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宮﨑あおいさんを応援します

「眩(くらら)~北斎の娘~」(2017)

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江戸後期の大画家・葛飾北斎を陰で支えつつ、晩年には独自の画風にたどり着いた北斎の娘「お栄」の物語。天才絵師としての父北斎への敬意や絵に対する情熱、兄弟子善次郎へのひそかな恋が描かれ、これらすべてが繋がり「影が万事を形づけ、光がそれを浮かび上がらせる。この世は光と影でできている」と彼女の人生を象徴する絵「「吉原格子先之図」に収れんするという感動的な物語です。

原作は朝井まかさんの小説「眩(くらら)」。脚本は大森美香さん、「制作統括」は「篤姫」(2008)の佐野元彦さん、「演出」は加藤拓さんです。そして、キャストは「篤姫」以来9年ぶりの共演となる宮﨑あおい・長塚京三三宅弘城余貴美子さんに松田龍平野田秀樹須藤温子さんらが集まった、主として篤姫演者による作品です。物語は、お栄の幼い記憶、北斎に抱かれて筆を持たされた記憶「手のなかの筆がうれしくてしかたがなかった。くらくらした!」から始まります。

○出戻りお栄
出戻りのお栄に母小兎(余貴美子さん)が、絵ばかり描くと文句たらたら。これを聞き流す北斎長塚京三さん)。北斎は喜んだのではないでしょうか?
ここでのあおいちゃん、あぐらをかき、長煙管で煙草を吸い、べらんめえ調の言葉。初めて見るあおいちゃんの姿に驚きですが、すっかりお栄さんです。
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半鐘の音で飛び出し「なんてえ色だ」と感嘆するお栄。この笑顔がいいです。

善次郎(松田龍平さん)が出戻りお栄を訪ねてくる。お互いに罵り合う仲のようですが、善次郎はお栄が戻ってきて絵を描くことをさりげなく喜びます。

○お栄、蘭画に挑戦
シーボルトから蘭画の注文。北斎は「俺の腕を試す気か?」とこの話を受け入れ、15枚の絵のうち12枚の下絵をあっという間に仕上げ、残りを一番弟子のお栄と弥助(三宅弘城さん)に預けます。
お栄は得意の遊女を題目に描く。訪ねてきた善次郎が「これはお前の色か」と問うと「親父の好む色」という。「お前には画きたい絵が、色があるんじゃないか」「ちがう、親の役に立ちたいだけ」。
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これに善次郎は「お前にはず~と画きたい絵がある。お前の小さな胸に持っている。妬ける!目指すものを持ってる」と言い、自分の絵を描くことを勧めますが、「親父のようには描けない。どうしたら親父のように描けるか、役に立てるか」と悩みを明かします。

○お栄、吉原に遊ぶ
善次郎は、いいところに連れて行ってやると吉原に誘います。舟の上で楽しそうな顔をみせます。華やいだ吉原、そして廓。
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とにかく美しく描かれています。この美しい江戸の風情がなければ北斎もお栄も存在しなかったでしょう。

ここで善次郎は、芸妓として働いている三人の妹、そして花魁の滝さん(須藤温子さん)を紹介します。善二郎に促され、三味・琴に合わせてともに踊った記憶。
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すべての記憶が後のお栄の絵の題目になります。「目をこらせば、この世のどこもかしこも色の濃い淡いでできている」と驚く。
そして外に出て、格子窓から見た花魁の姿に「人の顔も身体も光の当たり方で色が違う。ひと色ではない。光が強いところでは色が薄く、暗いとこでは色は沈む。そうか、光だ。光と影が煌びやかさを作っている」と気付き、追い求めることになる。
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善次郎は、お栄にもっといい絵に描いて欲しいと連れてきたのではないでしょうか。

