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「アルジェの戦い」(1966)

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アルジェリア独立戦争を描いたデジタルリマスター&オリジナル言語版の鑑賞です。本作は、1954年から62年にかけてフランス領アルジェリアで起こった、フランス軍とフランスからの独立を求める抵抗組織・アルジェリア民族解放戦線FLN)の攻防を描いたもので、66年のベネチア国際映画祭で金獅子賞受賞という高い評価を得ている作品です。
わたしどもの地方ではやっと公開されたところですが、やはり人気があります! 観客は多かったです。
ベトナム戦争の惨状、中東戦争の結末、そして最近のISの活動をみるとき、この作品のキャッチコピー「目をひらけ、耳をかたむけろ。」、「この作品で描かれている戦争はまだ終わっていない。ラスト・シーンの先に私たちの“現在”がある」が胸に迫り、まさに時機を得た復刻です。ベトナム戦が泥沼に入る前に作られた作品であるのもかかわらず、この戦の教訓が生かされた形跡がないことに空恐ろしさを感じます。
 
物語の大部はFLNとフランス軍の武力闘争が泥沼化していく様相が生々しく描かれ1957FLN組織が壊滅しフランス軍は勝利の声を挙げますが、ラスト近くでその3年後民衆が仏軍の戦車を取り巻き「独立だ」と歓喜するシーンで終わります。この戦の悲惨さ、民衆の苦しさ、そしてフランス軍の勝利に何の意味もないことを嫌と言うほどにみることになります。この種の戦いでは民衆の行動こそが真の勝利につながるということを物語っています。
もうひとつ、見逃してはいけないのは、フランス軍の作戦主任マチュー中佐の「俺たちには勝ことしかない」と言う言葉。軍人には戦争を解決する能力はない、彼はただ戦うのみ。問題の解決は政治に委ねられていることを忘れてはならない。
 
物語は、記録映像を一切使わず目撃者や当事者の証言、残された記録文書から戦闘の実態がドキュメンタリータッチで再現されていて、とてもリアルでわかりやすく物語に引き込まれます。オリバー・ストーン20年先立ち、民族解放戦争の実態を描いて世に問うたジッロ・ポンテコルボ監督はすごい。
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物語、
オープニング
1957年、「ついに白状したか」とフランス兵士にコーヒーを勧められる革命分子の一人。彼の案内で、フランス軍FLN幹部のひとりカスバの住宅区に潜むアリ・ラ・ポワントのアジを襲撃しFLNの抵抗活動が終焉を迎えるところから翻って、FNLとフランスの抗争経過が描かれます。
 
1954年、「アルジェに自由を、FLNとともに闘おう!」とFLNの声明第1号が出る。 カスバのヨーロッパ人地区の街頭でアリ・ラ・ポワントは「エースが出れば・・」と違法の賭けトランプしていて警察に追われて逃げる際にフランス人の子供に足を掛けられ、この子を殴りつけたことで刑務所送りとなる。アリはアラブ系で無職、ボクサーで兵役拒否、幾つかの犯罪歴を持つ青年。フランス統治下でのアラブ人の生き辛さが描かれています。彼は、刑務所でアルジェの独立を要求する男がギロチンで公開処刑される現場に立ち会い、これが彼のFLN参加への大きな動機になります。
 
その5ヶ月後イメージ 3
刑務所を出所したアリは、ある少年から「警官のスパイであるムハビルを消せ!」というメモが渡される。指示通り街中で若い女から拳銃を受け取り、警官を撃つが弾が入ってない。拳銃を渡した女に詰めより、FLN幹部ジャファー会う。彼は「警察のスパイかどうかを試したが君は安全だ」と説明し「先ずは組織固めだ。余計なやつは排除する」と当面の活動目標を示す。
 
19564月、FLN声明第2号「独立への第一歩、本日をもって売春、麻薬を禁止する」が出る。
子供たちを使って街を徘徊する中毒患者を排斥、クラブやバーを捜索し薬売買の禁止を命じる。アリは麻薬を扱っている友人ハッサンの処刑を命じられ、軽機で射殺する。
 
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FLN党員が参集し、「堂々と結婚する日はくる」をアピールするため公開結婚式を行う。簡素な式だが、周辺のビルから大勢のアルジェリア人たちが彼らの結婚を祝っている。
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1956620日~
警察官の拳銃奪取事件、警察ポストの襲撃、警察との銃撃戦が発生する。襲撃事件の多発で警察はカスパへの出入りを鉄条網で封鎖し、街での検問を強化していく。現地警察本部はパリに支援を要請するが、現地で警察官を増員して対処することになり、アルジェリア総統1号により捜査検挙に乗り出す。しかし、FLNはベールで被われたアラブ女性の服装を利用して武器を運び、市内のごみ箱、屋台等を利用して街全体を武器庫化し、いたるところで警官を無差別に襲撃する事件が奮発するようになる。
 
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FLNによる警官射殺事件に対抗するため、夜間、警察は住居区に爆薬を仕掛け大掛かりなビル爆破による報復テロを行う。多くの死傷者が出て、早朝から付近の住民による救出活動が始まる。アリは「人殺しを許すな」と抗議デモの先頭に立つ。しかし、ジャファーからデモの中止を指示され、なんとか民衆を押しとどめる。
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警察に対抗するため、3人の女性を利用してレストランやバー、空港で同時多数の爆弾テロを行う。ここでは巧妙なテロのやりかたが描かれます。このようにして暴力には暴力で対応とその手段は拡大していきます。
 
