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“いだてん“第35回「民族の祭典」オリンピックに政治が入ってはいかん!

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1936年夏。ベルリンで4年後の次回大会の開催地を決めるIOC総会が始まり、嘉納治五郎役所広司)は「日本で平和の祭典を!」と熱く訴える。その直後に開幕したベルリンオリンピックは政権を握るナチスが総力を挙げて運営する大規模な大会となり、田畑政治(阿部サダオ)を圧倒し当惑させる。マラソンでは金栗四三中村勘九郎)と同じハリヤマ足袋を履くランナーが出場。水泳では前畑(上白石萌歌)のレースが迫る。
感想:
ヒトラー製作の「オリンピア」を見ながらのベルリンオリンピックの観戦、とてもよかった!!オリンピック記録、何よりもこの時代がわかるという意義が伝わりました。

1940年のオリンピックは開催地・東京と決定された。嘉納治五郎の開催地主張趣旨は「オリンピックは“すべての民族”に開放されるべきものである。極東は今、戦争と平和のはざまにある。だからこそ日本で平和の祭典を開催する意義がある」というものであった。東京が選ばれたのは中国代表の王正廷が協力してくれたこと。さらにヒトラーのIOC会長ラトゥールへの圧力があったという。
こうして認められた東京オリンピック、軍部の抬頭著しい日本でどう進めていくのか。なかでも中国を納得させられるのか、治五郎には大きな責任が課せられた。

1936年のベルリンオリンピックは、強力な軍事政権のもとユダヤ排斥を隠して行ったナチス・ドイツ民族の力をアピールの場と化した。政治を持ち込まない平和な民族融和の場としてのオリンピックを行うことの難しさが描かれた。
田畑は目の前で繰り広げられる徹底的に統制された豪華絢爛たる大会運営に圧倒されるが、ロサンゼルスの経験から、自由が制限され、選手間の交流のない大会運営に強い嫌悪感を示した。田畑もまた東京開催における大きな問題にぶち当たることになる。しかし、この不満を晴らすように、前畑に勝って欲しい!

ベルリンでの陸上選手の活躍は、フィールド競技で、幅跳び・三段跳び田島直人選手、棒高跳びの西田修平選手、大江季雄選手の活躍があった。
特にマラソン競技では孫、南選手が金、銅という日本マラソン界悲願の成果をあげ、日本中は歓声に包まれた。しかし、両選手が朝鮮出身者であり、両者を讃えての国家「君が代」と日の丸には、複雑な感情があった。ここにも、民族の祭典と言いながら悲劇があった。この悲劇を二度と繰り返してはならず、大河ドラマで描いたという意義は大きい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/孫基禎

金栗に劣らない厳しいトレーニングや金栗シューズを通じての絆あっての勝利。この勝利に金栗やハリマヤが大きな喜びを表したことに、政治を抜きにした“スポーツのすばらしさ”に感動した。

四三は小松(仲野太賀)をともなって上京しハリマヤを訪れると、なんと関東大震災で行方不明になったシマそっくりのリク(シマの娘)に出会った。(笑) 杉咲花さんにまた会えるとは粋な演出。今度は幸せな花ちゃんにして欲しい!

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昭和36年秋、五りん(神木隆之介)がハリマヤ製作所を訪れ、古い集合写真を見つけるが「父も母も映っていない」というシーンから始まった。五りんの母と父の出会いが、ひとつのテーマでした。

四三は小松を連れて5年ぶりに東京へ戻り、ハリマヤ製作所を訪れた。すると若い女工が姿を見せた。なんとシマちゃん!!

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関東大震災で亡くなったシマだと抱きついたら「娘のリク」ですと声を上げた。
夜の四三の歓迎会。リクはハリマヤで働き父と大塚で暮らしているという。
四三は「聖火リレーのランナーになる。そして、小松を東京オリンピックのマラソン選手に育て、金メダルを取らせる」と皆に紹介した。小松は東京の学校に入る手続きを終えていた。小松はリクにひとめぼれしたようです!そしてリクは小松のためにはじめて金栗足袋を作った。

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この頃、日本のマラソン界は、日本統治下の朝鮮出身のランナーが席巻していた。代表格は孫基禎、南昇竜は金栗足袋を着用しているという。小松は辛作(三宅弘城)に、孫の足型を見せてもらい闘志を燃やした。

7月31日、ベルリンオリンピック開幕前日に、ブランデンブルグ門の側のアドロンホテルでIOC総会が開かれた。4年後のオリンピック開催都市が決定される場に、治五郎、副島(塚本晋也)、政治がいた。最終決定は、ヘルシンキとの一騎打ちとなった22。米国の代表ガーランドとブランデージがロスでの日本の協力に感謝し2票を投じると伝えてきた。これで22票が集まり、あと2票が必要と票読みをしているところに、中国代表の王正廷が通りかかった。彼は満州事変交渉の当事者。この表が入るか?「東京が選ばれない場合は日本はIOCを脱退する」と覚悟して治五郎は最終スピーチに臨んだ。

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「すべての大陸、くべての国、すべての民族にオリンピックは等しく解放されるべきである。“極東は今、戦争と平和のはざまにある”。だからこそ日本で平和の祭典を、紀元2600の東京で開催したい」と演説し、大拍手を得た。

午後3時、東京対ヘルシンキの投票が始まった。開票の結果は東京の勝利した。アジア初のオリンピック開催の瞬間だった。政治は歓喜した!!
治五郎が王正廷に手を差し伸べお礼を述べると「アジア人として東京を支持した。スポーツと政治は関係ない」と返してきた。感動するシーンでした。
ところがラトゥールが政治に「ヒトラーにお礼を」と耳打ち。政治は困惑した。

