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宮﨑あおいさんを応援します

第24回「種まく人」

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東京大震災により、東京は壊滅状態に。治五郎(役所広司)が作った神宮外苑競技場は避難所として人々を受け入れ、そこに富江黒島結菜)ら女学生が傷ついた人々の救済に尽力する。四三(中村勘九郎)は心配する熊本のスヤ(綾瀬はるか)や幾江(大竹しのぶ)の元に僅かな時間帰省。援助物資として食糧を受け取るなか、神宮で復興運動会を開催し、スポーツで人々を元気づけるアイデアを思いつく。そして「復興節」の歌がはやり、孝蔵の落語が疲れ切った人びとに笑いをもたらす。
感想:
関東大震災から立ち上がろうとする話、町も自分の生活もめちゃめちゃになったが、人々が再び笑顔になれるようにと皆がお互いを思う心で立ち上がる姿が力強く描かれ、笑えて泣けました。
神宮競技場の避難所生活などリアルな再現映像が、まるでそこで生活しているようで、すばらしかった。どんだけみなさんが苦労したかが伺えるものでした。
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治五郎の将来のオリンピック会場の避難所としての提供、四三の物資運搬のために奔走する姿やオリンピック参加の経験を生かした運動会の企画、孝蔵の笑わせて元気づける落語などみんながそれぞれの立場で人のために走った。そして今でもこの光景が続いている。
 
特に四三が荷物を運びながら常にシマを探す姿。熊本の幾江の話す韋駄天という神様に話、そして大量の支援物資の提供。清さんが孝蔵に聞かせる「みんな大人だから昼は笑って、夜は泣く。気が済むまで泣いて、こっちには聞こえねえふりして、また明日に何喰わぬ顔でおはようって言うんだ。あんたにはそんな落語をやって欲しい」という話。泣けるいい話でした!
 
前段のラストという回、安仁子さんが子供たちを連れて運動会に駆けつける。どういう経緯でこうなったか、大河でなければ描けないこれまでの沢山のシーンが呼び起され、それぞれの人生が見えるというすばらしいドラマになっていました。
最後のオリンピック選手による徒競走。四三と弥彦が共に走る姿に、ストックホルムでの苦悩や友情を思い出し再び感動しましたが、ここにシマがいないことにどっと涙がでました。しかし、人見絹枝へのシマの手紙でシマの想いがしっかり次の時代に繋がっていました。そしてこれを知った増野の心もすこし軽くなったようですね!
ドラマの話ではなく、自分の家族の話になっていて、このような大河ドラマはこれまでなかった!
 
スポーツが人に元気を与え、落語が人に笑いを誘い人生の痛み癒し、このふたつが両輪となって、人々に新たな人生を、町の復興に繋がるという物語。ここにきてスポーツパートと落語パートがつながりました。これまでの視聴率の悪さは落語パートが原因で、これはいらないという意見が多かったが、ここで落語が生きてくるという、これは大きな伏線でした。クドカンさんでなければ描けないでしょう。
この作品もきっと何年か先には、このドラマの落語のような存在になり、大河のなかで絶対に欠かせないドラマだったと。( ^)o(^ )
 
後段は、第二次世界大戦へと進むなで東京オリンピック開催の夢を繋ぎ、日本が史上経験したことのない敗戦のなかから、関東大地震で学んだように立ち上がろうと企画した東京オリンピックの開催。どのようなドラマがどう描かれるのかと楽しみです。記憶に残る感動のドラマとなる予感ありです!
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浅草の街はった2日で消えた。体協は壊滅的な被害を受け、会長の岸(若松了)か事務所に居を移し、新指導体制で始動したばかり。体協跡地から「ストックホルムの写真が見つかった」と四三に話かけるが、四三は「シマちゃんが見つからん。俺のせいでこうなった」と泣くばかり。震災後のこの光景は凄い。しっかり描かれています!
「シマ、シマ」と連呼しながら探した。岸は「自分を責めたらいかん!」と声を掛けるが四三には届かない。
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関東大地震」で東京は壊滅的な打撃を受けた。震災による死者行方不明者は約11万人、全壊家屋は11万棟、火事で喪失したっもの21万棟にのぼっていた。
 
有楽町の東京市庁舎も罹災し、三か月前に就任したばかりの市長・永田秀次郎イッセー尾形)は野外に張ったテントを市長室にして震災対策に当たっていた。迅速な指揮でのちに震災市長と言われた。
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治五郎は永田に面会し、神宮外苑の競技場を避難所として提供すると申し出た。ここには建設資材も残っておりこれを使ってバラックを建設。4千人を収容した。また、競技場も避難民に開放された。作られた避難所、倒壊した家が見事に再現されている。美術部の活躍が凄い!
 
