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「ぼけますから、よろしくお願いします」(2018)

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認知症87歳の母と耳の遠くなった95歳の父の生活を3年にわたり描いたドキュメンタリー。
老々介護の実態を学ばせていただこうと観ることにしました。とても辛いシーンもあり介護の厳しさを目のあたりにしましたが、ポスターのご両親の笑顔のように、どこか微笑ましい、ユーモアさえ感じる作品でした。ご夫婦の絆、そして娘さん(監督)との絆に涙でした。
 
老々介護という極限状態だからこそ見えてくる、生きることの意義、人としての誇り、他者への深い愛情を見ることができました。
 
監督はドキュメンタリー制作に携わるテレビディレクターとして活躍されておられる信友直子さん。この作品は、2016年、2017年にTVで放送されものに追加取材し再編集したもの。
 
信友監督が何故この状態をカメラに収めたのかと疑問に思いましたが、お父様が大学に行き言語学者になりたかったという夢を戦争で断たれ、今の信友さんにその夢を重ね生きる糧にしていること。また、信友さんの乳ガン時のお母様の懸命の看病も、信友さんが仕事を投げ出すことなど望まない。
このことを胸に入れて作品を見る必要があります。それだけに、「記録に残すことが私の使命」と涙を流しながら撮っているのだなと泣けました。愛情あふれる作品になっていました。

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2014アルツハイマー症と認定された母親が、生活に大きな支障がでるが頑として拒否してきた他人の介護を、2017年元旦の挨拶で「ぼけますから、よろしくお願いします」と受け入れを宣言することで終わるドキュメントです。
 
娘さんが買ってきたお土産“アナゴ弁当“を美味しい、美味しいと食べ「100歳まで生きる」という仲睦ましいご夫婦。妻は買い物ではよく買い忘れ、でも魚をさばいて夕食を作り、「これが幸せ!」という母親でした。
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ところがリンゴを毎日買ってきて、テーブル上はリンゴで一杯。床を上げるのも忘れる。お父さんに聞くと「すぐ前のことを忘れる!」という。
娘さんが心配して病院で受診させると、MRI検査でアルツハイマー症と診断される。
 
数が数えられず夫に飲み量を決めてもらい治療薬を飲むのですが、飲んだかどうかを忘れる。(爆笑)
娘さんが心配すると、父が「お前は帰ったほうがいい」と言い、コーヒーを淹れ妻に「お互いに頑張ろう」といえば「どちらが欠けても寂しい」と笑う。
東京に帰るときは、必ずふたりが、どんなことがあっても、玄関で見送りをする。
 
2016年になり、母の症状が悪くなり、度々呉の実家に帰るようになります。この時母は87歳、父は95歳。この歳で夫が妻の介護をする日々が始まります。
 
娘さんが実家に戻ってみると、洗濯機のなかは洗濯物で一杯。母に手伝うというと「嫌だ!」と断り、洗濯物を取り出しその上に寝てしまう。夫はその側を通り抜けてトイレに入る? 実は、これは夫の特別な妻への配慮(愛)であることがのちに分かります。
こんな状態でも母は「洗い水は3回流がさにゃいけん?」と洗濯し、コンビニに弁当を買いに出かける。父は「ボチボチやれ!」と声を掛けます。妻は、妻としての役割をどんなことがあってもやり遂げようとします。
 
清潔好きの母は、台所をきれいに清掃します。実は、このことがヘルパーさんを受け入れられない理由になっていた。
 
母が娘に本音を語ります。「わからんのよ!どうしたんじゃろう」と泣く母。
娘さんが「何でも手伝う」というと、「わかった!」と言って立ち上がる母。母の意地に泣けます。
 
娘さんは両親の好きな“牡蠣ごはん“を作って食べさせると、ふたりが美味しい美味しいと喜びます。「料理が上手な母に褒められたが、悲しかった」という娘さんの言葉に涙でした。
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父の介護が始まっていた。二週間分だとゴミ出しをして、買い物にスーパーへ出かけますが、帰りは買い物の重さで何度も立ち止まり、「どっこいしょ、立たねば何事も始まらん」と歩き始める。
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部屋の掃除、そして「これも運命じゃ!」と妻のために料理を作ります。
 
