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“いだてん”第46回「炎のランナー」

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いよいよ1964年となり聖火リレーの準備は大詰め。岩田(松坂桃季)は最終走者として、原爆投下の日に広島で生まれた青年(猪之脇海)を提案するが、政府に忖度委員会で反対に会う。政府はアメリカの対日感情を刺激することを恐れていた。平和の祭典としてのオリンピックを理想とする田畑(阿部サダオ)は、解任以来初めて組織委員会に乗り込む。アメリカとどう浮き合うべきか。外交官出身の平沢(星野源)が秘策を思いつく。

感想:
炎のランナー”は早稲田大学の学生・坂井義明(猪之脇海)さんでした。昭和20年8月6日、原爆投下のあった広島生まれ。東京から世界に発信する平和のメッセージならこの人以外にない選定だと思いました。岩田(田畑)ならこうする!
しかし、これに与謝野秀(中丸新将)ら組織委員会幹部がアメリカの心証を害する恐れがあるとして反対したという。
これに怒った田畑は組織委員会に乗り込み、与謝野らを批判した。
「沖縄で日の丸を振って聖火を迎える、これは島民の願いだ!最重要事項!政府が何と言おうがやれ!それから聖火リレーの最終ランナーは坂井義則君を走らせるべき!小役人どもよく聞け!アメリカにおもねって、原爆に対する憎しみを口にしえない者は、世界平和に背を向ける卑怯者だ!!」。

この田畑の怒りに感動。長いオリンピック物語での最も感動したシーンでした。この考え方は緒方一郎(桐谷健太)のものだと言われているようですが、自民党の政治家である彼には出来ない、とは言えオリンピック噺ですから“分かりませんね” (笑)

オリンピックは理想の平和の祭典。ここに政治を持ち込んではならないと、このドラマは訴えています。

沖縄で日の丸を振って聖火を迎えることを、政府は考えていなかったという。
涙が出て仕方がなかった!! あんな激しい戦争を沖縄の人に強いたのに?
アメリカをおもねってとのこと。沖縄とアメリカのどちらが大切なのか?この気持がないと、今の基地問題も解決しないでしょう。これから半世紀を得ても依然変わらない日本の現状に唖然!

しかし、平沢和重(星野源)さんという策士がいてほっとしました。アメリカとは交渉しない、メディアの力を利用するという上手やりかたでした。田畑が600枚の国旗を持って沖縄で聖火を迎えたという噺、このような人が今日本にいるのかと感動しました。

五りん(神木隆之介)が志ん生ビートたけし)との二人会開催直前にいなくなった訳が明かされました。自分は実力不足、師匠に恥をかかせては申し訳ないというものでした。「地に足のついた仕事をせよ」という美津子(小泉今日子)の説得に、「地についた五りんなんて魅力ない!」という智恵の覚悟が見事。志ん生がどうやって名人になったか? いい話でした。

来週は最終回。1864年のオリンピックは大成功でした。2020年のオリンピックが心配になります! 

***
昭和39(1964)年1月に、黒澤明に代わって市川崑三谷幸喜)が東京オリンピック記録映画監督に就任した。監督は「黒澤さんも降りて、やらないほうがいいというが、日の丸のポスターを見て、うつくしく撮ればいいんだと思って決心しました」と述べた。三谷さんにセリフがありました!

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3月には円谷幸吉選手が初マラソンで2時間23分31秒という好記録を出し、4月には聖火ランナーをモデルにしたポスター第4段が完成した。

オリンピック開幕まであと半年となると、組織委員会の面々は忙しく、訪ねてくることもめっきりなくなった。
そんな折、岩田と選手強化対策本部の大島健吉(平原テツ)が聖火リレーの最終候補を見つけたと田畑に知らせにきた。選手の名は坂井義明、早稲田大学の学生で400m、1600mリレーの選手に選ばれていた。坂井は昭和20年8月6日広島で生まれていた。
岩田が「原爆投下の日に広島で生まれた選手が聖火リレー最終ランナーというのは出来過ぎですかね」と問うと、田畑は「オリンピックは平和の祭典だ。これを見落してはいかん」と賛成した。

まーちゃんの悲願だった聖火が9月6日に沖縄へ渡ってくることになっていたが、日本政府は沖縄での日の丸掲揚の許可を取っていなかった。沖縄の国旗掲揚は祝日のみと厳しく制限されており、政府は申請すら行っていなかった。

田畑は心配で女子バレーボールの練習場を訪ねると“馬”が居ない。「大松が父親が亡くなり帰った」というが、河西が「お願いします。辞めたくなったらオリンピックの前日でも辞めます」と親の最後をも見ず練習に勤しんでいた。父親は4日後に亡くなったという。

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オリンピックまであと3月という頃、美津子(小泉今日子)は喫茶店で五りんに会い、志ん生との二人会当日に姿を消した訳を聞いていた。
「冗談にして欲しかった。お笑いをするには、背負っているものが重すぎて、それを師匠に面白おかしく笑い話のしてもらって軽くしてもらいました。師匠がひっくり返ったあと、何か恩返しができたらと思いついた。師匠の復帰の舞台に二人会を思いついたのはよかったが、稽古に励む師匠の姿を見ているうちに怖くなった。会の前日、師匠が『だめだったら引退だ』というのを聞いて、若いころの師匠だったらどうするかと考え、美津子から渡された志ん生の着物を質に入れて姿を消し、三波春夫に弟子入りしたが紅白でしくじった」という。

