開催まで2年。国民のオリンピック熱は盛り上がりにかけていた。テレビ寄席の「オリンピック噺」に目を付けた田端(阿部サダオ)は五りん(神木隆之介)を呼び、広告塔に任命する。組織委員会で準備が本格化。アジア各地を回る聖火リレーの最終ランナーの候補に金栗四三(中村勘九郎)が浮上する。田畑はジャカルタで開催されるアジア大会を席巻し、五輪開催にむけ勢いをつけようともくろむが、開幕直前に大問題が発生する。
感想:
田畑は東京オリンピックを自分の理想のオリンピックにするため競技場・選手村の設置、選手育成、聖火ランナーコースの選定、シンボルマーク、柔道や男子バレーボールの正式種目化など積極的に進めてきた。ほとんど政治家の出る幕がなく、彼らの反発を買うのは目に見えていたが、遂にその時がやってきた。相手は元自民党幹事長でオリンピック担当大臣。川島は総理の椅子を狙い、選挙の票に繋がる利権を欲しがる。今の時代にも同じようなことが起こっている。“桜を観る会“も同じ、この話を聞くと暗い気分になります。
聖火ランナーのコースの決定、女子バレーボールが正式種目に決定されるなどほぼ田畑の思うがままに進んできた完璧な準備。いよいよアジア競技会で強化してきた選手の成長を見極め、世界に東京オリンピックを宣伝したい第4回アジア競技大会で、インドネシアの政治理念によるイルラエル・台湾参加拒否という問題が田畑を窮地に追い込んだ。
田畑は試合に参加したに選手たちの想い、この大会を認めないIOCの思惑で東京オリンピックが返上させられる可能性のなかで翻弄され続ける。現地での決定権は津島にあるが、島津は責任拒否で逃げる。この混乱に川島が、チャンス到来とばかりにしゃしゃり出てきて、混乱の責任を取らせ、おそらくふたりを首にするでしょう。
これまで観てきたように、生意気なところがあっても田畑でなければオリンピックは出来ない。川島は、自己保身や自民党の利害だけでなく、もっとおおきな世界平和の視点から考えられなかったのかなと、田畑に同情します。自民党が大嫌になった回、生々しいドラマになりましたね!
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田畑は加納治五郎の「オリンピックでおもしろいことをやる。政治とスポーツは別」とう教えを守って、東京オリンピックの準備に邁進していた。
都内の道路は突貫工事でも、オリンピックムードが盛り上がらない。そこで目に付けたのが「オリンピック噺」の五りん。五りんが組織委員会室にやってくると、森西栄一(角田晃広)が聖火リレーの準備に当たっていた。
田畑は五りんに「オリンピック噺」を演じさせた。ストックホルムで金栗が走った、すはすは・・を喋った。これを聞いて田畑は、五りんがTVに出ると芸が荒れると断ったが、五りんをオリンピック宣伝部長にすることを決めた。
組織委員会に多くの若者が活動を求めてやってきた。その中に「正しく国旗を掲げることが使命」と国旗を担当する吹浦忠正(須藤漣)という早稲田の学生がいた。第3回大会の女子円盤投げ表彰式で台湾の国旗を間違えるという事件があった。
組織委員会は、空路で聖火リレーを行うことを決めた。古代オリンピック開催地であるギリシャ人のランナーによるリレーでアテネ空港に。そこから特別機でイスタンブール、ベイルート、テヘラン、ニューデリーなどを回り、各地で聖火リレーを行う。その後、バンコク、マニラ、香港、台北と回り、聖火は沖縄へと上陸する計画。
沖縄はアメリカの占領下にあるため、沖縄での聖火リレーを特例として認めてもらうよう、組織委員会は米軍と交渉を始めていた。
沖縄から船で本土に渡った聖火は一路東京を目指し、開会式当日に最終ランナーが国立競技場の聖火台に点火するのだ。
オリンピックを盛り上げるために、ローマオリンピックのマラソン金メダリスト、ベベ選手を招いた。アベベがハリマヤにやってきて、辛作(三宅弘城)と四三に対面。辛作は足袋をプレゼントすると申し出、アベベもこれで走ると約束をした。四三も聖火ランナーを目指すと張り切る。
ある日、農林大臣に就任した河野(桐谷健太)が組織委員会にやってきて、田畑に「島津を辞めさせるのか」と問う。田畑は川島(浅野忠信)から河野が津島(井上順)の更迭を望んでいると聞いたが」というと、河野はこれを否定した。
河野は「事務総長としての手腕は評価するが、スタンドプレーが目に余る。オリンピックを私物化しているという声がある」と忠告した。田畑は「政治家の顔色を伺っていては何も進まん!」と跳ね返した。
