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「戦場のピアニスト」(2002)原題:The Pianist

 

2002年度製作作品。名作中の名作ナチスドイツ侵攻下のポーランドで生きた実在のユダヤ人ピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマンの自伝の映画化、監督はポランスキーで彼もまたポーランド人の両親のもとに生まれ、収容所で母親を亡くし、各地を放浪して生き延びたという体験を持つという。2度目、DVD鑑賞です。

名作の感想を書くには力不足ですが、「感動の記憶をとどめたい」と駄文を残します。

原作:ウワディスワフ・シュピルマンの回想録、監督:ロマン・ポランスキー脚本:ロナルド・ハーウッド ロマン・ポランスキー撮影:パベウ・エデルマン、音楽:ボイチェフ・キラール。

出演者:エイドリアン・ブロディウワディ、トーマス・クレッチマンフランク・フィンレイ、ミハウ・ジェブロフスキー、エド・ストッパード、モーリン・リップマン、他。

物語は

1939年、ナチス・ドイツ軍がポーランドに侵攻。ワルシャワの放送局で演奏していたピアニストのシュピルマンは、ユダヤ人としてゲットーに移住させられる。やがて何十万ものユダヤ人が強制収容所送りとなる中、奇跡的に難を逃れたシュピルマンは、必死に身を隠して生き延びることだけを考えていた。しかしある夜、ついにひとりのドイツ人将校に見つかってしまう。(映画COMより)


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あらすじ&感想

1939年9月ユダヤポーランド人のピアニスト、シュピルマンワルシャワ放送局のスタジオで、穏やかな気分で“ショパン夜想曲を収録しているとき、突然爆撃で窓ガラスの破片が飛び散る騒ぎで収録中止となった。ワルシャワへのドイツ軍の攻撃開始だった。混乱の中で退社時、友人ユーレク(ミハウ・ジェブロフスキー)の妹ドロタ(エミリア・フォックス)に出会った

連合国の攻撃に伴い厳しい食料統制がはじまり、ユダヤ人はダビデの星印が付いた腕章して行動することになり、道路や公園の使用制限などナチスの監視下で不自由な生活を強いられた。そんな中でドロタとのデートを楽しんでいた。ドロタがチェリスト志望で、これからの逢瀬を楽しみにしていた。

1940年、ユダヤ人はユダヤ人隔離居住区(ゲットー)に集められて生活することになった。所持金は2000マルクと決められ、大部の財産はナチに没収された。ゲットーへの移動はユダヤ人で溢れた。不安そうにドロタが路上で見送ってくれた。

ゲットーに住めるのは働けるものだけ。働けない者はナチス憲兵によって処分される。車椅子の老人を見つけビルから投げ捨てる。シュピルマンは非ユダヤ人向けレストランでピアノを弾いていた。弟ヘンリク(エド・ストッパード)は反政府活動で逮捕され、彼の救出にまた父の雇用証明書取得に奔走していた。

1942年8月16日、突然ゲットーが廃止になり、ゲットーの全員が働けるものと働けない者に区分され、働けるものは収容所に。働けないものは貨物列車で別の収容所(死所)に送られることになった。

シュピルマンは父母と妹と一緒に貨物列車を待つ集団に入っていた。絶望の臭いのする光景。泣く赤ちゃんを「ナチス憲兵隊に見つかる」と口を塞いで殺した母親の叫び声、飢餓で転がっている遺体、ナチス警備兵に撃たれた遺体、多くの物乞い、絶望の老人などでごった返していた。父が買った1コのキャラメルを6等分して家族で食べた。

シュピルマンは「死にたくない」と逃げ出し、ユダヤ警察官のヘラーに助けられ、労働者の群れを紛れ込んだ。父母と妹たちは列車で運ばれていった。この映像があまりのも残酷で観るに忍びない、よく撮れた映像だった。

収容所のシュピルマン朝の点検で働けない者は即銃殺される。恐ろしい死と隣り合わせの毎日だった。

シュピルマンは建築現場のレンガ運搬の仕事についていた。彼にはキツイ力仕事で、運んでいたレンガを落とし監視兵に追われた。

救ってくれたのは反ナチス地下活動組織の元軍人マヨレクだった。彼の紹介でユダヤ人労働者に食料を運ぶ仕事についた。食料の中に隠された武器を収容所内に運び込む。食料を受け取りに街に出た際、歌手のヤニアを見た!「生きたい」という衝動に駆られ、彼女をつけた。彼女の夫アンジイは反ナチス地下活動組織員で、誰もいない隠れ家(アパート)を準備してくれ、「万一の場合は」と避難場所を指示した。ヤニアが食料を運んでくれた。

1943年4月19日、ナチス地下活動家が立てこもるビルを急襲するナチス・ドイツ軍。反ナチス地下活動組織の崩壊を目の当たりにして、シュピルマンは何をもなしえない自分を恥じた。ヤニアは「全滅でも希望がある、ドイツと戦う」という。ヤニアが亡くなり、アンジェイもゲシュタボに追われ、来れなくなった。隠れ家にナチス・ドイツ軍の臨検がはしまった。空腹に耐えられず食べ物を探していて隣室の婦人に発見された。

