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「峠 最後のサムライ」(2019)黒澤映画の継承!美しい侍の生き様だった!

何度も公開延期となり、やっと公開になりました。原作は司馬遼太郎の同名ベストラー小説。監督・脚本は「影武者」(80)など数々の黒沢明作品の助監督として関ってきた小泉堯史主演が役所広司とくると、これは正統派時代劇と観る気になります。

幕末、東西両軍どちらにもつかず、和平独立に挑んだ知られざる北越戦争の英雄・河井継之助の最期の1年を描いた作品。

原作は読みましたが、当時ではめずらしいガットリング砲で戦ったこと、そして終焉地が八十里峠、これぐらいしか思い出せない!(笑)しかし、継之助が我が故郷・備中松山藩の家老・山田方谷から藩政改革について多くを学んだことは承知していました。

スタッフには黒澤組スタッフが終結

監督・脚本小泉堯史撮影:上田正治美術:酒井賢、音楽:加古隆主題歌「何処へ」:石川さゆり

出演者:役所広司松たか子香川京子田中泯永山絢斗芳根京子坂東龍汰榎木孝明佐々木蔵之介吉岡秀隆、他。


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あらすじ(ねたばれ:注意):

冒頭、1867年10月の徳川慶喜東出昌大)が二条城に40藩の諸侯、重臣を集めて大政奉還に意義を述べるシーンから物語が始まる。7分間にわたる長回し、東出さんのしゃべりも分かり易くてよかった。(笑)

「戦争を避け、天下泰平のため、朝廷の赦しを得て、王政に留まり万民のために心血を注ぐ!」という慶喜の正義。この正義を河合継之助(役所広司)が引き継ごうとする。しかし、西軍は慶喜の首を欲しがり戦の道を採った。

時代は一気に北越戦争前夜に飛ぶ。

継之助は長岡の民の暮らしを守るためには武装中立が唯一の策であると横浜でガットリング砲を買い付け、長岡に戻り、信濃川河畔の調練場に幼馴染・川島億次郎榎木孝明)を訪ね、フランス式訓練を視察しながら、「東軍、西軍どちらにもつかない。会津には申し開きさせる」と武装中立を説くが、川島は「自分の案を押しつけるのか」と反論した。

藩医の小山良運佐々木蔵之介)を訪ねた。武装中立を説き、「ガットリング砲を購入した。万一の場合、藩主をフランスに亡命させる。すでにスネルと話はついている。その際の渡航を頼む」と武装中立が準備万端であることを伝えた。さらに「息子の正太郎(坂東龍汰)には、武士の世はこの戦争で終わるから、好きな絵を描かせたらと、息子の将来についてアドバイスした。

継之助は大変な勉強家で将来をしっかり見据えていたようです。

城に出仕し、多くの藩士とともに、藩主・牧野雪堂に謁見した。雪堂に「西軍が二手で攻撃してくる。長岡藩にいかなる策があるか」と問われ、「策はない!殿が思った通りにしたらいい」と具申した。雪堂は「薩長の振る舞いは受け入れられない」と口にした。

継之助は妻・おすが(松たか子)と旅籠“枡屋”で芸者をあげて遊ぶ約束をしていた。継之助が枡屋に着くと娘のむつ(芳根京子)が対応してくれる。むつが「なぜカラスの掛け軸を見るの?」と聞く。「カラスは常に太陽に向かって飛ぶから好きだ!」と応じた。これがラストシーンに繋がる伏線です。

「自分では戦わないと言いながらなぜ戦の準備をする」という“むつ”に「戦わねばならないときに戦う!負けぬよう戦うが、勝てはしない!長岡は大事ない!」と答えた。

こんな調子で継之助の武装中立の姿が明かされていきます。

おすがやってきて宴席が始まった。よく飲むふたり(笑)継之助が長崎で教わったというカンカン踊りを見せ、おすがに一緒に踊れと促す。これもうまい踊りでした(笑)

このふたりはよく心が通じていて、この宴席で継之助の“死の覚悟”が見え、これが武士の覚悟でしょうか。

枡屋からの帰り、藩の若い侍の一群に囲まれた。継之助は従者の松蔵(永山絢斗)に「妻を連れて家に帰れ」と指示して、若者たちと渡り合い、「武力中立しかない」と説得した。敬之助の父・代右衛門(田中泯)は門前で刀を抜いて敬之助お帰りを待っていた。

代右衛門(田中泯)の妻・お貞(香川京子)を含めて、エピソードは少ないが、河合家の家族の絆が美しく描かれます

西軍が小千谷に進出してきた。藩主・雪堂が「朝廷のやり方が当を得ているとも思えない!独立自存だ!民を案じるは徳川の恩に報いるものだ」と独立することを明かし、その細部を継之助に一任した。

