
18年間続いた朴正煕大統領の独裁が暗殺事件(1979)で幕引き。戒厳令下、崔圭夏が大統領に選出されソウルの春が訪れると期待された。陸軍参謀総長兼戒厳司令官鄭昇和大将は合同捜査本部長としての権限を活用し、権勢を増していく全斗煥に危機感を持った。本作は全斗煥が機先を制して鄭昇和大将更迭を謀ったことに端を発したクーデター、陸軍内の抗争を描いたもの。実話をモチーフにしたフクションだと断りがあります。
とても評判がいい作品。WOWOWの初放送で鑑賞しました。
当初クーデターでなかったものがクーデターへと変わっていくプロセスがリアルでかつダイナミックに描かれ、軍内闘争の恐ろしさを目に焼き付けてくれます。そして反乱軍に向けて放つ首都警備司令官の言葉「大勢の市民が見ている、やめろ!お前は大韓国の軍人として人間として失格だ!」が40年の時を超えて「二度とあってはならない」と胸を打ちます。
全斗煥の政治を振り返って韓国民の叫びではないでしょうか。
韓国では2023年の観客動員数第1位となる大ヒット記録ドラマであったという。これが分かる作品でした。昨年の尹錫悦大統領の「非常戒厳」宣言に対する国民の迅速な反応、この作品の影響があったとみています。
朴正煕大統領の暗殺事件を描いた「KCIA 南山の部長たち」(2019)を観て本作をみると理解しやすいと思います。
監督:キム・ソンス、脚本:ホン・ウォンチャン イ・ヨンジュン キム・ソンス、撮影:イ・モゲ、編集:キム・サンボン、音楽:イ・ジェジン。
出演者:ファン・ジョンミン、チョン・ウソン、イ・ソンミン、パク・ヘジュン、キム・ソンギュン、他
物語は、
1979年10月26日、独裁者と言われた韓国大統領が側近に暗殺され、国中に衝撃が走った。民主化を期待する国民の声が高まるなか、暗殺事件の合同捜査本部長に就任したチョン・ドゥグァン保安司令官(ファン・ジョンミン)は新たな独裁者の座を狙い、陸軍内の秘密組織「ハナ会」の将校たちを率いて同年12月12日にクーデターを決行する。一方、高潔な軍人として知られる首都警備司令官イ・テシン(チョン・ウソン)は、部下の中にハナ会のメンバーが潜む圧倒的不利な状況に置かれながらも、軍人としての信念に基づいてチョン・ドゥグァンの暴走を阻止するべく立ち上がる。(映画COMより)
あらすじ&感想:
○冒頭、陸軍本部B2地下施設における主要陸軍将校会議。
招集された陸軍本部人事参謀部次長のイ・テシン少将(チョン・ウソン)は「前線で何かあった?」とカン大佐に確認をした。カン大佐から「何も起きてない」を聞き安心した。テシン将軍はパク・チョンヒ大統領の暗殺を知らない、北韓軍の動向に関心のある甲種将校候補生出身の生粋の軍人だった。
首相のチェ・ハンギュ(チョン・ドンファン)からパク・チョンヒ大統領の逝去と非常国務会議の開始が告げられた。
○1979年10月27日、午前4時非常戒厳令が宣布され戒厳司令官にチョン・サンポ大将(イ・ソンミン)が、戒厳司令部合同捜査本部長に国軍保安司令官のチョン・ドゥグアン少将(ファン・ジョンミン)が任命された。チョン少将は陸軍士官学校(陸士)11期生で軍内秘密組織「ハナ会」のリーダーだった。
保安司令部(西氷庫分室)でチョン少将による前中央情報部長キム・ドンギュの取調べが始まった。
