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「フジコ・ヘミングの時間」(2018)

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1999年にNHKで放送されたドキュメント番組によって日本でも広く知られるようになったフジコさんの、初のドキュメンタリー映画です。
この番組を観た記憶はありますが、いまではうつろです。20年を経てのフジコさんの活躍を見てみたいというのが鑑賞理由。
 
企画・構成・撮影・編集・監督は小松壮一良さん。ナレーションは三浦透子さんです。大部がフジコさん自らの語りです。原稿とか、そういうものはないでしょう。
 
タイトルの「時間」は、小松さんがカメラを回し始めて、撮影を終えた2年間という意味ではないでしょうか。2年をかけて、世界中で演奏するフジコさんを撮影し、そこから見える彼女の素顔は何にかと問うています。
 
ご本人の承諾がよく得られたなと思われるものがあり、とても面白い。彼女の隠れたものを見せてもらえます。「この映画はありのままの姿を映しているので、私が死んでから発表して欲しい」というフジコさんのコメントに頷けます。()
 
冒頭で「人生とは時間をかけて私を愛する旅」というフジコさんの言葉から物語が始まります。
1年の大半を過ごすお気に入りのパリのアパルトマン、ここで奏でる「月の光」から始まり、世界を回る演奏ツアーを経て、亡くなった母や父・自分を育ててくれた恩師の思い出、聴力を失っても夢を捨てなかった記憶などを顧み、ラストで母から譲る受けた下北沢の家で、生前母がドイツから持ち帰ったピアノを調律し直して「ラ・カンパネラ」を弾き、自らのピアノ人生を語ることで終わります。
この曲(20171201東京オペラシテイで行われたソロコンサ-トで収録されたもの)を聞きながら、フジコさんの愛を確認する旅に感動します!
 
演奏シーン、散歩する街の風景が、フジコさんの生き方に馴染むかのように、美しく、温かく撮られています!
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パリ
恋い焦がれた憧れの地パリです。1887年のアパルトマンにはピアノと猫たち。そしてガラス製品や年季の入った布、ろうそく立て、ブローチなどが所狭しと並ぶ。裁縫や手芸が趣味で、ボタン、ビーズ、レースなど自らの洋服や髪飾りにつける。おしゃれでチャーミングな人です。
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どうしてこうなったか? 14歳の時に描いた絵日記が公開され、そこには母からバカバカと叱られるので「本当に自分はバカなんだ」と思って、そっと隠れておしゃれを楽しんだと書いてあります。()
 
そして猫ちゃんと一緒に住んでいます。猫がいるから、慰められ、今日があると言います。犬もいます。動物が大好きで、動物愛護のためのチャリテイを行っています。物乞いに出会えば必ず応じます。今日は教会でのチャリテー演奏会です。
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パリの街に出かけ、「パリの街は昔のままだからよい。フランスは怠け者だからヒトラーに壊されなかった。() 東京は年中壊して新しいものにしているので“昔が“東京にはない」と嘆きます。古い物、そこには人の魂があると、大切にします。「シトロエンのエンジン車を作らないのは惜しい」と嘆きます。犬を連れての散歩です。
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昔を大切にする。ドイツへの列車旅で「赤とんぼ」を口ずさみ、「懐かしい」と涙をながすほどの古風なひとです。一方で、訪ねてくるお友達にはゲイの夫婦もあるという進歩派です。(#^.^#)
 
夜になると、毎日4時間の練習を欠かしません。そして疲れて腕に湿布を貼り付け、10年前のものだといいます。()「いつまで弾けるのか不安」と漏らします。よくこの言葉を吐く。現役に拘り続けます。
 
幼少期、一日2時間の厳しいレッスンを毎日やらされたが小学校5年生のとき、ドイツから亡命してきたレオニード・クロイツアーに師事した。この時、バッハを弾いたら、授業料はとらないと褒められた。楽譜どおり弾く型にはめる教え方でなかったのがよかった。私は、歌うように弾く。楽譜にはないが歌っているように弾く。音に色を付けると明かします。
 
