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第34回「挙兵」

第34回「挙兵」
福島正則らの襲撃から三成を守り抜く信繁。なにがあっても三成を死なせないと智恵をだし使えるカードの全てを掛けて奔走する信繁の一途な想い・行動特に兄の力を借り真田の力で福島らの行動を抑えるという機転の利いた行動、蟄居で落胆する三成を懸命に励ます姿に感動。
ついに家康は上杉討伐に乗り出すが、真田は一丸となり上杉を支援し家康を討つ機会がやってきたと泣いて喜ぶ昌幸、父の考える戦略(信玄が治いた土地を取り戻す)を超えた来るべき時代に生きる兄弟の成長にも感動。家康を激怒させる直江状が痛快だ!
三成は不器用だが豊臣のためと尽くす至誠にそして三成らしい清正との別れに涙です。来週は「犬伏の別れ」、大きなドラマの節目、楽しみだ。
 
○三成襲撃事件
・謹慎中の三成イメージ 1
信繁が三成屋敷を訪ね三成の謹慎を解くように宇喜多秀家らが動いていることを伝える。「自分がいないと政が滞る」と自負心の強い男、謹慎中にも朝鮮の戦や小田原の戦の記録をまとめていると言う。信繁が、かって三成から春のことで「あの女は苦労するぞ」と言われたことの意味を問うと「以前吉継の屋敷を訪ねたとき、良ければ使ってみてはと筆をプレゼントすると、自分には深い意味はなかったが、誤解して私に惚れてしまって妻に別れてくれという始末だ。苦労するぞ。まあしっかり」と。思い込みの強い女のようで信繁も不安気な表情。
信繁が帰宅すると「お食事はいかがしますか。鮒めし、すぐに支度を」と春。「石田様のところに寄った」と話すと「ようございました」と言い障子を閉めて去るが、障子を破ると言う慌てぶり。()
・三成の謹慎解除
2月29日前田利家が家康の屋敷を訪れ三成の処遇について話し合う。家康は、三成は豊臣にはなくてはならぬ人ということでこれまでのことを水に流すこととなり三成の謹慎は解かれ、政務に復帰することになる。三成は、家康がなした秀吉の命令違反を書き連ねた文書を信繁に点検するよう命じる。
福島正則らの不満
福島正則らは前田利家に「家康殺害」「朝鮮の戦での恩賞」など三成のやりようの不満をぶつける利家は「石田治部とはこれ以上事を構えるな。わしは長ごうない。わしの亡きあと力を合わせて豊臣を守り抜け、それがお主らの役目だ、よいな!」と言い渡す。
・三成、寧への謝罪イメージ 9
三成は大坂城に寧を訪ね今回の不始末について謝る。寧は「仲よくして欲しいだけ、子供のころからよく知っているから」とやさしく諫める。三成が素っ気なく去ろうとするので、寧は信繁を呼び止め「よいですか。つまらない騒ぎに巻き込まれるのはもういい、秀頼の婚儀が整ったら私は出家するつもり。きりには暇を出すことにした、細川の屋敷に奉公にだすことになる」と告げる。
信繁はきりに「田舎に帰れ」と勧めるが、「信じる想いがあればもう気持ちは天子様に届いている」と聞く耳を持たない。「不穏な空気があるから帰れ」と勧めるが「一緒に乗り越えよう」ときり。
・三成の茶々への提言「家康を信じるな」イメージ 2
三成は茶々を訪ね桃の木を進呈する「桃の木は花を楽しみ実を食べることもできる。育ちも早く実も多くつけることから子の成長を祝うものとしてもてはやされています。承知していただきたいのは今回の一件、豊臣の家を想うてのこと、家康を信じてはいけません」。「治部殿!」と差し止める大蔵卿局の声。三成の声は通じたか?
福島正則らの決起
3月3日前田利家死す。反三成派の武将たち、福島正則らは「もう許せぬ、石田治部を討ち取る」と声を上げる。が、清正は三成の心中を想う。細川忠興はすぐさま屋敷に引き上げ、玉に「石田治部を成敗する」と告げる。きりは玉の好意で三成が襲われることを教えられ、すぐに信繁に知らせる。
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・信繁と信幸の機転
加藤清正福島正則黒田長政細川忠興・・・、いわゆる七将、殿下の子飼の大名ばかりではないか、これを恐れていた」と信繁。三成に知らせると「いまわしを殺して何になる。徳川を喜ばせるだけ、何故分からぬ」。身の危険がそこまで来ても理屈でしかものが考えられないところが三成。
信繁の「早く逃げて!」に秀吉の記録が灰になることが気掛かりのようで、「あとは任せた」と左近を連れて席を立つ。信繁は三十郎に兄を呼ぶよう言いつけ、記録を蔵に移そうとするところに福島らがやってくる。
駆けつけた信幸、一緒に書類を整理しながら「これから豊臣はどうなる」とこの騒ぎを心配する。イメージ 4
書類の整理はここまでと信繁。ふたりは碁を打ち始める。福島らが「治部を出せ」と叫ぶが「ここにはいない、匿っていない」と信繁。ここで信幸加藤殿、石田治部とのことは内輪のもめごと、わが真田と一戦交えるならばもはや国同士の戦。それを覚悟の上か、覚悟の上となればお受け申す」と威嚇。信繁、信幸の機転で三成は救われる。ここで後藤又兵衛が登場。

