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「オフィサー・アンド・スパイ」(2019)圧倒的な映像力で魅せる冤罪事件、そこに見え隠れする国家の闇!

 

19世紀フランスで実際に起きた冤罪事件“ドレフュス事件を「戦場のピアニスト」(2002)のロマン・ポランスキー監督が映画化した歴史サスペンス。第76回ベネチア国際映画祭(2019)で銀獅子賞作品。WOWOWで鑑賞しました。

原作:作家ロバート・ハリスの同名小説、監督:ロマン・ポランスキー脚本:ロバート・ハリス ロマン・ポランスキー、撮影:パベウ・エデルマン、美術:ジャン・ラバッセ、衣装:パスカリーヌ・シャバンヌ、編集:エルベ・ド・ルーズ、音楽:アレクサンドル・デスプラ

出演者:ジャン・デュジャルダンルイ・ガレルエマニュエル・セニエ 、グレゴリー・ガドゥボワ 、マチュー・アマルリックメルヴィル・プポー ジャン=バプティス、ヴィンセント・グラス、他。

物語は

1894ユダヤ系のフランス陸軍大尉ドレフュス(ルイ・ガレルが、ドイツに軍事機密を漏洩したスパイ容疑で終身刑を言い渡された。対敵情報活動を率いるピカール中佐(ジャン・デュジャルダンはドレフュスの無実を示す証拠を発見し上官に対処を迫るが、隠蔽を図ろうとする上層部から左遷を命じられてしまう。ピカールは作家ゾラらに支援を求め、腐敗した権力や反ユダヤ勢力との過酷な闘いに身を投じていく。(映画COMより)


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あらすじ&感想

冒頭、1895年1月5日、第14砲兵連隊の営庭。着剣の連隊兵士が整列する中、国家反逆の罪(スパイ罪)で、衛兵によって連れ出されたドレフュス砲兵大尉が連隊長の号令で軍籍はく奪の儀が執り行われる。この席に罪を暴いた防諜部長サンディール歩兵大佐、これに協力したピカール砲兵少佐が倍列し見守っていた。サンディール大佐は梅毒で身体の震えが止まらない状態であった。

ドレフェスは大声で「無罪だ!」と叫んだ。営庭の外に集まった多くの民衆から「恥知らずのユダヤ!」と野次が飛ぶ。当時のフランス人のユダヤ人差別感が分かるシーンだった。

絵画のように美しい重厚な儀式から物語が始まる

 ピカールは陸軍大学教官でドレフェスは教え子だったドレフェスから「教官だけの成績が悪い、ユダヤ人だからか」と抗議され「それはない!が、ユダヤ人は嫌いだ」と応えた記憶があった。スパイ罪の証拠となった文書の筆跡鑑定にあたって資料を提供し、軍法裁判で筆跡鑑定に疑義を挟まず、これでドレフェスのスパイ罪が判決された経緯があった。

ピカールは裁判協力の功績を認められ、情報局長コンズ将軍から呼び出しを受け、最年少の中佐に昇任しサンディール防諜部長の後任者となった。ピカールは情報畑でなく、後任は諜報部先任のアンリ少佐(グレゴリー・ガドゥボワ)が適任だと主張したがコンズは「彼は務まらない!」と一蹴し、決定された人事だった。それだけにふたりの関係はよくなかった

ピカールはドレフェス事件に関わることで、一度目は彼を牢獄に繋ぎ、2度目はここから解放することで大出世をした人物となります。

ピカールは着任早々、アンリによって部の各室、メンバーの紹介を受けるが、居眠りの守衛、トランプゲームの取調室、たったひとりでの情報処理室・資料室、私信を開封する調査室などに情報の偽造・漏洩可能な環境にあると認識した。

アンリに業務改善を求めた。彼は不機嫌な敬礼を返して退室した。

ピカールの執務室にはドレフュスの有罪を決定づけた証拠の手紙(以下密書という)の写真が額に入れて飾られていた。

ピカールは療養中の前任者サンディールを訪ね事務引き継ぎを行った機密費の45000フランと2500人のスパイ名簿、これは戦争時に処分することになっているという。そして、「任務を解かれてよかった」と漏らした。

