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「ナポレオン」(2023)圧巻の戦争パノラマ。戦術の天才だったが妻との戦争には負けたかな!

 

リドリー・スコット監督にとって、敬愛するスタンリー・キューブリック監督が企画し、実現に至らなかったナポレオンの映画化は、長年の悲願だったという監督にはいくつもの歴史作品があるが、映画は伝記でなない、人物像を描きそれが歴史を超えて心に入ってくることだという。

ナポレオンをどう料理して歴史を超えて心に入ってくるものは何か?ナポレオンの隠れた内面を探るために妻のジュセフィーヌを通して見せる彼の顔。これまでのナポレオン像が一変した。そしてジュセフィーヌの生き方に驚いた

超、大がかりな歴史劇を楽しもうとiMAXでの鑑賞。これはよかった!

監督:リドリー・スコット脚本:「ケディ家の身代金」のデビッド・スカルパ、撮影:「死後の決闘裁判」のダリウス・ウォルスキー美術:アーサー・マックス、衣装:ジャンティ・イェーツ デビッド・クロスマン、編集:「ハウスオブグッチ」のクレア・シンプソン、音楽:マーティン・フィッピス。

出演者:ホアキン・フェニックス、「ミッション:インポッシブル」シリーズのバネッサ・カービー、タハール・ラヒム、マーク・ボナー、ルパート・エベレット、ユーセフ・カーコア、

物語は、

18世紀末、革命の混乱に揺れるフランス。若き軍人ナポレオンは目覚ましい活躍を見せ、軍の総司令官に任命される。ナポレオンは夫を亡くした女性ジョゼフィーヌと恋に落ち結婚するが、ナポレオンの溺愛ぶりとは裏腹に奔放なジョゼフィーヌは他の男とも関係を持ち、いつしか夫婦関係は奇妙にねじ曲がっていく。

その一方で英雄としてのナポレオンは快進撃を続け、クーデターを成功させて第一統領に就任、そしてついにフランス帝国の皇帝にまで上り詰める。政治家・軍人のトップに立ったナポレオンと、皇后となり優雅な生活を送るジョゼフィーヌだったが、2人の心は満たされないままだった。やがてナポレオンは戦争にのめり込み、凄惨な侵略と征服を繰り返すようになる。(映画COM)

物語はマリー・アントワネットがギロチンで処刑されるシーン(1789)に始まり、ナポレオンがセントヘレナ島で亡くなるまで(1821)が描かれ、その中に戦争シーンとして代表的な「トゥーロンの攻囲戦」、「エジプト遠征」「アウステルリッツの戦い」、「ロシア遠征」、「ワーテルローの戦い」が監督ならではの壮大な映像になっている。これを2時間半で見せるわけで、戦争にいたる背景・経緯は簡潔で、その反面、歴史にないナポレオンとジョセフィーヌの関係を詳しく描いている。壮大な戦争描写に気を取られ、こちらを見失ったかもしれない(笑)


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あらすじ&感想

1789フランス革命フランス革命で王妃マリー・アントワネットが多くの市民が見守る中、台車に乗せられ断頭台に。あっという間に首を斬り落とされた。その首は目を見開き無念さが滲んでいた。これをナポレオンが傍観していた。それから4年後、・・。

1993年12月16日、トゥーロン攻囲戦

革命派の重鎮ポール・バラス(タハール・ラヒム)に「トゥーロン港の(王政派を支援する)英国とスペインの戦艦を駆逐したいがどうする」と問われ、ナポレオンは砲兵将校らしく「砦を攻略!」と答えた。町に残され廃品と化した火砲を鋳造して大量の臼砲を作った。ナポレオンはトゥーロンに乗り込み綿密な地形偵察。夜間、港を見下ろす砦を襲撃、臼砲で設置して眼下の連合艦隊を撃破するに決した。

夜間、ナポレオンは最前線で指揮。馬で城壁に接近、梯子を伝って城内に進入し、肉弾戦を指揮して敵兵を撃破。臼砲を配置して連合軍の戦艦をことごとく沈めたWWⅡの“ノルマンディー上陸作戦”を彷彿させる迫力あるシーンだった。特に馬が撃たれて首が飛び、これを乗り捨て梯子に駆け寄るナポレオン。闘い終ってこの馬から弾を取り出し葬ってやるシーン。ナポレオンの馬に寄せる愛情が読み取れる。

この成功でナポレオンは少将に特別昇進した。4階級特進なんぞはありえない!

