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最終回「石を継ぐ者」

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直虎の棺が、黄金に色づく棚田を進んでいくところで、竜宮小僧として唯々人のために尽くしひたすら戦のない世を夢み耐えた姿が思い出され、涙が止まらなかった。

不受理な争いのなかで、何事もなしえず、直親・政次そして虎松の身代わりとなった幼な子を失ったことは直虎生涯の心残りであったでしょう。明智の子として追われる自然を生かすは、戦乱のなかで生きた直虎の生きざまを示す象徴的なこと。自然を生かし、井伊家をたたみ、べてを万千代に託して太平の世を夢見て逝った直虎の生涯は、すばらしい人生であったと思います。
やんちゃな元気のいい城主から、大きな悲劇を経て農夫となり、戦のない世を求めて奔走する晩年。柴崎さんは、それぞれの境遇に、アクセントのある演技で魅せてくれました。特に政次を槍で突くシーンが印象的で、晩年の穏やかな表情がよかった。

信長が亡くなってからの家康は、厭理穢土・欣求浄土を旗印に汚い戦い方も厭わず、戦のない世界を求める生き方を求める。“三河のぼんやり”から、沢山の弱みを見せ悩みながら次第に凄みを身につけてくる家康・阿部サダヨさん、これまでにないもっとも実像に近い家康と思われ、とても楽しかったです。(#^.^#)

そのなかで、万千代は「北条との和睦」の手柄で、家康の手で元服し、名を直政と改め、直親・政次・直虎の意思(石)を受け継ぎ、7家を賜り井伊家を再興。家康に「百尺羊頭に一歩進む。大死一番、絶後に再び蘇る」を誓い、武将として勇猛果敢であるとともに外交や調整に大きな力を発揮し家康の目指す世界のために奮闘するという結末。見事な筋書きでした。菅田将暉さんの、やんちゃで無鉄砲な万千代が、次第に直虎や家康に傾注し思慮深い男に育っていく、目力の変化の演技がすばらしかった!

影の主役南渓、井伊家の指南役として、時代に合わせ、ひょうひょうと禅問答をしながら、それぞれの個性を引き出し、井伊家存続を願い続けた生涯は見事でした。小林薫さんの演技そのものが、南渓でした。直虎を城主の座から下ろし、万千代に夢を託したときの決断が印象的でした。

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戦国時代にあって、農業・林業・綿花事業など民の生活を取り上げ、沢山の人物を登場させそれぞれに命が吹き込まれていたことに感動。中でも山本学さん演じる甚兵衛の生涯は忘れられない。
また脇ではあったが、瀬名、氏真らにこれまでの人物像と違った視点で描かれたことが物語を面白くしてくれました。
本作に携わった方々に感謝です。すばらしいドラマありがとうございました。
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天正1062日、明智の謀反により信長が死、この混乱の中家康は無事三河に戻る。家康、秀吉の要請で「兄とも慕っていた人」と涙し何食わぬ顔で信長の弔い合戦に向かうという豆狸ぶりを見せる。
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徳川一行が三河に戻っても、直虎はいまだ中村屋にいた。六左衛門がやってきて明智が織田方に押され京を追われたと伝える。これを聞いた直虎は「急いで井伊に戻り、自然を守ってやらねば!」と龍雲丸に。「これから南蛮船に乗ることになっている。一緒に行くか」という龍雲丸に、直虎は持ってきた水筒を選別替わりに渡す。別れ際に「頭、われよりも先に死ねな!」と。ちょっと、しんみりです!
弔い合戦に馳せ参じた家康、尾張鳴海城に到着すると秀吉の使者が「もう戻っていい。昨日明智が討たれた」という。家康は「亡き殿のために一矢も報えぬでは・・」と口惜しがり、涙をこぼす。そして甲斐、信濃の織田を助けたいという口実を得る。
浜松城に氏真が訪ねて来て「あの子はどうしている。謀反に加担しておった」と万千代に居所を聞く。

〇自然は井伊家の子
龍潭寺に戻ったばかりの直虎。明智が負け自然をなんとかせねばと思っているところに、供を連れて万千代がやってきて、「自然を徳川で預かる」という。
「あの子を葬り去るつもりか。徳川殿が言うたか?」と問い詰めると、於大の方が現れ「私が命じた。その子を渡して欲しい。お家のためです」という。イメージ 4
直虎が「この子はすでに井伊の子。渡すわけにはいかない」と拒否すると於大の方が「万千代よ」と促す。これに傑山が万千代の額にピタリと矢を向ける。
のとき、「明智の子がおろう」と織田の兵がやってくる。万千代がまずいと於大の方を隠す。「その子は誰か」と問われ直虎は「亡き信長公のお子じゃ」と答える。直虎が南渓に促すと天目茶碗をもってくる。直虎が「この子を預かるのと引き換えに頂いた茶碗じゃ」という。南渓が「かようなものが」書状を出す。これに返事がない!直虎が「もう一度戻って、考えてはどうか。間違えて殺したではすまない」と促す。これに織田勢はいまいましそうに帰って行く。

