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“いだてん”第34回「226」「オリンピックは東京にかぎる」

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1936年2月。陸軍の青年将校らによるクーデター、2・26事件が発生。閣僚らが暗殺され、田畑政治(阿部サダオ)の勤める新聞社も襲撃を受ける。戒厳令下の東京でオリンピック招致活動を続けることに田畑は葛藤。嘉納治五郎役所広司)とも対立するが、IOC会長の候補地視察の案内役を任せられる。熊本では金栗四三中村勘九郎)がスヤ(綾瀬はるか)と幾江(大竹しのぶ)を前に、招致するため上京したいと訴えるが・・・。
感想:
2・26事件、銃剣を突きつけられ“あの政治”でさえ弱音を吐く映像はよくできています。(笑) このような恐怖のなかで、「オリンピックこそ平和の明かしである」と信じて疑わない嘉納治五郎の胆力がすごい。

ムッソリーニ説得を指示したのは自分である」と謝り、東京オリンピック開催の全責任を取ろうとする潔よさがいい。こう人は、今の日本で見つけるのが難しい。(笑)

日本を視察したIOC会長・ラトゥール(ヤッペ・クラース)の感想は「オリンピックは東京にかぎる」で、“おもてなし”の成果でした!子供の遊び、日の丸弁当まで褒められるとは思わなかった。(笑)
ラトゥールに嘉納を尊敬する気持ちがあれば、日本はこのように見えてくるということ。
嘉納の柔道で結ばれた人との絆がいかに強いものであったかを教えてくれます。

一方、走る以外に取り得のない四三の家出は、2・26事件勃発で不在を気ついてもらえない。まったくの存在感なしです。
義母・幾江の許しを得て上京できることになり、つい漏らした「俺なんかおらんでも寂しくなかでしょう」と嬉しそうに声をあげ、幾江を激怒させ、池部家の大騒動。大笑いしましたが、老いていく幾江への心使いにかけ、四三の無神経に腹が立ちました。(笑)こういう人は多いということでしょうか!

本格的な小松のマラソン選手育成が始まっていましたね。小松と“りく”がどうやって知り合ったかも気になりますね!

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田畑の家では菊枝(麻生久美子)がベルギー国旗の手旗をつくり、熊本では四三が置手紙を残し家出、孝蔵一家(森山未来)が雪の中引っ越し中。昭和11年2月26日のこのとき、「2・26事件」が勃発した。
陸軍の青年将校らが「昭和維新」「尊皇暫間奸」をスローガンに決起した。午前5時、彼らは赤坂の高橋是清邸(荻原健一)を襲撃し、高橋は中橋中尉(渋谷謙人)の凶弾に倒れた。
警視庁も占領され大混乱となる中、朝日新聞政治部の記者は、号外を刷る準備に取り掛かっていた。
午前6時、内務省から一切の記事を差し止めるようにと連絡が入った。

このころ、家出した四三は小松(仲野太賀)とともに「カフェ・ニューミカワ」にいた。早朝、家出を決行したものの、東京は暴動が起きて大混乱だと知らされ、家出を中止したがすぐに家に帰るつもりはなかった。スヤ(綾瀬はるか)がすっかり手厳しくなり困らせてやろうと思ったから。(笑)

午前9時、将校たちは数10人の着剣した兵を率いて「偉い人を出せ!」と朝日新聞社になだれ込んできた。

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緒方(リリー・フランキー)が対応に出ると、返り血を浴びた中澤中尉が「高橋是清天誅を下してきた」と告げ、「国賊新聞を叩き潰す」と叫ぶ。緒方が「中に社員はもちろん女子供がいるからそれを出す」と皆を避難させようとすると、政治が「あんなやつらに屈するんですか。これでは言論の自由は終わり」と反対した。緒方が「あいつらは高橋是清を殺して来ているんだぞ!」と政治を制した。
兵士たちが室内を荒らしはじめ、壁のロサンゼルスオリンピックの記念写真を床に叩きつけた。政治は思わず兵士につかみかかり、殴られて血を流しながら立ち向かった。緒方から「外に出ろ!」と命じられた。
語りの志ん生(ビート・たけし)はこの時代は笑いにならないと喋るのをここで止めた。

このころ孝蔵は高座で演題「目黒のサンマ」を喋る予定だったが、午後5時ごろに中止になった。(この噺はIOC会長ラトゥール接待シーンにリンクする)

午後8時半のニュースで事件の概要がつたえられた。
夜に帰ってくると、スヤも幾江(大竹しのぶ)もラジオの緊急ニュースを聞き入っていた。ふたりは、四三の家でにも気づいていなかった。(笑) 

翌27日には戒厳令が敷かれ、反乱軍が投降する29日までの3日間、東京は厳戒態勢が続いた。

政治は菊枝に起こされ「2~3日会社に止まる。ろくな記事も書けないのに」と喋っているところに、山本(田中美映)がやってきて「ラトゥールがサンフランシスコを出航し、2週間後、横浜に着く」と知らせた。治五郎は「こんな時だからこそオリンピックだ」と言ったという。
山本が去ったあと、政治は菊枝に「俺は怖い。是清さんも、犬養さんも、俺が関わった政治家が次々に殺された。次は緒方か河野(桐谷健太)か俺か?政治記者でなるんじゃなかった。なまじっか政治に足突っ込んだから、政治記者でなかったら能天気にオリンピックに邁進できた」と嘆いた。
菊枝は「だったらやめたらどうですか。あなたの忙しさは半分になり夫婦の時間が増える。新婚旅行に行ける、タバコの数も減ります。いいことばかりです」と返事した。これに政治は「冗談じゃない、あの感動!オリンピックは今しかない。今やらなければ日本の言論の自由は武力に屈してしまう」と奮起し、オリンピック招致委員会が開かれる東京市庁舎へ向かった。

