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第49回「前夜」

牢人たちの勇み足が家康の敵愾心に火を着け始まった夏の陣。要害が間に合わず準備不足のなかで、牢人たちの結束を信じ大坂城を出ての闘い、又兵衛、重成を失ってなお政宗を挑発し決戦に臨む幸村にその生き様、美学を見る。兄信之の変わらぬ想いを胸に、自分を慕い続け、寄り添い、苦楽を共にしたきりに生きる想いを託し、最後の戦場に臨む姿に泣ける。戦闘の描き方は雑だったな。これなら、ナレーションでよかった。これが夏の陣?? 次は最終話、幸村の生き様を見届けたい。
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○信之の大坂行決定
・江戸の真田屋敷。信之は源二郎からの文を見せ「あいつは大御所と刺し違え死ぬ気だ。説き伏せてくる」と稲に大坂行を伝えると「どこにも書いてない」と反対するが夫の意志を変えることは出来ぬと「敵の大将に会うとなれば内通を疑われる。真田の家を潰すことになりかねない。道中は真田の者であることを隠すように。そして必ず帰ってくるように」と愛情のこもった言葉で送り出す。松は源二郎にと沢山の食物を持たせる()。そして“こう”は大願成就のお守と銭六文を渡し無事を祈りにこやかに送り出す。おふたりの姿はこれが最期でしょうか!
江戸城。大坂への出発にあたり秀忠が正信に「今が攻め時」と話しているところに江がやってきて「こんどこそ豊臣に一泡吹かせてください。千を危ない目に合せないでください。きっと勝てます」と励まし送り出す。
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大坂夏の陣における豊臣の作戦構想
大坂城では、秀頼、五人衆、治長ら豊臣の直臣と大蔵卿局が集まり軍議が開かれる。幸村は「まずは京を押さえ伏見を本陣とすること。そして徳川の足並みがそろわないうちに一気に攻め立て、あわよくば家康の首を取る」と作戦案を説明し「秀頼公には士気を高めるため、伏見城で采配を振るってもらいたい」と提案する。秀頼本人は了承するが、大蔵卿局は「総大将はみだりに動かぬもの。あくまでも敵を迎えるは大坂城」と秀頼の出陣に反対する。またまた大蔵卿がしゃしゃり出て、もううんざり、間違いなくこの人のせいで豊臣は負けた。()
幸村は「要害が間に合っていればそれも出来たが、今の状態でこの城に執着するのは愚策だ」と説く。「それを勝にもっていくのがそなたの務め」と大蔵卿。しばしの沈黙の後、又兵衛が口を開き勝永、重成と共に考えた策があると言い、重成が図面を広げ、勝永が作戦を説明する。
「敵の大軍は必ず広い南側から攻めてくる。これに対し我らは、天王寺に兵を進め、この一帯を固めて迎え撃つ」と。大蔵卿がすばらしいと声を上げる。
盛親と全登が図面をのぞき込み「東を衝かれたらどうする」と発言。幸村は平野川を示し「平野川の堤をあちこちで切っておこう。さすれば、この辺りは沼地同然。東からは城に近づくことができぬ」と指摘する。一同これで同意し策は決まる。
会議が終り、又兵衛から「前にも似たような策を言うたが、真田も策は尽きたか」と揶揄され、大蔵卿には「すべては秀頼公と茶々様をお守りすることが私の務め。牢人は大嫌い」と話しかけられるが幸村はうなずくのみ。幸村には牢人たちの結束、闘い方の一致こそが勝ちにつながると又兵衛らの案をすんなり受け入れる。
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京 二条城秀忠が「今度こそ大坂城を落としたい」と家康に進言するが家康は「落とせるか?正純、最後に大坂の秀頼に文を送れ。今すぐ牢人を追放し城を出れば兵を引く」と指示。「秀頼を亡き者にする以外この戦は終わらない。豊臣の血を断ち切る」と秀忠が激昂して言えば、家康は「恐ろしい男に育ったのう」と嘯く。
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・家康からの最後通告が大坂城に届く。一通り目を通したあと秀頼は「牢人をつれて行くなと言うている。これで徳川とは手切れにする」とゆっくりと書状を破る。
 