パク・チョンヒ大統領の葬儀。
すばらしい映像です!このワンショットにこれほどの人、物、金をつぎ込めるのが凄い。
11月6日、ドゥグアン少将によるパク・チョンヒ大統領暗殺調査結果の発表。
キム・ドンギュは「こんな虫けらのようなやつ!まともな政治が出来るか!」と拳銃で警護室長を撃ち・・・」と事件概要を説明。記者団からの質問「チョン参謀総長は殺害現場にいたのか?」に「参謀総長に何の嫌疑もありません」と答えた。この答えを後にひっくり返し、参謀総長逮捕の理由にします。
このころ、イ・テシン将軍は参謀総長に呼ばれていた。
参謀総長はイ将軍に「政治とは距離を置く真の軍人だ」と首都警備司令就任を打診するがイ将軍は断った。しかし、保安部の存在には危機感を持っていた。

チョン保安司令官が各部の次官を集めて状況報告を求める。「これはまるで国務会議だ」と保安司令官の行き過ぎた権力行使に陸軍参謀次長兼戒厳司令部副司令官ミン・ソンべ中将(ユ・ソンジュ)は危機感を持っていた。同じように危機感をもつものに陸軍憲兵監のキム・ジョニョプ准将(キム・ソンギュン)がいた。
○戒厳令司令官チョン・サンホ大将と調査本部長チョン・ドゥグアン少将が対立、激化していく。
11月9日、全軍指揮官会議、
チョン参謀総長が「軍は本来の任務、国防に専念するように」と訓示した。ドゥグアンは「何言ってやがる!誰のことだ」と反発した態度を見せた。その後、ドゥグアンが「感銘を受けました!」と挨拶して首都警備司令官にノ・デコン少将(パク・ヘジュン)を推薦した。ノ少将は第9師団長で陸士11期、ハナ会メンバー。参謀総長は「私の権限だ!」と断った。
ドゥグアンは調子のいい、傲慢で頭のよくまわる男だなと思った。
参謀総長がイ・テシン将軍を呼び首都警備司令官を要請した。テシンは断ったが、参謀総長の「ドゥグアンが保安司令官と捜査本部長を兼務しやりたい放題だ。ハナ会が首都警備司令官の座にまでせしめてもいいのか、国は危機的状況だ!」と説得し、テシンは首都警護司令官職を受け入れた。
11月16日、イ・テシン少将は首都警備司令官に就任。
閲兵で兵士にハナ会の評価を聞く。高く評価している兵士がいることが分かった。参謀長のカン・ドンチャ大佐から3名の団長でハナ会に所属していると報告を受けた。陸軍憲兵監のキム・ジョニョプ准将から「米軍からドゥグアンに気負つけろ」と連絡があったことを聞く。
ドゥグアンは独自の軍改革(人事)案を通すため、参謀総長の買収に向かった。
参謀総長を国防長官または警護室長に移動させるよう保安司令部秘書室長ムン・イルビョン大佐(パク・フン)に作成を命じた。
ドゥグアンは「大統領府の秘密金庫に9億あり1憶は自分が8憶を参謀総長が使ってはどうか」と参謀総長の買収に乗り出した。しかし、参謀総長は「国家に納めるべき」と反対し、「君は中央情報部に警護室長まで牛耳っていると言われている。戒厳司令官に逐一報告しなさい」とドゥグアンを叱責した。
ドゥグアンはパク・チョンヒ大統領暗殺関与罪で参謀総長逮捕を示唆した。
保安司令部捜査課長のイム・ハクチュ中佐(イ・ジェユン)にパク・チョンヒ大統領暗殺調査結果の「チョン参謀総長に共謀の疑いなし」を「キム・ドンギュが参謀総長を呼んだのだから嫌疑ありだ」と再考を促した。軍の恐ろしさ!上官の命令には逆らえない!
