
なぜ日昇丸をアバダンに送る決心をしたのかを焦点に主要なエピソードを終戦時を起点に現在と過去を行き来しながら、国岡鐡造という人物と国岡商店の全体像が逐次浮き彫りになるよう構成され、最期まで緊張感と感動で観ることができすばらしいです。
国岡鐵造の人柄特に先を読む企画力と部下を思う温かさ、なによりも部下と一緒に汗を流し泣く姿に感動します。だから彼のところに人が集まる。こんな人は今では少なくなっていますが、経営者はこうあって欲しい。
戦後60年、国内外に閉塞感の見られる現状にあって、何もかも全てを失い地獄の苦しみから立ち上がった物語は、今の我々に生きる術を教えてくれます。
この作品の特色は、ほとんどのシーンを駐車場で撮影したと言われるほどにCG、VFX技術で作り上げていることです。表現が難しいと思われる焼け野原の東京、当時の満州の風景、アバダン港へのタンカーの航行などがまるで生きた映像として観ることが出来、すばらしいものになっています。しかし、監督の思い入れか戦闘機や空戦をやたら描きたいようです。(笑)
もうひとつの特性は主人公国岡鐡造の20才から90才にわたる人生を岡田准一さん一人で描いたことです。
岡田さんのすばらしい演技の他に特にメイク技術が優れています。描く年代は60代が多いわけですが岡田さんは60才に見える、いや60才です。岡田さんはこれまでにない社長役を幅広い年代で演じ一段と大きな俳優さんになりましたね。
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物語は、1945年5月のB29による爆弾投下、飛び立つ2機の戦闘機(油がない)、火の海。焼夷弾で焼き尽くされる東京を、避難した丘の上から茫然と見つめる60才の国岡鐵造(岡田准一)とその家族のシーンから物語が始まる。

鐡造は従業員を集め「よう無事でいてくれた。まずは言いたい、愚痴を止めろ。大国民としての誇りを失うな。何を失っても日本人がいるかぎり再び立ち上がる。石油で負けたが再び日本が立つには石油が必要になる。一人も首にせん」と力強く訓示するが、どうやって社員を養うか方策が見つからない。石油配給統制会社(石統)社長烏川卓己(國村隼)に願い出ても、戦時中の国岡の商売に反感を持っており、石油を融通してくれない。帰宅し悔しさで机を叩きながら創業したころの苦しかった記憶「仕事を作る」を思い出す。
○1912年(大正元年)鐡造27才「海賊と言われる」
鐡造が機織り工場に油を売ろうとするが追い返される。「この業界は難しいから職を変えろ」と言われ「もうすぐオートモービルが必要な時代が来る」と喰い下がる。「ダメなのは袖の下に入れないからだ」と言われるが「士魂」が許さんと断る。行き詰まった鐡造は国岡商店創業の恩人本多章太郎(近藤正臣さん)を訪ねる。
「あれはあげたお金や。あんたの言う「士魂商才」という商売を見たいんや。あんたは高いところを見ている。3年が駄目なら5年、5年が駄目なら10年や。仕事がないなら作れ、それでも駄目ならふたりで乞食になろう」。


○1945年「仕事を作る」
元海軍大佐の藤本宗平(ピエール瀧)が「今の日本には娯楽が必要だ。ここを拠点にして米軍お下がりの中古ラジオを修理し販売したい」という話を持ってくる。

東雲ら4名の社員が復員してくる。彼らは「国岡商店」の看板を見て喜ぶ。鐡造は彼らの復員を喜ぶが仕事がない。旧海軍備蓄タンクの底に残った残油の回収が終われば石油の輸入を認めるというGHQからの知らせが石統に届く。

「下にあるのは石油だ。石油の仕事をしているんだ。戦争のように弾丸は飛んで来ん。店主の言ってること全部を飲み込んでやれ」と東雲が仲間を説得するシーンは泣けます。
1947年、GHQの通訳をしていた武知甲太郎(鈴木亮平)が國岡商店の社員にしてくれとやってくる。ここでGHQ情報として石油の輸入が解禁になるが取り扱い会社として国岡商店は、石統の烏川の企みで、メンバーから外されているという情報がもたらされます。
鐡造は武知を通してこの不条理をGHQに訴える。GHQの担当者はタンク底で働く国岡の社員を見て「美しいものを見た」と国岡商店を石油配給公団販売店に指定する。