・家康は「天下一と言われた大坂城もこれを持って終わりだ」と正純にもらす。
 
・山城と河内の国境近くの真田信吉が陣に信之が現れる。信之が「源次郎と話がしたい。会う手だてはないか」と問うと、茂誠が「大御所からもう一度幸村に考えを改めさせるよう命じられた信尹殿が、もうすぐ到着する」と伝える。信之にとってこれ以上ない好都合と喜ぶ。
 
○「大坂夏の陣」の幕が開く
429日、「私は大名になる」という団右衛門と大野治房勢が徳川方の浅野勢と衝突、「大坂夏の陣」が始まる。なんとこの戦「樫井の闘い」は、あっという間に団右衛門の死で決着する。団右衛門が先陣としてカッコよく木札を持って攻め込んで終り。()
大坂城内に彼の遺体が運び込まれ、全澄が祈っているところに茶々が現れ「いずれは皆もこの男の横に並ぶのですか」と言い、きりが「いい加減にしてください、お上さまにうろうろされると士気がさがります」と茶々を止める。
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○道明寺、八尾・若江の闘い
この戦で浅野勢を追い払うことになり天王寺よりさらに南に出て戦うことが可能となる。そこで、大坂城の幸村は厨に五人衆と重成を集め、これからの作戦について協議する
家康の本陣は、前回のように奈良大和路を通って河内へ入るとみてまずは河内へ入る前の道明寺で食い止め打撃する。このため又兵衛と全登の隊が阻止し、幸村と勝永は後詰めで打撃を準備すると決まる。又兵衛は幸村に「出来るだけゆっくり来てくれ、それまでに片付けておく」と自信を示す。
秀忠の軍勢は、東高野街道を進んでくると思われ、盛親八尾・若江を抑え敵をくい止める。木村重成がこれを支える(これは不明瞭)と決まる。51日、又兵衛と全登は大坂城を出て平野まで兵を進める。
 