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これを見た万千代が驚く。そして於大の方に「徳川様には咎が及ばぬようこちらでうまく計らいます」と話しかけると「織田様の忘れ形見、どうかよしなにお願します」と深々と頭を下げるのでした。


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〇自然の得度式
それからしばらくして、龍潭寺で自然の得度式が行われた。南渓が与えた名は悦岫。これを見守る直虎がせき込む!
あやめが訪ねてきて、「桜の夫庵原が徳川に奉公したいと。また、桔梗が夫狩野に先だった」という。「新野の者をまとめて万千代に引き取ってもらう、これだと井伊の縁者は自分と高瀬だけになる。高瀬も万千代に送ろうか思う。いっそのこと一個の寺があるだけにしたほうが良いのでは」と南渓に相談すると、「逃げ回り、画策めぐらし、あげく潰してまでして、それでも命脈を保ってきた家じゃ。井伊家が負うべき役目かもしれぬ」とさすがに寂しそうに笑う。
生かされた自然が悦岫となり、 龍潭寺四世住職を継ぐという、この筋立がすばらしい!

〇直虎、倒れる
翌日、館に出向くと高瀬に支えられて近藤が現れ「高瀬は万千代と娶せてはどうかと思う」と驚かす。近藤は高瀬が井伊の血筋の者であることに気付いていたという。
「井伊のものはほとんどいなくなり、この際、寺だけを残して井伊谷・井伊家を畳もうと思う」というと「祖先の土地であろうが」と懸念する。「井伊のものが収めようが治めまいが井伊谷はここにある。井伊の家の者であるとの証はそれぞれの身の内にある」と直虎。

近藤が「隠居するのか、それとも万千代殿のところに」と聞くと「徳川に天下を取らせたいと考えている。近藤と井伊がよき関りを続けていただければ」と頭を下げる。と、そのまま頭を挙げない。弥吉に背負われ龍潭寺に戻る。

昊天の見立ては風邪?直虎は「いつも見送るばかり。自分ばかりが生きてきた。この世に未練はないと思っていたが、今はひどく生きたいと思う。井伊に旗の下に皆が集い、徳川の旗の下に日本中が集うのを見たい」と南渓に漏らす。「何を気弱な!そのときが来たら大きな盃で飲もうな」と南渓が直虎の手を取る。

〇直虎の最期
そのころ、徳川と同じく旧武田領の混乱につけ込んだ北条が上野に侵攻。続いて甲斐・信濃に攻め込み、いつの間にか徳川は北条と戦うはめに陥っていた。さらに、旧武田家臣の真田が北条に臣従したという。家康は兵の士気を気遣い酒を振る舞うことにして、万千代を呼び笛を吹けという。しかし、父の形見の青葉の笛が見つからない。
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直虎は咳が出て眠れない。どこからとなく笛の音が聞こえてくる。笛の音を辿っていくと井戸。なんと月明かりの下、子供の亀之丞が笛を吹いている。
「待ちかねたぞ、おとわ」「鶴、そなたら、何故、子供に」「おとわも子供ではないか」。「いくぞ」「行きとうない。やっと先が見えてきた」とおとわ。亀が「おとわ、おれの志を継いでくれたように志はだれかが継いでくれる。行こう」と促す。そこに龍雲丸もやってきて「今度こそ一緒に行ける」と付いてくる。。「とにかく行きますぞ」みんなで元気のよい声を上げて井戸を覗く。

明け方、昊天が井戸端で倒れている直虎を発見。その傍には笛が寄り添うように落ちていた。くしくも、直虎の死と同じころ、一隻の南蛮船が沖合で遭難した。浜辺に打ち上げられた残骸の中に、女物の水筒があったという。

