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「わが母の記」(2012)いつになっても子を思う母の愛、見とれなかった息子の無念!

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井上靖の自伝的小説「わが母の記」3部作の映画化。監督は原田正人さん。
昭和39年を舞台に、幼少期に母に育てられなかったことに葛藤を抱き距離をとって暮らす小説家伊上洪作が、家族に支えられながら、記憶が薄れていく母・八重と母子の絆を確めるというもの。

「老い」はどのように母を変え、それを見つめる家族がどのように変わっていくのか、心温まる家族の絆が丁寧に描かれています。原田監督にはめずらしく会話がゆっくりで、情感たっぷりで、小津作品の雰囲気があります。(笑)

伊吹洪作を役所広司さん、老いて消えゆく記憶をたどる母親・八重を今は亡き名優樹木希林さん。三姉妹には三女・琴子、長女・志賀子、次女・紀子をそれぞれ宮崎あおい美村里江・菊池菊池亜希子さん、他に南果歩キムラ緑子三浦貴大さんらが出演です。

希林さんの惚けばあちゃんの演技役所さんと紡ぐ母と息子の絆。宮﨑さんのあどけない制服姿の女学生から成人した女性までの歳を重ねる演技がすばらしいです。
四季を通じての、伊豆や湯ヶ島、沼津のほか、東京・世田谷の井上靖邸などの風景が、富貴晴美さんの音楽と相まって物語に風格を添えています。

****(ねたばれ)
冒頭、主人公・洪作(役所広司)の回想シーン。雨のなかで佇む親子。洪作が幼くして母・八重(内田也哉子)からお守りを渡され、土蔵のおばあちゃんに預けられるシーンから物語が始まります。
1959秋、
父・隼人(三国連太郎)の見舞いに伊豆湯ヶ島の実家を訪れた洪作は、妹・志賀子(キムラ緑子)と食事しながら、「土砂ぶりの日、僕だけが棄てられたようなものだよ」と母・八重の思い出を語る。
父親に「(小説が)よく売れている。50万部で家族総出の仕事だ」と帰りの挨拶をすると、父がしっかり手を握り返してくる。小津作品を観ているようで、細かい演出がなされています。
わさびを洗う母・八重に「また来る」と挨拶してバス停に、母が追っかけわさびを届けに来る。母親の心使いが伝わってきます。秋の伊豆の風景がとてもうつくしく、日本の秋の美しさに癒されます。

東京世田谷の自宅に帰ると、家族総出で出版本の検印作業中。そこに三女琴子(宮﨑あおい)の姿はない。妻・美津(赤間麻里子)が「琴子は、小説に書かれることを嫌がって抵抗している」と言う。「家族のために書いてるんだよ!」と洪作。家族のなかでの絶対的権力保持者。(笑)
しばらくして祖父が亡くなった。
琴子が祖母・八重に「父(洪作)はどんな人だった」と聞くと、「小説を読めばわかる」と言い「探す子、地球は・・・」と呟く。宮崎さんの制服姿がよく合っています!

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1960夏の伊上家。
トランプに興じる琴子たち三姉妹。おばあちゃんの“しんばさん”(祖父の弟)のはなしで盛り上がる。
そこに、洪作が運転手兼書生として瀬川(三浦貴大)を連れて帰宅。
早速、八重が洪作をつかまえて「“洪作さん”に話しておきたいことがある」と“しんばさん”のはなしを持ち出す。洪作は「しんばさんは70年前に死んだ人、おばあちゃんには夫であるおじいちゃんの話は出てこないのか!」と嘆く。

おばあちゃんの頭は少しずつ壊れてきている。希林さんの惚けっぷりがおもしろい! 
1963年、伊豆伊東
ホテルで家族をあげてのおばあちゃんの誕生パーテイー。うつくしく成長した3姉妹、次女紀子はハワイの大学院に進みたいと言い、長女郁子( ミムラさん)は結婚が決まった。

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郁子が「おばあちゃんの記憶は10才で止まっているが、香典の心配をしている」と父・洪作に。「香典帳を持ってきているか。(笑)自分の亭主を忘れているのに。まだ許していないが相手が記憶をなくしたのでは仕方がない」と表面は強面だが、心のなかでは老いていく母親のために泣いていた。

