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第49回「本能寺が変」

イメージ 1“わけのわからん”コミック版本能寺の変でした。直虎が龍雲丸や与太夫に会いに堺に出かける口実のような物語、やはり「本能寺が変」でした。()
家康は、光秀の信長暗殺に協力するため上京したが、光秀に中国出陣の命が下り暗殺の実行性が危惧される。しかし、計画どおり海路で三河に戻らず、信長に殺す意思はないと再度の信長のもてなしを受けるため京へ急ぐ。その途上で明智謀反を聞き、光秀共謀を翻して兵を岡崎で整え織田の仇を討つため伊賀越えで三河に帰ることにするが、その途上で穴山梅雪を亡き者にして穴山領を手に入れるというなんとも不可解な「本能寺が変」物語でした。(笑)

明智謀反」に接した家康が、龍雲丸に促され光秀との共謀を翻し、兵が少なく織田に報いることが出来ないと切腹を口にするも万千代に励まされ、茶屋四郎の道案内で伊賀を越えて岡崎に帰還。伊賀越えで、穴山が亡くなっているが、なんと正信が穴山を始末していたとは! 穴山梅雪の死の逸話をうまく組み合わせ、穴山領を戦わずして手に入れるという戦嫌いでずる賢い家康像を作りました。森下さんのうまい脚本にびっくりしています。きっと瀬名は喜んでいるでしょう!

徳川を三河に逃がすために堺にやってきた直虎。あろうことか涙の別れを経て久しぶりに龍雲丸と再会、積もる話もあろうと思うが、直虎のいきなりの「南蛮船を都合出来ぬか」に龍雲丸がふて腐り、とんでもない仕返し。()
しかし、ふたりの関係は、井伊谷で暮らしたころと少しも変わらない、時間を感じさせない。わずかの話のなかにお互いの生き方を認め合う姿が微笑ましい!
直虎と龍雲丸、家康を無事岡崎に返すために「明智謀反」の虚偽情報を家康に与え、明智共謀を翻意させるという歴史的大仕事をなしました。()
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明智からの信長暗殺にと誘われとまどう家康であったが、直虎の勧めで光秀の策に乗り安土城へ向かうことを決める。万千代が龍潭寺に訪ね「織田の徳川暗殺の企てを逆手にとり、信長を殺すという。まず織田は安土城でわれらを歓待し、そのあと堺行きを勧め、その裏でわれらを襲う支度をし、最後は本能寺の茶会で一網打尽に討ち取るつもり。明智が、徳川を殺す兵を使い、信長を不意打ちに襲う」と計画を明かす。
直虎は「何をせよと?」と聞くと「明智の謀反がなったあと、徳川が戦に巻き込まれず三河に逃げ帰るための道をつけてほしい。京にいる茶屋四郎次郎という商人と相談のうえ、計って欲しい」と言う。直虎は「心得た!」と返事。イメージ 2
天正10515日。安土城、家康一行が、明智の挨拶を受け、信長のお出ましを待っている。そこで同席した穴山が「随分と固くなっているが何か?」と家康らの行動に疑いの目を向ける。

〇直虎、家康らの帰還手配に奔走
そのころ直虎らは直之と六左衛門・方久を伴って京に上り、茶屋四郎次郎の屋敷を訪ねる。さっそく上方より三河に戻る道筋を相談すると、「宇治から、甲賀、伊賀、伊勢に出て知多に渡る道。もう一つは堺より船で知多に渡る道」と教えてくれる。直虎は宇治からの道を茶屋四郎にお願いして、堺のほうは昔なじみの気賀衆がいるので自分で当たることにする。
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堺の町の活気に直虎らは驚く。直虎が「なんじゃ、あの着けているもの(帽子)」とポルトガルの宣教師を見て声を上げる。その宣教師たちの中に龍雲丸がポルトガルで話しているが、直虎は気付かない。
イメージ 4中村屋を訪ねると、与太夫が出てきてわけのわからない言葉を話かけてくるので「近く京で謀反が起きる」と切り出す。
堺から知多に入るにはどこかで一度船を寄港しなければならないということで、直虎らは比井の港を下見すると、信長の戦支度をしていることを聞く。中村屋に戻り織田に襲われないように、一気に知多に行ける南蛮の船を探すことにすると、与太夫が「それ、龍雲丸に話してみる」と言い出す。

