原作が辺見じゅんさんのノンフィクション小説「収容所(ラーゲリ)から来た遺書。それを「護られなかった者たちへ」「糸」の瀬々敬久監督が描くという。これで観ることにしました。
私の親族にはソ連抑留から帰還しものが2人います。抑留の話はあまりしませんでした。すでに亡くなっていますが、言えないことがあったんだろうと思います。
監督:瀬々敬久、原作:辺見じゅん、脚本:林民夫、企画プロデュース:平野隆、撮影:鍋島淳裕、音楽:小瀬村晶、主題歌:Mrs. GREEN APPLE。
出演者:二宮和也、北川景子、松坂桃李、中島健人、桐谷健太、安田顕、寺尾聰、市毛良枝、他。
物語は、
第2次世界大戦後の1945年。シベリアの強制収容所に抑留された日本人捕虜たちは、零下40度にもなる過酷な環境の中、わずかな食糧のみを与えられて重い労働を強いられ、命を落とす者が続出していた。そんな中、山本幡男(二宮和也)は日本にいる妻や子どもたちのもとへ必ず帰れると信じ、周囲の人々を励まし続ける。山本の仲間思いの行動と力強い信念は、多くの捕虜たちの心に希望の火を灯していく。
捕虜となってからの11年間、当初の絶望から希望を見出し、再び絶望に追い込まれる中で、山本を通して彼等が掴んだ「生きることの意義」が描かれます。必ず泣けます!
歴史的な背景をあまり詮索しないで、彼らの生き様を見る作品になっていますが、背景のシベリアの描写は無理としても、捕虜生活の映像はよく再現きているのではないでしょうか。日本映画を牽引している若い俳優さんたちの演技がすばらしいです。
あらすじ&感想(ねたばれ:注意):
1945年8月9日、当然ソ連軍が満州侵攻を開始した。山本は妻モジミ(北川景子)、4人の子供とハルピンのホテルで食事をしていた。空襲警報でホテルの外に出たところで爆撃があり、負傷した。「南に逃げろ!すぐ会える、日本で会おう!」言葉を残して、侵攻してきたソ連軍の捕虜になった。
シベリア奥地に向かう貨車は日本兵で一杯だった。皆が不安の中にいるのに山本は「ロシア文学は沢山読んだから、ロシアが見物できる」と呑気ことを言っていた。この姿を見た松田(松坂桃李)は「この人は正気を失っている」と思ったという。
二宮さんの「何を考えているのか分からない」というほんのりした演技が山本をよく表現しています。
彼らが着いた収容所はスベルドロフスクだった。
ソ連兵監視下日本人指揮官の指揮下で、森林伐採の過酷な労働が始まった。食事も2食で黒パン、零下40度以下にならないと中止はないというもの。この時期、まだ軍隊制度が生きていて、将校・軍曹がいばり散らす。同じグループの相沢(桐谷健太)は気にいらねば下級者をぶん殴るという男だった。「俺は2等兵でない」と山本は講義した。
山本は特務機関で働いていたのでロシア語ができ、ソ連兵の動きが読める。「いずれ国に戻れる」という確信を持っていた。
過酷な労働の中で逃亡者が出てくる。ソ連兵に射殺される。山本が遺体を埋めてやる。兵舎には小さな仏壇を設け、弔ってやる。これがソ連兵には気にいらない。激しく暴行を加えられ、これに反攻する山本は独房に入れられ吊るされる。
松田は「関わりたくない」と見ない振りをする男だったが、この過酷な状況の中で誰にも看取られず亡くなった男たちの面倒を見る山本に対して、特別な感情を持つようになってきた。山本を庇って独房に入れられた。
しかし、相沢は捕虜収容所に配属され上官の命令で捕虜を射殺した経験から「上官の命令が絶対だ。ここは戦場、人間を忘れた」という。
山本は何度も独房に入れられる状況が続いた。
そんなところに「ダモイ(帰還」が伝えられた。皆歓喜しナホトカ行きの列車に乗った。
ところがハバロフスクで停車し、残置するものと帰国者が区分された。山本らは残置することになった。
兵士たちはスターリンの肖像画のある舞台に上げられ、アクチブを強制されていた。そこに顔面を殴られた原(安田顕)がいた。彼は山本の上司だった。
山本らはソ連極東軍総司令部に連れ出され、25年間の強制労働を課せられた。
1947年、終戦から2年、山本らはハバロフスク収容所にいた。この収容は大きな絶望を産んだ。原が「君をソ連に売った」と白状した。
