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「オッペンハイマー」(2023)核のパンドラの箱を開けた男の栄光と没落!理論先行、結果後回しの罪!

クリストファー・ノーラン監督作品で、原発の父と言われるオッペンハイマーを題材に描いた歴史映画。最も関心を持つ被爆国日本での公開が危ぶまれるというので心配していた作品。公開初日に駆けつけての鑑賞でした。

物語の背景となる政治状況や米ソ核競争を知らず、かつ厖大な人名の登場、さらに監督特有の時制を操る演出法に戸惑い、1回や2回の鑑賞で理解するのは無理だと思った。ということで、まともなものになっているかと危惧を覚悟に感想を書いてみました。間違っているところはご容赦を!

観るにあたって、広島・長崎の惨状を描かずに原爆の恐ろしさが伝わるか、惨状を見ないで苦悩するオッペンハイマーの根拠は何かという視点で見ましたが、全くの危惧に終わりました。もっと高い視点、科学に立脚した反核を訴える作品だった。国際的核管理を唱えるオッペンハイマーを、個人的な妬みで葬り去ったという事実。核の恐怖はこれを運用する人にかかっている。こんなつまらない私憤、その背後にある国家体制に恐怖を感じた。これこそが本作のテーマだと思ったアインシュタインが大きな役割を担っていたことに驚いた。(笑)

原作:2006年ピュリッツァー賞を受賞した、カイ・バードとマーティン・J・シャーウィンによるノンフィクション「“原爆の父”と呼ばれた男の栄光と悲劇」、未読です。

監督・脚本:クリストファー・ノーラン撮影:インターステラー」以降のノーラン作品を手がけているホイテ・バン・ホイテマ、美術:ルース・デ・ヨンク衣装:エレン・マイロニック、編集:ジェニファー・レイム、音楽:「TENET テネット」のルドウィグ・ゴランソン。

出演者:キリアン・マーフィエミリー・ブラントロバート・ダウニー・Jr.マット・デイモンラミ・マレック、フローレンス・ピュー、ケネス・ブラナーら豪華キャストです。


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あらすじ&感想(ねたばれあり:注意)

冒頭、神の火を盗んで人類に与えた男神プロメテウスにオッペンハイマーをなぞらえ、原爆の父と崇められる中で吐いた彼の言葉、ヒンドウ教の1節「我は死なり。世界の破壊者なり」から物語が始まる。オッペンハイマーとはいかなる人物か”を問う印象的なプロローグだ

いきなり1954年オッペンハイマーキリアン・マーフィ)のスパイ容疑を審議したAEC(原子力委員会)の聴聞会シーン(FISSIN:核分裂)がカラーで描かれ、オッペンハイマーが自らの人生をケンブリッジ学生時代からを語り始めると、1959年のストローズ(ロバート・ダウニー・Jr.)の商務長官適否を問うモノクロの公聴会シーン(FISION:核融合)に移り、ストローズがオッペンハイマーとの出会いを語りはじめる。

カラーはオッペンハイマーの視点、モノカラーはストローズの視点でオッペンハイマーという人物を捉える。そしてFISSNとFISIONの対決、すなわちウラン原爆を開発者で水素原爆に反対するオッペンハイマーと水素原爆を推進するストローズとの対決が描かれる。

オッペンハイマーが語る物語を主軸して、頻繁に1954年の聴聞会と1959年の公聴会を行き来しながら描くことで、複雑で分かり難い物語になっているが、サスペンスフルで、その結末はあっと驚くものになっている。エンターテインメント作品としてすばらしい伝記物語だ。

オッペンハイマーの大学生時代

ハーバード大学の化学学科を飛び級で卒業したオッペンハイマー(21)はケンブリッジ大に留学したが、実験が苦手で、厳しい指導の教授を毒入りリンゴを作って殺害しようとする。(笑)

ニールス・ボーアケネス・ブラナー)教授の講演を聞き、実験嫌いな彼はボアーの勧めで理論物理学を志しドイツのゲッチンゲン大に移る。ここで彼は人生で最高の友人となるオランダの物理学者イジドール・ラビ(デビッド・クラムホルツ)と出会う。原子構造を楽譜を描くよう数式で表現できる天才であったが、音楽、絵画、語学でもその才を発揮した。理論家というのがひとつのテーマになると思った。

23歳でカリフォルニア、バークレー校に助教授で迎えられた

原子物理学者のアーネスト・ローレンスジョシュ・ハートネット)と親交をむすぶ。一方で弟の素粒子学者フランク(ディラン・アーノルド)を通じてフランス語教授のシュバリエ(ディン・デハーン)ら共産党員と交わる。その中のひとり精神科医ジーン・タトロック(フローレンス・ピュー)に出会い、奔放なセックスで結ばれた。ここでのフローレンス・ビューの身体を張った演技は見ものだった!

