映画って人生!

宮﨑あおいさんを応援します

“いだてん“第42回「東京流れ者」

f:id:matusima745:20191110210349p:plain
1961年.3年後のオリンピック開催に向け、解発が進む東京。田畑(阿部サダオ)は、政府が埼玉県内で進める選手村建設計画を中止させ、競技場に近い都心部に場所を確保しようと奔走する。田畑の意を受けた平沢和重(星野源)が、代々木の芸軍基地を返還するようアメリカに訴えるが、それが大きな波紋を呼ぶ。政府によってオリンピック担当大臣に任命された大物政治家、川島正次郎(浅野忠信)が田畑に忍び寄る。

感想:
田畑は選手村を代々木ワシントンハイツにもってくることに拘った。政治家のスポーツへの介入を嫌う彼が、政治を利用するという爽快なはなし。
かって高橋是清からオリンピック経費を出させた経験を持つ田畑は平沢と結託して、代々木のワシントンハイツ返還してもらおうと米軍への要求する60億円の返還賠償金の捻出法を考え、池田隼人首相(市川談春)を説得した。NHKの放送設備をここに建設すれば鮮明な画像が送れ、カラーでオリンピックを観ようとカラーテレビ需要が出てくる。その金を返還経費に当てればいいという妙案だった。60年安保闘争に対するアメリカの思惑と所得倍増計をめぐる首相の思惑をうまく利用する案、見事でした。

これでは出番がなくなる政治家たちを怒らせるでしょう!スポーツ、芸術に政治家が出てくるとロクなことがない。

川島正次郎はオリンピック担当大臣となり、関係大臣をもって組織委員会を牛耳ろうとする。この喧嘩の結末は見えている。おそらく田畑を事務総長の座から引き下ろすでしょう。いよいよ田畑は東京流れ者になる運命か?

聖火ランナーコースとしてシルクロードを考えて、調査したというのはすばらしいアイデアだ。日本なら出来る、これを可能にする技術をなぜ考えなかったか。聖火をアテネから広島に運び平和祈念して全国を回すという黒澤監督の案もすばらしかった。
東京オリンピックラソンの札幌移転、日本の技術なら十分実施可能であったろうにと残念。マラソンは東京でやらなければ意味がない!

***
頼みもしないのに自民党幹事長・川島正二郎(浅野忠信)が組織委員会顧問となり「貴様たちのオリンピックではない。国民のオリンピックだ。オリンピックで日本は変わるんだ!」と気合が入る。
当時日本は高度成長期、車の渋滞で困っていた。タクシー運転手の森西栄一(角田晃広は、この渋滞では儲けにならないと、アテネから陸路シンガポールまでの2万kmをジープ2台で走るという聖火リレー踏査隊に応募した。

f:id:matusima745:20191110210421p:plain

女子バレーボールお監督・大松博文監督(徳井義美)が女子選手に厳しく鍛えていた。でもこれを虐待とはいわない。大松は選手の家族を訪ね、厳しく鍛えることを伝ることに許しをえていたから。現在なら間違いなく虐待です。(笑)
安藤サクラさんの熱演に笑った!

志ん生ビートたけし)は脳出血の後遺症で右半身が麻痺していたが、慣れない左手で特訓を開始していた。

オリンピック選手村は朝霞にほぼ決まりかけていたが、田畑のいう理想のオリンピックを行いことに意気投合した平沢(星野源)が「日米安全保障条約により、米軍が引き続き日本に駐留するなら、国民の反感を買わないよう代々木を返還した方がいいとアメリカ側に伝えてはどうか」と提案してきた。

f:id:matusima745:20191110210501p:plain

さっそく、平沢(星野源)は駐日大使ライシャワーと面談し「代々木ワシントンハイツを返還すればオリンピックに全面協力するというアピールにもなり、安保闘争による反米感情も収束する」と説得、これにライシャワーは感心を示した。

これを知った東(松重豊)は「すでに朝霞という話で進んでいて、政府、建設省、東京都、埼玉県の承認を得て道路建築が始まっている。津島(井上順)が「さらにアメリカ側は立ち退き料として“60臆”を要求すると言ってきている」という。

田畑は島津(井上順)の紹介で、池田隼人首相(立川談春)を訪ね、この案を説明した。が、「放っておけば代々木は5、6年で空き地になる。朝霞に全部持っていけばただですむ」と納得しなかった。「朝霞では埼玉オリンピックだ、東京オリンピックではない」と田畑は思った。