北斎、お栄に絵師魂を
北斎は仕上がったシーボルトからの注文絵を点検し、お栄と弥助の絵に「かろうじて遠い近いはある、影もついているがコクというものがない」と批判し「明日収める」という。
お栄が「こんなもの収められない」と申し出ると「いつ収める?三流の玄人でも一流の素人に勝るモの。なぜだかわかるか。こうして恥を忍ぶからだ。己が満足できねえもんでも歯を食いしばってでも世間の目に晒す。悔いている暇があったらとっとと次の仕事にかかれ!」とプロの厳しさを教えます。

そしてお栄に注文元に届けるよう命じます。北斎は娘に、自分の口では言えないことを注文先の口を借りて、耳に入れます。さすが北斎親父! 親の愛情です。

注文元から「北斎先生の絵を喜んでいる。しかし、遊女の絵は北斎先生の絵ではない。息をしてない、下手な絵だ!」と本人の前でぼろかすに言われる。
帰り、橋を渡りながら「そんなこと、自分が一番分かってる」と愚痴ると、親父がやってきて「おれでも満足なんかしない。いつももっとうまくなりたいと思っている」と言い、「この橋を渡ったら忘れよう。性根入れて、あがいて、あがいて描く」と絵師の根性を叩き込みます。
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あおいちゃんの口をひん曲げた悔しそうな表情、先を考え苦しむ長塚さんの表情がすばらしいです。
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北斎、倒れる
親父さんに小兎が「善さんをお栄の婿に」、「婿などいらない」と言ったところで中風で倒れる。()
小兎は親父さんの世話ができることに喜び、付きっきりで看病です。「もう10日だ、筆を持たせたら」とお栄が言うとお前はひどい女だと怒りだす。お栄にとっては親父と一緒に絵が描けないことが不安でしかたがない。夜中にそっと起きだし筆を持たせる。あおいちゃんの指の細さが気になります!

喧嘩別れしている滝沢馬琴野田秀樹さん)が見舞いに訪れ「わしはかような往生は望まぬ!たとえ右腕が動かずとも、この目が見えぬ仕儀になっても、わしは必ずや戯作を続ける。まだ何も書いておらぬ。己の思うように書けたことはただの一度もござらぬ。その方も左様ではなかったのか?」「いつまで養生しているか。画きたいものが山ほどあろうが!」と貶し、お栄にゆずを渡し酒と混ぜて飲ませるよう指示して帰ります。
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こういう粋な激励もあるんですね!馬琴の声が聞こえたか、北斎は目を覚ましよだれを垂らしながら「お栄、もう養生、飽いた」と訴えるシーン、ふたりの演技がすばらしかった。お栄は、次第に嬉しさがこみ上げ、目に涙をためて喜びます。
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親父さんが元気になると、小兎はすることがなくなり気落ちしたのか、しばらくして「おとっつあん、頼んだよ」とお栄に言い残して亡くなる。お栄はこのことを悔やみます。

○善次郎との恋
深い悲しみにくれるお栄は絵を板元に届けた帰り、舟着き場で善次郎に出会う。
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親父の絵を失うことが怖くて、母に迷惑かけた」と落ち込んでいるお栄に「大丈夫だよ、おっかさんは全部分かっている」と慰める。「野辺送りにはお滝さんも来てくれて」と礼をいうと「今一緒にすんでいる」という。これを聞き、お栄は激しい嫉妬心を覚える。

善次郎は自分の絵を見せ、「“ベロ藍“使ったのはおれが最初だ」とお栄の絵心を焚きたてる。お栄はこの藍色に魅せられる。お栄の顔に色が戻ってきて色っぽくなります。あおいちゃんがこんなに色っぽく見えるのは初めです。
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CM「可愛いを卒業」でも色っぽさはなかった!() そして善次郎の顔を撫で抱き付き喜びを現す表情の変化が、長回しで撮ってあり、秀逸です!

