安政5年(1858)7月21日、徳川慶福が江戸城に入り、名を家茂(松田翔太)と改める。天璋院(宮崎あおい)が直弼(中村梅雀)が認めずとも「上様亡きあとの、なによりも生きていくための希望じゃ」と家茂の力添えとなる覚悟を決めます。元気になったあおいさ…
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