直ちに「外苑バラックが建設され、家を失った清さん(峯田和伸)と小梅(橋本愛)も入居した。小梅はここで「丸焼屋」という“すいとん屋”を開いた。一杯目は無料、二杯目は5銭だという。そこに増野(柄本佑)が“りく”を背負って訪ねて来て「頼む」と写真を渡す。四三は「家族が心配してるんじゃないの」という小梅の言葉で4年ぶりに熊本に帰った。
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 スヤや訪ねてきた金栗一家が大喜びする。これに嫉妬したか()義母・幾江が「東京が大変なときに何しに帰ってきた」と激しく問い詰める。幾江さんは偉い!!
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スヤが「たったひとりでバカのように東京中走って、周りの人に笑顔を振り向いてきたとでしょうが、お兄さん!」と四三を援護。これに兄・実次(中村獅童)が「幾江さんの言うのももっとも。スヤさんが言うのも分かる。その力を利用して人間が地震に勝つ、柔よく剛を制す。逆らわずに勝つじゃ!」と応じた。()
この言葉に促されるように四三は「思いあがっていた。何もせんでしょげ返っていた!何も考えずに走ればよい!」と。
早速東京に戻るという四三のために、幾江は若い衆に命じて支援物資の米や野菜を用意させ「これ持って行け!救援物資だ!韋駄天は何の神か?走って、食い物集めて、配って走った神様だ!」と発破をかけた。スヤも「一緒に・・」と言えば、幾江もしぶしぶ認めざるを得ない。()
 
播磨屋に戻ると山のように救援物資が届けられていた。どうやって送ったんですかね。四三はひ”や~”と水浴をして、スヤに髪を切ってもらい、野口(永山絢斗)らとともに救援物資を背負って東京中を駆け巡り、シマ(杉咲花))を探し続けた。
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富江たち女学生は避難所で瓦礫の撤去などに活躍し、スヤも炊き出しを手伝った。
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孝蔵は一杯ひっかけてくると出かけたが銭がない。寄席に立ち寄ると青空寄席をやっている。世席には娯楽に飢えた人々が詰めかけており、孝蔵の高座に上り「“おりん”ぴっくり噺」を始める。「うちのカカアは”これ”、余震で逃げ遅れないよう草履を履いて寝ている。昨夜の余震で寝てる俺を跨いで、子供と亭主なら亭主は他人と出て行った。家の中で一番偉いのは誰か役所で聞いてみろ、しかし役所ならもう焼けている」が大いに受ける。
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当時「カカアが亭主にいうには おまえさんしっかりしておくれ 今川焼さえ復興焼きと改名しているじゃないか お前さんもしかりして 亭主復興 エーゾ エーゾ」という復興節が大流行だった。() 亭主は役立たずだったんですね!!
そこに四三が救援物資を届けにやってきた。これを見た孝蔵「こういう時には亭主がしっかりせねばいかん!」とおちを付けた。()
 
その晩、清さんがバラックに孝蔵を呼び止め、酒を酌み交わしていた。どこからともなくすすり泣きの声が聞こえる。「みんな大人だから昼は笑って、夜は泣くの」と小春が言う。清さんが「気が済むまで泣いて、こっちには聞こえねえふりして、また明日に何喰わぬ顔でおはようって言うんだ。あんたにはそんな落語をやって欲しい。笑っても泣いても、いいじゃねえかってヤツを!」と孝蔵に話す。これぞ、クドカンさんの言いたいこと、いいですね!
 