その後、革命政府が混乱しナポレオンは一時軍務を離れる。この時期、アントワネット復活劇がもてはやされ劇場で上演される。ナポレオンはこれを観劇しているときジョセフィーヌを目にした。

カジノで賭けをするジョセフィーヌと目があった。ジョセフィーヌが気づき寄ってきて「何故私を見るの?」と聞く。これに「見ていない、横顔だけだ」「トゥーロンの闘いを知っているか?」と聞き返す。ナポレオンはおどおどした田舎者の男にしか見えなかった。(笑)ジョセフィーヌにとってのナポレオンはこの程度の男だった。

ジョセフィーヌはナポレオンより6歳年上、二人の子持ち、夫をギロチンで失い、今はバラスの愛人。観劇やカジノで楽しむ女性だった。

これが契機に、ジョセフィーヌはナポレオンのところに息子を遣わし「ギロチンで亡くなった夫のサーベルを返して欲しい」と求めた。ナポレオンはサーベルを持ってジュセフィーヌの住まいを訪れた。ふたりは食事広場で食事。ナポレオンは「美しい」とジョセフィーヌに惚れ込んだ。

ジョセフィーヌは「私が妊娠していれば夫は助かった。私は無力だった」と話す。ナポレオンは「そうではない」と否定した。彼女にとって後に大きな問題となっていく。するとジョセフィーヌは股を開き「一度見たら虜になるよ!」と煽った!彼女流のプロポーズだった。

1995年10月5日。王政復古の制圧。ナポレオンはバラスの副官としてパリの警備を引き受け、蜂起した市民を大砲の発射で制圧、血は飛び散る悲惨なシーンだった。ナポレオンは師団長に昇進。国内軍副司令官、ついで国内軍司令官の役職を手に入れいれていく。

1797年9月、バラスの許可を得てジョセフィーヌと結婚することになった

夜の生活、ナポレオンは情緒が全くない乱暴にジョセフィーヌを求めた。このことも後で述べるふたりの関係に大きく関係している。

1998年、エジプト遠征5万のフランス軍を持ってイギリス、エジプト軍との戦闘。ナポレオンは「イタリアが降伏したのにいつまでやるか」とピラミッドを見ながら不平たらたらだった。このシーンも壮大だ。

ジョセフィーヌに「俺の闘いを見るか?」と手紙を書き送っていた。(笑)一方、ジョセフィーヌは、若い将校と浮気をしていた。

ナポレオンはエジプト王のミイラに接した。ミイラに耳をあて音を聞いた。顔を手で触れてみる。

食事中、ダウ将軍(ユーセフ・カーコア)からジョセフィーヌの浮気の話を聞かされた。ナポレオンは「フリーゲート艦で帰る。あとはクレベールが指揮をとれ!」とエジプトを去った。

帰国したナポレオンはジョセフィーヌを「荒ぶる女、豚だ。俺を蔑むか」と罵った。ジョセフィーヌは侘びた。ナポレオンは「俺になんでもすると言え!」と要求した。すると「あなたは私なしでは偉大にはなれない!私とお母さんがいなければ何もできない」と言い放った。これを聞いてナポレオンは泣きだした。このようなナポレオンは知らなかった。(笑)ナポレオンは他の女関係を聞かれ「愛していないが、何人かは満足させてくれた」と答えた。ジョセフィーヌは「私を許さないでよいから側に置いて!」と、ナポレオンに賭けてみようと思った。

ジョセフィーヌはナポレオンの軍人としての力量は認めるが、ナポレオンの言う通りにはならない意思を持った女性だった

ナポレオンが帰国して見たフランスの状況、オーストリアにイタリアを取られ、オランダが台頭。統裁政府が機能不全に陥っていた。エジプトからの敵前逃亡罪も絡み、弟のリシュアンの勧めるクーデター案に乗った

1799年、11月9日、ブリュメール18日のクーデタ。弟リシュアンの巧みな計略により、ナポレオンが武力で政府を威嚇し成功した。ナポレオンは統領政府を樹立し自ら第一統領となり独裁権を握った。ここは丁寧に映像化されていた。

ナポレオンはジョゼフィーヌを伴い、市民の歓喜の中、捧げ銃の栄誉礼を受けて宮殿に入った。

ロシアとオーストリアが連合するという情報。クレイラン外相にロシア皇帝アレキサンドラ1世の説得を命じたが聞き入れない。ナポレオンは「牟礼だ」激怒した。クレイランから皇帝になる案が提案された。

