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「天外者(てんがらもん)」(2020)地位か名誉か金か?そんなもんではない!“未来の日本”が“彼の資産”だった!

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大坂経済界の恩人と称される五代友厚NHK連続テレビ小説「あさが来た」(2017)でディーン・フジオカさんが五代役を演じ大変な話題になりましたか、どのようにしてこのような人物が生まれたかを知らない。今般、「天外者」として描かれる五代役を本年7月に亡くなった三浦春馬さんが演じるということで、これは必見と駆けつけました。

長崎海軍伝習所の伝習生としての五代から始まり、幼いころの天才ぶりエピソードに触れながら、薩英戦争、英国留学を得て、維新後実業家として大坂経済の復活に尽力する姿が、ある遊女との交流を交えながら描かれる物語。

日本の大革命時期を109分という尺のなかで描くため、そのエピソードには深まりに限界があり、歴史的な背景も複雑で分かりにくい。しかし、わずかな描写のなかでも友情や家族への細やかな愛情が見える作品でした。

五代を演じる春馬さんを見て、春馬さんの思いが重なり、その時々をしっかり生きる五代を見ている感覚でした。

五代30歳のとき、政府役人として初めて大坂入りします。この歳まで、春馬さんが五代として生きてくれます。五代の経験と同じように俳優として悩み苦労し、泣いただろうと思います。こんなに春馬さんがきれいな涙を見せる作品はなかったと思う。

そしてこの先、49歳までを春馬さんが生きていれば五代のような壮大な人生を生き切ったかもしれない、そんな想像を掻き立ててくれ、春馬さんを送るにふさわしい作品だと思いました。

公開初日の初回で観ましたが、ほぼ満席のなか、ラストカットの五代を送る葬列、そしてエンドロールに入って拍手が起こり、一緒に拍手しながら涙が止まらなかった。

監督:田中光敏、脚本:小松恵理子、おふたりは「利休を訪ねよ」「海難1890」でご一緒しています。撮影:山本浩太郎、美術:原田哲男、編集:川島章正、

音楽:大谷幸

出演者:三浦春馬、三浦翔平、西川貴教森永悠希森川葵蓮佛美沙子生瀬勝久迫田孝也宅間孝行、他。


"三浦春馬主演!映画『天外者』本予告 「今見るべき」壮大な歴史青春群像劇!"

あらすじ(ねたばれ):

1857年、長崎での五代才助(三浦春馬)、坂本龍馬(三浦翔平)が大勢の侍に命を狙われていた。逃げる五代が、「殿の土産に」と買った万華鏡を覘いていた伊藤利助(森永悠希)にぶつかって、それを壊してしまった。坂本が刀を抜けば「俺が先!」と抜く五代。(笑)

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五代が子供たちとオモチャの船で遊んでいて、橋から身を投げるそぶりの遊女・はる(森川葵)を見て声を掛けると「死に気はない、遊びにきて!」と言われた。

海軍伝習所。勝海舟が伝習生たちの訓練を見て、「凄い奴がいる!」と五代について語る。「米を売って稼いだ金で船や武器を買うが、貨幣製造機をもという男だ。最後に留学だ、それも4000人だ!早く航海させろ、自分が1日早く学べば日本が1日早く進歩すると言うんだ」と勝の多少大法螺な話が続く。(笑) しかし、五代は伝習生のみんなから虐められていた。

薩摩では斉彬が五代の成長を楽しみにしていた。

利助が「万華鏡を弁償してくれ」というから、部屋に戻って修理をしてやると、利助が驚いて「教えてくれ!」という。

利助が幼いころ、斉彬から地図を渡され地球儀を作れと命じられ困っている父に、地球儀を作って差し上げ、母・やすが「天外者だ」と言ったという逸話があった。

はるは文字に興味を持っていて、遊女たちの名を地面に描いて教えていた。これを見て「身体を売るお勤めをしろ!」と囃す侍衆を、五代が木刀で虐め大騒動になった。そこにやってきた龍馬がピストルで脅して騒動は収まり「人は殺せぬか!わしは先を行っているぞ!」と笑った。

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丸山遊郭岩崎弥太郎西川貴教)がソロバンをはじく。すると女将(かたせ梨乃)が「銭勘定に強い男だ!」と褒める。そこに五代がやってくると奥に通され、待っていたのは龍馬とトーマス・グラバー。龍馬から「この人がうんと言わないと武器は手に入らない」と紹介され、五代は英語で挨拶し「俺がいる限り(日本を)食い物にはさせん!」と喋ると日本語で「井の中の蛙!」と言われ、龍馬から「うぬぼれるな!」と窘められた。

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はるの部屋を訪ねると「侍は刀を差して私たちを買う。お礼よ、遊んでいって!」と言うが、五代は買い求めた辞書を渡し「俺は疎まれている!人の心が分からない!だが、お前の心は分かった。みんな“夢が持てる一生”が大切だ!そのような世を作りたい」と話して、部屋を後にした。

