です。
翌元治元(1864)年春。世情はいったん落ち着き、それに加え、家茂(松田翔太)と和宮(堀北真希)の仲睦ましさが、大奥に安らぎをもたらします。天璋院(宮﨑あおい)は、満開の桜の下を歩くふたりを、「いずれお子を授からう」とにこやかに見守っていました。
このころ京では、薩摩によって追い落とされた長州がひそかに兵を終結させていた。御所の警護にあたる薩摩は長州藩がいつ動くかと警戒を怠れない。京の町は長州びいきが多く、緊張が続くなかで、人望のある西郷(小澤征悦)が沖永良部島から帰還が許され、軍賦役に付くことになる。
帝を守ろうと走り回る慶喜に、帯刀が駆け寄り薩摩が加勢することを伝える。これにより、西郷率いる薩摩兵たちが大砲を引いて蛤御門に移動開始した。
「禁門の変」と呼ばれるこの激戦は、幕府軍により1日で制圧された。しかし、戦火は京の町を焼き、3日にわたり燃え続けることになった。ここでの帯刀の働きを滝山(稲森いずみ)から聞いた天璋院が、「あの方が、そのような力を持っていたのか」と懐かしむのでした。(笑)
滝山が、突然、「大奥での最も大切なお役目は、お世継ぎを設けること」と話しを持ち出すと、「まずは、公方様と和宮のお子であろう」とぴしゃりと滝山を叱りつけます。篤姫として、側室お志賀との間で悩んだことが垣間見える思いです。
そんな折も折、和宮が気分が悪いと横になります。これを耳にした天璋院は「宮様がご懐妊?」と落ち着かない。和宮が宿したのは「公武合体の証」となる子。家茂の喜びもひとしおで、和宮への情愛はますますこまやかになって行きます。
「禁門の変」は、勝(北大路欣也)の作った海軍操練所にも大きな影響を及ぼした。ここには長州についた者もいて、これでは操練所は取り潰しになると、勝の指図で塾頭の龍馬(玉木宏)は、京の小松邸を訪れ、「薩摩藩で塾生の面倒を見てもらえないか」と帯刀に願い出ます。
勝の厳しい立場を聞いて、「京の藩邸では狭いな」と引き受けることにする。これが、帯刀と龍馬の運命的な出会いだった。
さても気の早いことに、天璋院は和宮を見舞い、「私は家定様のお子を抱くことはできませんでした。その分、宮様には母としての喜びを味わっていただきたい」とでんでん太鼓を渡します。天璋院の「ふたりの間にお子が埋まればおばあちゃん」に観行院も「私も同じ」と喜びを露わにします。
和宮は「うれしゅうございました。天璋院さんが喜んでくださったことも。そして泣いてくださったことも」と言い、「公方様のお子を抱きたかった!公武合体のためではなく、日本国のためでもなく、ひとりの女として」と寂しく微笑むのでした。ここでのあおいさんと真希さんの、お互いを思って泣くお芝居は、涙です。
平和裏に解決したかと思われた長州問題は、年が明けた慶応元(1865O)年には早くも再燃した。
滝山から「今度は長州に遠征するとのことにございます」との報告を受けて、天璋院の顔が曇ります。そこに家茂からお呼びがかかり、行ってみると写真技師が撮影準備をしている。
***第40話おわり***