四三は夜も荷を担ぎシマを探していた、闇のなかにトーチを持って走るシマの姿を見た。朝、荷物を届け増野に会うが何も言わず去っていった。
 
1か月後、治五郎は神宮競技場の控室に大日本体育協会(体協)の面々を集め、緊急理事会を開く。
そこで3つの提案をした。①来年開催されるパリオリンピックに日本選手を派遣すること②全国陸上競技会を開催し、これをオリンピック予選とすること。次に・・・。トクヨ(寺島しのぶ)が「時局を見てください。こんなこと出来ましか?」と噛みつく。() 野口が「我々にできるのはスポーツによる復興だけです!」と叫ぶ。野口の足元を見て「革靴に下駄姿でなにが復興か?」という岸に、治五郎は「こういう事業をやりたかった」と③が復興運動会で、四三の案のアイデアだと明かし、「みんな不安なんだ!子供たちの笑顔が、ここでは唯一の救いだ。あの子たちにオリンピックを見せてやりたい。それこそがスポーツによる復興」という。
理事会たちも賛同し、治五郎は外苑バラック自治会にも復興運動会に参加するよう提案した。
 
自治会長を務める清さんが「怪我で参加できない人が大勢いるし、動けないものを放ったらかしか!」と反対する。すると増野が「大々的にやってくれ!シマの耳に入ったらきっと駆けつける!」と言い、これに皆が賛同し、開催が決まった。
 
当日は、前夜からの雨が嘘のように晴れ、雲ひとつない運動日和となり治五郎は「スポーツは娯楽の王様」と気勢を挙げた。大勢の人が集まり、四三は子供たちを連れた大森安仁子(シャーロット・ケイト・フォックス)と再会した。オープンセットが凄いね! 浅草からスペシャルビッグバンドも駆けつけた。
 
安仁子は夫・兵蔵(竹野内豊)を看取ったあと、私財をなげうって新宿に児童福祉施設を作り、慈善活動を続けていた。
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運動会は、子供たちの駆けっこで幕を開け、家族対抗にお競技、老人競走など、競技数は40種にも及んだ。
球技も行われ、可児(杉本哲太)の指導のもとドッジボールを楽しみ、震災以来初めて老若男女がにぎやかに盛り上げた。綱引きが凄かった。トクヨのカツラが飛んだ!!()
 
バラックの一角で四三は思いがけない人、岡山高等女学校のテニスだった人見絹江(菅原小春)に声を掛けられる。
人見は「増野シマ先生からお手紙をいただき、走ることが嫌いではなかったので、岡山の競技会に出て走り幅跳び日本新記録を出しました」という。四三は増野を人見に紹介し、シマの手紙を読んでもらい、自分も読ませてもらった。
 
そこには、「私は走ることが大好き、風を切るのは気持ちがいい。最近教え子がようやく興味を持てくれます。女子の陸上が世界で認められていない。あなたの走る姿を世界に見せたい。あなたのような人が現れたら女子スポーツの未来が開かれる」と女子スポーツ普及への熱い想いが書かれていた。ここはなけますね! 
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絹江は四三の勧めで女子リレーのアンカーをつとめ、富江とデッドヒートを来る広げ、同時にゴールした。喝采が飛ぶ中、増野は観客席に笑顔のシマの姿を見た感じがした。
 
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最終種目がオリンピック選手による徒競走だ。四三や野口、三島弥彦生田斗真)らがスタートラインに並び、永井の号砲でスタートを切った。
孝蔵がけがや病気で運動会に参加できなかった人のための「復興寄席」の高座に登り「地震で一番怖いのは何か・・・」と喋り始めた。
先頭の四三と弥彦が同時にゴールしたが、四三はそのまま走り続ける。治五郎が「ストックホルムから12年間ずっと走り続けている。みんながそれで元気になる」と感慨を漏らすと、スヤが「違います。バカだから走っている。皆が笑っているだけ」という。() 
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四三が復興寄席を駆け抜けていく。「何が怖いたって、韋駄天が怖い!」と噺のおちをつけたところに四三が駆け抜けていく。みんなが大笑いし、その後を追った。その夜のバラックでは泣くものは居なかった。みんな疲れて寝たというばかばかしい噺でした。
記事 20190624
<いだてん>第24回「種まく人」視聴率7.8% 第1金栗四三が完結
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