こうして長崎の生活で五代はグラバー、龍馬、岩崎、伊藤らとの交流を通じて広く世界を見始め、“己が増長していたこと”に気づいていった。

1962年、薩摩に戻り斉彬に挨拶。すると「上海で蒸気船を一隻買って来い!」と命じられた。その帰り道、つけて来た侍に「薩摩の嫌われもの!」と罵られた。「刀ではどうしようもない世の中になるぞ!」つぶやいた。

長崎に戻り、仲間が集まって、すき焼きで一杯やりながら、伊藤の話を聞いてやる。「イギリス留学の許しが出たが、5人の渡航費がない」と嘆く。龍馬が「長州は大量に武器を買うというのを耳にしたぞ」という。五代が「先で武器を買うと思えばよいこと。大砲や船より立派な武器はないと言うたれ!」と。(笑)

五代は“はる”の部屋で利助からの文を見て「やりよった利助のやつ!やりよった!」と声を上げた。五代が帰るとはるは女将から「あんなお侍に惚れるな!」と注意されていた。(笑)

五代がはるのためにと簪を求め、「上海に行く!」とこれを渡した。はるは泣いた。「売られて女郎になって何一つ自由にならなかった。あんたといると生きて行ける、夢が見れる」と。「そんな国をつくる。待っておれ!」と上海に発った。

上海から船を買って戻り、この船を軍艦に改造しようと話している最中に生麦事件(1062年9月)の報復としてイギリス艦隊が薩摩と交渉するために出航したと知らされた。五代は船とともに薩摩に帰還した。

船を拿捕され五代と松本弘安は捕虜となって、イギリス艦から燃える薩摩を見ていた。艦砲の口径を知り薩摩に勝ち目はないと判断した。「薩摩は250門の火砲を持っており、城を陥落させることは不可能である。“逃げた国に未来はない!”」と脅して撤退を強要した。イギリスはこれを受け入れ撤退。

“はる”がグラバーを尋ね「私の身を預けるから五代を助けて欲しい」と願い出た。これが叶ったか、五代は横浜で釈放され、山川を超え、長崎に走った。

五代が長崎にほうほうの体で戻り、遊郭を訪ねると女郎のきく(八木優希)から「あんたを助けたのははるさん、私と引き換えに」と聞かされた。女将から「何もないで生まれたものは、売れるものを売るしかない!あなたは生きるために何を売りますか?」と問われた。五代は応えられなかった!

薩英戦争は五代の「何のために生きるのか」に決定的ともいえる影響を与えた。

五代はグラバーに頭を垂れて、教えを請うた。必死に英語を勉強した。そして国主久光(徳重聡)に「経済計画だ!新しい仕組みに変えることだ」と今後の国作りに対する上申書を書き、イギリスに留学生を送る必要性を説いた。

海援隊の船上で龍馬と「どちらが先か、世界の海を駆け巡るぞ」と論議し、「ふたりで日本を変える、誰もが夢を見れる国にする」と誓った。

鹿児島に帰って、母に「やっとなすべきことが見つかった!」と報告した。兄からは「殿のお咎めなしだが、恩知らず!」と罵倒された。

5人の侍に取り囲まれた。真剣勝負だと見せつけ、自分の髷を切り落とし「これ以上俺の邪魔をするな!」と薩摩を後にした。

五代たち14名がヨーロッパに渡った。この国に新しい風を吹き込んだ!龍馬は「とうとう行ったか!海援隊の初仕事だ」と気合を入れた。岩崎は「空から金が降って来る」という。

五代はイギリスで「ここには産業革命の手本がある」と学んだ。「自分で選んで仕事を持つ。自分の意思で男も女も決める。だれとでも自由に物が言える」と。

龍馬は五代の手紙を「こんな国にならねばいかん!」と読んでいた。龍馬、伊藤、岩崎は「はやく帰ってこい!」と五代の帰りを心待ちしていた。

ところが龍馬が亡くなった。これで岩崎は生きる力を無くした。五代は帰りの船の中で龍馬の死を知り泣いた!

