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「アルジェの戦い」(1966)これほどにリアルな戦争映画が作れるとは!民衆に銃を向けた軍の末路は!

 

20世紀を代表する戦争映画。アルジェリア独立戦争を描いたデジタルリマスター&オリジナル言語版の鑑賞

1954年から62年にかけてフランス領アルジェリアで起こった、フランス軍とフランスからの独立を求める抵抗組織・アルジェリア民族解放戦線FLN)の攻防を描いたもの。

66年のベネチア国際映画祭で金獅子賞受賞という高い評価を得た作品。

最近のISの活動、ハマスイスラエルの戦をみるとき、この作品のキャッチコピー「目をひらけ、耳をかたむけろ」に胸に痛む

監督:ジッロ・ポンテコルボ脚本:ジッロ・ポンテコルボ フランコ・ソリナス撮影:マルチェロ・ガッティ、美術:セルジオ・カネバリ、編集:マリオ・セランドレイ マリオ・モッラ音楽:エンニオ・モリコーネ ジッロ・ポンテコルボ。

出演者:ブラヒム・ハギアグ、ジャン・マルタン、ヤセフ・サーディ、トマソ・ネリ、ファウジア・エル・カデル、ミシェル・ケルバシュ、モハメッド・ベン・カッセン、他。

アルジェリア市民8万人が撮影に協力し、主要キャストには実戦経験者を含む一般人も多数参加。戦車、武器類はアルジェリア軍より調達されたという。

物語は、

50年代初頭のフランス統治下のアルジェリア。カスバのチンピラだったアリはカデルが指揮する地下組織の独立運動に身を投じる。54年から本格化した反政府闘争は各種のテロを通じて一般市民をも巻き込んでいき、事態を憂慮したフランス政府は57年に対テロ組織専門のマチュー将軍を派遣、徹底した抗ゲリラ作戦が展開された。組織の指導者となっていたアリも次第に追い詰められていく・・・。


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あらすじ&感想

1957、「ついに白状したか」とフランス兵士にコーヒーを勧められる革命分子の男。彼の案内で、フランス軍FLN幹部のひとりカスバの住宅区に潜むアリ・ラ・ポワント(ブラヒム・ハギアグ)のアジトを襲撃しFLNの抵抗活動が終焉を迎えるところから翻って、FNLとフランスの抗争経過が描かれる

1954年、FLNの声明第1号の発令。

アルジェに自由を、FLNとともに闘おう!」というもの。カスバのヨーロッパ人地区の街頭でアリは「エースが出れば・・」と違法の賭けトランプしていて、警察に追われて逃げる際にフランス人の子供に足を掛けられ、この子を殴りつけたことで刑務所送りとなった

アリはアラブ系で無職、ボクサーで兵役拒否、幾つかの犯罪歴を持つ青年だった。彼は、刑務所でアルジェの独立を要求する男がギロチンで公開処刑される現場に立ち会い、これが彼のFLN参加への大きな動機になった。

その5ヶ月後

刑務所を出所したアリは、ある少年から「警官のスパイであるムハビルを消せ!」というメモが渡された。

指示通り街中で若い女から拳銃を受け取り、ムハビリを撃つが弾が入ってない。そこに拳銃を渡した女が現れ、FLN幹部ジャファー(ヤセフ・サーディ)会った。彼は「警察のスパイかどうかを試したが君は安全だ」と言い「先ずは組織固めだ。余計なやつは排除する」と当面の活動目標を示した。

1956年4月、FLN声明第2号の発令。

独立への第一歩、本日をもって売春、麻薬を禁止する」というもの。子供たちを使って街を徘徊する中毒患者を排斥、クラブやバーを捜索し薬売買の禁止を命じる。アリは麻薬を扱っている友人ハッサンの処刑を命じられ、軽機で射殺した。街の浄化に乗りだし市民の関心を惹きつける