彼は結果を考えないで行動に移る精神の持ち主のようだ

1939年に共産党員で植物学者のキティエミリー・ブラント)と結婚した。彼女は数度の結婚歴を持っていた。子供を出産するが子育ては苦手で、夫を支えて強く生きる女性だった。

実験家のローレンスと理論家のオッペンハイマー核分裂の原理を見つけ原子爆弾の登場を予測していた。実験屋のローレンスはノーベル賞を取ったが理論屋のオッペンハイマーは叶わなかった

1939ナチス・ドイツポーランド侵攻が始まり、ドイツの原子爆弾開発を恐れたアルベルト・アインシュタイントム・コンティ:アルベルト)は原子爆弾開発を大統領に進言した。ユダヤ人のオッペンハイマーはキティから「ローレンスではない、あなたの時代よ」と押され原子爆弾開発に携わることになった。

1942年、国家プロゼクトマンハッタン計画”に参加

原子爆弾製造を担うロスアラモス研究所の所長に就任した。就任に当たっては計画指揮官のレスリー・グローヴス大佐マット・デイモン)から秘密保全上の身体検査を受け、共産党員との接触はあるが、物理学者の能力が認められ所長に就任した。

大量の人が集められロスアラモスは町となり、工場施設は鉄条網で囲まれ、厳重な秘密保持が求められた。グローヴスはケネス・ニコルズ中佐(デイン・デハーン)に秘密保全を担当させ、実はオッペンハイマーも中佐の監視下にあった。

研究者の選定はオッペンハイマーに任された。彼は真っ先にラビを選んだが、ラビは倫理的に原爆を作ることに反対で辞退し、リンス・ベーテ(ダグラス・スカルドガルト)を推薦した。こうして選んだ理論物理学者のなかに後に水爆の父と言われるエドワード・テラーベニー・サフディ)、デヴィッド・ヒルラミ・マレック)らがいた。

テラーから「計算上、連鎖反応が止まらず地球大気をぶっ放すことになる」と提言され悩み、アインシュタインに協力を求めたアインシュタインは協力を断り、「可能性があるならドイツに教えて開発を中止せよ」と忠告した。その後、テラーが再度計算し“可能性はほぼゼロ”という結論を出した。

このことが理論物理学オッペンハイマーの重大関心事になっていった

 エンリコ・フェルミ(ダニー・デフェラーリ)の研究所で連鎖反応を見せてもらい、確信を持ってウラン爆弾を提案するが、テラーが水素爆弾を推奨し論戦となった。テラーには別の場所で水素爆弾を研究させることにした。

1943年になりオッペンハイマーはシュバリエに預けていたノイローゼの妻と子をロスアラモスに移した。この際、シュバリエからロシアへの情報供与を打診されたが断った。さらにジーンとの浮気の発覚、ジーンの死。研究員ジョヴァンニ・ロッシ・ロマニッツ(ジョシュ・ザッカーマン)のウラン秘密漏洩疑惑でニコルズ中佐に逮捕され、自らがFBIの防諜担当官ボリス・パッシュケイシー・アフレック)の尋問を受けるなどオッペンハイマーにとって不条理な秘密保全に関わる事案が起こった。

ここでも事の後先を考えず直感で走ってしまう性癖が出ている。

1943年のクリスマスにゴアーが訪ねてきた。「トイツより進んでいる。君はアメリカのプロメテウスになる」と警告して帰っていった。

1945年5月ナチス・ドイツ降伏。素内で爆弾開発停止の運動が起こった。デヴィット・ヒルが原爆製造中止請願書を持ってきたが、これを拒否した。そして「我々は理論家だ。戦争が終わるまでやる。核はルーズベルト大統領によって国際管理される。米国の戦争勝利に貢献したい」と所員を説得した。

原爆投下検討会?に参加したオッペンハイマーは核の効果を強調し「倫理の問題がある」と日本に告知することを付け加えた。京都を避け、広島ともうひとつの投下が決まった。

トリニテイ実験

ポッダム会議に間に合うよう実験日を7月16日に設定し準備に入った。弟のフランクを呼び寄せた。

当日の天候は嵐だった。この日を外すとポッダム会議に間に合わない。慎重に準備を進め、グランドゼロから16km離れた観測所で発火を待った。成功を妻に知らせる暗号は「白いシーツをしまえ」だった。

爆発を確認した!成功だった。直ちにポッダムに伝えられた。2発の原爆がサイパン島の米空軍基地へ送り出された。オッペンハイマーは「運用は俺たちの権限はない。思いもしない戦争になる」と側近に伝えた。

オッペンハイマーは原爆の広島投下を大統領発表ニュースで知った

 オッペンハイマーは英雄になった。タイム紙の表紙になった。

所員たちが成功を祝う席で「世界は今日を忘れない。しかし日本は嫌がっているだろう」と挨拶したが、喜ぶ所員の姿が被爆者に代る妄想に愕然とした。

オッペンハイマーは現場を見ないでも計算通りの惨状が見えた

 トルーマン大統領に招かれ労をねぎらわれたが、「私の手は血塗られている」と応えた。大統領はオッペンハイマーを下がらせ「あの泣き虫を二度とよこすな」と側近に漏らしたという。