ふたりの関係は「善さんの優しさは毒だ、私はとうとう毒を喰らう。目まいがした」と続くが、仕事場で「一度だけでいいと思ったのにお瀧さんに悪い・・」と喋りながら絵を描く。絵師の自分に「この恋はいかんぞ、しかし」と言い聞かせているようです。()

酒かんをしているとき、江戸名物の火事、芝まで燃え広がる。お栄は善次郎を心配して駆け出すが、不運にも善次郎の住まいが燃えたようで、この日を境にお栄の元にやって来なくなる。お栄の悲しい恋の終わりに涙です。

馴染みの板木元・西村屋(西村まさ彦さん)もこの火事ですべての板木を失う。再起のため絵を描いて欲しいと頼み込んできます。北斎は「大博打になるな」と引き受け「富嶽三十六景」と名付け鳴り物入りで売り出す。
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ほかの仕事は一切お栄が引き受けた。この絵は売れに売れ、日本中いたるところで北斎の富士が拝まれるようになり、北斎の名を知らぬ者がいなくなった。ここで使われる青色は善次郎のもの?
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○「夜桜美人」
善次郎が火事から3年を経て突然訪ねてきます。今は絵を描くのを止めて妓楼屋をやっているという。そして、お栄の絵の批評を始めます。善次郎は、常にお栄の絵の才能を失わせないよう気配りしており、あの火事を契機にふたりの関係を終わらせたのでしょう。おそらく妓楼で苦労しながら常にお栄の絵を見ていた!泣けます!

「お前の“菊に虻図”、虻は親父、菊はお前。“牡丹に蝶図”、花が親父でぼたんがお前。
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お前の絵には色気がない!」と言い、自分の絵を描くことを勧めます。が、「親父の名は光、眩ゆ過ぎて届かない。親父の名で書けば高く売れる」と断ります。

お栄の画きかけの絵を見て善次郎が「夜の桜か、夜に夜の景色か?」と聞く。
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「夜の闇のなかにも光と影がある。闇のお蔭で光もいろいろな色を見せる。この女がいま灯ろうの明りで歌を詠もうとしている。夜には昼に詠めるぬ歌が書ける」と絵の構想を話します。
善次郎は「お前は自分の腕がわかってない」と嫉妬する。「どういう意味?」と聞くと「お前の絵はおれにとっては光だ。くらくらする眩い光だ」と言い、「おれはもう絵は描かない。お前は絵を描き続けろ!」と言葉を残して帰ります。
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お栄の腕はもうとっくに善次郎を超えていた。この絵の美人はお滝さんではなかったかと想像します。(#^.^#)

この絵を描き上げ、うたた寝しているところに北斎が現れる。絵を見て何もいわずに帰りますが、おそらくお栄の腕を認めた瞬間ではなかったかと。
 
ここでは、色をつけるあおいちゃん、右手に二本の筆をもち色づけしてぼかすという技術を見せてくれます。1ヶ月練習したとのこと、見事です。
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○善次郎に、「三曲合奏図」
北斎80歳で引っ越し。スイカを食べていると、親父さんが「善次郎が死んだ。女房から連絡があった。今夜野辺送りだ」と伝える。お栄は一瞬とまどいますが、親父の「見送らないと尾を引くぞ!」の言葉で駆けだす。出棺のところに間に合う。三人の姉妹とお滝さんが供をしている。

お滝さんの姿を認め、そっと路地で善次郎を見送る。お滝さんが軽く会釈をします。
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お栄はきつい顔で「あばよ、善さん」と言い、帰って絵を描き始める。生前に話せなかったことを悔いる。