娘さんが「仕事を辞めて帰ろうか?」と問うと、「わしが生きている限り帰らんでいい。お前は自分の道を進め!わしは100歳まで生きる」と泣いて娘を諫めます。お父さんは実に恰好良い。羨ましいです!
このお父さん、この歳で英字新聞を辞書片手に読み、新聞の切り抜きをして毎日を過ごしています。おそらくこの生活態度が呆けを防いでいると思います。
 
夜、フトンを敷き、夫が「寝るときに着替えろ!」といったことで、妻が「私は漏らしておらん!」と怒りだす。() 夫はガス、電気、施錠を確認。生活すべてが夫に託されます。
 
娘さんが介護保険に頼ろうと言い出すと、父は「男の美学」と断る。母は「来てくれたら、私がかたずけにゃいけんから嫌!」と断る。
 
しかし、朝になって、母が痙攣で起きられないという。娘さんが市に掛け合い、ケアマネがやって来る。
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話を聞いて「お父さんは働きすぎ」と母親のデイケアサービスを勧める。妻は「迷惑をかけるから」と断るが、夫は「ひとりで生きてひとりで死のうと思ったが、歳をとると迷惑をかける。それでいい」とサービスを受けるよう促す。
こうして、母はデイサービスに出かけ、友達もできて、明るさを取り戻します。父は大喜びでした。
 
主治医がやってきた。母が「ふたりだから生活できる。なのに、この人は私を大事にしない」と言い出す。(爆笑)
医者が父に「お母さんのいうことに反対しないように」と注意し、「認知症には喋ることが大切。声を出すことが大切」と教えます。お父さんは歌いながら家事をするようになりました。
 
そしてヘルパーさんも来るようになります。しかし、母はヘルパーさんに風呂や台所を触られるのがいやらしい。「私がいると邪魔なん!こんなんなら死んだほうがいい」と怒って横になる。父は知らんぷりで、新聞を富む。()
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母はヘルパーさんと一緒に風呂や台所の清掃を手伝うようになります。
 
晦日。呉では自衛艦の一斉汽笛で新年を祝うと言います。母は両手を上げてバンザイをして「今年もぼけますからよろしくお願いします」と宣言します。()
 
夫が驚いたことに妻のフトンの襟を取り付けようと裁縫を始めている。そして、これまでやったこともないリンゴの皮をむぐ。
 
ところが、デイサービスの迎えの車がやってきても母が起きない!お母さんの目に傷がついているが、本人に転んだ記憶がない。頭にも傷がある。父も気づかかない。
医者の勧めで、母は床をはい回るリハビリを始め、父が散歩に連れ出す。
 
そんなある日。母が「助けて!」と大声を出す。父は「何を助けるんか?」と大声で言い返す。母は大声で「助けて!」と叫ぶ。父はヘルパーさんに電話。やってきたヘルパーさんが「お父さんに庇ってもらいたいのよ」と父に促します。( ;∀;)
 
また、お母さんが起きてこない。「だんだんバカになって悲しい。すっと家族の面倒をみてきて、家族に迷惑をかけている」と泣き始める。次の日も起きてこない。
父は、風呂場で洗濯して、「このままで3時間経った。もう機嫌が治るころ」という。この間の取方が絶品です! 
 
母は「死ぬならいつでもいい。包丁もってきて、死ぬ!」というと、父が「なら死ね!」と言い合いになるが、そのうち母の癇癪も収まって、ふたりはテーブルでリンゴを食べている。( ^)o(^ )
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そして今、ふたりは散歩中。父は「わしを支えてくれ!」と母を追う。家に戻ると、母に料理しうどんを食べさせている。「美味しい」と笑うお母さん。( ;∀;)
 
老々介護は厳しいが、それだけに、そこには強い絆が生まれていますね!!
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              予告編