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第11回「さらば愛しき人よ」

やっと直親・政次・次郎の間に幼き日のように平穏な日々に戻ったかに見えましたが、直親が元康と手を組むことを決意したことから、今川の放った罠に陥り、政次が拘束され、直親は自ら身を賭して申し開きに赴くことになり、3人にとって悲しい別れとなりました。そして、命を削って救出した瀬名とも敵味方となってしまうという運命。
直親との別れは、直親の無念さ、「なにをしても・・どんな卑怯な手を使っても戻ってくるのじゃ」と今川に送り出す次郎の切なさが伝わって、涙です。しかし、次郎は、瀬名救出がことの起こりではなかったかと、大きな呵責を負うことになりそうです。
次郎は政次の救出に最善をつくしたが叶わなかった。彼を信じ「生きていて欲しい」と願っていると思いますが、政次が今川に内通したという。なぜ内通したのか?直親は約束を守ったのかという疑い、井伊家にことが起こればその始末に使われるという幼いころから舐めてきた屈折した思いが噴出したのでしょうか。
瀬名は、次郎の頼みに応じず、元康に賭け「今川氏を潰してやる」という生き方を求めて次郎を失望させる。敵味方となったふたりは今後の物語にどう絡んでくるか注目です。
今回は、直親の最期。これまでの伏線がうまく回収され、とても感動的なドラマでした。
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駆けこんできた馬上の男は、松平元康の家臣石川数正。元康は人質の鵜殿長照の忘れ形見:鵜殿氏長・氏次と瀬名たちを交換、難を逃れた瀬名たちは岡崎に発つことになる。佐名は瀬名らの命が助かったことで次郎に感謝します。1年待って力をつけ人質交換で瀬名を取り戻すという家康の遠望深慮、これに比し実直で爽やかな直親にはこの才がなく悲しい結末となりました。佐名と瀬イメージ 7名は敵味方となることになり、佐名は瀬名が岡崎に発つ前の晩、寝床で孫たちを真ん中に寝て「たとえ敵になっても迷うことなく今川を手に入れるように」と勧め、まもなく佐名が元康の謀反の罪で自刃に追い込まれ、これを最後にふたりは二度と会うことはなかった。花總まりさん、熱演ご苦労さまでした。

〇今川が仕掛けた罠
・直親は駿河から帰ってきた次郎から、元康の人質交換のこと、命乞いをした際に見せた寿挂尼の余裕のない様子を聞き「今川はもう駄目かもしれない」と感じる。
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・そのころ駿府の今川館では氏真が「元康はやがて駿河に攻め込む。しかし武将も兵も失ってしもうた。戦おうにも満足に戦えず、それを見た恩知らずが次々と寝がえり、ますます戦えぬ」と愚痴を言うと寿挂尼は「事というのは起こる前に握りつぶすものだ」とまさに女城主として氏真に策を授ける。

・次郎に、元康の使者だという山伏から「瀬名を救ったお礼の品と直親を鷹狩に招待する」という案内状が届けられる。
直親はこの書状を次郎から受け取り、政次のところに出かけ「瀕死の今川氏の道連れにはなりたくない。元康と手を組みたい」と意見を求める。政次は「元康と会うには時期尚早、今川に謀反の嫌疑を掛けられる」と反対するが直親の熱意に押し切られる。
政次は「2点守って欲しい。今川の間者がどこにいるかわからないのでこの件は口に出さぬこと。いざというときに守り切るために全てを報告すること」と直親に約束させる。イメージ 3
鷹狩の日、直親は書状を持ってきた山伏とある山寺で元康に会う。瀬名救出についての大いに感謝される。この山伏(ほっしゃん)、阿部サダ家康に似ています。()
会談後、元康から授かった感状を政次に見せ「元康は年の割に貫禄がある精悍な顔した男、手に刀傷があった」と話す。直親が「酒の席で縁談の話もすこし出た。おまえ、嫁をもらわないか」と問うと「小野家は亥之助が継げばよいので、独身のままでいい」と言う。直親は「“今川氏の支配から脱却すれば”次郎の還俗がかなう。ふたりで夫婦になってはどうか」と勧める。これに政次は「次郎さまは望まないでしょう。これまで我慢してきたのだから、次郎さまには好きなようにしてあげて欲しい」と断る。そこに次郎がやってきて、ふたりは驚きイメージ 4「お前が今川や松平に嫁入りしたらどうなるかと噂していたのだ」と揶揄う。「わたしほと尽くす女子はいない」と次郎。
次郎が井戸を掃除し始めるので、直親が「井戸の子がなぜ助かったかの答えはなんだったか」と聞くと「どれも正解じゃ。答えは一つとは限らぬじゃ」と南渓和尚の真似をして、かっての幼い日を思い出したように答えるのでした。こうやって三人は笑って、政次はいつもの報告のために駿河へ出立つ。

〇元康からの返礼
このころ龍潭寺には、先日とは違う山伏姿の常慶が「元康からのお礼の品を預かってきた」と次郎を訪ねてくる。「先の山伏は今川の手の者だ、騙された」と次郎は直親に知らせる。直親は「元康の助力があれば今川をけん制できる」と南渓を通じて元康に助勢を求める。

