慶応3年11月、大奥は厳しい冬を迎えておりました。しかし、天璋院(宮﨑あおい)の決意により、大奥はいったん落ち着きを取り戻していました。重野がこの事態について帯刀に聞いてみてはと勧めますが、友だからこそできぬと断ります。
帯刀が「慶喜公(平岳大)に辞官納地を求めてみては」と提案すると西郷は「求めに応じないときは、武力で慶喜を討つ」と主張する。さらに、大久保は「小松様には薩摩に留まって欲しい」という。この言葉に帯刀は打ちのめされます。
こうして、西郷たちは、戦になることを前提として、藩主・忠義(中川信吾)のもと、軍を率いて京に向かった。
京では、西郷と大久保が岩倉(片岡鶴太郎)と「徳川の世を終わらせるために、王政復古を天下に宣言する」と密議する。
慶応3(1867)年12月9日。御所内の小御所で、天皇の前に、大久保、島津忠義、松平春嶽(矢島健一)、山内容堂(今拓哉)らと各藩重臣、公家たちが一同に会し、王政復古が宣言された。しかし、慶喜の姿はそこになく、帝の命令を二条城で知ることになる。
慶喜は「徳川の領地は帝より授かりしものにあらず」と、岩倉と薩摩のはかりごとだと看破し、小競り合いを避けるためいったん大阪に引くことにする。
しかし、勝は「このままでは徳川のみが大きく政に障りがあるという者もいる」と歯切れが悪い。天璋院が「領地を差し出せば戦にはならぬのではないか。戦はならぬ!」と切り出します。
帯刀は「戦は避けられん。病を押してでも京に上りたい」と焦ると、お近さん(ともさかりえ)に「天璋院様を救いたいがためでは」と問われ、それを認める。お近さんの勧めで天璋院の生母・お幸さん(樋口可南子)に会い、薩摩に戻るよう手紙を書いてもらうことにします。
お幸さんは「あの子はもう、徳川の人間です。そして、私は島津の人間です。藩主様や久光様の許しがなければ、そのような勝手なことはできません。薩摩の女子には薩摩の女子の筋の通し方がある」と断ります。
帯刀は久光から手紙を書くことの許可を得て、再度、お幸さんを訪ねます。お幸さんは「ありがたく、ありがたく存じます」と涙に濡れた顔で、書状を押しいただくのでした。
年老いたお幸さん・樋口さんのセリフに母の気持ちが籠っていて涙です。この母に、娘ありです!
手紙を読むうちに、天璋院の胸が熱くなり、目が潤んでくる。懐かしい母の切なる願いがしたためられていました。
「母の思いはありがたいが、ここを離れるわけにはいかぬ」と返事すると「島津家家老・小松帯刀の厳命によりまいっております。小松様のみならず薩摩の者、皆の願いなのです」という。
天璋院は「徳川の人間として、この大奥を守る」と断ります。
重野(中嶋朋子)は滝山(稲森いずみ)に「天璋院はこれからますますつらい立場に置かれる。その前に、薩摩に帰してあげたい」と申し出ると「たとえ徳川家が戦いに負け、大奥が果てることになっても、それこそが女子の本懐である」と断る。が、重野は「この大奥からお出になってくださいませ。天璋院様には、もう十分に役割を果たされました。これからは私たちが大奥を守って参ります」と訴えます。
これに天璋院は、涙をこらえ、「いや帰らぬ!そなたたちこそが、私の家族であるからじゃ。何があろうと、最後までそなたたちと一緒じゃ」と応えるのでした。
おなじころ薩摩では、お幸さんが仏壇に手を合わせていました。天璋院が戻って来ないのは分かっている。わかっていても、母の心が文を書かせたのでした。お幸さんの頬に涙が伝わるのでした。
年も押し詰まった12月23日。江戸城の二の丸が炎上し、薩摩の者が火を放ったという噂が流れた。勝が「徳川方に喧嘩を売っているのでしょう。町のあちこちで、薩摩と名乗るやからが騒ぎを起こしていると聞き及びます。その卑劣な誘いに乗り、こちらから仕掛けては、薩摩に戦の口実を与えてしまうだけ」という。天璋院はこれに頷くのでした。
とうとう、江戸の薩摩藩邸が焼き討ちされる。徳川家の膝元で繰り返される薩摩の所業に、老中たちが辛抱できなくなったのでした。
徳川が天下を取って二百数十年。その存続を揺るがす闘いが始まろうとしていた。
薩摩では帯刀が「戦いが起これば人が死ぬ。そうせぬために必死に戦ってきたのに」と深い憂いのなかにいました。
第45話は、“西郷どん”第35回「戦の鬼」小御所会議の決裂に対応します。しっかり描かれていると思います! それでいて、天璋院に焦点が当てられ、創作エピソードもすばらしいです。“西郷どん”にはこれがない。(笑)
***第45話おわり***