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「ザ・スクエア 思いやりの聖域」(2017)思いやりとはほど遠い行動に、自分を見る思いで身につまらされた。

 

リューベン・オストルンド監督最新作「逆転のトライアングル」が3月に公開されるということで、前作をDVD鑑賞です。

現代美術館のキュレーターが発表した展示作品「ザ・スクエア」が、世間に思わぬ反響を生み、とんでもない大騒動へと発展していく皮肉な運命の悲喜劇。

監督・脚本:リューベン・オストルンドスウェーデン)、撮影:フレデリック・ウェンツェル、美術:ヨセフィン・オースバリ、衣装:ソフィー・クルネゴート、編集:リューベン・オストルンド ヤコプ・セカー・シュールシンガー。

出演者:主演はクレス・バング、共演にエリザベス・モス、ドミニク・ウエスト、テリー・ノタリー、クストファー・レス。

第70回カンヌ映画祭パルムドール受賞作品ということで、現代美術などあまり縁のない自分にはかなりハードルが高かったです。(笑)


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あらすじ&感想

冒頭、現代美術館のキュレーター・クリスティアン(クレス・バング)が、「ザ・スクエア」という地面に正方形を書いた作品を展示するにあたって、インタビューを受けるシーンから始まる。インタビュアーは記者のアン(エリザベス・モス)。何を論じているのか、インタビューが高尚すぎてよくわからなかった。(笑)、

コンセプトは「すべての人が平等の権利を持ち、公平に扱われる」という「思いやりの聖域」をテーマにした参加型アートで、現代社会に蔓延するエゴイズムや貧富の格差に一石を投じる狙いがあるというもの。この高邁な正義を掲げる彼が、現実の生活のなかでいかなる行動をとるかが問われる。

朝の出勤時、道路沿いにたくさんの“物乞い”が並び街頭では「救いの手を」とチラシを配るが誰も見向きもしない。自分には関係ない、誰かがやると思っている。

クリスティアンは、女性の「助けて!」に彼女を助けようとしてスマホ、サイフ、カフスボタンが盗まれた。盗まれた物を取り戻すため、スマホGPSから犯人は移民者専用アパートに住んでいると “全戸”に脅迫めいたビラを配って犯人をあぶり出すことにした。盗人は移民という偏見・差別。どこに思いやりがある!

ところが、盗まれたものはすべて手元に戻った。お金には一切手が付けられていなかった。クリスティアンはこの金でクラブ「王宮」で遊び、酔っぱらった勢いで「あんたとは寝ない」と言いながら、アンの部屋に押しかけ関係を結んだ。こんなことに使う金なら、移民者のために寄付しなさい!

 濡れ場は北欧らしくたっぷり見せてくる。アンが激しく絡む。翌日、アンが彼の本心を確認にくると、思わせぶりな恰好つけた返事をする。遂に切れたアンから「あなたは自分の地位を使って女を征服する男よ」と辱められた。「高邁な男がこまい男」になっている。(笑)「公務員の傲慢さ」「酒のせいにするな!」

ある少年が「脅迫めいたビラで自分が盗みをしたと叱られた」と、謝罪を要求してきた。部下に任せて対応していたが、自宅にまで押しかけられ、耐えられず突き飛ばしてしまった。しかし、少年の「助けて!」の声に苛まれ、紛失した少年の住所メモを、ごみ集積場のなかまで探すが、見つからず、そのままにしておいた。

クリスティアンバツイチ、二人の娘がいる。喧嘩する娘たちを仲直りさせることはできない。そこでふたりを美術館に連れてきて「携帯をスクエアのなかに置いておけ!帰るまで預かる」と罰を与え、作品のもつ「信頼心」を鑑賞体験させた。

現代美術愛好家を招いてディナー会を開催。美術館の展示写真モデルのモンキーマン(テリー・ノタリー)に猿のモノマネを余興で演じさせると、招待客は当初は笑ってみているが、彼の行動が過激化してくると自分のところには来ないでと鎮座し、女性の髪を掴み乱暴を振舞っても、誰か助けるだろうと見ている。

しかし、女性がレイプされかけた時、初めて人々は事態の重大さに気づき行動する。誰かが勇敢に飛び込むと、多くの男たちが援護に加わり、暴力で復讐する。集団のなかにおける個人の行動原理は「見て見ぬふり」「皆でやれば怖くない」だ

しかし、この企画が理解できない。モンキーマンをモデルに写真展示したコンセプトは何か。モンキーマンに猿を演じさせることが、彼にとっては、悪意にとられるとわからなかった。

ザ・スクエア」の広報についてスタッフで論議が交わされるが、なかなかよい案が見つからない。そこでやり手のPR会社に任せることにした。彼らは、youtubeで動画を見せるのが効果的と、スクエアの中で物乞いをする移民少女が爆薬で吹っ飛ばされる映像を流した。動画はあっと言う間に炎上いた。スクエアのコンセプトとは真逆だと大問題になり、記者会見の場で糾弾され、クリスティアンは「担当者に任せていた」と釈明するが、辞職へと追い込まれた。他人任せの「責任逃れ」だった。

クリスティアンは、キュレーターの地位を失った。娘が仲間に支えられる姿を見て、「謝りたい」と少年の移民者専用アパートを訪ねたが、すでに移転していた。クリスティアンは少年のことを悔い、ここから”思いやり”の第1歩が始まった。スクエアなんぞ作る必要はない!先ずは自らの身を糺すことから始めねばならない。(笑)

感想

移民問題で苦しむスウエーデン社会の問題をあぶり出す形で、現代社会に生きる人々が抱える格差や差別に対する正義とそれで生きていくことの難しさ、理想(建前)と現実(本音)の落差が皮肉たっぷりに描かれ笑えます。

主人公の理想とはほど遠い大矛盾行動に、そこに立っている自分を見ることになり、結構、身につまらされる話でした。

 高邁なことを言う人にはこういう輩が多い!というのが私の体験です(笑)

しかし、これが映画になるとは思わなかった。それもパルムドール受賞作品とは。“現代美術となど理解できない私の観かたが間違っている。(笑)

 福祉国家だと聞かされていたスウエーデンに、そこら中に「物乞い人」が溢れていることに驚きです。

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