1943年12月、シュピルマンが避難場所を訪ねるとドロタがいた彼女は結婚して妊娠していた。夫婦で暖かく迎えてくれた。夜、ドロタが胎教にと弾く無伴奏チェロ組曲を聞き、「ピアノを弾きたい」と思った。次の日、隠れ家へ案内された。

ドロタの夫ミルカに「ここの方が安心だ!と案内された隠れ家はナチス部隊が駐在する地域内だった。目の前に軍病院、手前のビルが都市防衛警察。部屋にはピアノがあった。「ピアニストとして生きる」と「華麗なる大ポロネーズ」曲をエアー演奏してみた。

食料運搬は放送局の技術師だったシャワスが担当してくれることになった。しかし、シャワスの食料運搬は遅れがちで、シュピルマンは遂に病気で倒れたが、ミルカ夫婦が医者を呼んでくれ助かった。シャワスはシュピルマンの名で募金集めをしていた。ドロタが「近いうちに反ナチス地下抵抗組織によるワルシャワ蜂起がある」と教えてくれた。

日々病院の出入りが増えドイツ軍の不利が伝わる状況だった。

1044年8月1日。反ナチス地下活動組織は、ワルシャワ蜂起を起こし都市防衛警察に攻撃を仕掛けたそれに対してナチス・ドイツ軍の大規模な掃討作戦が始まった。シュピルマンのいるビルも砲撃され、ナチス兵によるビル捜索が始まった。シュピルマンは部屋を逃げ出した。一夜を病院で過ごし、廃墟となったビルの天井部屋に逃げ込んだ。どこからかベートーヴェンの“月光“が聞こえた。誰かいるのか?(ホーゼンフェルト大尉が弾いていた)

食べる物がない!空腹の中で探し出したピクルスの缶詰。缶切りがなく、火箸で穴を開けっていたところ、音を聞きつけたドイツ将校ホーゼンフェルト大尉に見つかった。ホーゼントフェルト大尉が「何やっている」と聞き、名前と職業を聞いた。「ピアニストだ」と答えると、ピアノのある部屋に案内し「弾いてくれ!」という。

シュピルマンは汚れた指で何年も弾いてないが「聞いてくれ!俺のピアノを」とショパンの“バラード第1番”を弾いた。ホーゼントフェルト大尉は椅子に座りじっくりと聞き、心打たれ、「ユダヤか?」と聞き、そのまま部屋を出て行った。

ナチス・ドイツ軍は連合軍の進攻で末期的状況に追い込まれていた。ホーゼントフェルト大尉は指揮所をこのビルに移し、大尉が「ソ連軍が迫っている。あと数週間待つがよい」とジャム付パンと缶切りを運んでくれた。撤退の日、「戦が終ったらピアニストか、聞くよ」と食べ物と「寒いだろう」と軍用コートを置いて出て行った。

ドイツ軍に変わりポーランド軍がやってきたシュピルマンはドイツ軍コートで助けを求め駆け出したが、ドイツ兵と間違えられ射撃を受けた。懸命の説得でポーランド人と分かってもらえた。

強制収容所から解放されたユダヤ人たちがドイツ兵捕虜を見て罵声を掛けていると「ピアニストのシュピルマンを助けた。助けてくれるよう伝えてくれ」とヴァイオリニストに声を掛けた。

シュピルマンはピアニストに戻り、ラジオのスタジオでショパンの“夜想曲を収録していた。そこにヴァイオリニストが訪ねてきて「捕虜のドイツ将校が助けを求めていた」と伝えた。シュピルマンは彼とともにすでに廃墟となったドイツ捕虜抑留地を訪ねた。

ラストシーン、平和が戻った劇場

シュピルマンはオーケストラで“華麗なる大ポロネーズ ”を演奏していた。

 まとめ

ホロコーストを体験したピアニストの物語ナチスホロコーストを潜り抜け、反ナチス地下組織によって匿われ生きることに望みを託すが、ナチス・ドイツ軍の掃討作戦であわやという状況で、そこに現れたナチスドイツ軍将校にピアノ演奏を聞かせたことで救われる。ラストシーンで未来に希望を託したオーケストラのピアノ演奏で物語を閉じる。

ナチスの犯した罪は許せない人類への大罪で、忘れることはできないが、これを許して前に進む。ピアノの世界ならこれを超えられる、“怒りと赦し”の壮大な世界感のある物語と感動しましたタイトルの「戦場のピアニスト」では物語の世界感が狭すぎる。原題のThe Pianistが合っていると思います。

原作者のウワディスワフ・シュピルマン、監督のロマン・ポランスキー、いずれもホロコースト経験者。経験した者でしか分からない情感のある小さなエピソードの積み上げ。大量のエキストラを使い、まるで当時を再現した映像。これらが相まって、観る人の感情を揺さぶり、ホロコーストの罪深さが伝わるすばらしい映像でした。

一度は消えたピアノの音が蘇り、強い生への欲望、その未来への希望へと繋がるピアノ曲で綴られる物語だった

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