参謀総長は国務総理官邸(三清洞)にオ・クグサン国防長官(キム・ウィソン)を尋ねドゥグアンの不正を訴えた。
「ドゥグアンはパク・チョンヒ大統領の業績を評価した記事を書かせていること。不正蓄財を口実に無関係の人物を拷問している、放置してはダメだ」と訴えた。長官が「ドゥグアンから金を貰った」と告白。参謀総長が「自分が返納してもよい」と答え、
「年末の軍改編でドゥグアンを東海防御司令部に転属させる」人事案を提示した。
ノ・デコン少将がドゥグアンの参謀総長逮捕に協力することになった。
ドゥグアンの自宅に訪ねてきたノ・デコン少将は「自分は56師団に飛ばされる。ハナ会は皆、閑職に追いやられる」と嘆く。ドゥグアンは「情報は全部自分が握っている。参謀総長に嫌疑をつけ逮捕できる」とノ少将の協力を求めた。少将は震えながら賛同した。(笑)
12月9日夜、ハナ会秘密会同で「参謀総長逮捕」が決まった。
「チョン参謀総長を内乱幇助罪で逮捕する案」が参加者に配られ、審議した。先輩の将官たちが失敗した場合を心配する。「違法ではないか?」「クーデターになるのではないか」の意見に、ドゥグアンが巧みな話術で「自分が責任を取る。大統領の決済を受ける」と主張し、賛同を得た。大佐以下のものには将官に、先輩たちには除隊せず昇任することを約束した。

決行時期は新政府組閣発表の前、12月12日と決まった。
○ドゥグアンの参謀総長逮捕作戦計画
作戦が終了するまで拘束するため首都警備司令官、憲兵監、特殊戦司令官のコン・スヒョク少将(チョン・マンシク)を拘束する。このため「ドゥグアンの誕生祝い」と称して宴席に招待し接待する。
第30警備団指揮所を“保安本部”とする。ここに通信傍受室を設置した。
参謀総長逮捕は第33憲兵隊のハ・チャンス大佐、ユン・ウミョン大佐が担当。
ドゥグアンがチェ・ハンギュ大統領から参謀総長逮捕令状の裁可を取り付ける。
参謀総長逮捕令状の裁可と参謀総長の連行はほぼ同時期に行う。うまく行けば合法的で成功。万一、参謀総長連行時に部隊衝突が生じたとき第30警護団で対応する。第30警護団団長はチャン・ミンギ大佐(アン・セホ)、陸士16期、ハナメンバー。
12月12日、計画が実行に移された。
直前にドゥグアンが参謀総長に呼ばれ「この事件で北への警戒心が希薄になっているからキム・ドンギュ元部長の最終陳述で“容共分子を警戒しろ”と言わせてくれ」と依頼された。ドゥグアンは絶好の時が訪れたと喜んだ!
1820、首都警備司令官、憲兵監、特殊戦司令官が料亭に着いた。いつまでたってもドゥグアンが現われず、「参謀総長公邸で緊急事態が起こった」を聞きつけ、それぞれが自分の部隊に戻った。
1828、ドゥグアンが国務総理官邸に到着、大統領と総理に面会し参謀総長逮捕状の裁可を求めるが、大統領は「この時間に決済することか、明日国防長官と来てくれ」と認めない。
1830、参謀総長逮捕班が官邸地区に到着。参謀総長に「キム・ドンギュの裁判で総長の証言が必要です。録音場所に」と強引に連れ去る際、参謀総長の護衛兵と憲兵隊の撃ち合いとなった。騒ぎを聞きつけ海兵警備隊が駆け付け、憲兵隊と衝突。
この騒ぎで国防長官が韓米連合司令部に逃げ出した。
陸軍本部(三角地)では軍参謀次長ミン・ソンべ中将が参謀総長公邸の騒動を総長の奥さんの連絡で承知し、指揮所を立ち上げた。
イ・テシンは首都警備司令部に戻った。指揮下の第30、第33警備団長と連絡が取れない。参謀総長公邸にオ中佐に命じて装甲車と機動部隊を派遣した。イ・テシンは参謀総長公邸に向かった。