長崎の被害状況の記録フィルムが上映された。オッペンハイマーはほとんど見ないで、黒焦げの遺体を踏む悪夢の中にいた。

オッペンハイマーは研究所を去ることにした

所員に「核が兵器に加わったら人類はロスアラモスを呪うだろう」と挨拶した。

1947年、プリンストン高等研究所所長となりAECのアドバイザーに就任

委員長のストローズからの紹介でプリンストン高等研究所の所長に就任するとともにAECのアドバイザーを6年間務めるがことになった。

ストローズがオッペンハイマーにこの役を依頼したとき、庭園に初代所長のアインシュタインの姿を認め、オッペンハイマーを紹介しようとすると彼が先に走り出て挨拶、なにやら話した。

ストローズが挨拶にと近づくとアインシュタインは不機嫌に去って行った。高卒で原子力の教育を受けておらず不安を抱いていたストローズはこのふたりは国の原子力政策を担う自分をバカにしていると捉えたこのことが1954年の聴聞会開催の大きな伏線となっていった。一方、オッペンハイマーはそのときのアインシュタインの驚きの行動にとんでもない恐怖を感じた。

オッペンハイマーはAECのアドバイザーとして国が進める水素爆弾開発反対し、アイソトープの輸出問題でストロープと対立していった。委員のひとり元空軍パイロットのウィリアム・ボーデン(デビッド・ダストマルチャン)が語ったドイツ軍のVロケット攻撃が原爆に結びついていった。

1954年、オッペンハイマーはスパイ容疑でAECの聴聞会が開かれた

ロスアラモス所長時代の共産党との関り、ソ連への情報漏洩がウィリアム・ボーデン(デビッド・ダストマルチャン:)により厳しく追及され、検察官ロージャー・ロブジェイソン・クラーク)により裁かれたが結論が出ない。マッカーシー赤狩り資料共産主義者の烙印が押され、原爆技術に関する秘密保持許可がはく奪され、AECアドバイザーの地位を追われた。その後、オッペンハイマーはAEC外で水爆反対運動を続け、物理学者らの賛同を得て行った。

1959年のストロークの商務長官就任適否の公聴会

米ソの核競争の中で、ストローズの水素爆弾推進姿勢への批判が起き、期せずして1954年のオッペンハイマー聴聞会審議が取り上げられ、裁かれた。その結末はデヴィット・ヒルの証言で思わぬ結末、オッペンハイマーをAECから追放するためのストローズが仕組んだ聴聞会であったとが判明したそしてストローズが漏らしたひとこと“俺をバカにした恨みだ”

まとめ

カラーとモノカラーで描かれるオッペンハイマーとは何者か

カラーで表現される天才の理論物理学者で先見性に富むが起きる結果読みの軽視。ケンブリッジ大時代のリンゴの話、女性関係がいい例だ。モノカラーで見る人への配慮の無さ。一筋縄でない人物伝、面白かった。

核分裂の学理証明を優先したトリニテイ実験だった。その結果について知っていたが疎かにし、そのつけで彼は苦しむことになった

1947年、アインシュタインと交わした会話がオッペンハイマーにとっての恐怖となった。

アインシュタインは「核の連鎖反応で地球の大気がぶっ飛ぶ」と協力依頼にきたオッペンハイマーを覚えていた。アインシュタインが「時が収まればメダルは貰える」と声を掛けるとオッペンハイマーは「やっちゃった」と話した。アインシュタインは恐怖で頭を抱えて逃げ出した。この姿を見たオッペンハイマーは「自分が開発した原爆技術が各国に核の連鎖反応のように拡散し使用され大気が破裂する!」恐怖に陥った。

冒頭近くでのアインシュタインオッペンハイマーの会話シーンで内容を伏せて、ラストに持ってきて明かし、国際的な核管理の必要性を説くこのラストシーンは見事だ。絵もすばらしかった!

広島・長崎の惨状を描く必要があったか

トリニテイ実験の描き方。爆弾が破裂した瞬間の閃光、世界は吹っ飛んだような静寂、その後のオッペンハイマーの苦悩。音楽と映像で見事に恐怖は伝わった。

さらに長崎の被害状況が上映されたときのオッペンハイマーの頭の中にある被害者の姿。この作品はオッペンハイマーの苦悩を描いた作品だからこれで十分だ。

キリアン・マーフィの演技。彼の自慢の帽子にパイプと端正な姿勢だけでオッペンハイマーのすべてを演じていた。

ストーリー、映像、音楽、テーマ、演技とよくできた作品。1回や2回では消化しきれない!

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