文久2(1862)年6月7日。久光一行は、およそ5百の兵を率いて、江戸薩摩藩邸に入った。これに老中たちは怯えるが、勧行院(若村麻由美)や嗣子(中村メイコ)は「攘夷に弾みがつく」と、勅使・大原重徳(木村元)の到着を歓迎するのでした。天璋院は、観行院らに、「幕府は幕府のやりかたを貫く」とはっきり知らせます。
幕府と大原勅使の折衝が開始される。幕府からは脇坂安宅(桜木健一)、板倉勝静(西田聖志郎)の両老中が出席し、大原には帯刀が付き添っている。大原が、「将軍上洛のこと、一橋慶喜(平岳大)を後見職として松平春嶽(矢島健一)を大老にすること」と勅命を伝えます。しかし、将軍後見職はすでに廃したと返事し、他についての交渉は進ます、紛糾するばかり。
進まない交渉に、久光(山口裕一郎)は大久保(原田泰道)に「お前も行け!どんな手を使ってもよい。わしがどれほどの覚悟で江戸に来たかを見せつけて来い」と指示する。
6月26日。この日の交渉でも、脇坂と板倉がのらりくらりと勅命をかわそうと、大久保が指示したとおりに、隣の襖のむこうで鯉口を切る音がする。恐れをなして、幕府は慶喜と春嶽の人事を認めます。大久保は「日本国のためにはやらねばならぬこと。天命です」という。帯刀(瑛太)はこのやりかたに、大久保のようにはなれないと苦悩する。
天璋院がこれを聞き、力ずくで勅命を押し付ける薩摩のやり方を見過ごせないと久光に会うことにします。老中に任せられないと自ら会うところがすごいですね!
一瞬、天璋院は動揺しますが気を取り戻し、「武力を持って幕府の政に口を出すとはいかなるつもりか」と厳しく追及すると勅命を盾に抗弁する。朝廷の威を借りる久光の姿勢に危機感を募らせる天璋院。「朝廷の言い分を聞けば、いずれ攘夷実行を持ち出される」と問うと、「それは無理かと存じます」という。「要するに朝廷に取り入るためか!」と問えば、「それは幕府も同じ」という。「わたしは、薩摩に誇りをもってきた。薩摩だけには間違った道を進んで欲しくなかった。大御台として幕府をも守り抜く、そちの指図は受けぬ!」と天璋院は、帯刀の良心に問いかけるような視線を送り、立ち去ります。
帯刀は、江戸を発つ前にと、春嶽を訪ね、勝海舟(北大路欣也)に会います。勝から、薩摩のやり方を「下の下」と言い、「上等な人間は、力で人は動かさない。心で動かすんです」と言われ、この言葉は帯刀の胸にいたく刺さる。
和宮が天璋院の部屋を訪れ、勅命により幕府を苦境に陥れたことを詫びます。「それはちがいます。此度は薩摩、故郷・薩摩が犯せしこと」と答えると、「私はふるさとを捨てることができません」という。「故郷を捨てられない」に心が動かされ、帯刀を城に招きます。
7年ぶりに会ったふたりは、昔に戻ったように囲碁をしながら語ります。帯刀は有馬(的場浩司)たちが命を犠牲にしてまでもめざした幕政改革を語ります。一刻も早くという焦りが武力でという間違った脅しとなったと訴えます。天璋院は「わたしはこの大奥で徳川を守ります。でも、あなたは私の故郷・薩摩を守ってください」と返します。
このような立場で会うことになったふたりでしたが、ふたりの信頼感は変わることがなく、お互いに流す涙に感動します。大河だからこそ、これまでのふたりの友情が思い出され、感動できるシーンでした。
ほどなく薩摩の一行は江戸を発ち、8月21日、神奈川宿近くの生麦村に差し掛かった。この時、馬に乗った4人のイギリス人が行列の傍を通りがかり、そのまま横切ろうとする。大名にとっては無礼な行為と、奈良原(武智健二)たち隊士は烈火のごとく怒り、斬りかかりイギリス一人が死亡、二人が負傷するという「生麦事件」が起こったのでした。
“西郷どん”第24回「地の果てにて」、久光の勅使随従に合わせています。
***第37話おわり***