○三成襲撃事件の処理
・信繁の三成助命努力
信繁が加藤清正らが三成の居場所を探っていることを宇喜多秀家に報告すると「返り討ちにしてやる」といきがる。三成は「治部小輔丸に立て籠もる、殿下が築いた城には攻め込まない」と言い、秀家は明石全登に城まで送るよう指示する。
信繁が寧の力を借りに大坂城にやってくると長束正家が「治部を引き渡せと騒いでいる、何とかしてしてくれ」と訴える。乗り込んできた福島正則らは「治部を渡せば収まる、腹を斬らせる」と意気込む。「なんのために」と信繁。「殿下の亡きあと政を好き勝手にやった、家康も狙った」と正則。
北政所を訪ね寧の力がなければことは収まらないと訴えるが「なりませぬ、政には口を出さぬ」と侍女のわくさ大蔵卿局も「ならぬものはならぬ」と。
茶々がやってきて「秀頼殿が言えば治部は助かるの」と問う。三成は「豊臣にはなくてはならぬ人」と説くが「徳川と治部は犬猿の仲、秀頼が板挟みになる。秀頼のためになりますか、帰りなさい」と話が通じない。
イメージ 5吉継の意見を求めると「頼れるのは一人だけ。家康」と言う。そこで家康に頼みに行くと「合議ですべてを決めることになっている。まずは老衆と奉行たちを集めて・・」とすぐに動く気配なし。「さてどうするか」と家康、「事を起こした7人をまとめて処分するという手がある」という正信。「福島あたりはまだ使い道がある、そう焦ることはない。石田治部は頭がきれる男、もったいない」と家康。
・家康の裁定
徳川屋敷に詰めかけている福島正則ら「いつまで待たせる」と忠勝とにらみ合っている。家康がやってきて「こたびの君側の奸・石田治部の討伐、ご苦労であった」。信繁に「話はついた」と言い去る。正信から「主計守は引き下がった。引き換えに石田治部は蟄居、政からは身を引くことになる」と伝えられる。
蟄居という処分を聞き三成は「佐和山に引き込めか、殿下なきあとは豊臣のためにここまでやってきた、何故にわしが伏見を追われねばならぬか」と無念の気持を露わにし、信繁の前で涙を見せる。信繁は「あなたは豊臣家を考え、秀頼のことを考えていた。殿下はすべてを見ている」と励ます。「頼みがある、寅之助に会いたい」と三成。
三成は蟄居を受諾したのち、清正に会いこれまでの厚誼を謝し秀頼公を頼む(家康との戦さ決意)、信繁には「今生の別れだ!」とこれまでの務めを開放し三成なりの謝意を示す。
 
○家康の信繁取り込み失敗イメージ 6
家康は伏見に居を移す。信繁を呼び「さて、左衛門佐、これからどうする。わしのもとでどうだ、徳川のために仕えては、お主を買っている」と信繁の取り込みを画すが、信繁の返事は「お断りします」と素っ気ない返事。「何がいい?」と家康。「恐れながら申し上げる、石田治部は豊臣のために尽くしています。その治部でも内府のもとでは勤まらなかった。どうしてわたしなどに務められましょう」。「わしを怒らせたいのか、もう一度だけ言うわしの家来になれ」。「失礼します」と信繁。無念な家康の表情。
 
信繁は春に「これで御役御免だ、これからは兄上と真田のために尽くす。上田とこちらの行き来だ。いずれは向こうに連れて行ってやりたい」と話す。信繁、大きな肩の荷が下りた感じ。
信繁が家康の誘いを断った話を聞いた片桐は「気に入った」と信繁にえらく同調する。
信繁が茶々に挨拶に訪れると三成の植えた桃の木が育たぬと相談を受ける。「百姓が言っていた、水はけが悪いのでは?」と信繁。「正直好きでなかった石田治部のこと」と茶々。「一度心を開き会えばあれほど分かりやすい人はいない」と三成への理解を求める信繁。
 