1956年6月10日、公開結婚式の実施。

民衆の「堂々と結婚する日はくる」をアピールするため実施。簡素な式だが、周辺のビルから大勢のアルジェリア人たちが彼らの結婚を祝った。

1956年6月20日~、標的を警察にした活動

警察官の拳銃奪取、警察ポストの襲撃、警察との銃撃戦など襲撃事件の多発で警察はカスパへの出入りを鉄条網で封鎖し、街での検問を強化していく。

現地警察本部はパリに支援を要請するが、現地で警察官を増員して対処することになり、アルジェリア総統1号により捜査検挙に乗りだした。しかし、FLNはベールで被われたアラブ女性の服装を利用して武器を運び、市内のごみ箱、屋台等を利用して街全体を武器庫化し、いたるところで警官を無差別に襲撃する事件が奮発するようになった

1956年7月20日~警察との抗争激化。

FLNによる警官射殺事件に対抗するため、夜間、警察は住居区に爆薬を仕掛け大掛かりなビル爆破による報復作戦を実行した。多くの死傷者が出て、早朝から付近の住民による救出活動が始まる。アリは「人殺しを許すな」と抗議デモの先頭に立った。しかし、ジャファーからデモの中止を指示され、なんとか民衆を押しとどめる。

警察に対抗するため、3人の女性を利用してレストランやバー、空港で同時多数の爆弾テロを実行。このようにして暴力には暴力で対応とその手段は拡大していった。

1957年1月10日、フランス第10空挺師団が投入された。

 フランスはアルジェリアの官憲力では対応できないとフランス第10空挺師団が民衆に迎えられるという形で投入した。

指揮官はマチュー中佐(ジャン・マルタン。彼は、ノルマンディー作戦や反ナチのレジスタンス、インドシナ戦争に参加した経験豊かな軍人だった。彼は「一般市民のなかに身を潜めて活動するテロ組織を徹底的につぶす」と宣言。FLNを構成する三角形指揮組織の頂点にいる人物をすべて捉えるとして、カスパの全市民を尋問逮捕するよう指示した。

そのために「逮捕しうる状況を合法的に作れ」と指示した。ここで目をつけたのが、アリジェリア問題が国連総会に審議されるのを機に、その期間中はあらゆる戦闘を禁じ全世界へアピールするためにFLNが行う“8日間のゼネスト”を使った。違法ストとして指導者を逮捕するもの。この作戦をシャンペン作戦と名付けた。

1957年1月28日~民衆の行動作戦への移行。

この時期、アリたちFLN幹部は密室に潜み身を隠して活動。FLN幹部ベン・ムヒディら幹部が集合し今後の活動方針を検討した。

アリは「今回のデモは成功する。しかし、今後デモに参加したものは全員敵とみなされる、他のやり方を考えなければ」と発言。これにムヒディは「これからは難しくなる。戦争も革命も同じだ、テロが有効なのは最初だけ。勝利を決めるのは民衆の行動だ」と主張した。民衆を使った作戦への移行を示唆した。

静かな時が流れる中で、突然軍が行動を起こし「ストで仕事を休んだ」と無差別に住民を逮捕・連行して尋問する。FLNの組織が暴かれる事態に陥った。

スト6日目、軍がスト参加者に「FLNが君たちの職を禁じ、これが貧困を起こしている」と放送中に、ひとりの男がこのマイクを奪い「FLNとともに闘う!」と放送するやデモ参加者のなかにこれに応じる大きなうねりが起こった

1957年2月5日、スト最終日国連審議が「平和的な解決を望む」声明で終了

フランス軍はこれを合図にこれまでの捜査にもとづき一斉に住民逮捕に動く。

これを正当化するかのように、軍楽隊が街中をパレードして平和なムードを作り出し、兵士が街頭でパンをサービスする。軍本部では、マチュー中佐が「24時間体制でカスパを監視せよ」と命じた。

