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「麦秋」(1951)“紀子”に残っていた記憶に泣け、これからの家族の在り方を想う!

小津安二郎監督は原節子さんを「紀子」という名で演じさせた作品が3本「紀子三部作」と呼ばれている)ありますが、本作は「晩春」(49))に次ぐ2番目の作品です。

監督:小津安二郎脚本:野田高梧 小津安二郎製作:山本武、撮影:厚田雄春編集:浜村義康、音楽:伊藤宣二

出演者:菅井一郎、東山千栄子笠智衆三宅邦子原節子淡島千景佐野周二杉村春子、他。

「晩春」では紀子と父親の物語で結婚相手を紀子が父の説得で受け入れましたが、この作品 “紀子”自らの意思で決めるところが、前作の紀子物語の差異です。

「晩春」より柔らかでユーモア溢れた作品ですが、終戦から6年、まだまだ戦争の傷が残っていて、その傷に触れることで泣けますが、ここから前に進もうとするところが爽やかで、日本の未来を見つめているような作品です


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あらすじ

間宮紀子(原節子)は、28歳で、東京の貿易会社の専務秘書をしている。彼女は今、東京の病院医である兄・康一(笠智衆)とその妻・史子(三宅邦子)、兄夫婦のふたりの男の子・實と勇、引退しているが植物学者の祖父・周吉(菅井一郎)とその妻・しげ(東山千栄子)の、計7人家族のひとりとして北鎌倉で暮らしている。

冒頭、祖父が鶯に餌を与え、康一が出勤準備、史子と“しげ”が台所で料理、紀子は子供たちと朝食を食べて出勤という大家族の風景が描かれる。紀子は、北鎌倉駅のフォームで、兄と一緒に働く医師・矢部謙吉(二本柳寛)と挨拶を交わす。

祖父の兄・茂吉が鎌倉に遊びにきていて、「紀子を嫁に出して“まほろば”の大和に戻って来い!」と誘う。祖父母は大和を離れて16年になり、これからの家族のことを考えていた。

紀子はふたりの子と一緒に、茂吉を大仏見物に案内する。そこで幼い孫・光子(2歳)を連れた謙吉の母“たみ”杉村春子)に出会い、「大和からお客様?」と聞かれ、「父の兄です」と親しげに挨拶を交わす、親しい間柄だった。

当時の子供の遊がユーモラスに描かれます。電気機関車モデルが人気だった!甥たちと一緒に暮らしていたから、紀子は子供たちの面倒見がよかった。

紀子には未婚の料亭の娘・アヤ(淡島千景)と既婚の二人は親友がいる。会っては未婚組と既婚組とに対立しながら、自分の結婚について考えていた。

そんなとき、紀子は専務の佐竹(佐野周二)から「先輩で東大出、初婚だ」という真鍋(40歳)との縁談を勧められ、一度は断ったが、「考えてくれ!」と写真を渡され受取った。紀子は帰宅して兄嫁の史子に「専務から縁談の話しがあった、」と真鍋の写真を渡した。

康一は診断に訪れたアヤの母から紀子の縁談相手の話を聞いた。康一は乗り気になって、すぐに父・周吉に「身元もしっかりしる。話を進めたい」と同意をとった。

康一は妻の史子に紀子に真鍋との結婚を勧めるよう急かした。史子に紀子に糺すと「いい人らしい」と曖昧に答えた。

紀子の縁談の聞き合わせが “たつ”のところにあった。“たつ”が周吉のところにその知らせにきた。そこで、謙吉と同級生の(周吉の次男)省二のその後の消息が話題になった。周吉は「もう諦めた!」と話すが、“しげ”は「今でも生きている」という。省二の戦死?は周吉夫婦にとって心の大きな重しだった。

康一が会社関係者から真鍋の評判を聞いて、周吉夫婦にこの縁談を進めようとすると“しげ”が「歳の差が気になる紀子が可哀そうだ!」と反対した。康一は「しっかりした人だから年齢差など問題でない!」と押し切った。

康一が子供たちにお土産とパンを買ってきたが、實は電車でなかったことで気にいらなかった。康一が不平を言う實に手を挙げたことで、實は勇を誘い家を出て夜になっても帰ってこない。家族で探すが見つからない!康一は開業医の西脇(宮内精二)のところで、殴ったことを反省しながら碁を打っていた。