五代は帰国し、グラバーに会うと「はるが戻っている」と聞かされた。病院を尋ね、ベッドに横たわる“はる”と再会した。「イギリス中探したが会えなかった!」と謝った。「やっと会えた!」とはるが手を差し出すが、もはや動ける状態ではなかった。はるを背負って丘に登り、「もうすぐ夢が見える」と海を見せた。はるは「海だ!」と呟いて、そのまま息を引き取った。五代は泣いた。

1868年大坂。徳川の時代は終わり、新しい時代となった。両替屋がどんどん倒産していった。これを視察していた五代に女性が近づき「おの人に金を返してやりなさい!」と言い寄る。五代は「そっちの負けだ!俺は明治政府の五代友厚だ」と名乗った。「帝に尽くした私たちはどうなるの?何人も我が身を売りました!」。「仕方がない!」と言うと「納得できません」と。女性は豊子と言い、五代は豊子を妻に迎えた。

1969年(明治2)、「大坂に東洋のマンチェスターを作る」と五代は民に下ることにした。銀貨をかき集め政府に売って財を作った。通信、鉄道を西洋に渡してはならないと大久保に参入拒否を求めた。

龍馬の死で取り残された岩崎は飛び回っている五代を見て「俺は何を間違えたか?」と苦悶していた。

五代は石炭を掘りたい,紡績やりたいというものを見つけると、どんどん出資してやらせた。グラバーも「五代の力になりたい。本国には帰らず日本でこの男の国を見届けたい!」と協力を惜しまなかった。

五代の働きぶりを心配した豊子は「心を静かにする時間が必要」と五代の手を取って、墨画を勧めた。五代は肺をやられていた。

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岩崎が「そんな大金があるのか?」とやってきた。五代は「俺と組むか?それとも龍馬の代わりをするか?お前と話す気はないない。お前しか出来ないことをやれ!」と追い返した。そこに母危篤!の電報がきた。

岩崎は伊藤に海援隊を継ぐことに意見を求めると「あんたにはみんなが付いてくる。五代はあなたが夢を継げと言ったんだよ」と岩崎の決意を押した。

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鹿児島に帰ったが、母の死に目には会えなかった。母の仏前で「今日、大坂港が開港です。新しい世の中がきます」と話しかけた。奥を見ると地球儀が置いてあり、いつもこれで自分を忍んでくれていてくれたんだと涙が止まらなかった。兄からは二度と戻るなと告げられた。

五代は喀血し、これを見て豊子はそっと泣いていた。しかし、商売のために不平等条約が問題となり五代の力が必要だった。

明治11年、五代は自ら大坂商法会議会頭に就任した。五代がこの職に就くことに大坂商人には大きな疑念があった。五代は血を吐きながら訴えた。

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「俺には100年先が見えている。お家の利益だけでは世界に立てない。“皆が力を合わせる”必要がある。これからは商人が世界を動かす。もう一度言う、力を合わせることだ!俺に任せろ!」。

五代は床の中で自転車、写真機と市民の中に新しい文明は入ってくるのを確信しながら1885年49歳でこの世を去った。

お通夜には誰も来なかったが、最後に、「私は旧知の伊藤です」と博文が訪れ、日本刀を一振り棺に収め、「弥太郎も去った!みんなの夢は俺が継ぐ」と送別の言葉を贈った。

豊子が外に出てみると、長い提灯に列が目に入ってきた。五代の葬儀にあたっては大坂の機能は停止、4500人の弔問があったという。人は亡くなってみてその人の価値が分かるという、生きた期間は短いが、“生き切った五代の生涯”でした。

五代は資金もなく、資本主義と自由な世界で誰もが夢を見られる未来のために、生涯を賭けて日本の基礎を作った。地位か名誉か金か?そんなもんではない!“未来の日本”が“彼の資産”でした!

感想:

幕末もので正面に龍馬や西郷などが出てこない、大政奉還戊辰戦争西南戦争の描写もないとなるとおそらく物寂しさを感じるでしょう。しかし、これこそが五代友厚の映画化もしれませんね!

革命では統治者を倒すが、その先に何をなすかが大切。これをしっかり見通していた五代という天才を描いた作品でした。コロナ禍で大きな社会変革が求められている今、五代は天からどう眺めているでしょうか?

五代のメッセージは“未来に夢を持てる国作り”。どん欲に知識を求め、教育を重視しました。そして「一人ではできない、力を合わせよ」でした。彼の大きな功績に若き伊藤博文にイギリス行きを説いたこと、岩崎に龍馬の夢をつがせたことなど人に夢を託することに感動しました。

分かりにくい。歴史を追いながら、人の感情を大切に描いた作品で、春馬さんの主演ラスト作品としてよかったと思います。が、大阪での活躍をもうすこし分かりやすく詳しく描き、特にコロナ禍で混乱する今だからこそ、納得のいく作品にして欲しかったです。融資による資金で作られた作品だから、限界であったかもしれませんが・・。

五代と遊女はるの出会いは創作でしょうが、作品全般からみて、妻・豊子と重なるように思え、よかったと思います。これでメッセージ性が浮き立ちましたし、特に春馬さんにはこうあって欲しいというシーンでした。(笑)

春馬さんの飄々とした美しい笑顔が素敵でしたが、本作では色々な涙のシーンが多かった。そこに彼の成長を見ることができ、惜しい人を亡くしたと思います。

ほとんどが春馬さんへの所見となりました。安らかに眠られますようお祈りします。合掌。

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