その夜、敬之助は横浜からオルゴールを取り寄せ、妻・おすがに贈った。これがふたりの最期だった。

継之助は従者として荻原要人(進藤健太郎)を伴い、西軍の小千谷屯所に談判に出かけた。交渉相手は土佐藩軍監・岩村精一郎吉岡秀隆)だった。若い傲慢な男だった。

継之助は返事の遅れたことを侘び、礼を尽くし、「会津、米沢は説得する!民のため、世界に恥じない強国になるためだ!」と嘆願書を差し出すが、「計略だろう」と受け取ってもらえなかった。継之助は諦められず、荻原にもう一度会えるよう交渉を命じ、夜まで門前で、番兵に槍でつつかれる中で待った。この様を伝令から聞いた岩村は「槍で追い返せ!」と命令した。交渉相手の位が違いすぎましたね!長岡は奥羽越列藩同盟に加盟した。

継之助は西軍の進行を阻止するため、要所・榎峠に兵を送ったが、敵もここに目をつけていた。榎峠を巡る両軍の激しい銃撃戦、斬り込み。長岡が奪取した。さらに朝日山も。しかし、新潟に上陸した敵兵が信濃川を渡河し長岡城に迫ってきた。これほど容易に信濃川が渡河されるとは思っていなかった。この正面の配備は薄かった!継之助は榎峠から兵の転進を命じ、長岡城正門に陣を引くことにした。自ら指揮し、ガットリング砲を配置した。

多勢に無勢、長岡兵は敗れ、城は焼かれ、町は破壊され火を掛けられた。

民の苦しさに答えようと、誰もが予想もしない八丁沖を渡河して城に斬り込む作戦を立て、鬼頭熊次郎(櫻井勝)に渡河計画の作詞を命じた。彼は水深を綿密に調査し、渡河経路を選定した。みごとな案だった。攻撃に当たって会津桑名藩兵が到着し、軍議で継之助が大将に決まった。

夜間の渡河、月が出ると一斉に停止し船とは分からないように行動する。ここでの映像がすばらしいです!

渡河は成功し、城内に進入して城を奪回した。が、城を巡る攻防戦で、継之助が新町口の戦闘で脚に銃弾を受け、歩けない状態となった。

「俺の首は敵には渡すな!まさか死ぬ前にこれほどの痛さがあうとは!」と気丈に振舞った。兵には「常在戦場を忘れるな!長岡に戻り、万泯のために教育を進めてくれ!自由と平等、民の教育こそ国の基礎だ」と説いた。しかし、兵の士気低下はどうしようもない、長岡城の守ったのはたったの4日で、遂に会津へ脱出することになった。

、代右衛門は入城してくる西軍に備え刀を振るい力をつける、おすがは父母と長岡い留まることにして月泉和尚(井川比佐志)からこれからの生き方、生きぬ抜くを教わる。

八十里峠道の宿。継之助は雪堂から贈られた裃を着て、「骨を埋めるな!」と松蔵に命じて、火を焚き、「武士はもう、俺が死んで、最期だ!」と火の中に消えていった。カラスが赤い空を目指して飛んでいった!

感想

北越戦争が現地ロケで壮大にして詳細に、CGにはない、フィルムで美しく描かれ、黒沢映画を彷彿とさせます。

“最期の武士としての美しさ”を描くという製作意図、啓蒙家の河合らしく最期まで日本の未来を信じ、徳川の忠義に自らの死を賭けた生き様が、わずか1年間の戦闘の中ではあったが、描くことができていたと思います。“葉隠れ“の武士道を見る思いでした。日本人にはこれを美しいと感じる心があるようです!

作品を通じて品格を感じる。小さなエピソードではあるが家族の絆や未来の生き方が暗示され、言葉使い、礼儀、戦闘アクション、建設物などすべてが美しい。最近見ることのない、懐かしい日本がここに描かれていました。

特筆すべきが戦闘シーンのこだわり。前哨戦である榎峠・朝日山の戦闘、長岡城の攻防、城と市街地の炎上、八丁沖の夜間渡河作戦等、兵士たち(エキストラ)の動きと映像の美しさ!スケール感がありました。石原莞爾が八丁沖の夜間渡河作戦を研究したと聞いて、“宜るかな”と思い、継之助は戦術家としても優れていたのだと思います。

役者さんたちの立ち振る舞いがすばらしい。役所さん、松さん、田中泯さん、香川京子さんらの時代劇ベテランの中にあって、永山絢斗さん、芳根京子さんの誠実な演技がよかった!若い人がこうやって育っていくのがいい。

すがすがしい日本の映画でした!

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