○1919年満州。「メジャーとの確執」

列車の走行試験で唯一凍結しなかったのは国岡製品のみ。満鉄職員は「メジャーがすべての油の取引を止めると言うてる。彼らを怒らせたくない」と言いメジャーの一人は「いつか思い知らせてやる!!」と反感を示す。鐡造は「メジャーを倒すには時間がかかる」と感じながら大きな成果を持って門司に帰る。
しかし、ユキが「ずっと考えていたんですがこの結婚は失敗やと思います。子供を持ちたいと思いましたがそれも叶わず、お暇をください」と置手紙を残して実家に戻っている。「そげに思うちょったか」と悔やむ。このシーンは胸が痛みます。
○1941年12月太平洋戦争が勃発、「国内同業社からの反感を買う」
陸軍本部から「南方石油政策」について意見を求められ「戦争が終わったら居座らず日本人200人あとは現地人でやれる」という長谷部案が採用され、陸軍が商工省に「国岡にやらせる。お前らよくばるな!」と言うもんだから他業者から「あいつが指図した」と反感を買うことになる。
1942南方占領地区で民需用石油配給常務を開始し長谷部らを現地に派遣する。そして1945春業務報告にやってきた長谷部が軍用機で現地に帰る途中敵機の射撃で死亡。この死に鐡造は「あいつがおらんようになった」と慟哭する。長谷部の乗った輸送機が射撃されるシーン、これは不要でしょう。監督には拘りがあるようですが!(笑)
○1947、鐡造62才。「石油事業への復帰」
鐡造は店員を集め石油事業に戻れた喜びと抱負を訓示する。この訓示には泣かされます。「石油販売の仕事に戻る。タンクの底に潜った諸君、ラジオの修理で支えてくれた諸君、志半ばで戦いに散った諸君、皆がいなかったら潰れていただろう。まずはお礼を言いたい。29店舗で販売する。俺たちが直接輸入し販売できるその日が目の前まで来ている。持てる力を思う存分発揮できる」。
これを契機に米国メジャーより「国岡が怖いから提携したい」と提携話がくる。

「あんたの力を借りんでも取引先は幾らでもある。あんたなんかに頼らなくても・・」と話すと「あんたはどこかで会ったことがある」と相手。「満州で戦ったことがある。状況はあの時と変わっていない」と鐡造。
石統の烏川が「あんたは乱暴な男だ。バカだ。メジャーと戦って勝てると思うか。メジャーに捻り潰されるぞ!」と言うのに鐡造は「メジャーに支配されるのはどうあっても避けねばならん」と絶対に屈しに態度を生せると「国岡さん、あんた昔海賊と言われたんだってな!!」と投げかけてくる。「いっちょやったろか」と鐡造の胸に火がつく。
鐡造は「日本のサムライとメジャーが喧嘩、これで我が国は米大手に全滅」という新聞記事を見て「サムライはまだあきらめておらん。いい刀もってる」と微笑む。
○1951年、日承丸の進水。「アバダンへ」
国岡は石油運搬船を進水させる。「これが刀だ。どこにでも買い付けにいける」と鐡造。
しかし、メジャーは怒るどころか潰しに掛かってくる。彼らはあらゆる手を使ってくる。銀行が取引を中止したいと言う。経営は思わしくなくなり店員を自宅待機にする。柏木が「いまの財務で半年」と言い「それだけあれば店員たちの後も見つかるだろう」と鐡造。「畳んですか」と柏木。「あのときのような状態。あのころは若かった。いまはどこにもポンポン船がみつからん」と考えているうちに「次の取引で終了。これで国岡は終り」というところまで追い込まれ「うちが生きるにはメジャーに関係ないとこと取引すること。イランと取引する。油は安く買える、社運を賭ける」と日承丸をアバダンに送ることにする。

鉄造は日承丸の船長盛田辰郎(堤真一)に会い「次の航海でアバダンに行ってくれ」と伝えると「店主が行けばというならどこにでも出て行く」と承知する。日承丸の出港を、長谷部の死を思い出し、「船が帰って来んかったら俺は生きていようとは思わん」と送り出す。
船長は出港後船員にアバダンに向かうと告げ店主の指示を伝える。「メジャーの息のかかってない石油が来れば風穴が開けられる。イランの人々に幸せを与えられる。英国があらゆる手段を使うという戦場に向かうことになる。戦争の生き残りが集まった日承丸、ばんざい!」。
日承丸はペルシャ湾航海中に多くにイラン人の声援を受け、アバダン港では盛大な出迎えを受ける。このシーンはVFXで作られているがすばらしい出来です。


1981年鐡造96才、社歌を聞きながら門司の時代の夢の中で亡くなる。
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