諜報部の戻るとアンリは収集した情報を提出した。彼が教会に出向きドイツ大使館の清掃婦から受け取ったドイツ大使館付武官シュヴァルツコッペンが破棄した破片紙(文)だった。これを暗号解読将校のカール大尉が解読すると「120mm砲の水力駐退機と操作方法、野戦砲兵射撃教範素案」を求めたものだという。これを昨夜受け取り家に持ち帰り、今、報告することにアンリの勤務姿勢に疑念を持った。「以後自分がこの任に当たり、保管する」と言い渡した。

1896年3月2日ピカールは教会を訪ね女性がやってくるのを確認して彼女がシートの下に置いた封筒を回収した。持ち帰り破片紙を繋ぎ、カール大尉に分析させた。宛名エステラジー少佐、文面「詳細な説明をお待ちします」だった。ピカールは陸軍将校名簿からエステラジー少佐はリーアン第74歩兵連隊所属であることを知った。アンリにエステラジーのことを聞くと「今はシュヴァルツコッペンも相手にしない雑魚だ!」という。

ピカールは部外の刑事デヴェルリーヌにエステラジーの調査を依頼したピカールと刑事は高級クラブで待ち合わせして、若い女性を伴ったエステラジーを観察した。彼はこちらに気づいたようで警戒し始めた。刑事は「女性は4本指に入る高級娼婦だ。モンマルトルに囲っている。彼はリーアンに駐在してない。砲術の講義を志望しているようだ」と調査結果を話した。このあとドイツ大使館を見張って、彼が出入りしている姿を捕まえ、写真を撮った。

ピカールは75mm火砲の展示射撃訓練を視察した。集まった講習者との歓談で、ベルリンに駐在のコーヒ少佐から「フランス陸軍のスパイがいる。50代の連隊長のようで特に砲兵の情報です」と耳打ちされた。

ピカールは「エステラジーは高級娼婦を囲うため金欲しさに情報をドイツに売った」と推論した。

ピカールはコンズ情報局長に会い、「エステラジーに見覚えがあるか」と聞くと「名を聞いたことがある」と言い副官し調べさせた。エステラジーがパリ転属を願い出た2通の手紙が残されていたピカールはこの手紙を借用した。

ピカールはこの手紙と彼の執務室に飾ってある密書の写真を筆跡鑑定人のベルティヨン(マチュー・アマルリックに艦艇依頼した。彼はドレフェスを有罪に追い込んだ手紙の鑑定人だった。慎重に鑑定した結果、ドレフェスの証拠手紙は偽造であることが判明した。

ピカールは古文書担当のグラプリンにドレフェス事件の関連文書を見せるよう求めると、「部長の着任以前のものはアンリ少佐の指示で処分した」という。どこぞの国の官僚の話にそっくりです。(笑)

ピカールはボワデッフル参謀長に密書を再調査するよう具申した。参謀長は「破棄されている」という。ピカールは「文書存在の有無でなく筆跡が問題です」と調査を促すと、「コンズ将軍に話せ!」と指示された。

コンズ将軍に話すと、「エステラジーは該当しない。密書のことは忘れろ!」と命令された。

ピカールは諜報部に戻り、アンリを呼び「ドレフェス事件の密書は偽造だ」と責めると「そう言えというならそれに従います。殺せと言われれば殺すのが軍隊ですから」と言い、部屋を出て行った。

アンリがコンズ将軍に通報したのか、将軍が心配になったか、将軍が諜報部に乗り込んできて、ピカールが収集した資料を押収した。その後、密書の複製が「オーロール」紙に掲載された

コンズ将軍はピカールを招致し密書が流出したことを責め収監すると言い、再度事件から手を引くことを求めた。ピカールがこれを拒否すると「オーロール」紙掲載を見せ、秘密漏洩罪として拘置するが、これまでの勤務成績に鑑み情状酌量として東部出向を命じられた。

コンズ将軍はアンリを使って、ピカールが不在間に、彼のアパートを徹底的に捜索し、ピカールの愛人で外務大臣の妻・ポーリーヌ(エマニュエル・セニエ)と交わした手紙を押収した。