連れられて行った吉原の遊郭を思い出し「真ん中の若い遊女、きっと寝やのことは好きではない。自分も花魁のようになれるかどうかもわからない。でも琴は好きだ。お客が喜んでくれる。右手にはあでな女芸者、年は256。心底惚れた男が一人いる。けれどその恋はかなわなかった。今は親子ほど離れた旦那がいる。物足りなくもあるけれど私には三味線の腕がある。左で胡弓を弾く娘は町娘、商家のひとり娘でいずれ遠縁から婿を迎えることが幼いころから決まっている。許嫁は洒落ものを気取って芝居を観る、菊細工見物はどうかと誘ってくる。煩わしい。本当は若い手代が気になる。ふとした拍子に目が会えば胸がどきついて・・」と善次郎が語る三人姉妹を絵にします。
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お栄は善次郎とず~とこうやって話していたかった。
この絵に“酔女”という雅号を書き入れると、親父が「世を捨てたようだ」という。
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「栄と酔は同じ音だから!」とお栄。酒を飲みながら親父と一緒に眺めて、これがお栄と善次郎の今生の別れでした。この不器用な善次郎との別れに涙です!
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お滝さんの会釈に、善次郎が最期までお栄に気をかけていたことが忍ばれ、ここも泣けます。

北斎の遺作「富士越龍図」
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北斎の卒寿の祝いに弥助が祝を持って駆けつけます。弥助は描き残しの富士の絵を見て「この墨絵、お栄さんのですか?」。お栄が「このままでは絵柄が寂しい気がする」というと、親父が立ち上がり「お栄、富士を仕上げるぞ」とふたりに支えられながら富士に”龍”を書き加える。
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すざましい気概が感じられます。長塚さんの演技がすごい。描き上げた絵を見るお栄。「すげえ!すげえ!」と知らずしらずのうちに涙を浮かべます。この涙がまた眩しい。
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北斎は「天が10年いや5年の命をくれるなら、おれは本当の絵描きになってみせる」と息巻くのでした。
この数ヶ月後、親父さんは亡くなりました。部屋には画き捨てた絵が飛び、猫が走る、なんと寂しさ最期でしょうか。
じっと親父の遺体を見入る、そして親父に筆を持たせ「うまくなりたい」と泣くお栄。あおいちゃんの泣き声が深く胸に入って、一緒に泣きました。
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○「吉原格子先之図」
お栄は60歳になりました。あおいちゃんの老けメイク、完璧です。「篤姫」とは比べようもないほどによく出来ています。しゃべりの早やさ、トーンも変えています。
弟のところに居候して絵を描き続けている。弟のお嫁がお栄が新吉原に出向くことに、武家には恥と苦情を言う。弟は「これが姉の業だから辛坊するように」と諭す。
お栄は善次郎と行った吉原を描きたかったのです。「ここに黒を落とし、こっちは灯が強くなって、これが光だ。この世は光と影でできている。影が万事を形づけ、光がそれを浮かび上がらせる」呟きながら「吉原格子先図」を書き上げます。
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酔って「飛んで行きたや主のそば」と歌いながら、橋を渡り絵材を求めて歩くお栄。
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赤いワンピースの宮崎あおいさんが22年ぶりにロンドン大英国博物館に展示される葛飾北斎作「富士三十六景神奈川沖波裏」に出会う冒頭シーン。
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この作品のラスト、「吉原格子先之図」を仕上げ、大橋を渡りながら「飛んで行きたや主のもと」と父を偲ぶシーンからこの冒頭シーンに繋がっているようで、あおいちゃんではなくお栄が親父さんに会いにやってきたように思えます。
お栄が父北斎を慕って、慕って共に過ごした日々が思い出されます。あおいちゃんはお栄になって生きていました!

あおいちゃんは、大きな作品を残しました。これからは「お栄といえば宮崎あおい」ということになります。
これまでのイメージを大きく変えた役を演じ、これまでの壁を破り、老けメイクも完璧で「篤姫」を超え、繊細な感情表現で観る者を惹きつけました。その表情は自然で、静かで、一層深みを増し、大人になったという、色気が半端でない!
脚本、演出、美術などどれをとっても一級品。すばらしいです。しばらくこのような作品は出て来ないでしょう。忘れられない作品になりました。

資料 「眩(くらら)~北斎の娘~」
 
 
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