原作は朝井まかさんの小説「眩(くらら)」。脚本は大森美香さん、「制作統括」は「篤姫」(2008)の佐野元彦さん、「演出」は加藤拓さんです。そして、キャストは「篤姫」以来9年ぶりの共演となる宮﨑あおい・長塚京三・三宅弘城・余貴美子さんに松田龍平・野田秀樹・須藤温子さんらが集まった、主として篤姫演者による作品です。物語は、お栄の幼い記憶、北斎に抱かれて筆を持たされた記憶「手のなかの筆がうれしくてしかたがなかった。くらくらした!」から始まります。
○出戻りお栄
ここでのあおいちゃん、あぐらをかき、長煙管で煙草を吸い、べらんめえ調の言葉。初めて見るあおいちゃんの姿に驚きですが、すっかりお栄さんです。

善次郎(松田龍平さん)が出戻りお栄を訪ねてくる。お互いに罵り合う仲のようですが、善次郎はお栄が戻ってきて絵を描くことをさりげなく喜びます。
○お栄、蘭画に挑戦
お栄は得意の遊女を題目に描く。訪ねてきた善次郎が「これはお前の色か」と問うと「親父の好む色」という。「お前には画きたい絵が、色があるんじゃないか」「ちがう、親の役に立ちたいだけ」。

○お栄、吉原に遊ぶ
善次郎は、いいところに連れて行ってやると吉原に誘います。舟の上で楽しそうな顔をみせます。華やいだ吉原、そして廓。

ここで善次郎は、芸妓として働いている三人の妹、そして花魁の滝さん(須藤温子さん)を紹介します。善二郎に促され、三味・琴に合わせてともに踊った記憶。

そして外に出て、格子窓から見た花魁の姿に「人の顔も身体も光の当たり方で色が違う。ひと色ではない。光が強いところでは色が薄く、暗いとこでは色は沈む。そうか、光だ。光と影が煌びやかさを作っている」と気付き、追い求めることになる。

○北斎、お栄に絵師魂を
お栄が「こんなもの収められない」と申し出ると「いつ収める?三流の玄人でも一流の素人に勝るモの。なぜだかわかるか。こうして恥を忍ぶからだ。己が満足できねえもんでも歯を食いしばってでも世間の目に晒す。悔いている暇があったらとっとと次の仕事にかかれ!」とプロの厳しさを教えます。
帰り、橋を渡りながら「そんなこと、自分が一番分かってる」と愚痴ると、親父がやってきて「おれでも満足なんかしない。いつももっとうまくなりたいと思っている」と言い、「この橋を渡ったら忘れよう。性根入れて、あがいて、あがいて描く」と絵師の根性を叩き込みます。


親父さんに小兎が「善さんをお栄の婿に」、「婿などいらない」と言ったところで中風で倒れる。(笑)
小兎は親父さんの世話ができることに喜び、付きっきりで看病です。「もう10日だ、筆を持たせたら」とお栄が言うとお前はひどい女だと怒りだす。お栄にとっては親父と一緒に絵が描けないことが不安でしかたがない。夜中にそっと起きだし筆を持たせる。あおいちゃんの指の細さが気になります!
喧嘩別れしている滝沢馬琴(野田秀樹さん)が見舞いに訪れ「わしはかような往生は望まぬ!たとえ右腕が動かずとも、この目が見えぬ仕儀になっても、わしは必ずや戯作を続ける。まだ何も書いておらぬ。己の思うように書けたことはただの一度もござらぬ。その方も左様ではなかったのか?」「いつまで養生しているか。画きたいものが山ほどあろうが!」と貶し、お栄にゆずを渡し酒と混ぜて飲ませるよう指示して帰ります。


○善次郎との恋
深い悲しみにくれるお栄は絵を板元に届けた帰り、舟着き場で善次郎に出会う。

善次郎は自分の絵を見せ、「“ベロ藍“使ったのはおれが最初だ」とお栄の絵心を焚きたてる。お栄はこの藍色に魅せられる。お栄の顔に色が戻ってきて色っぽくなります。あおいちゃんがこんなに色っぽく見えるのは初めです。

ふたりの関係は「善さんの優しさは毒だ、私はとうとう毒を喰らう。目まいがした」と続くが、仕事場で「一度だけでいいと思ったのにお瀧さんに悪い・・」と喋りながら絵を描く。絵師の自分に「この恋はいかんぞ、しかし」と言い聞かせているようです。(笑)
酒かんをしているとき、江戸名物の火事、芝まで燃え広がる。お栄は善次郎を心配して駆け出すが、不運にも善次郎の住まいが燃えたようで、この日を境にお栄の元にやって来なくなる。お栄の悲しい恋の終わりに涙です。
○「富嶽三十六景」