・正信の又兵衛調略
豊臣勢のこの動きを見て家康は「道明寺というのは?後藤がそこに入った。わたしが大和路を進むと踏んだようだ。わしは秀忠と一緒に東高野街道を」と秀忠に経路の変更を告げる。大和路が伊達に任せることになる。
正信は「後藤が気になる。いまのうちにつぶしましょう」と僧侶楊西堂を使者に立て又兵衛の陣へ向かわせ播磨35万石を条件にこちらに寝返るよう持ち掛けが又兵衛は「徳川がわしを召し抱える、ふざけるな」とこれを一蹴する。
それではと正信は又兵衛が徳川の使者に合った事実を敵に広め、調略に乗ったという噂を流す。
正信は「これで又兵衛は噂を消すのに必死になり、武功を焦るだろう。大将が焦れば陣も乱れ、又兵衛も一巻の終わり」と嘯く。正信の見事な手口に家康も唖然とする。
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・信之が同席し信尹による幸村調略、
信之が信尹を訪ねると、なんと長野長康に会う。「兵糧は徳川に全部取り上げられた」と言って逃げる。() 信之はここで室賀久太夫の取り調べを受け「通すわけにはいかぬ。わが父、室賀正武は真田安房守の罠にはまり…」と申し立てるが、「黙れ、小童!」と一蹴する。久太夫は「すいません」と漏らし、目を見開くだけだった。()
信尹の隣には信之の姿を見て一瞬わが目を疑う幸村。信伊は「大御所様はどうしてもお前が欲しいようだ。大阪城の堀がなくなったのでは勝てぬ」として調略に入る。「兄が終生望んでいた信濃一国の国主になれる」ことを約束するが、幸村はその条件を即座に断る。信之はその様子を見て「源二郎は死ぬつもりだ。しかも大御所様を道連れに」と言い「徳川に刃向かいたいなら刃向かえ、ひれ伏しなくないならひれ伏すな。しかし、死んではならぬ」と声を荒げる。幸村は「捕まれと申されますか」と返す。「そうじゃ。俺は今度もまた、必ずお前を助けてみせる。それが俺の使命だからだ。あのときお前と父上と三人で誓った。またいつか晴れて酒を酌み交わそうと、もう父上はいない。わしはまだその約束を果たすつもりでいる。それを言いに来た」。幸村は「ではここで酒を」と促すと信之は立ち上がり去ろうとする。「兄上と酒を酌み交わしとうございます」と再考を促すが信之は涙を幸村には見せず「今生の別れではない!」と振り返ることなくその場を後にする。信伊は「生きたいように生きればいい」と言い去る。これまでどおり兄として弟に対する気持ちの変わらぬことを伝え餞としたことに泣ける。
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・このころ家康は上杉景勝と酒を交わしながら、この度の戦を語る。「北条の隠居も真田安房守も死んでしまった、後は我らだけ。生き残ったら今のわしがあるのは太閤殿下の御蔭だ。しかしわしは豊臣を滅ぼす。秀頼がいては徳川のためにならんのだ。そのための戦と思うてくれ」と家康。これに景勝は「心にやましさがあるからではないですか。この戦に大儀がないことが気になるからではないですか。前の戦で真田源二郎の姿を見た、わしがそうありたいと思うていた人生を生きている」と応じると「親子二代でわしに立てついて苦しめる」と家康。幸村の生き方、景勝に言わせちゃったか。
 
・又兵衛の戦死
55日深夜徳川軍はふたてに別れ河内平野を目指す。平野の又兵衛の陣では酒を酌み交わしながら明日の戦での健闘を祝している。そこに幸村が「よからぬ噂を耳にした」と又兵衛を訪ねている。「俺が寝返るわけがない」と又兵衛、「大蔵のババとか本気にしている」と勝永。「播磨35万石だとさ」と又兵衛、幸村が「信濃40万石で誘われた」と言うから勝永は「俺になんで声が掛からんのだ」と大いに気にする。()
そこで幸村は「悪い噂を立てられたからといって捨てばちにはならぬこと。手柄を焦ることもない。戦は、心が乱れたほうが負けだ」と戒める。
 
重成が「いよいよですね」と挨拶にやってくる。「後藤様にはいろいろ学ばせていただきました。お会いできて光栄でした」と言えば「二度とそういうことは言うな!戦でそんな話をするとどちらかが死ぬということになる。お前いい匂いがするな」「万一首を獲られた場合にと香を兜に滝占めた」と重成。なんかいやな感じですね。
 
伊達政宗が率いる35千の軍勢が。道明寺付近で後藤又兵衛らが守る道明寺に向かっている。そして家康率いる本体13万が木村重成らが守る若江・八尾方面に迫る。
イメージ 6夜明け。道明寺では又兵衛が、幸村らを待たず、槍を持って飛び出す。先制攻撃ではあったが、伊達政宗主力の徳川軍の猛攻撃に合う。多勢に無勢、勇敢に戦ったものの又兵衛は壮絶な最期を遂げる(なんかこれでは無駄死だ!)。又兵衛の死は治長により秀頼に告げられ、秀頼は呆然とする。
誉田の幸村の陣に全登と勝永が駆け込み又兵衛の戦を知らせ「あれほど、功を焦るなと言うたのに」と悔しがる勝永。形見の兜をじっと見つめる幸村、又兵衛の死は事後の戦闘にあまりにも大きな痛手である。幸村は大和路で徳川軍を率いているのは伊達政宗であることを知る。
 