1897年6月、ピカールは各所を転々と移動しアフリカを最後に帰還した。常に監視され身に危険を感じ、ルボロフ弁護士に相談した。ルボロフは「事態は遅きに失している」とオーロール紙社主や上院議員、下院議員、作家エミール・ゾラらを含む協力チームを立ち上げた。

ピカールはセーヌ県軍司令官プリュー将軍の尋問を受けた。密書の写しが「オーロール」紙に渡した疑惑。愛人ポーリーヌに秘密を明かした疑惑だった。ピカールが「茶番だ!」と席を外した。

1898年1月13日の「オーロール」紙にエミール・ゾラのフォール大統領あての公開書簡で、ドレフェス事件に絡む将軍たちへの批判が掲載された。市民から「ゾラ死ね!」「ユダヤ人に死を!」という声が起こった。国はゾラを名誉棄損罪で訴えた。ピカールは秘密漏洩罪で逮捕され、護送される車の中でゾラの記事を読んだ。

1998年2月23日、ピカールの軍事裁判アンリ少佐、コンズ将軍、ペリュー将軍、ボワデッフル参謀本部長の証言で、有罪「禁固刑1年、罰金3000フラン」で結審した。

ピカールはアンリとの決闘で判決を求め、これが認められた

1898年3月5日、決闘はいずれかが傷を負い医者の判断で試合不能と判断された場合に勝者が決まるルール。ピカールがアンリの右腕を刺し格闘不能となりピカールが勝利し、アンリは国外の監獄へ送られた

アンリは獄中で密書偽造を認めた。これにより、ドレフェス事件が再審されることになった。ドレフェスの弁護は敏腕弁護士ラボリ博士(メルビル・プポー)が担うことになった

ドレフェス事件の再審開始

ピカールとラボリ弁護士が裁判所に出頭中、暴徒に襲われラボリ博士が亡くなった。獄中のアンリが自決した。

1899年9月、結審。反逆罪で有罪、しかし情状酌量の余地を認める。禁固刑10年に減刑する」というものだった。ピカールはドレフェスの兄に「受け入れるな!犯罪は消えない!」と示唆した。

1906年、破毀院が有罪判決を破棄し、ドレフェスは無罪となり軍籍に戻った

ピカール陸軍大臣を地位にあった。ドレフュスがピカールを訪問し無罪釈放に謝意を述べ、「大臣は私の事件で栄達した。無罪なら昇任があってしかるべき」と中佐昇任を求めたが、ピカールは「あのときは悪かった」と謝り、「法律がない!作るには今の情勢では不可能だ」と退けた。ふたりが二度とあいことはなかったという。世間にユダヤ人差別の風潮が戻った。

まとめ

美しい映像で史上有名な冤罪事件が、余白のある語り口で、今この事件を映画にした意義を考えてくれと、滔々と綴られる

誰がアンリ少佐にスパイ罪証拠密書の偽造を指示したか?これが描かれていない、ここがポイント。当時のユダヤ人を忌み嫌うフランス社会の中にあって、陸軍大学校生で自尊心の高いドレフェス大尉は将来の軍高官職に就くことが約束されている。彼にどう対応すべきか、ユダヤ人に対する国家、陸軍がもつ闇が見えてくる作品だった

ピカール大佐の記憶からドレフェス事件を追うプロセスが描かれるが、その背後となる国家、陸軍の動きがぼやけている。ぼやけているところを補うことで今の社会に繋がってくる。冤罪事件がひっ繰り返ったのは、ピエール中佐の正義、これに触発されたエミール・ゾラら反体制派の批判で覚めた国民の自覚。現在社会へのメセージだった

19世紀末の冤罪事件が今の社会システムの中で生きているころがこの作品の見せどころだった

圧倒的な権力を具象化する建物、美術。特に荘厳な建築物と軍隊の制服の再現、社交界など当時の風俗がしっかり描かれることで、笑いやアクションのない小難しい物語を、集中力が切れることはなく観ることができました。(笑)。

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