〇直次の今川内通
駿府の今川館に着いた政次は寿挂尼に呼びつけられ「直親は元康と内通してないか?」と問い詰められる。寿挂尼は直親からの返書を証拠に示すが、政次は「字体が違う」と反論する。しかし、部屋には手に刀傷のある男がいて、「目付でありながら井伊に加担していたのか」と追い詰められた政次は井伊家を裏切り、改めて今川氏の目付として働くことを誓う。
「あれほど念押ししていたにも関わらず直親の失態、もはやこれを被ることはできない、地検の二度目はない」。井伊家にことが起こればその始末に使われるという幼いころから舐めてきた屈折した思いが噴出したのでしょう。頭の斬れる政次には耐えられなかった。

〇政次救出に奔走する次郎
・次郎は「瀬名の命乞いで今川の罠であった書状を直親に渡すことになった」と自分を責め、元康のもとに赴く南渓に「一緒に連れていって欲しい」と懇願する。イメージ 5
・南渓と常慶と次郎が岡崎に向かっている間に、今川の使者が井伊谷を訪れ、直親に「急ぎ申し開きに来るように」という氏真からの下知を伝える。これを聞いて直親は覚悟を決める。

・岡崎についた次郎たちは、常慶を通じて元康に助力を願い出るが「今は兵がない」と聞き入れられない。次郎は瀬名の命を助けた恩を返そうとしない元康に怒りを感じる。瀬名母子は今川氏出身であるとして松平家では蔑ろにされ城にもいれてもらえず寺に置かれていた。次郎は瀬名と息子の竹千代を人質にして元康の助力を取り付けようと瀬名を訪ね「井伊谷に一緒に来て欲しい」と懇願するが、瀬名は「わたしでは人質イメージ 8にはならない。捨て置かれるだけ」と申し出を断る。しかし次郎の必死の願いに申し出を受けることにする。しかし、門を出たところで次郎を裏切り寺に戻ってしまう。これは次郎を寺から追い出すための行動。瀬名は何としても元康に取り入り母佐名の望みである「今川を獲る」ことにしたのです。
城の門を叩き続ける次郎に、南渓は「内通すると決めたのは直親だから、いざというときの覚悟はしておろう。おまえのせいではない」と強く諭す。次郎は諦めきれず門を叩き続けるのでした。瀬名との決別も、次郎にとっては悲しいものになりました。岡崎から帰った南渓は「元康殿には助力を断られた」と直親に報告。

・この頃、氏真は呼び出しに応じない直親にどうすればと、亡き父親政直の「お前は必ずわしと同じ道を辿る」という言葉を思い出しその通りになったと感慨している政次に助言を求める。「すこし脅してみては」という助言で井伊谷に兵を差し向け、都田川の対岸に迫っていた。
今川の出兵を知らされた直平と直由は「迎え撃つしかない」と家中の者たちを鼓舞する。直親は「このようなことが寅松に起こったらそうして欲しい。今回のことは自分の失態が招いたこと。わたしが今川氏に申し開きをすれば済むこと」と自ら出向くことを伝える。
直平は「家族を見送る悲しみはこれ以上味わいたくない」と泣いて駿河行を止めようとするが、直親の意志は揺るがなかった。
南渓は直親に「政次をどう思うか?」と問うと「政次は井伊家を守ったと思いたい」と答え、これまでの決心を変えない。
イメージ 9直親は帰宅し、“しの”に駿河行を伝えると涙ぐむ。そんなしのに「寅松が生まれてから寺の井戸に水が湧き始めた、寅松はきっと御初代さまの生まれ変わりに違いない」と諭し、寅松に「生きていれば、必ず好機はある」と話し掛けるのでした。

_____と駆け出しました 追い込まれたからです_____________________________________________________________________________________________________________〇直親、今川館への出立
岡崎から戻って来た次郎に、直親は「井伊谷の喜びに満ちた日々を続けるという約束を守れなかった」と詫びると「何故あやまる。悪いのはわたし、瀬名の命乞いをしなければよかった。男子に生まれればよかった、駿府に行くのは私であった」と声を荒げるが、直親は「それは困る。もしおとわが女子でなければ、俺のたったひとつの美しい思い出がなくなってしまう」と微笑むのでした。イメージ 6
直親が「川名であげた経を聞きたい」とせがむが、「あれは死者を弔うものだ」と断る。これに直親は「戻ってきたら一緒になって欲しい」と告白すると次郎は快諾する。二度と会えることがないかもしれない悲しい別れにあって、ふたりは楽しかった幼いころの思い出に帰っていったのでしょうか。こうでなければ直親は死ねなかったでしょう。
直親は僅かな兵を連れて駿河に発った。遠くなる直親の背中に、次郎は泣きながら「なにをしても、どんな卑怯な手を使っても、戻ってくるのじゃ」とイメージ 1叫ぶのでした。しかし、誰も直親が生きて戻れるとは思っていなかった。直親は途中で今川氏の闇討ちにあい・・・、悲しい別れとなりました。
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記事 20170321
NHK「直虎」次郎法師、今生の別れに涙13・7%