・重成の戦死イメージ 7
一方、若江・八尾方面で敵と激突した木村重成の部隊は正面の兵があまりにも多いことに驚く。が、又兵衛の戦死を知らない重成は「ここを簡単に通せば又兵衛たちの逃げ場がなくなる」と命を懸けて挑む。重成はよく奮闘するが槍で倒される。この戦を見た長曾我部は勝ち目はないと「これまで、各々生き延びよ。付いてくるな!」と後退し始める。これはひどい戦闘指揮だな!本当なのかな!!
・真田の陣では「まんまと裏を掛かれたな、主力がそっちからくるとは」と勝永が悔しがる。幸村が「われらの策が、敵に筒抜けのようだ。敵はこちらの策の裏をかいている」と言えば「五人衆のなかに」と勝永が全登に刀を抜こうとする。幸村は間者が厨の長老・大角与左衛門と気付く。
 
・道明寺からの撤退
伊達政宗は道明寺を崩した後すぐに誉田に進撃、幸村・勝永らに襲い掛る。真田軍・毛利軍は徳川勢と激闘を繰り広げた後、大坂城へと退却を始める。難しいしんがりは真田軍が見事に務め、幸村がその最後尾を務める。
イメージ 8無事に退却したのを確認した幸村は、後ろを振り返り、遠くにいる政宗に向け叫ぶ「これでしまいか!徳川兵に真の武士は一人もおらぬのか!」。そして悠々と去って行く。政宗は「もうよい、弾は尽きた」と敵ながらあっぱれと幸村の背中を見送る。
 
天王寺決戦への幸村の決意
大坂城に引き上げた幸村、負傷兵に「よう戦った」と励まし、きりの案内で九度山から来た兵に会う。この惨状に、幸村は馬上筒を手にして事後策を考え家族に今後のそれぞれの道を示す。先ずは佐助を呼び伊達に「春、梅、大八の処遇を依頼する文」を持たせる。
家族を集め、イメージ 9
春には、梅と大八を連れて伊達政宗を頼るように話す。そのころ、政宗は佐助から渡された書状を受け取り、春たちの保護の約束を得る。
大助と内記は大坂城に残すことにする。そして作兵衛も春たちを政宗の元に送り届けたら、城に戻って一緒に戦うことにする。
きりには「お前には大事な仕事がある。残ってくれないか」と指示する。皆に「決して永久の別れでない。しばしの辛抱」と励ます。
春は「私は大谷刑部の娘です。ご武運を」と言葉を残し伊達の陣に。政宗は「心配はいらん。わしの一命に賭けて預かった。」とずんだ餅を食わせ春親子の身を引き受けるという粋な計らい。
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・幸村はきりを呼び「私は明日、城を出て家康に決戦を挑むことにした。お前はいざとなったら千姫様をお連れしてここを抜け出し秀忠の陣へ行け」と話すが「そのあとは沼田に帰るがよい」にきりはこれを断る。「ここに戻って来て、最後まで茶々と一緒にいる」という。「源次郎様のいない世にいても、つまらないから」と。これを聞いた幸村はきりを強く抱き締める。「ちょっと何するんですか。遅い、せめて10年前に」というきりの口を幸信は自分の口でふさぐ。きりはこの状態で「あのころが私一番きれいだったのですから」とそして幸村の胸に。ここで「内記の娘にはいろいろな噂があるが、確かなのはもっとも長く信繁の元にいたのはきりであるということ」とナレーション。これは不要? 三谷さんによれば気に入ってるナレーションとのこと。
これが最期になるかもしれないという今、幼い頃から自分を慕い続け、寄り添い、苦楽を共にしてくれきりの思い出が一気に噴き出してくる。きりは女性のなかで一番心の通じた女性、結婚はしなかったが、生きる想いを彼女に託して戦場に立つ幸村に温かいものを感じる。幸村になくてはならぬ人“きり”、長澤まさみさんでよかった!!
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記事1 20161212
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