ナポレオンがジョゼフィーヌに異常な執着を示し始めた。こえまでの立場を逆転させたかった。化粧室のジョゼフィーヌに侍女を退出させてセックスを要求する。食事中、テーブルの下に潜りジョゼフィーヌを誘い込みセックスをする。(笑)

1804年12月2日、戴冠式ルーブル美術館に展示されている絵画の通りに描かれる。ナポレオンは自ら王冠を被り、ジョゼフィーヌに皇后の冠を授けた。間男の男も参列していた。(笑)ナポレオンは戴冠式を絵にし、「野望などではない、世界の安泰のためだ!」と語った。

晩餐会で「戦場に行く、今夜妊娠しないと離婚する」と告げた。ジョセフィーヌは激怒し料理を投げつけた。ベッドでは「諦めてない」と妻を抱いた。

1805年12月2日、アウステルリッツの戦いランス7万にロシア・オーストリア連合軍8万5千との闘い。

ナポレオンは妻に「戦場が厳寒だ!戴冠式から1年、目には目だ。君のナポレオンを見ておれ!」と書き送った。

発火通信で「敵に見つかった」と報告する斥候隊に「休め!」と指示し、敵の接近を待つ。大量の兵を失ったとナポレオンを悪魔視するが、結果論であって、兵を大切にする将軍だ。これはのちのモスクワ遠征でも見られる。統帥に長けた名将だと思う

敵を惹きつけ一斉砲撃で叩き上げ、側方から騎兵隊を投入、退路遮断するという火力と機動力を合わせた近代戦法で戦う。雑談になるが、日本もこの戦法を習得するために日露戦争の総指揮官大山巌をフランスに留学させた。

敵は凍てついたドナウを渡河して退却する。これを砲兵で攻撃、破壊された氷面に落ち込む軍馬と兵士。これらが血で染まった水中で藻掻く映像。これまで見たことのない映像だった。

ナポレオンはオーストリア皇帝フランツ1世との講和会議でロシア軍を追撃しなかったことが無念と明かした。

ナポレオンが凱旋し、舞踏会でジョセフィーヌと踊りひとときを楽しんだ。が、ジョセフィーヌが妊娠しないことで、「どちらに責任があるか試せ」という母親の勧めで18歳の娘アンナを抱いた。アンナが妊娠し、ナポレオンはジョセフィーヌの子には出来ないと離婚を決意した。

ナポレオンは「君は自分に沢山のものを与えてくれたが、結婚していることが国民の利益にならない」とジョセフィーヌに離婚理由を伝えた。ジョセフィーヌは泣いた!

離婚式。ふたりはそれおれの離婚声明文を読み上げた。ジョセフィーヌは「この結婚が国を欺く」という箇所が読めず、ナポレオンに促がされて「結婚を解消し、陛下の知人となります」と読み上げた。このあとジョセフィーヌは「あなたの作戦を見ています」と伝え宮殿に戻った。

ナポレオンはジョセフィーヌを訪ねキスして慰めた。そして「我々の国は栄光だ、君は見事な勇気を示した憂鬱になるな!」と伝えたが、ジョセフィーヌは返す言葉がなかった。ふたりは手紙を書く約束をした。

ナポレオンはオースリア皇帝フランツ1世に娘マリアとの結婚を申し入れた。フランツ1世は「まだ15歳だ」というが認めた。

1810年4月、マリアと結婚。マリアはマリー・ルイーズと名乗った。子供ができたことでマリーをことの他愛でた。ナポレオンはこの子を連れて湖畔の別荘で過ごすジョセフィーヌを訪ねた。ジョセフィーヌがこの子を抱き「いつかは分かる、私を失ったことが何かが?」と話しかけた。

ナポレオンはアレキサンドル1世の裏切りでロシアを攻めることにした。

1812年5月、ロシア遠征

ナポレオンはジョセフィーヌに「まだ勝利が見えない、・・」と書き送った。

ナポレオン軍の長い隊列にロシアの襲撃部隊が襲い掛かり、騎兵隊を森林内に引き込んで惨殺する。森林内は吊るされた遺体だらけ、恐怖が走る。

ボロジンでの決戦12万の死者が出たが勝利し、ナポレオンは前進する兵に食料を与え「アウステルリッツの勇敢なる兵士よ!」と激励しモスクワに攻め込んだ。しかしこれはロシアの罠だった。モスクワはもぬけの空で食料も燃料もない。宮廷の玉座に座り「皇帝として品位はあるか?」と問うが応えはない。モスクワの街に火が放たれ、ナポレオンは退却を命じた。馬を倒して食としたがこれも絶え、敵の遊撃に晒され、退却は困難を極めた。ナポレオンは「君なしではただの男だ!60万の内40万の兵を失った」とジョセフィーヌに書き送った。