田畑は、バー「ローズ」で、怒りをぶちまけていると、マリー(薬師丸ひろ子)が「オリンピックの予算は国が出すんでしょう?」と岩田(松坂桃李)に聴く。「スタジアムやプールのような後に残るものは都と国が折半するんだ」と岩田が答える。
田畑は事務所に帰り、「オリンピック後も長く使えるものはないか」と考え続けた。亡くなった嘉納治五郎が出てきて「止めた、俺が命がけで取ってきたのに。政治とスポーツは別物だ!しっかりしろ!国民はオリンピックをどこで見るんだ」と急かす。「テレビで見る」というと「ドイツであれはダメだったろうが」、「今は違う、カラーテレビがある」。田畑に妙案が浮かんだ。

f:id:matusima745:20191110210544p:plain

田畑が首相官邸に、首相を訪ね、ワシントンハイツを米軍から買い、そこに放送局を建設することを首相に勧めた。「放送局がメイン会場の側にあれば、鮮明な放送を確実にお茶の間に届けられる。そうすると白黒よりカラーテレビだ」と。
当時カラーTVが一台60万円。一万台売れれば60億円。「たった一万台で元が取れる。買うなら今です。オリンピック終わってから放送局作っても意味ない」と首相に迫った。田畑のこの直談判で、選手村は代々木に決まった。

四三は「走れ25万キロ」という本を出版した。五りん(神木隆之介)は、書店で開かれた四三(中村勘九郎)のサイン会に行き、サインを貰おうと「小松金治です」と名乗ると、「こ、小松!」とかっての弟子であった小松勝とりくの息子だと知って、驚愕した。
このあと五りんは、公園で待つ志ん生を背負っての帰り、師匠のおはこ「富久」を稽古していた。

昭和37(1962)年5月、亀倉雄策前野健太)がデザインしたオリンピック・ポスターが完成した。
短距離走者のスタートダッシュを見事にとらえてポスターの出来栄えに、田畑をはじめ委員会の面々は大満足していた。しかし、このころになってもオリンピックは盛り上がらない。

事務局長室で、岩田、松澤(前川猿時)と論議しているところに、聖火リレー捜査隊の森西が現れ、「ルートは砂ぼこりと熱気で前に進めない。タクラマン砂漠はジープで半年かかった。たいまつを持って走ったらミイラになる」という。(笑) 田畑は話しを切り上げ、皆で飲むことにした。今回で最も面白いシーンでした。

料理は、一流の料理長・村上信夫黒田大輔)のつくるもの。村上は選手村の食事を担当することになっており、2週間にわたり世界各国の料理一万食を提供するため試作を繰り返していた。

川島は、池田首相と面談し、「オリンピックは経済成長に起爆薬。政府が利用しない手はない」」と持論を語っていた。「政府は不介入が基本」という首相に、「今のままではスポーツ界の連中だけのバカ騒ぎに終わる。国際舞台で日本の株を上げるならためには、政府がしっかり舵を取るべきだ」と勧める。

川島はオリンピック担当大臣に任命され、組織委員会の会議室に記者を集めて会見を開いた。
トトカルチョの代わりが私だ。200億円という費用がかかるオリンピックにおいて、道路が建設大臣、客を運ぶのは運輸大臣、選手強化は文部大臣、これらを総合的にまとめるのが自分の役割だ」と語った。

f:id:matusima745:20191110210721p:plain

会見後、川島と田畑は事務総長室で話しをした。
川島は「仕事が後手後手で、島津では仕事がしずらいだろう。河野ら政府要人、池田首相も島津にオリンピックは荷が重いと言っている」。そして「金を出したら、口も出すのが政府だから記憶にとどめておいてくれ」という。

田畑は東に「政治家は恐ろしい」と島津を会長から降ろすことを話した。東はお座敷に呼ばれ、川島から「田畑と島津はどうだと聞かれ、田畑は必要だと答えた。寝業師・川島の正体だよ」という。田畑は川島を守ると決めた。

田畑は事務総長室のテレビで偶然、五りんの高座を見た。「てれび寄せ」という番組で五りんは過去のオリンピックにまつわる出来事をネタにした「オリンピック噺」を演じていた。ベルリンオリンピックで水泳の前畑秀秀子が金メタルを獲得したときの河西アナウンサーの実況を五りんが真似ていた。
これを見た田畑は、「見つけたぞ!こいつをオリンピックの広告塔にしよう!」
早速、岩田が高座を訪れ、五りんをつかまえた。
                                             ***