美津子が「いつまでもブラブラして。何したいの!」と聞くと「マラソンかな?走る家系だから。いだてんになります」という。そこにトイレから智恵が大きなお腹を抱えて出てきた。美津子が「地に足をつけてちゃんと考えな!」と五りんを叱るのを聞いた知恵が「地についた五りんなんて魅力ないわ」と言う。

この夏、東京は異常気象で雨が全く降らなかった。代々木競技場は完成のめどが立たず、24時間体制で工事が行われることになった。7月18日には、川島正次郎が務めていたオリンピック担当大臣に河野一郎桐谷健太)が就任した。
河野は就任にあたり「世界から人が集まる。先ずは水を確保、災害並みの対応をせよ」と訓示した。

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田畑はどんな選手かと坂井を見に早稲田大学にやってきた。練習する坂井に「オリンピックに間に合うかも知れんぞ」と声を掛け驚かせた。

組織委員会で岩田が「坂井義則を聖火ランナーに」と提案したが、与謝野ら幹部は難色を示した。平和の祭典の場で過去の戦争を蒸し返すようなことをすれば、アメリカの心証を害する恐れがあるという。

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沖縄での日の丸掲揚に関しても幹部らは、政府の「アメリカと交渉する余地はない」という回答に逆らうなという様子。

これを聞いた田畑は組織委員会に乗り込んだ。「沖縄で日の丸を振って聖火を迎える、これは島民の願いだ!最重要事項!政府が何と言おうがやれ!それから聖火リレーの最終ランナーは坂井義則君だ。小役人どもよく聞け!アメリカにおもねって、原爆に対する憎しみを口にしえない者は、世界平和に背を向ける卑怯者だ!!」。取材記者たちにも「書きたければ書け!田畑の発言だ」。
これに東(松重豊)が「またいつでも来てください。いつでも席を準備します」と声を掛け、河野は納得したように頷いた。

8月10日、新聞記者が広島に帰省中の坂井を東京に連れ戻し、ユニフォームを着せて国立競技場」の聖火台前で写真を撮った。
この写真が「聖火ランナーに無名の青年」「坂井義則君19才」という見出しで新聞に掲載され、最終ランナーは坂井に決まった。

四三がこれを知り“嘉納治五郎記念碑”に「すいません、約束果たせなかった。坂井君ほどの平和の祭典にふさわしい人はいない」と報告した。

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組織委員会h、総勢10万人の聖火ランナーを集めるべく、全国の教育委員会、スポーツ団体、さらには落語協会にまで参加を呼び掛けた。
志ん生は「五りんに走らせたら面白い」と五りんを推薦した。

8月21日、ギリシャのヘラ神殿で採火式が行われ、聖火はアテネを出発した。

このころになってもまだ、沖縄での日の丸掲の問題は解決しておらず、田畑たち裏の組織委員会は平沢を田畑家の招いて協力を頼んだ。
平沢は「4日間も掲揚できるわけがない。認めろというから認めないんだ。そういうときは事後承認だ。TVを利用すればいい。9月6日に沖縄に聖火が上陸する際、その様子を特別番組として流せばいい。アメリカは沖縄と友好的な関係にあると世界に向けてアピールしたいんだから、皆でしっかり旗を振ることだ」という。

田畑は自ら600枚の旗を集めて沖縄に向かい、聖火の到着を迎えた。聖火ランナーの第一走者は宮城勇さん。沿道は、大小無数の日の丸の旗が翻った。

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その後、聖火は沖縄から、鹿児島、宮崎、北海道に別れ、4つのルートで東京を目指して走りだした。

田畑はボランティアとして働いている娘あつ子(吉川愛)とフランス語通訳の大河原やす子(川島海荷)を伴って選手村を訪ね、立派に完成しているのを見て「嘉納さんに見せたかった」と大感激した。最初に選手村に到着したのはコンゴ共和国の2人の選手、ウランダ、ヨンベだった。国歌を歌うふたりの選手はストックホルム大会に二人きりで出場した四三と三島弥彦のように緊張していた。
9月26日、コンゴー、」ルーマニア、韓国、オーストラリアの選手による入村式行われた。
10月1日には東海道新幹線首都高速道路の一部が開通。7日には4つのコースを辿っていた聖火が東京に到着し、9日に皇居前広場に集められた。

開会式前日。田畑が国立代々木競技場を訪れると聖火ランナーの最終走者・坂井が「選考会負けた」と悔やみながら練習していた。そのとき大粒の雨が降り出した。

夜、田畑はバー「ローズ」に行くと、東と松澤(皆川猿時)、そして松下治英(駿河太郎)ら航空自衛隊ブルーインパルスの面々がいた。ブルーインパルスは開会式に飛行して青空に五輪のマークを描くことになっていたが、外では激しい雨が降っており飛行は中止だろうと、残念会を開いていた。
東が「インドネシア北朝鮮の不参加が決まった」と残念がる。田畑は「グランドが聖域だ。俺たちが守らねばいけない。坂井がナーバスになっていた。走れんかも知れん。選手第Ⅰだったのに気づいてやれんかった」と嘆く。

マリー(薬師丸ひろ子)が、明日の天気を占うと言い出す。マリーの占いの結果は「雨、豪雨!世界中の雨雲を全部東京に持って来る」。
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