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「或る終焉」(2016)

イメージ 1「或る終焉」(2016
68カンヌ国際映画祭脚本賞受賞作品。終末期の患者をケアする看護師の葛藤を描いたヒューマンドラマ。
物語は、セリフを極力抑え余計な映像をそぎ落し最後まで何が起こるか予想がつかない展開と多くを観る者の判断に任されるという独特な手法で、家族も入り込めない患者と看護師の関係を見据えながら看護師の献身ぶりと安楽死にたいする嫌悪感などの葛藤が、実にリアルに描かれている。
唖然とするラスト、一瞬の死、主人公が誰にも看取られない最期に深い悲しみを覚える。彼の献身的な看護と葛藤を反芻し、彼の死方の意味を考えるが答えは見つからないが、最後までしっかり生きて、一人では死にたくない。(#^.^#)
デヴィッド(ティム・ロスの献身的な看護と悲しみを抱え葛藤する演技はすばらしい。こんな看護師が実在するのかと思ったりします。(#^.^#)
 
物語、
冒頭。車から見守っているなか簡素な一軒から若い女性が現れて車に乗り込み大道りへと走り出す。映画「バードマン」のカメラのように一人の女性を執拗に追いかけるシーン、この女性は誰なのか、何のために追いかけるのかと思うなかで幕が上がる。見守っている男、終末期患者のための看護師デヴィッド(テイム・ロス)が椅子に座って写真投稿サイトに掲載されている女性の写真を見ている二人の関係を追うように物語に入っていく。
 
エイズ患者サラの看護イメージ 2
やせ細ったエイズ患者サラを風呂に入れ体を丁寧に拭き、そっと股間にも手を入れる。次にベットで衣類を着せ、抱いて歩かせ居間に。老人とはいえこの作業には力が必要。居間で家族と面会、わずかの時間を過ごして帰っていってしまう。
デヴィットはサラをソファーに移し、薬を飲ませ、野菜を手渡して皿に盛らせる(サラダを作らせる)。家族の知らないことを全部やっている。介護における家族の役割はなんなのかと考えざるを得ない。
次のシーンではランニングマシーンでトレーニング。ひたすら走り続ける彼にとってこれは厳しい看護業務からの一時的な逃避のように思える。こうしないと精神的にも肉体的にもこの業務を続けることはできない。
再びラサにスープを口に運び食事を摂らせる。自宅で休み次の日に訪ねると、家族が待っていて、彼女の脈はない。彼は丁寧に体を拭き、衣類を着せ、葬儀に。彼はこれに参加。家族から「祖母はあなたが気にいっていた。朝食でもどう、もう少し祖母の話を聞きたい」と話し掛けられが、断りひとりになり歩く。その夜、バーで隣の女の子に親しそうに「妻の面倒を見ていたが結婚2年エイズで亡くなった」と会話を交わす。
彼のこの献身的な看護はどこから来るのか? そしてその奥に見える孤独感は何なのか?
 
脳卒中で半身麻痺し建築家ジョンの看護イメージ 3
ジョンの看護に向かう前にいつもの写真投稿サイトの女の子の写真を見る。彼は看護の時間外はジョッキングやスポーツジムでのエクササイズ、写真投稿サイトの写真を眺めることに費やしている。看護勤務の精神的な疲れ苦しみを緩和しているのではなかろうか?
ジョンとの初対面は彼の“くたばれ”という見下した返事だった。「前は自分で洗って」とシャワーを渡す。よく太った男だ。「大事なところは自分できるか」と聞きながらシャワーの手伝い。ベットでの丁寧な脚の屈伸運動。「酸素マスクも付けづにこんなことさせる」と家族からクレーム。
ジョンは「あいつらを外に出せ、やつらが怖い」と言う。「建築家なんですね」「25年前に結婚した」と会話しながら、次第に慣れ親しみながら看護作業が続く。体を横にして下の世話も。どんな建築なのかと聞いて図書館で本を探す。ジョンが設計した家を訪ね写真に収め彼に贈る。あるときはネットでポルノ映像を観せて楽しませる。
ここでもスポーツジムでランニングをしながら、親身な介護を続けることで「もうすぐ死ぬんだ」「まだ死なないよ」と冗談を言い合う家族以上の関係になっていく。
身体をきれいに拭いていると(ここでも介護現場が生きいきと描かれる)身内の者がきて「一階にいるからいつでも呼んでくれ」と言う。付き添って寝ていると「体型を変えてくれ」と言うのでそうすると怖がるので抱いて気持ちを落ち着かせる。娘が様子を見にきてキスして去る。1階では大家族で夕食。デヴィッドとジョンは2階でTVを観る。妻が見えてもすぐ出て行く。真夜中、二人で過ごす。
次の日デヴィッドは家族からセクハラで訴えられる彼の行き届いた介護に家族が嫉妬したようだ。それでもデヴィットはジョンの家を訪ね様態を確認しようとするが「立場を考えなさい」と追い返される。
彼は、自分の行った看護を振り返り、車で出かける。ここで若い娘が出てくるのを待ち追跡する冒頭のシーンにつながる。
 