1966年、おばあちゃんの面倒を見ている洪作の妹・志賀子さんが、旦那さんが車両事故で寝込み面倒がみれなくなり、洪作が引き取ることになった。
みんなはあまり乗り気でないので、琴子が軽井沢で面倒を見ることになった。琴子は瀬川と一緒におばあちゃんを伊豆に迎えにいくと、おばあちゃんは瀬川を見て「アメリカさん」と呼ぶ(一つ年下の叔父のこと)。もう人の見わけがつかなくなっていた。

父洪作と琴子
軽井沢別荘に久しぶりに父がやって来ると琴子が居ない。瀬川に聞くと大学の学友とテニスだという。洪作が琴子を見付け出し、二人でバーに入り、ボーイフレンドか、紹介する気があるか」と問うと「今日のことを書くの。おばあちゃんも小説の題材」と酔っぱらって「お父さんがおばあちゃんをそう見ているのが分った、作家ですか、息子ですか。おばあちゃんを恨んでいる。うらんだカナリアは・・」と歌い、洪作をなじった。ここでの酔っぱらった宮﨑さんの演技は面白い。

別荘に帰って来ると、八重がいない。洪作と瀬川と琴子の三人で手分けし必死に探すと、神社でローソクに火をつけて回る八重を発見。雨が降り出し、濡れた八重を介抱する父を見て、琴子の父に対する気持ちに大きく変化した。洪作も琴子も八重に振り回されながら、ふたりは親子の絆を深めていた。

八重の最期の記憶
三本の連載締切日、編集の人が集まっているときに、おばあちゃんが、「そこで毎日書き物をしていた人が亡くなって3日です」と言い、「大勢な人がきました。あなたにはいつか一度話しておきます。もう二度と話すことないと思うので」と言う。
洪作が「一緒に住んでる人のこと?」と問うと「私の息子を盗んだ人です」。
「おばあちゃんは息子の気持ちも考えず、放置したんですよね」。すると「雨がやんだ・・地球の、海峡。おかあさんと渡る海峡・・」と幼い頃洪作が書いた詩を諳んじる。洪作は大粒の涙を流し、あわてて洗面所に駆け込む。このシーンに毎回泣かされます。

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八重の徘徊。
次女紀子のハワイ大学入学を見届けようと、洪作夫婦と洪作の二番目の妹桑子(南果歩さん)が旅客船でハワイに旅立つ日、琴子はおばあちゃんと一緒に残ることになった。出航前に、海を見ていた妻・美津が「お義母さんは海を怖がっていた。あなたのことが心配だったようでした」という。

琴子は、八重がいなくなっていることに気付き、洪作に蓮格した。洪作は、琴子の知らせで、ただちに下船し、母は沼津御用邸のある海岸に急いだ。ここは洪作が子供の頃水泳訓練をした海。

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朝の海、洪作が待っていると、おばあちゃんと琴子がやって来る。洪作は迷惑をかけたと琴子に感謝し、おんぶして「昔は飛び込み台が沖にあって、あそこまで泳いだ」と八重に話かけながら海岸を歩いた。八重には洪作を死なせてはならないという母親の本能しか残っていなかった。

八重の最期。
洪作が宴会から帰宅すると、ひさしぶりに琴子が来ていた。この夜は、時計の音がやけに大きい。琴子は、この静けさに、おばあちゃんを思い出し、「皆が救済されたということ」と言う。
そこに、突然志賀子さんから電話が・・。しばらくして「いまおばあちゃん、息を引き取りました」に、洪作は「心から感謝している、おふくろも喜んでいる。最後まで見取ってもらったんだから。長い年月、ご苦労さまでした」と泣いた。
               
洪作は「急に姨捨のはなしが浮かんだ。足元がふらついている、捨てようとおもっても適当な場所がみつからない。おおふくろが怒るんだ。私一人のために探してくれたって罪にはなりますまい」と独り言ちた。母親の最後を看取れなかったことを詫びる洪作のこの言葉が、いつになっても思い出されます。母親の最後だけは看取ってあげたかったと!! 
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『わが母の記』予告編