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“いだてん”第36回「前畑がんばれ」上白石萌歌さんが前畑さんに!!

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ロサンゼルスオリンピックの雪辱を期す前畑秀子上白石萌歌)は、経験したことがないプレッシャーと戦う。日本国中から必勝を期待する電報がベルリンに押し寄せ前畑を追い詰める。レースを目前にアナウンサー河西三省トータス松本)が体調を崩すが、田畑(阿部サダオ)は前畑勝利を実況すると約束した河西の降板を断固拒否する。そして迎える決勝。ヒトラーも観戦する会場に響くドイツ代表への大声援。オリンピック史に残る大一番が始まる。
感想:
「前畑、ガンバレ」の話は知っていた。国民の過度な期待に前畑さんが窮地に追い込まれていた、相手がドイツ選手であったこと、ヒトラーが観戦するなかでの戦いであったことを知り、よくぞ勝った!勝ったんだと、改めて前畑さんの苦悩やそれから解放された喜びが分かりました。
放送を担当した河西アナ役・トータス松本さんの気迫のこもった演技で、当時のラジオを気行っている感覚でした。「ひとりで泳いでいるのではない」という気持ちが彼女のストレスを吹っ飛ばし、楽しんで泳げた! 上白石萌歌が前畑さんに見えました!!

気になるのは、前畑さんにやぶれた相手選手・ゲネンゲルのその後。悲劇でなくてよかった。のちに、前畑さんと再会し50メートルを一緒に泳いだことそして前畑さんの死に涙したという記事に、スポーツで結ばれた友情に感動しました。

東京オリンピックの準備を始めた治五郎。パンフレット通りのオリンピックでよかったのに、軍人や貴族などまず国家を考える人たちを組織メンバーに加えたことで収拾がつかなくなる。
軍閥の抬頭を思うと、“ヒトラーのようにやれ”ということになるでしょう。こんなオリンピックに意義がないことはベルリンオリンピックを見て明らか。「止める」という決断こそ、求められるべきかもしれません。

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4年前、ロサンゼルス大会の女子200m平泳ぎでわずか十分の一秒差で金メダルを逸した前畑秀子は、これで花嫁修業をするつもりだったが、永田東京市長イッセー尾形)に皆の前で責められ、引退を撤回してベルリンを目指し、1日2万メートを泳ぐという過酷な練習を続けていた。
ロサンゼルスで共に戦った松澤初穂(木竜麻生)をコーチに、世界記録を三度も更新しながら、前畑はプレッシャーに苦しんでいた。

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1936年8月1日、ベルリンオリンピックが開幕。前畑は眠れない。
ベルリン大会で前畑の最大のライバルは、ドイツの“マルタ”・ゲネンゲル選手(マルテ・オームントゥ)だった。大会前の記録会でゲネンデルが3分2秒7の世界記録を出せば、3日後には前畑がその記録を十分の一秒縮めた。迎えた予選では前畑が世界記録を大幅に更新する3分1秒9で1位通過した。それでも予選のあと、前畑は初穂に弱音を吐いた。
そこに政治が男子選手をどなる「どうなってるんだ!遊佐!新井!これじゃ頼みの綱は前畑だけか!」。これを前畑に聞かれたと「予選通過おめでとう。記録なんか全然気にしないでもいいから」と猫なで声を掛けた。

翌日の準決勝も前畑は1位で通過したが、タイムは3分3秒に落とした。一方、ゲネンゲルは3分2秒8と調子を上げてきた。

東京の四三(中村勘九郎)たち。新聞で前畑のスランプを知って「ツライトキハ オシナバガ ヨカ」と励ましの電報を打った。

決勝前夜、宿舎の前畑の部屋に、初穂と小島一枝(佐々木ありさ)が東京から送られてきた傳保を読み上げた。「セカイイチメザセ」から「ケッコンシテクダサイ」というものまであった。

実況放送を担当する河西アナ(トータス・松本)が風邪でダウン。これを知った政治はロサンゼルスの約束を果たせと河西に迫り、河西は放送すると約束した。

前畑は「ロサンゼルスでは、お守りを飲んだね」と4年前の想いでを語り、彼女たちが去っていくと、前畑の前に亡くなった両親の姿が現れた。「頑張れって言われても、なんか、言いなりや。私の4年間、誰かの言いなり?がんばれの他になにかないの?」と問うと、「秀子が生まれてよかった。母ちゃんには人生で一番とかった。秀子は母ちゃんの金メダルや。明日は皆で泳ぐんや」という母の声が聞こえた。前畑は「女学校に行かせてもろうて、ありがとうございます。どうか明日は、勝たせてください」とお願いをした。