○デヴィッドの過去、息子を失った喪失感、贖罪感
久しぶりに会った父と娘ナデイア(サラ・サザーランド)。ナデイアは大学生「会えてうれしい」と抱擁。妻にも会う。再婚したが4年前に離婚したと言う。娘は全部知っているのかと聞く。
イメージ 4息子ダンはなにかの事件で亡くなりこれで家族は離散することに。「ダンは家にいるとき泣いてばかり、お兄ちゃんが死んだのはパパのせいではない」とナデイア。ダンのことを思い出して二人は涙ぐむ。デヴィットは息子の死に大きな責任を感じ、家族との別れで孤独感のなかにある。
 
○末期がんの中年女性マーサの看護
デヴィットは昔の雇い主から化学療法に通う末期がんの女性マーサ(ロビン・バートレッド送迎の仕事を回してもらう。化学療法の第2ステージだという。イメージ 5
マーサの自宅を訪ね“マーサ”と叫んでも誰も出て来ない。中に入るとマーサが寝込んでいる。「誰かが付いていなければ駄目だ」と電話。二人でTVを見ていると突然吐き、そして泣きだす。きれいにふき取り衣類をもってくると「死にたい」という。シャワーを浴びさせ眠らす。約束は送迎だけであったけれどすでにマーサの心の中に入り強い信頼を得ている。
朝、訪ねて様子を聞く。夜、食事に娘を呼び三人で食事。マーサは化学療法やる前にと髪を切る。「結果が良くない、次のクールも薬を続ける方がいい」と勧める。夜、娘さんがマーサは電話で病状を聞いてくる。「今後1年間化学療法を続ける。帰る必要ない」と伝えている。マーサの母としての悲しい強がりを見る。
病院の帰り車を降りて“吐きたい”と言い出し自宅に戻って風呂に入れて寝かせる。「もう治療は止める。息子さんのように(安楽死)して欲しい」と訴える。真夜中マーサは突然起きだし「化学療法はもういい」と泣く。
次の日、外でのランニングを終え、「昨日の気持ちはキャンセルしたい」と言うと「もういい、帰って!」とマーサ。
「手伝って」と呼ばれて来てみると部屋に何もない。彼女を探すと暗いダイニングで一人食事をしている。深く結ばれているデヴィットだからこそわかる彼女の孤独と苦しみ。ベッドで注射し処置は終わったと家に帰る。マーサが亡くなったことを知るが葬儀に参加するでもなくランニングもしない。
 
家で次の看護依頼を待っていると「1週間16歳の車いすの少年の看護依頼」が入る。野外でのランニングを始める。ボンと大きな音がして彼が消えている。どこに行ったのかと画面を探すが・・たくさんの車が行き来するのみ。突然の出来事に唖然とする。彼は一人で逝ってしまったのか、寂しい人生だ! 全く音のないエンドロール。彼の死は事故なのか自殺なのか?
彼は、息子の死への贖罪から献身的な看護を始めこれが生きる目的になり、患者の喪失と孤独感に苛まれ感情の処理が難しく鬱状態になっていたのではなかろうか。これまでの彼の献身的な看護が思い出される。