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第25回「離別」

第25回「離別」
北条家の滅亡により天下統一を成し遂げた秀吉。しかし、これ以降、豊臣家には次々に不幸が襲かかる。かねてから利休の政に係ることに懸念をもつ三成や吉継による画策で利休が切腹に追い込まれる経緯が、病弱な鶴丸の病状悪化に合わせて描くことで、利休の祟りだと思わせるミステリアスでかつ緊迫感のあるドラマとなっている利休の切腹理由も不条理なものでこれを受け入れた利休が潔く自らを処したので、祟りがあってあたりまえと思える鶴松亡き後の天下の行方についての家康、昌信の想いが両者が連動する形で描かれ「同じ思いである」というおもしろい演出だった。歴史人物に対する新しい見方、演出法の工夫などユニークで面白い。
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小田原合戦で北条家を滅ぼし、伊達政宗服従し、天下統一が完成した。淀城では天正19年秀吉の息子捨は名を鶴松と改め3歳、秀吉の期待を一心に集めていたが、重い病を患うことになり、「見舞うものが後を絶たぬ。殿下に取り入ろうと必死だ」と三成見舞いを制限。しかし容態は今夜が山だと言う。一向に快方に向かわない、これは利休の祟りではないかと利休の最期を思い出す三成・吉嗣・信繁。イメージ 2
○利休の詮議
三成、吉継、信繁が聚楽第の利休の茶室で「ご存じであろうな、小田原城で見つけた鉄砲玉をつくる鉛。これを北条に売りつけたことはゆゆしきこと」と三成は利休の刻印のある鉛の塊を突きつけて詰問する。信繁は「城内に山ほど積まれていた」と利休を攻めるが「その話、殿下がどれだけ信じるか?」と開き直る。
イメージ 3三成らはことの次第を秀長に報告。秀長は「これが最後の御奉公になりそうだ」と言い、彼らの申し出を引き取り秀吉に「志を同じゅうする者と見なすと利休を見誤ります。利休は力を持ちすぎました」と利休の処分を申し出る。秀吉は「ひとまず預かる」と言うが、病身の身でありながら力を振り絞って「兄上はあと何年生きるか。兄上が居なくなってもわたしがおればなんとかして行ける。わたしと兄上がいなくなったとき誰が鶴松様をお守りするか、力のある者が鶴松様を守っていくこれしかない。今後は誰かに力が集まってはいけません、鶴丸様のため、豊臣家のため」と強く意見する。しかし、秀長は天正19年1月22日52歳で逝ってしまう。秀長の諫言は通じなかった。
・「鶴松様の亡骸はまず聚楽第に移して葬儀は妙心寺で」と吉継が葬儀手配を進めていると「それは少し早い」と三成。「今のうちに手を打っておくべき」と吉継は準備を進めながら、利休の最期を思い出す(祟りか?)。
鶴松の容態悪化に合わせ“利休の祟りか”とその死に追い込んだ経緯を明らかにする演出、次は何が出てくるかと緊張感が走る。
○利休の切腹
大徳寺山門楼上城で利休の像を見分する三成と吉継。「追い落とせるなら手荒なことをしてよいな」とびびる三成に吉継が押す。三成は「分かっている」と言うが「本当に手を汚すこととはどういうことか分かってない」と吉継。
三成が「利休はおのが姿の木造を大徳寺の山門に飾らせた。殿下が山門をくぐるとき、利休の足の下を通ることになる」と秀吉に報告。「すべてあのものの仕業、決して許してはならない」と吉継。「堺の屋敷に蟄居させる」と三成。秀吉は「よきようにせよ」と指示する。三成が利休に“境蟄居”を指示すると「それはご無体だ」と言いながら鶴松様ご病気平癒にと献上金を差し出す。吉継はこの金を受け取り「蟄居半年の後切腹を申し付ける」と宣告。そして信繁に利休の見張を言いつける。利休は「金が撥にあたりますから」と差し出した金を引き取る。無念をこのような形で示す利休。
「利休のことなど忘れろ、祟りなどない。もしあるならば真っ先に祟られるのはわしだ」と吉継。利休切腹の首謀者は吉継!! に吉継には祟りが出た。(ハンセン病
切腹事由の曖昧さ、吉継による切腹言い渡しなど利休にとって吉継・三成のこのやりかたには大いに不服であったろうし、彼らも後味が悪かったのではないか。それだけに鶴松の容態悪化で利休のことが想い出され苦しめられることなる。
・利休の本心
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信繁は利休に呼ばれ利休の本心を聞くことになる「商人の家に生まれ、金が人の心をそして国を動かすことを学んだ。そして戦は儲かるということしかし人の心、命を金で操ることは業の深いことだそれゆえ私は茶を立てる。ここまで茶の道を極められたのはそれだけ私の業が深い故。利休の立てた茶、味おうて下され」と利休。ここで信繁、茶を飲んで「なにゆえにあのような像を作ったのですか」と問うと「あれでわし救われました。ひとことで言えば定めや」と笑う。
イメージ 7昌幸は薫が片桐を訪ね、薬草を差し出し鶴丸の様態を聞く。抜け目がない。信繁を呼び「ちょっとぐらいはいいではないか、実のところは様態はどうなんだ」と鶴松の容態を聞くがしゃべらない。

