場の研究資料、機材をぶちまけ、失意の中で過ごすことになった。

ある日、佳美から「私のことはいい、他の心臓病の人を助けて」と告白された

佳美から「自分の心臓は治らないことは分かっている。子供の頃から何度も入院し、側に居る子が死んでいくのを見てきた。ハルカちゃんもそうだ!皆、心臓病だった。お父さんは誰にも負けず心臓の勉強をしてきた。その知識を苦しんでいる人に使って!」と言われ、宣政は涙が止まらなかった。

宣政は「次にどうする!」と陽子に聞いた。陽子は「私が聞きたい!人工心臓は何のために作った?」と言い、奈美が「佳美に何をして欲しいか聞いたらいい」と言う。

宣政は日本人の身体に合った大動脈バルーンカテーテルを作ることにした

宣政はハルカちゃんがどんな心臓病で亡くなったか、文献を調べた。妻の陽子から「IABPバルーンカテーテルの事故が頻発しているが東大の先生は原因が分からないと言っていた」という話を聞く。陽子は「これは佳美の命には関係ない」と言うが「佳美の望んだこと、新しい命のためだ!」と説明し、陽子も納得した。

宣政は資料を取り寄せ調べ、「日本人の身体に合っていない」と考え、富岡を訪ねた。高岡は「やったらいい、日本人のデーターは取っている」と言った。

宣政は再度、石黒教授に共同研究を申し出たが「外国のものを使えばいい」と断られた。

宣政は新しい自転公転形成機を導入し人工心臓に似ているが、薄くて破ける」と作り始めた。

1987年、佳美は高校を卒業し、父に会社の事務員として働くことにした

佳美は将来、会社には衛生管理者がいると勉強を始めた。これは姉の奈美が会計士となり父親を助けることに刺激されての決心だった。こうして家族は宣政の研究を支えた。

完成したIABPバルーンカテーテルを富岡に見せた

富岡は「すばらしいが、医療機関、教授の説得が問題だ」と言う。宣政は「自分がやる、みんなに迷惑を掛けた、ひとりではできなかった」とこの問題を引き取った。

富岡は石黒教授の説得に当たったが、「立入禁止」と断られた

石黒から「あなたは素人だ。医師免許に賭けて臨床試験はやらない」と断られた。かっての共同研究者:桜田満島真之介)に臨床試験を頼むが「東京都立医大が断るものをやることはできない、それが医療界の限界で私もそのひとりだ」と断られた。

佳美が仕事中に倒れた

宣政は佳美のベット側で「人工心臓のときで止めて、側にいてやればよかった」と口にした。すると長女の奈美が「お父さんのやってきたことに間違いはない、佳美ちゃんの願いだ!」と言い、三女の寿子も「同じよ」と言う。妻の陽子が佳美の日記を渡した。

そこには幼い頃からの家族への感謝の気持ちが書かれていた。「私のお父さんは恰好良い、私の願いを叶えようとしている」とあった

富岡が「博士論文にする。患者を治すのが医者の使命、人事などどうでもいい。医師免許に賭けて私がやる」と石黒教授に申し出て、富岡による臨床実験が始まった。

宣政がIABPバルーンカテーテルで命が救われるたびに病床の佳美にこのことを報せた。しかし、佳美の命は救えなかった。

冒頭シーンに戻り山本記者が「実は私もこれで助かったんです。感謝します」と挨拶した。この医療器具は今でも使用され世界では17万人の命を救ったという。

まとめ:

IABPバルーンカテーテル開発の技術的な過程を追う感想になってしまいましたが、大泉さんを除くと皆さんセリフは少ないですが、表情でしっかり感情を伝えてくれました

娘の佳美を救うことができないにも関わらず、IABPバルーンカテーテルを開発した理由は”佳美の希望”だった。

何故佳美はこれを希望したか?家族から沢山の愛を貰ったお返しだった!「死にゆくものが愛する者に何かを託したい」という月川監督のこれまでの作品の総括です。このことが分かるよう家族の関係が描かれていた。これに泣けた。宣政が悩み苦しむ中で、より高いものに向って行った。佳美からのプレゼントだった。

大泉洋さんにこんなすばらしい医療器具を開発した父親役が務まるのかと危惧したが(笑)、腰の重い医療界を動かすには陽気で心の広い人でなければ無理で、大泉さんのキャステイングは合っていた。実物の坪井さんに会ってみたい。

佳美役の福本莉子さんは病の憂いを持ちながら明るく生き、父宣政に「その知識を苦しんでいる人に使って!」と告白するシーン。自然に出て来た言葉だと分る演技がすばらしかった。三女寿子役の新井美羽さんが、姉の佳美が死ぬと始めて知って悲しむシーン、感情がよく出ていた。長女奈美役の川栄李奈さん、長女らしく涙を見せない、そして父親を励ますしっかりものの演技が良い。

母陽子役の菅野美穂さん。夫を信じる、肝っ玉母さんだから家族が慌てない!いいお母さんだった。

殆どをロケで撮影、当時を忍ばせる風景、風物。これは楽しめました。月川監督の力が十分に発揮された作品だった。

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