鉄道建設に携わっていた。現場までの雪の行進でバタバタと倒れる仲間たち。夏になると水泳を楽しみものも出てくるようになった。ここで出会ったのが漁師の新谷(中島建人)、そして黒い犬“クロ”だった。クロに慰められた。新谷が字が読めないというので教えることにした。そして俳句を皆に教えることにした。
妻モジミは友人の紹介で教職についていた。ソ連からの帰還者が舞鶴港に着くたびに迎えにでるが、「今回もだめ、もう止めよう」という長男顕一に「必ず帰る!」と決して諦めなかった。
1950年、終戦から5年。朝鮮戦争が始まって、帰国が絶望的なった。自殺者、逃亡して捕まり射殺さるものが急増してきた。
山本は様子がおかしい原に「生きるのを止めないで!一緒に帰りましょう」と励ました。
原は「俺を許すのか!」と泣いた。山本は異常な状況下で起こったことと原を恨む気はなかった。むしろ部下のときに文学の指導をしてくれたことに感謝していた。
皆はソ連兵に隠れて将棋や花札、囲碁を楽しみようになっていった。山本は布クズでボールをつくり、皆で野球を楽しむようになった。六大学野球で名を成した原もこれに加わるようになってきた。
これにソ連側が大反対をする。山本は「希望が必要なんだ、これで笑顔が戻る」と必性を訴えが、激しく殴られ独房に入れられた。原が野球の必要性をソ連側に説き、野球は作業効率を上げると許可された。
1752年、終戦から7年。日本への手紙が許された。皆が家族に当てて手紙を書いた。山本は「帰るという約束を守る」と書いた。このとき大きく咳き込んだ。
返事がきた。松田は母親を亡くし、相沢は妻と子供を戦災で亡くしていた。
相沢が「生きている意味がない」と絶望し自殺を図ろうとする。山本は「それでも希望がある」と止めた。相沢はこのとき“この意味”が分からなかった。
1954年、終戦から9年目。山本は収容所の医務室に入院していた。「病名が分からない」ということに反発して、収容所本部前で松田が断食を始め、これに皆が加わり作業をボイコットした。原はソ連側と「すでに9年が経つ。我々は家畜ではない。山本を救え!」と交渉した。収容所側がこれを認めた。が、山本は口頭ガンに侵され余命3月と分かった。
一番衝撃を受けたのは相沢だった。「絶対死ぬな、生きろ!」と介護役を買って出た。
原は「未来について書け!」とノートを渡した。山本は「ここにきて、人間が生きるというのはどういうことかが分かった」と答え、書き始めた。
原は「これでは奥さんに遺書が渡せない」と別ノートを与え、遺書を書くよう勧めた。山本が書き終えて、光の差し込む病室で静かに亡くなった。シベリアの地に葬った。
遺書をソ連兵の目からどう隠すか?4つにノートを切り分けて、原、松田、新谷、相沢が暗記することにした。
1956年、戦後11年。原らは、流氷の上を走ってくるクロを収容して、帰国の途についた。電報で山本の死を知らされたモジミは舞鶴に出向くことなく、庭に出て「あなたは嘘をついた」と泣いた。
原が最初で、松田、新谷、有沢の順にモジミに文書と口頭で遺言を伝えた。いずれも山本の生還したように遺言を笑顔で伝えた。最後の有沢は伝えた「妻よ!」の遺言に、モジミは「夫が帰ってきた」と納得して微笑んだ。
まとめ:
山本の「人が生きるとはどういうことか」はどの遺言にも書かれている”愛”でしたが、やかり子供たちに与えた「道義に生きよ!」が一番心に響きました。「出世などどうでもいい、自分を磨けば他人はついてくる」でした。まさに山本の生き様でした。
先般書いた映画「セント・オブ・ウーマン夢の香り」(1992)の結末もそうでした。本作は泣けるシーンが一杯でしたが、この言葉に「ウラー!」と密かに声をあげました。(笑)
山本が戦友たちを分け隔てなく愛し、励ます生き方に共感を持ちますが、一番感動したのか妻モジミが山本の手紙に送った返事「子供たちと義母と生きています」でした。「義母の面倒みることで山本と生きている」というモジミの生き方は「昭和の母親だ!」と思いました。
ということで、出演者のどなたの演技も申し分ないのですが、一番感動した演技は、泣くシーンの多かったモジミ役の北川景子さんにします。
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