直江状で、家康、上杉討伐を決意イメージ 7
1年経った慶長5年(1600)5月、会津に戻った上杉景勝に謀反の疑いがでる。「上洛せよ」の家康の命を断固拒否する景勝。家康を痛烈に批判をした兼続による直江状「われらが戦道具を集めているとのことなれど上方の武士が茶器などを集めるように田舎武士は鉄砲や弓矢を集めるだけ、そのようなことに拘るのは天下を預かる人らしからぬご料簡。我らに逆心なしと申し上げたはず、それにも関わらず逆心なければ上洛できるはずとは赤子の理屈で話にもならない。家康に御分別ついたころには上洛できる。どこかの誰かのように太閤の遺言に背き起請文を破り、秀頼公をないがしろにしたりはしない。さようなことをして天下をとっても悪人と言われるは必定、末代までの恥となる」。これは痛快な家康批判、戦となるは必定、ここまで考えての上杉の決意は見事。烈火のごとく怒る家康、討伐を決意。西笑は蹲る。

○真田家の上杉支援
信繁は「我らも出陣か」と問うと「上杉と戦うことになろうとは」と信幸。昌幸は「上杉から密書が来た。家康を討つ気満々だ。わしに味方せよといってきた。わしはそれに乗る。横から徳川本陣を衝く」と言う。「その後が・・」と信繁、「世は再び乱れる、これに乗じて甲斐、信濃、信玄公が治めていた土地を奪え返す」と昌幸。
イメージ 8「わしにとって最後の機会、どうか頼む、この通りだ」と息子たちに頭を下げる。信繁は迷うことなく「父に従う。徳川は大悪党になった」と返事。信幸も「私は真田の嫡男、父上に従うに決まっている。父にどこまでも従います」と返事する。良い息子を持ったと喜ぶ昌幸。
信幸は「父上は戦がないと生きていけない」と言い、信繁は「北条、徳川、上杉と凌ぎを削っていたあのころを思い出す」と言う。「舅殿とは敵味方に分かれるが仕方がない。徳川が居なくなればまた戦乱の世に戻るのか」と先のことを聞く。「上杉には天下を動かす気はない。三成が居なくても宇喜多秀家は立派な大名になり大谷刑部もいる。そして秀頼は聡明な方、秀吉に勝るとも劣らぬ天下人に。父の望む混乱は起きない。上杉に勝利をもたらすために真田安房守の力が必要だ」と説く信繁。「(父の読みと違うではないか)策したな!!」と信幸。兄弟が父を超えた瞬間だ。

○徳川の会津出陣
上杉出陣の日が決まったと聞いたと片桐、徳川屋敷を訪れ「この戦、徳川と上杉の戦。秀頼公の名を持ち出すな」と抗議。「徳川は老衆筆頭である。徳川を愚弄するは豊臣を愚弄するも同じ。これは豊臣と上杉の戦」という家康に「上杉は殿下の覚えめでたく秀頼公が最も頼りにする老衆だ。徳川が上杉を討ついわれはない」と家康の言い分を厳として断る且元、見事だ。ここにきて、片桐の大きな変化に驚く。
「あの男にしてはよう言うた、ここは何としても上杉と豊臣の戦にしておきたい」と家康。「戦の重みが違う」と嘯く。
家康が茶々の元を訪ね、軍資金の申し出、豊臣の旗を使うことを申し出る。茶々は「好きなように」と返事。徳川は豊臣の旗を掲げ会津に向かうことに。
 
○三成、徳川との戦さ決意。
大坂城では「徳川は全部城を出た」と且元が宇喜多秀家に報告。「断じて許せん、家康を弾劾する時が来た」と秀家。宇喜多秀家小早川秀秋が三成のもとに馳せ参じ「これでよいのだな」と言えば、「あとは毛利の到着を待つだけだ」と形相の変わった三成。「後には引けないぞ」と且元。「万事、治部にまかせよ」。蟄居の間にしっかり家康に勝つ戦術は練った!!
 
次回「犬伏の別れ」、大きな節目の回、楽しみです!!
 
記事1 20160829
真田丸」第34話は13.2% 24時間テレビ余波?で自己ワースト
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160829-00000093-spnannex-ent