1914年4月6日、フランス議会でナポレオンは戦争責任を問われ、エルバ島の領主として送られた。エルバ島では英雄として大歓迎された。

1815年2月26日、ナポレオンは新聞でジョセフィーヌとアレキサンドル1世の会見写真を見て「君は俺のものだ、見るに堪えない」と帰国を決心。フランス軍に歓迎されフランスに上陸した。

ジョセフィーヌは化粧してナポレオンを迎えようとしたが発熱ジフテリアと診断され、「亡くなっていた。マリー・ルイーズとしか逢えなかった。

1815年6月18日、ワーテルローの闘い

「イギリスは闘い方を知らない」と12万6千の軍隊を持って連合軍に挑んだナポレオン最期の戦争だ。

朝から雨だった。天候の回復を待っていた。ナポレオンは到着が遅れているプロイセン軍の情報を聞きながら、これの到着までに決着をつけたいと悠々と構えていた。一方のイギリス軍指揮官ウエリントンは「忍耐が必要だ、ナポレオンを恐れるな!」と兵を激励、プロイセンの到着を待っていた。

ナポレオンはプロイセンが18kmまで近づき、晴と見て、砲撃を開始。数段に分けて騎兵隊の突撃を敢行した。英軍は四方からの攻撃に耐えられる小さな円陣隊形を連ねてナポレオン軍を迎え、一歩も引かなかった。戦場は敵味方が混在する壮絶な肉弾戦場となった。ナポレオンは自ら馬に跨り突進、一撃を加えた後、退却を命じた。このシーンの映像も凄い。映像で戦闘を語っている。

プリマスでの講和会議。人気のナポレオンに群がる英国海軍士官候補生たち。そこにウエリントンが現れ「もう少しであなたがダメになった、人生の終焉を受け入れるか」と切り出した。

1815年10月15日、ナポレオンはセントヘレナ島に送られた。ジョセフィーヌからの手紙「ひとりでどうするの、今度は私が皇帝、あなたに命令する」を読んだ。ナポレオンは「会えても別れる!」と呟いた。「モスクワを焼いたのは誰か?」と聞いても分からない女の子がチャンバラごっこするのを見ながら「会いたいねもう一度」の声を聴いた。コップの中に死んだハエを見た!毒?

ナポレオンの遺言は国家、陸軍、ジョセフィーヌだった。ジュセフィーヌはナポレオンだったという。

まとめ

2時間半、あっと言う間に過ぎ去ってしまった。見ごたえのある作品だった。

 圧巻の戦争描写作品だった。映像にナポレオンのセリフが少し入るが、映像が戦闘を語っていた。CGを使わず大量のエキストラと10数台のカメラで撮ったというスケール感のある映像はもう出てこないかもしれない。すばらしかった。大好きなシーンはラストのワーテルローの闘い。戦争にいたる背景・経緯はしっかり絞り込まれ、映像で楽しめるようになっていた。

ナポレオンとジョセフィーヌの夫婦関係。とても面白かった。家庭でな情けない英雄ではあったが、この夫にこの妻ありだと思った。ナポレオンはジョセフィーヌが荒ぶる女性だから飽きることなく轢かれたと思う。ジョセフィーヌは一見とんでもない女性に見えて、子供を持ちナポレオンの言いなりになるのではなく、生きる目的を持ち、強く生きる女性だった。今を生きる女性に繋がると思った。

離婚でふたりの関係は切れると思ったが、ナポレオンは戦場からジョセフィーヌだけに手紙を書き、最期の居場所セントヘレナ島では、亡くなったジョセフィーヌの手紙を見て「会いたいが別れるだろう」と微笑む。ジョセフィーヌは「ナポレオンが訪ねてくる」と化粧しという。強い女性を描くリドリー・スコット監督らしい終わり方だった。

ナポレオンとジョセフィーヌを演じたホアキン・フェニックスとバネッサ・カービーすばらしい演技だった。バネッサ・カービーの妖艶で芯のある演技、アキン・フェニックスの陰のある表情、伝説の英雄とは思えない悩めるナポレオン。ヴァネッサ・カービーに子供のように振り回されるシーンはこれまでのナポレオン像を一変してくれた。

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