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 官憲力では対応できないと、アルジェリアにフランス第10空挺師団が民衆に迎えられるという形で投入され、作戦の指揮をマチュー中佐が執ることになります。彼は、ノルマンディー作戦や反ナチのレジスタンス、インドシナ戦争に参加した経験豊かな軍人です。彼はイメージ 7一般市民のなかに身を潜めて活動するテロ組織を徹底的につぶすと宣言。FLNを構成する三角形指揮組織の頂点にいる人物をすべて捉えるとして、カスパの全市民を尋問逮捕するよう指示する。そのために「逮捕しうる状況を合法的に作れ」と指示します。ここで目をつけたのが、アリジェリア問題が国連総会に審議されるのを機に、その期間中はあらゆる戦闘を禁じ全世界へアピールするためにFLNが行う、8日間のゼネストです。違法ストとして指導者を逮捕しようとするもので、この作戦をシャンペン作戦と名付けます。
 
1957128
この時期、アリたちFLN幹部は密室に潜み身を隠しての活動。この機会にFLN幹部ベン・ムヒディら幹部が集合し今後の活動方針を検討する。アリはイメージ 8「今回のデモは成功する。しかし、今後はデモに参加したものは全員敵とみなされる、他のやり方を考えなければ」と発言する。これにムヒディは「これからは難しくなる。戦争も革命も同じだ、テロが有効なのは最初だけ。勝利を決めるのは民衆の行動だ」と主張する。
 
静かな時が流れる中で、突然軍が行動を起こし「ストで仕事を休んだ」と無差別に住民を逮捕・連行して尋問する。FLNの組織が逐次明らかになって行く。
スト6日目、軍がスト参加者に「FLNが君たちの職を禁じ、これが貧困を起こしている」と放送中に、ひとりの男がこのマイクを奪い「FLNとともに闘う」と放送するやデモ参加者のなかにこれに応じる大きなうねりが生じる。
 
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スト最終日。 国連でのアルジェリア独立支持は過半数を得られず「平和的な解決を望む」という声明で終了する。フランス軍はこれを合図にこれまでの捜査にもとづき一斉に住民逮捕に動く。これを正当化するかのように、軍楽隊が街中をパレードして平和なムードを作り出し、兵士が街頭でパンをサービスする。
軍本部では、マチュー中佐が「24時間体制でカスパを監視せよ」と命じる。逮捕の焦点はシ・ムラド、ラメル、ムヒディ、アリの4人に絞られる。イメージ 9
 徹底した家庭への尋問が開始され、彼らは密室で過ごすようになり全く動けない。軍は「4人を逮捕した」と偽情報を流し、平静を装って家庭捜査を進めている。この状況に、アリたちは隠れ家の移動と組織の再編について話し合う。話し合いが終わり、白頭巾で変装をしたアリとジャファーは帰路につくが、途中フランス軍に見つかり追い詰められる。知人の家の井戸の中に匿われ逮捕を逃れる。
 
1957225
大勢の客で賑わう競馬場で大規模な爆破テロが発生。
 
195734
遂にムヒディが逮捕され、報道陣の前で記者会見が行われる。会見では「子供に爆弾を運ばせるのは非情ではないか」「FLNに勝利はあるのか」の質問にムヒディは「むしろ解放は高まっている」と発言するが、後日、監房内で自ら命を絶つ。彼の自殺を受け、記者団は「フランス軍による凄惨な拷問が原因ではないか」とマチュー中佐に迫るが「報道官に聞け、ムヒディは危険人物。これは合法的な拷問だ。フランスがここに留まる限り我々のやり方を認めるべきだ」で喋る。実際は、宙吊り、電気ショック、トーチランプによる責めなどの拷問が行われていた。
 
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FLN幹部のラメルとシ・ムラドがフランス軍によって包囲される。隠れ家に追い詰められる。ふたりは「正規の裁判を受けること」と「武器を放棄する」の交換条件で降伏することにして、武器(爆薬に時限セット)を敵に差し出すなかで爆破により亡くなる。
 
1957924
マチュー中佐たちがジャファーの住宅を包囲する。彼は銃撃戦で応じるが、家族を人質にとられ、投降する。中佐は「残るはアリだけ」と息巻く。
 
アリは、最後の抵抗として、ハシバ、オマールたちと新たなテロ計画を検討しているところに、冒頭で出て来た“自白した男を連れたフランス兵たち”がやってくる。直ちに密室に隠れ女性部員により扉が目張りがなされるが、入って来たフランス兵により扉に爆薬が仕掛けられる。「30秒間に出てこい」でカウントダウンが始まる。 大勢の市民たちがその様子見守るなか、猶予時間が過ぎ爆弾は破裂する。 中佐は「アリが生きていなければ、これでおわりだ」と勝利を宣言する。
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2年間が過ぎ、鉱山でデモが発生しこれがアルジェリア全土に広まっていく。民衆たちは国旗を掲げ「我らに自由を」と叫んでいる。カスパに異様な叫び声とともにデモが発生。官憲が武力で介入、さらにTKを伴う軍も出動するが、TKは民衆に取り囲まれ一発も発射できない。19601221日のデモ最終日、「君たちの望みは何だ」に「独立だ」と叫ぶ。その後2年を経て1962年に独立を獲得する。これに歓喜し踊り狂う民衆。
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