東京オリンピック開催決定はラジオ中継で日本に伝えられた。担当アナは河西(トータス松本)。マイクを向けられた副島は感激ですすりなくばかりだった。代わりに治五郎が「24年前にわずか2名の選手を連れてストックホルムに行ったときは、まるで勝海舟が渡米したときのような気持ちだった。金栗君、三島君、ありがとう」と語りかけた。
この言葉を四三はハリヤマ製作所で辛作や小松と聞き感動。四三は早速小松を連れ出し「東京まで4年しかない」と走り出した。

それから3日間、東京はお祭り騒ぎとなった。2・26事件も戒厳令もすっかり忘れられ、花火が上がり、祝いの提灯行列が行われた。

8月1日、聖火ランナーブランデンブルグ門に到着し、熱狂とともにベルリンオリンピックが開幕した。ヒトラーはかって「オリンピックはユダヤの汚れた芝居」と揶揄したが、ゲッペルスの助言で態度を急変させ、総力を挙げてオリンピックの準備に取り組んだ。10万人収容のスタジアムを作り、初の聖火リレー、映画「オリンピア」(監督レニ・リーフェンシュタール)製作を行うなど、オリンピックはナチのプロパガンダの一環になっていた。

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政治は、ベルリンの街を走る聖火ランナーの周囲を兵士が取り込むさまや、五輪の旗とナチスの旗が並んではためいている光景を目にして、河野(桐谷健太)が話した「ヒトラーがラトゥールに圧力をかけ、日本に恩を売ったんだ」を思い出し、ヒトラーのやり方に違和感を覚えた。
ヒトラー製作映画「オリンピア」の映像からでしょうか、この情況を目にすることができました。今の北朝鮮のパレードでした!

ヒトラーのやり方に合わせるように、日本選手団のユニフォームはブレザーに灰色の戦闘帽というもの。政治は、開会式で、ロサンゼルスオリンピックの時のカンカン帽をかぶり、「俺はスポーツをやりに来たんだ。歩くのは戦場ではない競技場だ。ナチに媚びているのか日本軍への気遣いか知らんが、こんなものはオリンピック精神に反する」と抵抗した。

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開会式は何もかもが豪華絢爛で、ドイツ人らしい統制のとれた選出に日本人はただただ圧倒されるばかりだった。ラトゥールが嘉納に「東京は東京のやり方でいいんだ!」と声を掛けた。嘉納は「責任は重い。中国が協力してくれたことを重く受け止めている。本国でひどい目にあっているのではないか?しかし、オリンピックはアジアの悲願なんだ」と先行に不安を示した。

選手たちが「ハイルヒトラー」と真似ている。政治は不快感を示す。郵便物は検閲される。ロサンゼルスでは、選手村で各国選手と交流できたが、ベルリンではこれがなかった。政治にはこれも不満だった。日本選手団の担当通訳はユダヤ人のヤコーブだったが、ヒトラーが大会期間中に限っての特別な差別緩和だった。このときまだ試作中のTVが展示されたが、映りが悪い!

8月2日に始まった陸上競技は波乱の幕開けとなった。男子100m走でメダルが期待されて“暁の超特急”こと吉岡隆徳選手が予選で敗退した。吉岡は過度の期待に押しつぶされ不眠症になり、半年ほど睡眠薬が手放せなくなっていた。
このとき活躍したのがアメリカの黒人オーエンス選手。ヒトラーは白人選手が負けたとオーエンス選手と握手しなかったという。

その後は田島直人走り幅跳びで銀メダル、三段跳びで金メダルを獲得。棒高跳びでは西田修平と大江季雄がそれぞれ銀メダル、銅メダルを獲得した。この情況を、映画「オリンア」で観ることができ、これはよかった。

陸上の最終競技であるマラソンでは、日本から孫、南、塩飽玉男の三選手が出場した。
号砲とともに28国、56人がスタート、ロサンゼルス大会優勝のアルゼンチン選手・ザバラを先頭にスタジアムを後にした。折り返し地点では1位ザバラ、2位イギリスのハーバー、3位孫。暑さのため途中棄権する選手が続出し、33km地点で優勝候補のザバラまでもが棄権した。これも「オリンピア」で観賞。

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四三はマラソンの結果をハリマヤのラジオで知った。「孫1着、孫1着、2着ハーバー、3位南昇竜!わが国は苦節20数年にして、孫君によりマラソンのテープは切って落とされたのでした」。

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アナウンスは山本照(和田正人)の放送を聞き、日本は国を挙げて喜び、四三が「ありがとう、ありがとうございます」と涙した。
孫の優勝を讃えて日章旗が掲げられ、国家が演奏された。だが、孫と南選手はこのことを知らなかった。

ラジオから流れる「君が代」を聞きながら、辛作の息子・勝蔵(波多腰由太)が「どんな気持ちだろう」とつぶやいた。すると辛作が「うれしい。日本人だろうが朝鮮人だろうがアメリカ人だろうが、俺の作った足袋を履いて走った選手はちゃんと応援するし勝ったらうれしい」と返した。

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四三は「よかった!よかった!ハリマヤの金メダルばい」と叫び、辛作を表に連れ出し、町内の人々とともに胴上げして喜びを分かち合った。

政治は大会のやり方に不満で、真夜中練習プールに出てくると前畑が練習している。「俺は好きでないんだこのオリンピック」と話しかけると、「私は好きになります。金を取ったら好きになります」という。「そうだ、頑張れ!」
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