逮捕の焦点は指導幹部のジャファー、シ・ムラド、ラメル、ムヒディ、アリの5人に絞られる

 徹底した家庭への尋問が開始され、彼らは密室で過ごすようになり全く動けない。軍は「4人を逮捕した」と偽情報を流し、平静を装って家庭捜査を進めた。この状況に、アリたちは隠れ家の移動と組織の再編について話し合った。話し合いが終わり、白頭巾で変装をしたアリとジャファーは帰路につくが、途中フランス軍に見つかり追い詰められる。知人の家の井戸の中に匿われ逮捕を逃れた。

1957年2月25日、大勢の客で賑わう競馬場で大規模な爆破テロが発生。

 1957年3月4日、ムヒディが逮捕され記者会見が行われ、その後自死

会見では「子供に爆弾を運ばせるのは非情ではないか」「FLNに勝利はあるのか」の質問にムヒディは「むしろ解放は高まっている」と発言したが、後日、監房内で自ら命を絶った。

彼の自殺を受け、記者団は「フランス軍による凄惨な拷問が原因ではないか?」とマチュー中佐に迫るが「報道官に聞け、ムヒディは危険人物。これは合法的な拷問だ。フランスがここに留まる限り我々のやり方を認めるべきだ」で発言。実際は、宙吊り、電気ショック、トーチランプによる責めなどの拷問が行われていた。

1957年8月26日、FLN幹部のラメルとシ・ムラドの爆死。

FLN幹部のラメルとシ・ムラドがフランス軍によって包囲された。ふたりは「正規の裁判を受けること」と「武器を放棄する」の交換条件で降伏することにして、武器(爆薬に時限セット)を差し出すなかで爆破により亡くなくなった。

1957年9月24日、ジャファーの投降。

マチュー中佐たちがジャファーの住宅を包囲した。彼は銃撃戦で応じたが、家族を人質にとられ、投降した。中佐は「残るはアリだけ」と息巻く

アリは、最後の抵抗として新たなテロ計画を検討しいてたそこに、冒頭で出て来た“自白した男を連れたフランス兵たち”がやって来た。

直ちに密室に隠れていた女性部員により扉が目張りがなされるが、入って来たフランス兵により扉に爆薬が仕掛けられた。兵にとり「30秒間に出てこい!」でカウントダウンが始まった。 大勢の市民たちが見守るなか、猶予時間が過ぎて爆弾は破裂。

中佐は「アリが生きていなければ、これでおわりだ」と勝利を宣言した。

 1960年12月11日、2年間が過ぎ、鉱山でデモが発生しこれがアルジェリア全土に拡大した

民衆たちは国旗を掲げ「我らに自由を」と叫ぶ。カスパに異様な叫び声とともにデモが発生。官憲が武力で介入、さらにTKを伴う軍も出動するが、TKは民衆に取り囲まれ一発も発射できない

1960年12月21日のデモ最終日「君たちの望みは何だ」に「独立だ」と叫ぶ。その後2年を経て1962年に独立を獲得する。これに歓喜し踊り狂う民衆たち。

まとめ

物語の大部はFLNとフランス軍の武力闘争が泥沼化していく様相が生々しく描かれ、1957年FLN組織が壊滅しフランス軍は勝利の声を挙げる。が、ラスト近くでその3年後民衆が仏軍の戦車を取り巻き「独立だ」と歓喜するシーンで終わる

この戦の悲惨さ、民衆の苦しさ、そしてフランス軍の勝利に何の意味もないことを嫌と言うほどにみるこの種の戦いでは民衆の行動こそが真の勝利につながるということを物語っている。

見逃してはいけないのは、フランス軍の作戦主任マチュー中佐の「俺たちには勝ことしかない」と言う言葉だ

軍人には戦争を解決する能力はない、彼はただ戦うのみ。問題の解決は政治に委ねられていることを忘れてはならない。

物語は、記録映像を一切使わず目撃者や当事者の証言、残された記録文書から戦闘の実態がドキュメンタリータッチで再現されていて、とてもリアルでわかりやすく物語に引き込まれる。オリバー・ストーンに20年先立ち、民族解放戦争の実態を描いて世に問うたジッロ・ポンテコルボ監督はすごい!

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