翌日の決勝直前、前畑は控室で電報や手紙、お守りを握って「軽く泳がせてください。どうぞ後押ししてください」と祈った。
政治とヤーコブ(サンディー海)がやってきて「前畑なにやってる!」と見ると、前畑が手紙を飲み「これでうちは一人ではない。日本中の人と泳ぐんだ」と呟いた。

一方、隣の控室ではゲネンゲルがヒトラー(ダニエル・シュースター)じきじきの激励を受けていた。これを見た政治はラトゥールが言った「ヒトラーに感謝しておけ」を思い出した。帰りかけたヒトラーに政治は「ヒトラーさん東京にあれしてもらって、ダンケシェーン」と挨拶すると、握手をしてくれた。(笑)

勝戦。観客席にヒトラーが現れ、「マルタ」コールが起きる。7人の選手がコースについた。放送席では河西がマイクに向かっていた。

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号砲とともに選手たちが飛び込んだ。最初のターンではイギリスのストレーが1位、前畑が2位、ゲネンゲルが3位。あがその後、ストレーが後れはじめ、前畑とゲネンゲルの一騎打ちとなった。
前畑がんばれ前畑がんばれ!」観客は総立ち、河西は机の上に立ち上がり「がんばれ!がんばれ!」と応援。その声はラジオを通して日本に伝えられた。

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トータスさんの「前畑ガンバレ」は、実況にそっくり、よく頑張りました。
政治が、うるさい、うるさい。(笑)

四三やハリマヤ、そして日本中の人々が「前畑、ガンバレ」と応援した。

前畑がプールの壁にタッチして水から顔をあげると、ゲネンゲルがこちらを見ていた。そのとき、政治が「勝ったあ・・・」と。観客席から「マエハタ」の大歓声が起こっていた。
前畑が勝った。ゲネンゲルが駆け寄って「また、一緒に泳ぎましょう」と挨拶し、笑った。ヒトラーが、拍手をして、去っていった。ゲネンゲルが寂しそうに見送った。

表彰式、日章旗が掲揚された。前畑は壇上で泣いた。記録3分3秒6.ロサンゼルスの記録を3秒も縮めた。

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熱狂のうちにベルリン大会は閉幕した。競技場の掲示版に「1940 SEE YOU TOKIO」と表示された。

通訳のヤコーブが政治に挨拶に」やってきた。「前畑さん、よくがんばったと伝えて欲しい」という。「東京においで」と誘うと「無理です、さようなら」と去って行った。

いよいよ4年後の東京オリンピックだ。治五郎が開催都市が引き継ぐ五輪旗を受け取った。このとき副島は「嘉納治五郎の様子がおかしい、豪放磊落な治五郎はどこにいってしまったか」と感じていた。

治五郎が東京に戻った。四三が小松(仲野太賀)を連れて挨拶に伺うが、とくに話もしないで「聖火ランナー頼む!」と言って部屋に篭ってしまう。相当な悩みを抱え込んだようだ

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早々に、治五郎はオリンピック組織委員会の組織化に着手した。その人選は体協や東京市にとどまらず、軍人、政治家、貴族ら、各界の大物が顔を揃えた。
しかし、委員たちの意思は統一されず競技場すら決まらない、それぞれが勝手に主張するばかり。陸軍次官梅津美治郎が「お祭り騒ぎでは困る。質実剛健、日本流にやって欲しい」と発言。
治五郎は「オリンピックは国家的大事業です。日本の文化や精神を世界の人に理解してもらう」と発言。

副島は委員会での治五郎の発言にも危険なものを感じていた。治五郎の発言はヒトラープロパガンダの一環であったベルリンオリンピック」に繋がっている。さらに、「世界はドイツに魅了され、日本はドイツと同盟を結ぶに至った。嘉納さんはそのつもりがなくても挙国一致路線では必ずベルリンの模倣になる」と政治に語った。通訳のヤーコブが閉会式の翌日に自殺したと付け加えた。

政治は東京オリンピックと日本の行く末を思い、政治の不安は膨らんでいく。

政治はバー「ローズ」を訪ね、マダム・マリー(薬師丸ひろ子)に「東京でやれるのかな?日本はどこに向かっているのか、占ってくれ!」。

社に戻ると河野(桐谷健太)が来ていた。「オリンピックは軍のものではない。次の国会でオリンピック反対論をぶち上げる」と言い、去って行った。

そんな折、追い打ちをかけるようなニュースが届いた。昭和12(1937)年7月7日、北京郊外の盧溝橋で日本軍と中国軍の衝突が起きた。両国は戦争に突入していく。
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