1930、ジュニョポ憲兵監が総理官邸の衛所に電話して、衛兵から「保安司令官が来て1時間経過している」と聞く。憲兵監は「保安司令官を逮捕しろ!抵抗したら射殺してよい」と命じた。(この電話は傍受さえていた)
○保安本部で指揮を執っていたノ・デコンが作戦は失敗」と判断し、ドゥグアンの副官に撤収を指示した。

ドゥグアンは大統領に「政治決断をして欲しい」と必死に懇願していたが、そこにノ・デコンからの指示が伝わった。ドゥグアンは大統領室から撤退。1955、衛所で衛兵によって逮捕された。
陸軍本部の陸軍参謀次長から衛所に電話で「逮捕せず、待機させろ!」と命令がきた。衛兵は「憲兵監の命令です」と答えたが、「命令に従え!」と激怒。陸軍本部の参謀が「次長、逮捕すべきです」と具申するが次長は聞く耳を持たない。参謀次長は現場にいるイ・テシンに電話で「ドゥグアンの逮捕は戒厳司令官の同意が必要だ、勝手に動くな!誰が責任をとる」と指示した。イ・テシンは「それでは拉致された参謀総長の居場所が掴めない」と反対するが参謀次長は怒って電話を切った。憲兵監が参謀次長に「逮捕すべし」と抗議したが「決定権は私にある」と無視した。
参謀次長の命令でドゥグアンは総理官邸から脱出した。
ドゥグアンは第30警備団に逃れ込んだ。これを知った参謀次長はイ・テシンに「ここに逃がすとは何事か!あなたの管轄ではないか!昼からそこにドゥグアンとノ・デコンが集っていたのを知らなかったのか」と激怒した。憲兵監は「“珍島犬(チンド)を発令すべきだ」と具申した。珍島犬とは反乱軍の制圧作戦。
イ・テシンは第30警備団長、第33憲兵部隊長の逮捕、射殺を命じた。
○2020、陸軍参謀次長は全軍に珍島犬1号を発令した。
この事態を保安司令部主導の軍事反乱とみなし戦時に準じると判断、指揮本部を陸軍本部に置くというもの。
保安部(反乱軍)指揮所は珍島犬1号発令で大混乱!
帰還したドゥグアンに「反逆罪だぞ!」と批判が集まる。ドゥグアンは「この程度の覚悟がなかったか」「失敗すえば反乱、成功すれば革命だ。まだ作戦開始して98分しかたってない」と次なる目標を国防部長官の確保にした。
その国防長官は韓米連合司令部から退去を命じられ陸軍本部を頼ることにした。
イ・テシンは反乱軍指揮所に「戦車で攻撃する」と伝えた。
第30警備団、33憲兵隊の原隊復帰、参謀総長の引き渡しを要求し、「反乱を起こしたお前らの首を戦車で吹っ飛ばす」と電話した。

この言葉でドゥグアンは第2空挺旅団、第9師団(国境配備師団)の投入を示唆した。これにはノ・デコンが渋ったが「今が戦争だ!」というドゥグアンの言葉に折れた。しかし、第9師団はこの命令に躊躇していた。
イ・テシンは第8空挺旅団を投入、第26師団、第30師団を予備隊として反乱軍を景福宮に封じ込めることにした。
陸軍本部指揮所の参謀次長は「話し合いで決着をつける」ため時間を稼ぐ作戦を指示。これに憲兵監は「初動が大切!」と反対した。参謀次長はすでにみたように消極的過ぎる。
特殊戦司令部では第2、第4空挺旅団と連絡が取れなかったが第2空挺旅団がすでに出動していることを知り、第8空挺旅団の出動を命じた。第2空挺旅団は第2漢江橋に進出し市民と対峙していた。反乱軍にとって第9師団をソウルに入れるため幸州大橋の確保が焦点となってきた。警備地域担当の第3師団長は保安司令官秘書から脅しをかけられ確保を諦めた。そこに第2空挺旅団が迂回し現れた!