〇龍雲丸と再会!イメージ 5
太夫と一緒に小屋を訪ねると「とわ!!」「久しいの、頭」。「会いに来たのか」と龍雲丸。直虎が「頼みがある」と切り出す。この直虎の素っ気ない言い出しに、龍雲丸は「なんとかなるが高くつく。銭だけでは駄目、外人の相手をするか?尼さんなら喜ぶ」と嫌味をいう。()直虎が「異人と添え?」「それでよい!」というから、龍雲丸の方が「覚悟しておけ」とふて腐る。

〇三成に中国出陣命令
このころ、家康一行は、しばらく安土に滞在し信長の歓待を受けていた。信長が舞を褒めているところに、中国おもてからの急便で「高松城清水宗治が思うよりしぶとく秀吉が援軍を願いでているという」。
信長は光秀に「急ぎ中国へ向け、兵を整えよ」と命じる。これに光秀が「それがし徳川様のご供応役にございますし」と意見を述べると、これが信長の気に障ったか、光秀を皆の面前で足蹴りにする。これに家康は驚愕する。信長が「そなたが頼りじゃ」と光秀をなだめる。光秀が出ていくと万千代が後を追う。

「えらいことになった」と家康たちが部屋で頭を抱えていると、万千代が戻ってくる。「こちらが工夫すれば筋書きどおり進められる」と言う。しかし明智を信じて良いものか分からず、「歓迎の宴で毛利攻めを理由に三河に戻る許しを得よう」ということにする。穴山が「何を話しているのか?」と気にしている。
そこに信長自らが膳を運んできて宴が始まる。「キンカンをはずしてしもうたので余がな」と飯を盛ってくれる。家康があっけにとらわれる。忠勝が「早々に三河に帰りたい」と申し出るが、「徳川の手を借りずとも事は間に合う。そなたらをねぎらいたいのじゃ」と断られる。海老蔵さんの語りは変ですね。全く威厳がない!

〇直虎と龍雲丸の邂逅イメージ 6
一方、直虎は異人と龍雲丸の小屋にいた。直虎に異人が近づくとその首に矢が刺さる。直虎を気遣っての矢。()そこに龍雲丸が入ってくる。直虎が「一体何を怒っている」と聞く。「九年ぶり。それを挨拶もなくいきなり頼みがあるとは」と直虎の鈍感さをつく。龍雲丸の奇妙な服装を聞くと「通詞をして稼いでいる」という。龍雲丸が「尼小蔵が何でこんな物騒な話に首突っ込んだんだ」と聞くと、「徳川のお家で戦のない世を目指していただこうと思うて」と説明すると、「相変わらず、いかれている!」と驚く。()
龍雲丸が昔交わした言葉を思い出し、「戦がなくなると、堺に来るか」と聞くと「面目ない」と断る。「まあ思い出す暇もないか」と諦める龍雲丸。()

〇光秀謀反
こうして光秀が謀反を起こすのを待つのみだったが・・
529日、堺。直虎は中村屋にやってきた万千代から「明智は決行すると言っていたが、毛利攻めの支度で安土を離れ音信が絶えた。いま常慶叔父に探ってもらっている」と言い去っていく。
このころ、愛宕神社では三成が必勝祈願し、御神くじを引いている。凶、凶、・・これを常慶が見ている。

三河に戻ったほうがよいのではないか」というと「それも考えている。いま常慶が明智の真意を探っている」と言って帰っていく。
61日雨。家康は戻ってきた常慶から「織田を討つつもりかもしれない。三度も御神くじを引いたというという話もある」と報告。康政は「明智がおじけづけば、策は実行されず、織田は徳川を討つことになる」と語っているところに、長谷川がやって来て「支度が整ったので、明日京に参るように」と知らせる。
家康が碁石を握り思案する。直虎は眠ることなく万千代の知らせを待っている。
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本能寺では家康が信長は本能寺の一室で「あやつはこようなことにとんと無頓着で少しは箔を着けねば」と家康に与える茶器の品定めをしてる。