市庁舎には治五郎、牛塚(きたろう)、副島(宮本信也)、山本がすでにそろっていた。治五郎がタトゥールが東京へ視察に来ることを聞き、興奮していた。

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政治が「いつ反乱軍と鎮圧軍の戦いが始まるか、民間人が巻き込まれるかも分からない。この日本で今、オリンピックやれると思っているの?でもやりたい!あなたが本気ならついていく」と治五郎に大声で話す。「やれるとか、やりたいとかじゃないんだよ、やるんだよ!そのためなら、いかなる努力も惜しまん!」と治五郎。これで政治の腹が決まり、ラトゥールを迎えるための作戦会議が始まった。

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3月19日、ラトゥールがやって来た。東京市庁舎では人々が万歳で、子供たちが「走れ大地」と歌って出迎えた。市長室で、治五郎が牛塚(きたろう)、副島(塚本晋也)、杉村(加藤雅也)を紹介すると、ラトゥールが嫌な顔を見せた。

いよいよラトゥール全力接待作戦が始まった。
治五郎の発案で、ラトゥールの移動には清さん(峯田和伸)の人力車が選ばれ、政治が写真集を持って同行した。
ラトゥールを乗せた車はまず、桜の咲く隅田川沿いを新橋方向に向かい、歌舞伎を鑑賞と料亭での会食ののち、オリンピックのメイン会場神宮競技場へと向かった。

ここで、治五郎が「関東大震災のとき、競技場が避難所として市民に開放され運動会をやった。戦争の痛手を受けたアントワープであなたのやったオりンピックに感銘を受けた。東京も13年かけてようやく立ち直った。ここでオリンピックをやりた」と大変な熱意で語った。そのとき朝鮮からやってきていた孫と南が練習していた。ラトゥールが金栗かと聞いた。
治五郎が「10万人が見物できるよう拡張する」と話すと「大きさではない、オリンピックは市民のものだ」と話す。その後、アトゥールの希望で岸の墓参りをした。
ラトゥールはYMCAプールで水泳選手を激励し、寄席で孝蔵(森山未来)の落語「目黒のサンマ」のおち「どこで仕入れた?日本橋魚橋。それはいかん、サンマは目黒に限る」を聞いた。
この“おち”、開催地はどこか?ヘルシンキです。オリンピックなら東京に限る。(笑)


その後、政治はラトゥールを清さんの車で、近道をして諏訪神社を通ると、ラトゥールが車をとめて、子供たちがゴム跳びや竹馬で遊んでいるのに興味を持った。女の子が花輪を編み、勝った小どもの頭に乗せるのを見て、驚きの声をあげた。
サンマの匂いがしてきて、ラトゥールに清さんは自分の弁当箱を差し出した。おかずは小梅が漬けた梅干しだけの日の丸弁当だった。

ラトゥールの視察が新聞に載ると、池部家では四三が「話があります!」と切り出し、治五郎からの「東京オリンピックにはひとつ力になって欲しい」という手紙を幾江とスヤに見せていた。

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幾江が「女房を置いて行きたいか。行きたいなら行ったらいい。そのかわり、立派に、きっちりなして来い」という。
これに四三が「よかった。4年後の大会を見届けたら帰ってきます。俺なんかおらんでも寂しくなかでしょう」と嬉しそうに声をあげた。(笑)
すると幾江が「さびしくないわけがなかろうが!他人行儀に冷たいことを言うな。情が移る、私は倅を亡くしお前は親を亡くしており、同じ墓に入る以外にない。走ってばかりの息子でも、4年間いなかったら寂しい、それが母親だ。このバカ者が!」と泣いた。(笑)四三はもう身の置き場がなかった。「俺もさびしか」と幾江に抱きついて、子供もスヤも一緒になって泣いて、詫びた。大笑いでした。

治五郎はラトゥールを講道館につれていき、柔道の稽古をつけた。そして、杉村に通訳させ、「東京招致のためにムッソリーニを説得せよと命じたのは自分である。悪いことをした。あなたの顔に泥を塗った」と謝り、「東京はヨーロッパから遠いというだけで認めてもらえなかった。若い者にタスキを渡そうと禁じ手を使った。副島も杉村もよくやってくれた。東京はもし東京でオリンピックをやってくれたら、あなたの株は絶対に下げないよう、最高のアジア初の歴史に残る平和の祭典にして見せる!」と申し添えた。潔い治五郎の謝罪には感動でした!
杉村がIOC委員を辞退することを申し出た。政治が「杉村さんの功績です。お疲れ様でした」と声を掛けた。

9日間の滞在を終えたあと、ラトゥールは記者会見でこう語った。
「この国では子供でもオリンピックを知っている。戒厳令の街で、子供たちがスポーツに熱中している。日本の隅々まで、弁当箱の中までオリンピック精神が満ち満ちている」。政治は「1940年のオリンピックは東京に間違いないですね」と念押しをした。「オリンピックは東京にかぎる」とラトゥール(五りん)

人力車で走っていてラトゥールが、街を走る四三と小松の姿を目にし、“金栗“と声をあげた。

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