シカゴ、ニューヨーク、サンデイアゴブエノスアイレスの旅
どこの演奏会でも拍手喝采です。どの街でも散歩を楽しみます。夜は練習。自宅を持たないところでは、コンデイション作りに気を使っています。
 
ニューヨークは好きでないと言い、「海が美しい」とサンタモニカに別荘を持っています。ここには、動物たちがいてパリと同じように室内が飾ってあり、名を残すより物を残すのが好きだと言います。父上の影響かもしれませんね。
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ブエノスアイレス公演では、演奏後「こんなピアノで弾かされては、恰好悪い」と嘆きます。こんなことを率直に喋るんですね。() そして夜のバーで、今、恋していると明かします。寂しかったんですかね。
 
ベルリン
母・大月投網子の留学の地そして建築家ジェスタ・ゲオルギー・ヘミングと結ばれ、自分が生まれた地。戦前日本に帰り、30歳でベルリン高等音楽学校(現・ベルリン芸術大学)に留学し、バースタインの支援でウイーン・デビュー直前に左耳の聴覚を失うも夢を諦めず頑張った地。
 
留学時からつき合いのある知人宅の地下に自分の部屋を持ち、犬とともに過ごします。
部屋の中には、祖父母、父母の写真や思い出の品が飾ってあります。当時の生活が偲ばれるようになっていて、家族を思い出します母はベルリンの生活をよく話したと言い、母と父の激しい喧嘩をよく覚えていると言います。
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留学時の下宿家を訪ね、知人たちとの会話を楽しみます。ここは彼女の初恋の場所、お相手は同じ学校の音楽を志す人。「ため息」(リスト)を弾きながら、彼にプレゼントとして弾いた曲だと言います。彼女がこの曲を弾くときは、当時の気分で弾いているのでしょうか!
 
京都の家
京の町屋のようなところに選んだ古都の家。宮大工による古民家のリフォームです。
弟の俳優大月ウルフさん企画コンサートに出演。とても仲の良い姉弟です。ウルフさんが、「姉は母と喧嘩ばかりして、近所の人が入らないと止まらなかった」と話します。()
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先斗町を歩き、夏まつりを見る。パリの猫“ちょんちょん”が亡くなったと嘆く。「一番の幸せは子供が生まれて、子供のころ。しかし、教会に相談したところ、未婚ではもらい受けできないので猫にした。死ぬまで寄り添ってくれるからいい」と言います。
 
下北沢の家
踏切の風景が20年前と変わらない。建物が小さいのがいい。外人はこれに憧れているのだからと。
ここはかって劇団があった場所で、母が残した家。母はここでノクターンをよく弾き、ドイツ留学時代の思い出を語った。リストの家に泊めてもらい、風呂場に寝せてもらったのが自慢。私もそこに泊まったと言います。
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母がドイツから持ち帰ったというピアノを調律し直し、「ラ・カンパネラ」を弾いてみる。「芸術品としての食器はひびがあってよい。安いひびのない食器は惜しくない。(ピアノ演奏は)少し間違っても関係ない。ルービンシュタインでもバケツ一杯ほど間違った」()
 
フジコさんは「他の人の“ラ・カンパネラ”と比べて欲しい。誇りをもって演奏している。この曲は死にもの狂いで弾く曲。弾く人の精神と日々の行いが表れる。わかる人に分かる曲」と語り、弾き始めます。(#^.^#)  
 
「音には色がある、絵と同じ。建築も同じ。今、最高のことをやっていると思って弾いている。あと残り少ない人生で何曲弾けるか、おんぶされてでも弾きたい!手探りで歩いている感じ、やれるうちにやりたい」。
「母には年中会っている。ピアノの側にいる。雲を見るとお母さんはどうしているのかと思う。みんな生きていると思っている」。
「もし死んで天国に行くとき楽しいことばかりでは・・」と、センチメンタルジャーニーを弾き始める。お茶目ですね!
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喧嘩ばかりした母を、そして憎んだであろう父を、今ではもっとも愛する人として訪ねる旅。父母の芸術家としてのDNAがしっかりフジコさんに引き継がれ、明日に繋がっていく深い絆の物語に感動を覚えます。
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