6月、田畑はストックホルムで開かれたIOC委員会に参加した。ここでも平沢(星野源)の巧みな演説に助けられ、女子バレーボールが東京オリンピックで正式種目に決まり、“暑さを避けて”と開会式は昭和39年10月10日に決まった。
帰国後、田畑はバー「ローズ」で河野から「津島おろしの首謀者は田畑と、川島が記者に吹聴し、津島を慕う議員が田畑から津島を守れと息巻いていると聞かされた。田畑は「いつの間に俺が黒幕か!」と激怒したが、これまで政治家たちに吐いた数々の暴言を思い出した。河野は「川島はそんな個人的な動きではない。彼は政治をやりたいんだよ。オリンピック大臣なんか飾りだよ」と忠告。
この年、インドネシアのジャカルタで、第4回アジア競技大会が開催されることが決まった。20か国が参加、東京オリンピックの前哨戦ともいえる大会。日本スポーツ界は252人の選手を送り込む力の入れようだった。田畑は「東京オリンピックの本番と思ってやってくれ!」と選手たちに訓示した。
しかし、スカルノ大統領が中国、アラブ諸国と密接な関係を築いていて、台湾とイスラエルに招待状と入国ビザを出さないという事態は起こった。
選手団の出発直前、岩田((松坂桃李)がアジア競技連盟に確認すると、この事実はない、報道は無実無根だと回答を得た。しかし、日本では台湾とイスラエルが激怒しているという外電が飛び交っていた。
東京残留の岩田が「国際陸上競技連盟がジャカルタのアジア競技大会を公式の大会と認めず、参加した選手は処罰する」というニュースを見て、「これでは出場すると除名になり東京オリンピックは中止になる」と現地の田畑に知らせようとしたが、滞在先のホテルの国際電話が繋がらなかった。
田畑は通訳がサッカーの中にイスラエルの名があるというので、日本の方が間違っていると思っていた。
翌日、ジャカルタでは各国代表が、台湾とイスラエルの参加を要求したが、インドネシア政府は回答を保留。島津が「引き上げるか」という。東が「それはできない。合法的にやれる方法を考えるべきだ」と反対した。田畑は「ジャカルタに着くとおかしなことが出てきた。なにかウラがある」と川島を警戒していた。
田畑たちは参加するかどうかの決断を迫られた。各国代表は日本の出方を伺っていた。252が参加する日本が引き上げれば、大会は中止になる。
IOCはこの大会を正式な大会とは認めないと表明。日本が参加すれば東京オリンピックを返上させられる可能性があり、日本国内ではボイコットすべきだという声が高まっていた。
開会当日。田畑たちはホテルロビーで緊急会議を開いたが拙論が出ない。監督たちは開会式に出ることを訴える。津島がこれに反対していると、窓越しに石が投げ込まれ怒号が響いた。暴徒化したインドネシアの人々が参加をためらう日本選手団に抗議の声を上げていた。
興奮状態の暴徒をインドネシア人通訳・アレンが一本背負いで投げ飛ばした。
「日本人たちはなんとか大会が中止しないよう知恵を絞っている」と叫ぶアレンを見て、田畑が「やつは加納治五郎だ、インドネシアの」と胸を打たれた。
日本の新聞には「体協幹部の優柔不断」「64年東京五輪に危険信号」といった見出しが躍り、日本がスカルノに屈してジャカルタに大会に出た場合、西側諸国は東京五輪をボイコットするだろうと報じられた。
田畑はまだ大会に参加すべきかどうか決めかねていた。「どんなときもスタジアムと選手村は聖域でありボイコットはいかなる理由があってもやってはいけないが、2年後の東京オリンピックを取り上げられては元も子もない」と悩む。
東京の岩田は「田畑さんは理想のオリンピックと現実の間で揺れている」と松澤一鶴(皆川猿時)と話していると、ジャカルタの田畑から「嘉納さんは何か言ってないか?」と電話をかけてきた。いつもの田畑ではない。河野から「どうなっているんだ!川島はジャカルタにいるぞ」と電話してき。
川島はスカルノと会談中、日本選手団の宿舎にデモ隊は進入したという知らせがあったが、「心配ない」とカニにかぶりついていた。浅野さんの英会話がスムースでよかったですね!
津島は「俺が決めるんだよ。俺が邪魔化!」と帰ろうとするのを、田畑は「選手の気持ちを考えましょう!」と留めた。そこに川島が現れた。津島が「政府に」決めてもらいたい」というと「俺が政府だ。オリンピック担当大臣だ。だが、政治はスポーツに介入しない。どっちでもいいなら早くきめろ。現場にいて誰も決断できず左往右往している。この醜態こそが問題だ」。
田畑は「だったら引き揚げますと言ったら困るでしょう。スカルノ大統領とズブズブの関係のある大臣には・・」。
これで田畑は首でしょう!
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