第33憲兵隊が総理官邸を占拠。ドゥグアンは「全軍の願いだ、遅れれば内戦になる」と再度大統領説得に官邸を訪れた。大統領は拒否した。2250説得を止めた。
第2空挺旅団が第2漢江橋通過を諦め幸州大橋に進出。しかし、阻止する部隊も障害物もない。イ・テシンが陸軍参謀次長に対処を願い出ても埒が明かない。自らが橋の中央に立ち「軍法会議に掛けられるぞ!」と先頭車を止めた。特殊戦団司令が第2空挺旅団長に帰投を薦めた。これで第2空挺旅団が後退を始めた。
反乱軍は戦況悪化によりハナ会の血縁、地縁、学閥全てを使って「出動すれば内戦になる」と喧伝し制圧軍を阻止する作戦に出た。この結果、出動を予定していた第3軍野戦司令部には出動を躊躇する部隊が現れ始め、第26師団が出動中止となった。イ・テシンが懸命に第8空挺旅団長を説得して出動を取り付けた。
ドゥグアンの説得で再び第2空挺旅団が行動開始した。
陸軍参謀次長ドゥグアンの話し合いで第2空挺旅団と第8空挺旅団の同時帰投が決まった。
これはドゥグアンからの提案だった。特殊戦司令官は「旅団長のト・ヒッチョルは信用ならない」とこの案に反対したが参謀次長が「参謀総長を取り戻せる」と独自判断したものだった。
○0040、第2空挺旅団が幸州大橋を占領。形勢が逆転!制圧軍が窮地に!
参謀次長は又もドゥグアンに騙された!第2空挺旅団の陸軍本部への脅威が高まり、本部は首都防備司令部に移転することに決まった。イ・テシンはこれを聞いて無念がった。
国防部長官は「移転したらドゥグアを説得する」と嘯く。憲兵監は「国が転覆したら我が軍の恥だ」と移転に反対した。
特殊戦司令部が第4空挺旅団の謀反で崩壊!
特殊戦司令官専属副官オ・ジンホ(チョン・ヘイン)は最期まで司令官とともに行動し戦死した。
0140、第2空挺旅団が国防本部を攻撃、(この映像もよくできている)
国防部長官が逮捕された。憲兵監が射殺された。
○首都警備司令本部の最後
イ・テシンは反乱軍鎮圧を決心。カン参謀長が「十分やった、戦っても意味がない」と止めたが、司令部要員100名と数量の戦車、装甲車を練兵場に集合させ、「陸軍参謀総長を拉致した反乱軍は第30警備団に集まっている。諸君は首都警備司令部の名誉と任務を守るために勇士だ。私は勇士とともに反乱軍を制圧に行く!絶対先に撃つな!」と訓示した。

第30警備団は幾重もの障害を構築し接近を阻止していた。イ・テシンはマイクで「直ちに武装を解除し投降せよ!」と警告した。反応がないので「155ミリりゅう弾砲6門、各砲3発を発射する。危険な行動に出たら即刻全面戦争だ」と警告した。捕われていた国防部長官が放送で「首都警備司令官の職を解く!」と宣告した。
イ・テシンは兵士たちに「ここまでだ、ご苦労だった!韓国で最も無能な指揮官に従って苦労したな!部隊に帰投して休め!」と命令し、ひとりで障害物を乗り越え、衛門に接近した。大勢の市民が見ている中で「お前は大韓国の軍人として人間としても失格だ」と叫び、憲兵に捕まった。
まとめ:
次から次へと話が繋がる軍隊の異常な行動、粘っこい作品でした。
すばらしい映像で、嫌というほどに軍隊の恐ろしさ、ばかばかしさを伝えてくれます。まるでドキュメントのようだが、しっかりしたドラマになっていた。兵士の死や家族との別れ、首都警備司令の最後の命令のように泣けるシーンもあり、市民の胸には響いたでしょう。ソウルが火の海にならなくてよかった!
結果は反乱軍の勝利だった。
これでソウルの春は潰えた。しかし、首都警備司令官の言葉とその行動は韓国民の心を強く引き付けたでしょう。大きなメッセージのある作品でした。
ファン・ジョンミンとチョン・ウソンの演技には圧倒されました。
しっかりメイクされ本物の間違えるほどでした。韓国に軍隊映画を作らせたら世界一ではないかと思うほどにいい映像が多かった。
かって日本にも同じようなことがあった。軍内にハナ会のようなものを作らせてはならない。シビリアンコントロールの大切さ、しっかり人事をコントロールすることが大切だと思いました。
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