直虎の葬儀には、方久とあやめ夫婦、高瀬、なつ、辰、梅、弥吉、足の不自由な近藤、“しの”も参加。しかし、南渓は直虎には経を読みたくないと欠席。昊天傑山の読
経が始まる。最初はこらえていたが次第に嗚咽になり、
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南渓にも届く。「そなたが読んでくれるはずではなかったのか。罰あたりが」と声を詰まらせる。
黄金に色づく棚田を、葬列が進んでいく。先頭に傑山昊天、直虎の棺が井伊谷の百姓に担がれている。

徳川の陣にも、直虎の訃報がもたらされた。家康が直接万問に書状を渡し頭を垂れる。手にした万千代と、万福、直之、六左衛門に、ぽつり、ぽつりと雨が降ってきた。雨なのか涙なのか、しばらくの間、雨に打たれたまま立ち尽くす。

〇万千代、井伊の石を継ぐ
北条との難しい和睦に使者を立てねばならないと評定中、万千代はうわのそらで、康政
から大声で叱責される。
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そこに南渓が訪ねてきて井伊の井戸端に落ちていたと笛を差し出す。「井伊の魂だ」と石を渡して読めという。「井伊の魂。井伊は井戸端の拾い子が作った国。殿はよそ者に暖かかった。民に対して竜宮小僧のようにあれかしと、泥にまみれることを厭わず、恐れず、戦わずとも生きていける道を探る」と読む。南渓は「殿は小さな谷でそれをやった。そなたはそれを、この日の本を舞台にやるのじゃ。頼んだぞ」と言って、帰って行った。

〇万千代、北条との和睦交渉を完遂
評定の場に戻り、突然、万千代の声が響き渡る。「一生のお願いがあります。私に北条との和睦の使者を任せていただきたい」。
これに忠次が「若造をよこしたと怒らせては?」と反対する。「若造の前髪の、しかも潰れた家のような者が使者を務めるということは、去就を決めかねている国衆にどれほど安心させるか、徳川の下に入れば若造でも潰れた家の子でも悪いようにはされぬということ」と早速井伊の石を実行に移す。「甲斐・信濃・上野の三国のうち、甲斐・信濃をこちらのものにして、国衆たちに火種を残さない。できるか」と康政が問う。万千代が「できます。ご覧にいれます」。

万千代は早速六兵衛と直之を呼び、万福も交えて和睦の策を相談。国衆に「徳川に臣従を誓う」という起請文を北条に先回りして集めてしまうことにする。そこに方久が直虎の硯を持ってくる。万千代はこの硯で起請文を書き上げる。


帰路、「書状は家康の手に渡ったろうか」と南渓は月明かりを照らす道を歩きながら、「待っとれよ。おとわ」とつぶやく。

4人で国衆の屋敷を訪ねて賛同を集め交渉に臨み、みごとに交渉をまとめ上げ、徳川は三河遠江駿河・甲斐・信濃の五か国を領有。一気に大大名に駆け上がった。

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〇万千代の元服、名を改め直政に
これにより万千代はついに晴れの日を迎えることになった。家康が「井伊万千代、今日より直政を名乗るがよい。井伊の偏韓である直、小野の偏韓である政をとりその名とする」と言い、ほほ笑む。実はこの名は南渓からの書状に書き記されていたもの。
これに万千代「百尺羊頭に一歩進む。大死一番、絶後に再び蘇る。新しき井伊はこの方々から始まったと、井伊直政の名と行いを通じて、このことを伝えて行く所存にございます」と挨拶する。
家康からの褒美は「徳川家臣より、松下、木俣、川手、織田方より参じた蒲原、国衆より近藤、鈴木、菅沼、合わせて7家。さらに武田より新たに臣従した赤備組の武者たち」であった。
家康が「直虎殿はお家が潰れるあわれをなくすことを考えておられたそうじゃ。これは井伊を引き受けるにふさわしい役割と思わないか」とほほ笑む。
南渓は井戸端にいくつもの杯を並べ、最後にあの天目茶碗に酒を注ぐ。そして「新しき船出じゃ、皆様参りますぞ、いざ!」と話しかけるのでした。
こののちに、桔梗は木俣守勝に、高瀬は川手良則に嫁ぐことになる。そして直政は井伊の赤鬼になった。
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小牧・長久手の戦い。直政は赤備えの先頭を立ち「一番槍は大将がとる。続け!」と雄叫びを上げて先陣を切って敵陣に切り込んでいく。
直虎が守り続けた井伊家は260年にわたり、江戸幕府の屋台骨を支えることになった。勇ましい男名で、男たちと渡り合った、その女の名は井伊直虎であった。
                                ***おしまい***
記事 20171218
柴咲コウ「直虎」平均視聴率は歴代ワースト2位の12・8%