沼田城主の信幸イメージ 4
2万7千石の大名として領地の経営にあたる。「矢沢頼綱が堀の拡張や城内の隠し扉に金を使ってしまい、金と暇があるなら領民のために使いたい。御叔父上にもこまったものだ」と信幸。稲に「名胡桃まで足を延ばしてみようか」と誘っても結構ですとそっけない返事。「不思議なものでお主の物調面も近頃愛くるしく思える」と近づけば「人を呼びます」と言う。「無性に笑い顔が見たい。ごしょごしょいごしょ」と。() おこうを訪ねると「旦那様」と嬉しそうに迎える。
上田城では「夢のようだ、そなたたちに会えて」と“とり”ばあちゃん。「ばば様、私たち岩櫃にいくことになりました」と茂誠と松が報告。「ここを離れるのはまこと辛いが存分に働いてください。どこにいても心は一つ、一家とはそういうものです」と餞の言葉。いつ聞いてもとりばあちゃんの言葉は身に滲みる。
大徳寺山門の利休像設置の真相
鶴丸の病状が悪化し、中納言秀次がきりとともに鶴松見舞いにやってきてでんでん太鼓を渡そうとすると、北の納所もやってきて、信繁が例の落首のことで「万一の場合立ち会った医者のことが心配だ」と話せば「あんなに不都合があったのだからと強く言っている(秀吉に)」と言い、「何かあったら、うちにいるから」と言い残して部屋に帰っていく。
大蔵卿局がこれを聞いていて「なんかあったらなどと縁起でもない」とひどく慌てる。「利休の祟りだと聞いて茶々も心配していた」と言い「茶々さまが利休に関わっていた」と事の次第を話す。
「茶々は利休を父親のように慕っていた。そこで茶々が利休像を欲しと言うのでわざわざ作ったが、茶々が欲しかったのはもう少し小さいものでお茶の時に側に置くためのもの。実は注文のとき利休が寸法を間違えた。捨てるのもなにかという利休に茶々が大徳寺に預けてはと勧めた」と言い、「祟りでなければよいのですが」と心配する。これを聞いて信繁は山門に飾られた利休像に関する経緯の全てを知ることになる。きりも聞いていて「茶々様は怖い。すべての人を不幸にしている」と恐ろしがる。信繁は「悪気はない」とこれを戒めるが「よけい怖いの」ときり。茶々は死神。まさに利休の切腹は運命だった!!サイズを間違えたにしては桁が違う、なにがあったか?
・薫と片桐。煎じ汁を流してしまい。残りのわずかな薬草でやり直す。()
・家康が訪ねてきて、夜食を馳走したいとの申し出る。「一体秀吉はいくつ城をもつ気か」と家康。「淀城にちなんで茶々のことを淀殿というのです」と正信。家康は「淀殿?、茶々様も言い難いが淀殿とは舌を噛みそう(笑)」と毛嫌いする。家康はよほど茶々が嫌いらしい。
・肥後から飛んできた清正は鶴松の病気回復を願って祈願の水ごりをしようと三成を誘うが三成はそっけなく断る。しかし後から井戸にやってきて清正たちに参加。ここで見せる山本三成の胸の筋肉がすごい。() 三成が神に祈るとは?やはり祟りを恐れたか、意外と小心者のようにも見える。三成が相手の心を読むようになったのは大きな変わりようではあるが。
・水ごりを終えた三成は淀城に秀次や弟の秀勝、秀保の豊臣家の近親者を呼び、「中納言様にはこれまで以上に殿下の支えに、方々には中納言様を助け豊臣家の繁栄に尽くして欲しい」と頭を下げる。
○鶴松の死後の思惑イメージ 6
・昌幸は信繁を前に「秀吉はいくつになった。55歳、もう子は出来まい」。「ところが鶴松が死ぬことで流れが変わった。秀吉一代で終わるのでは」と出浦。「いまのところ跡を継ぐのは秀次、決して愚鈍ではないが、そう長くは続かぬ」と昌幸。
・家康も「鶴松が生まれて豊臣の世が続くとは誰も思っておったが、これからは見方によれば鶴松が生まれる前に戻ったともいえる。しかし本当にそうか、秀吉は年々老いている。秀次は秀吉に比べればひ弱にすぎる。さぞ荷が重いことであろう。そう長くは続かぬ」と昌幸と同じように鶴松の死後の豊臣家の行く末を読んでいる
イメージ 5・秀次の願い
秀次がきりに「この先そばにいてくれ。殿下を支え豊臣家を支えこの国を支える、わしを支えてくれ」と懇願する。しかしきりは「このような場では?」と返事を渋る。関白になったとき今一度尋ねると言う。
・薫と片桐はやっと煎じ薬ができたが、昌幸が試食で全部食べてしまう。「わしが食べてどうする」と昌幸。(笑)
○鶴松の死
その夜、鶴丸の様態が急変した。
秀吉はひとりいて、信繁に「鶴丸はなんのために死んでいくのだ、美味いものを食べさせ、美しいものを着せ、楽しい思いをさせてやれたか?」と問う。信繁は「良いことを考えては」と答えると「ゆくゆくは鶴丸は関白に」と「明国でも攻めくだすか」と元気付く。秀吉の頭には明国攻略が強くインプットされている。「殿下、すぐにお戻りください」の呼び出しで一気に沈みこむ。
19年8月5日未明、皆の願いはかなわず鶴松は二年二ヶ月の短い一生を終えてしまう。秀吉は鶴松にでんでん太鼓を鳴らし別れを惜しんでいる。茶々は廊下で、ぼんやりと佇んでおり信繁の慰みに「側にいても仕方がない。死んでしまったのだから、私の大切な人」と呟く。そこに寧が現れ、強く抱きしめると茶々は大声を上げて泣く。これを見る信繁。このシーンには胸を打たれる。茶々が決して強い女ではない。寂しい女?
 
鶴松の死が豊臣に大きな影を落とした。それはさらなる悲劇の助長でしかなかった。
 
記事1 20160627
真田丸」第25話は18・3% “切腹”利休の呪い恐れ…