善次郎が火事から3年を経て突然訪ねてきます。今は絵を描くのを止めて妓楼屋をやっているという。そして、お栄の絵の批評を始めます。善次郎は、常にお栄の絵の才能を失わせないよう気配りしており、あの火事を契機にふたりの関係を終わらせたのでしょう。おそらく妓楼で苦労しながら常にお栄の絵を見ていた!泣けます!
「お前の“菊に虻図”、虻は親父、菊はお前。“牡丹に蝶図”、花が親父でぼたんがお前。

お栄の画きかけの絵を見て善次郎が「夜の桜か、夜に夜の景色か?」と聞く。

善次郎は「お前は自分の腕がわかってない」と嫉妬する。「どういう意味?」と聞くと「お前の絵はおれにとっては光だ。くらくらする眩い光だ」と言い、「おれはもう絵は描かない。お前は絵を描き続けろ!」と言葉を残して帰ります。

ここでは、色をつけるあおいちゃん、右手に二本の筆をもち色づけしてぼかすという技術を見せてくれます。1ヶ月練習したとのこと、見事です。

北斎80歳で引っ越し。スイカを食べていると、親父さんが「善次郎が死んだ。女房から連絡があった。今夜野辺送りだ」と伝える。お栄は一瞬とまどいますが、親父の「見送らないと尾を引くぞ!」の言葉で駆けだす。出棺のところに間に合う。三人の姉妹とお滝さんが供をしている。
お滝さんの姿を認め、そっと路地で善次郎を見送る。お滝さんが軽く会釈をします。

連れられて行った吉原の遊郭を思い出し「真ん中の若い遊女、きっと寝やのことは好きではない。自分も花魁のようになれるかどうかもわからない。でも琴は好きだ。お客が喜んでくれる。右手にはあでな女芸者、年は25か6。心底惚れた男が一人いる。けれどその恋はかなわなかった。今は親子ほど離れた旦那がいる。物足りなくもあるけれど私には三味線の腕がある。左で胡弓を弾く娘は町娘、商家のひとり娘でいずれ遠縁から婿を迎えることが幼いころから決まっている。許嫁は洒落ものを気取って芝居を観る、菊細工見物はどうかと誘ってくる。煩わしい。本当は若い手代が気になる。ふとした拍子に目が会えば胸がどきついて・・」と善次郎が語る三人姉妹を絵にします。

この絵に“酔女”という雅号を書き入れると、親父が「世を捨てたようだ」という。


○北斎の遺作「富士越龍図」



この数ヶ月後、親父さんは亡くなりました。部屋には画き捨てた絵が飛び、猫が走る、なんと寂しさ最期でしょうか。
じっと親父の遺体を見入る、そして親父に筆を持たせ「うまくなりたい」と泣くお栄。あおいちゃんの泣き声が深く胸に入って、一緒に泣きました。

お栄は60歳になりました。あおいちゃんの老けメイク、完璧です。「篤姫」とは比べようもないほどによく出来ています。しゃべりの早やさ、トーンも変えています。
弟のところに居候して絵を描き続けている。弟のお嫁がお栄が新吉原に出向くことに、武家には恥と苦情を言う。弟は「これが姉の業だから辛坊するように」と諭す。
お栄は善次郎と行った吉原を描きたかったのです。「ここに黒を落とし、こっちは灯が強くなって、これが光だ。この世は光と影でできている。影が万事を形づけ、光がそれを浮かび上がらせる」呟きながら「吉原格子先図」を書き上げます。



お栄が父北斎を慕って、慕って共に過ごした日々が思い出されます。あおいちゃんはお栄になって生きていました!
あおいちゃんは、大きな作品を残しました。これからは「お栄といえば宮崎あおい」ということになります。
これまでのイメージを大きく変えた役を演じ、これまでの壁を破り、老けメイクも完璧で「篤姫」を超え、繊細な感情表現で観る者を惹きつけました。その表情は自然で、静かで、一層深みを増し、大人になったという、色気が半端でない!
脚本、演出、美術などどれをとっても一級品。すばらしいです。しばらくこのような作品は出て来ないでしょう。忘れられない作品になりました。
資料 「眩(くらら)~北斎の娘~」
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