夜半、進軍する光秀の大軍。京への道と中国への道の分岐点。光秀は「敵は本能寺にあり。われに続け!」と下令す。

夜が明け、船上の直虎と龍雲丸。直之が駆け込んできて万千代は京に向かったという。万千代によると家康は「織田がわれらを討つ策などないのではないか。光秀がわれらを利用して織田を殺そうと画策したのではないか。確たる理由はない、長い付き合い、織田殿が殺気を抱いているようには見えない。このまま茶をいただいて終わるのではないか」と言ったという。直虎が「皆がそれに納得したのか」と気にかける。
直虎は方久から金を取り上げ、龍雲丸に金を渡し「人を頼んで一芝居打ってくれ。徳川が誘いに乗るは、後々咎められるからだ。徳川は戻らざるを得ぬようにしてしまえばよい」と策を託す。

〇家康、明智共謀を翻す。
結局家康は穴山とともに京に向かうことにする。途上で、万千代は駆けつけた龍雲丸たちから明智謀反の報せを聞く。これを聞いた家康が思案しているところに常慶が駆けつける。信長は明智に急襲され自害、京では戦いが始まったという。忠次が「逃げましょう」と進言すると、穴山が「話がおかしい。謀反が起こることを知っていたような口ぶり」と言い出す。
そこに龍雲丸が「このあと京に上るのですか?徳川様は仇討ちに上られのでしょう」と声を上げる。万千代が「そうだ、呆けている場合でない。直ちに京に上りましょう」と怒鳴る。イメージ 8
康政は「仇を討つといっても十分な兵がない」と反対する。家康が「面目ない腹を切る」と言い出し、これを止めにかから万千代。「仇討ちのため兵を率いて参戦する」という名目をつけ一気に逃げ帰りましょう」と康政。「織田のためを思うなら岡崎に戻り兵を率いて参戦しましょう。これが織田に報いること」と家康を宥める。

そこに茶屋四郎が駆けつけ、「一大事です万事差配しておきました」と耳打ちする。「茶屋様に道案内してもらって」と万千代が皆を元気づけ、皆がこれに従う。空き屋敷に宿を取る。そこに万福が来ている。忠勝が「徳川が弱みを握られている、何か策を練らねば」と漏らす。と、それを正信が聞いている。
そして翌朝、「穴山がどこにもいない」と常慶。そこに正信が現れ、「野武士に襲われなどせねばよいのに、精悍な表情で、意味ありげにしゃべる。正信が刺した!
穴山は土一揆により命を落としたと言われている。家康らは無事に三河に逃げ帰った。

〇家康、穴山領を拾う
岡崎城に戻った家康と家臣は、早速評定を開いた。「上方にはせ参じるのはよいとして、織田につくべきか、明智につくべきか」と評議していると、家康が「上方に向かわねばよいのでは!当主が戻らぬようになった穴山領は困っておるのでは?」という。
評定の席に入ってきた正信がしれっと「最期をともにしたわれら、穴山に人を送りお助けせねば」という。忠次が「穴山領の世話をしていたと言えば、明智が勝とうと織田が勝とうとどうとでも言い訳はたつ」と言い。康政がイメージ 9「雌雄が決するまで時間を稼げる」という。
家康が「そういうことじゃ」徳川はこれより空き城を拾うことに徹する!」と言い放つ。その脳裏には、「空き城を拾えばよいのです」という瀬名がいた。
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一方、直虎はいまだ龍雲丸と船上にいて謀反の成り行きを見守って戻ろうと思う」と。龍雲丸が「まだ何かあるのか?」と聞くと直虎は「成り行きによっては策を講じねばという子がおってな!」という。
***つづく***
記事 20171211
柴咲コウ「直虎」12・0%、いよいよ次週最終回