紀子は「ここに居るのでは?」と“たみ”の家を訪ねた。息子の謙吉がいて、すぐに走り出した!ふたりは夜遅く家に帰ってきた。

謙吉の秋田県立病院の内科部長転出の話がきて、康一は「いい話だ!」と賛成した。

謙吉は母・しげに転勤の話をしたが、“たみ”はいい返事をしなかった。が、謙吉は「それでも秋田に行く!」と伝えた。

康一は紀子を交えて謙吉の送別会を設けた。そこで、謙吉が徐州で書かれた省二の軍事郵便を持っているので、それを紀子に譲るという話がでた。

紀子は手土産を持って“たみ”を訪ねた。すると“たみ“が「気を悪くしないで欲しい。あなたが謙吉の嫁になってくれたらと思うことがある!」と明かすと、紀子は「お嫁さんになりたい!」と即答した。”たみ”は驚いたが大喜びで、帰宅した謙吉に紀子の気持ちを伝えた。

帰宅して紀子は兄・康一に謙吉との結婚意思を伝えると、康一は周吉夫婦を居間に呼び、家族会議となった。家族が「歳が離れている、子供がいる」と反対したが、紀子は「おばさんに言われて、自然にその気になった。後悔はない!」と答えた。

紀子はアヤに会って「近くにいて分からなかったの!気が休まるから」と話すと「好きだったのよ」とこの結婚に大賛成だった。ふたりが秋田弁でやりとりして笑わせてくれます。しかし家族はまだ紀子の言い分に納得していなかった。

紀子は義姉の史子を茅ケ崎の海辺に誘い、家族が心配することについて「40歳でぶらぶらしている男性は嫌いで信用できない!」、これは耳が痛い人がいるでしょう(笑)、「自分は子供が好きだ!貧乏も気にならない」と自分の気持ちをしっかり伝えた。そのあと打ち寄せる波の砂浜をふたりで歩いた。

紀子は挨拶に専務を訪ねると、「東京を見ていきなさい!」と快く送り出してくれた。

紀子は謙吉に嫁ぎ、これを契機に康一は開業を決意した。周吉夫妻も大和の家へ引きあげて行った。

感想

紀子は戦場で亡くなった兄・省二の友・謙吉を結婚相手に選んだ!理由は「心から安心できる」だった。

この作品では兄のふたりの子供が出てきて、いたずらっ子ですが、とても仲良しでよく遊ぶ。ふたりの子の姿が紀子と戦場で亡くなった次男・省二の幼いころの姿に重なります。ふたりは露坐の大仏前で、正一とその友・謙吉と一緒に遊び、慣れ親しんでいたでしょう。省二が戦場で亡くなってもその関係は続き、転勤で謙吉を失うとわかった時、自分が「ず~と謙吉が好きだった!」と気付いた。省二の戦死がこういう形で報われることに泣けます!小津監督作品にはどこかに戦争の傷が残っていて、これを癒すように描かれる。

 この作品の中で、ふたりの子供の関係がしっかり描かれるのはここに繋がっていたんですね!回想シーンが全くない”ですが、こうして映画の裏側を読むのが楽しい!

女性が、こうして自分の意思で人生を選択するのも、当時としては新しい生き方だったと思います。

紀子が嫁に行くと、康一が家で開業すると言い出す。そこで周吉夫婦は「若いものの邪魔してはならない!自分たちの幸せを探そう」と兄・茂吉が勧める故郷・大和へと帰っていった。大家族が崩壊して、新しい家族が生まれていく。しげの寂しげな顔が目に残りますが、新しい老後の生き方を示したものだった!

家族の愛情表現を、説明はなく、短いセリフで、繊細に描かれていました。紀子の兄嫁への気遣い!夜中、子供に見られないようにふたりでケーキを食べるシーン。紀子がひとりで食事するシーンなど今の人にうまく伝わりましたかね!(笑)

ドラマの中で、礼儀作法と節電シーンがきちんと入っており、当時のつつましい日本人の生活がしっかり描かれていました。

小津監督作品特有のエピソードの合間に差し込まれる風景映像とぶれないカメラワーク紀子が秋田に行く前に見た東京のビル群。ここには戦争の傷跡はもうなかった。

茅ケ崎のうねる様な砂丘。紀子が本心を兄嫁の史子に伝え、海辺に出るシーン。初めてクレーンを使って撮ったそうですが、とても印象的なシーンだった。

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