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「ヴォイス・オブ・ラブ」(2020)セリーヌ・ディオンの愛の歌の裏側に何があったか!

世界的歌姫セリーヌ・ディオンの半生をモチーフに描いた音楽映画

恥ずかしながらセリーヌ・ディオンの人生に何があったのかを知らないということで、WOWOWで鑑賞。(笑)

監督・脚本・主演がフランスの女優・バレリー・ルメルシエ。3つの役を兼ねることでメルシエの魂胆が見えるという作品でした。(笑) 撮影:ローラン・ダイアン、編集:ジャン=フランソワ・エリー、歌唱:ビクトリア・シオ。

 出演者:ヴァレリー・ルメルシエ、シルバン・マルセル、ダニエル・フィショウ、ロック・ラフォーチュン、アントワーヌ・ベジナ、他。

ヴァレリー・ルメルシエ(58歳)が12歳から47歳までを1人で演じています 


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あらすじ

1960年代のカナダ。ケベック州に暮らす音楽好きな一家の14人目の末っ子アリーヌ(ヴァレリー・ルメルシエ)が生まれた。5歳の時(1973)に人前で歌いはじめ、その並外れた歌唱力で町の話題を集めていた。

やがてアリーヌは歌手を夢見るようになり、母シルヴェット(ダニエル・フィショウ)は娘の夢をかなえるため地元の有名音楽プロデューサー、ギィ=クロード(シルバン・マルセル)にデモテープを贈った。彼の尽力で12歳にしてデビューを果たしたアリーヌは、14歳でパリのTVに出演、「愛と友情」で天才少女としてもてはやされるようになった。ヴァレリー・ルメルシエの12歳には参りました。(笑)

しかしギィ=クロードは「歌は45%、あとは自分をどう見せるかだ?」と彼女を世界的な大歌手にするため数年間の活動停止を決め、歯の矯正、“英語”の特訓やダンスの授業などに専念させた。

17歳のアリーヌ、世紀の歌姫への階段を駆けあがる旅が始まった。

ギィ=クロードが常に付き添い「観客から目を名は話すな!などと指導、いつとはなくアリーヌの心はギィ=クロードに魅かれていた。

母・シルヴェットはアリーヌに「彼は26も歳が離れている、あなたにはふさわしくない人」と注意した。アリーヌは「12歳の時から彼のために歌っている」と抗議し、舞台で「ギキー、私は彼に夢中・・」と歌っていた。ギィ=クロードは「歳が違い過ぎる!」と告げて、マネージャーとしての姿を消したが、アリーヌを陰となって追っていた。そこには強い絆があった。

1988、母シルヴェットが心痛で倒れ、ユーロビジョン・ソングコンテストを前に不安に陥り、ステージに立つ前に震えが止まらない。そこにギィ=クロードが現れ、みごとに賞を獲得。この時アリーナは20歳であった。この日ふたりは結ばれた。

ヨーロッパツアーを終えての打ち上げ会。ギィ=クロードがサプライズでパフェに指輪を隠して贈った。(笑)アリーヌ、26歳で結婚式を挙げた。そして豪邸での生活が始まった。

ギィ=クロードが突然「子作りしよう!」と言い出し、保養地に籠り励んだが、成果はなかった。舞台でも夫ギィ=クロードの話を語り、愛に溢れた生活を明かしていた。ギィ=クロードが帰りのロールスロイスの中で「いつかは死ぬ、君は若い、世界を楽しくしてくれ!」という。オタワ公演であと数日を残して、アリーヌが舞台で声が出なくなり、途中で舞台を下りた。観客は歌でこれを許してくれた。これからしばらく療養に入った。不妊治療も始めた!

声を取り戻し、ここでメークアップアーティスト・フレッドとの出会いが大きなファッションの転機になり、1997年映画「タイタニック」の主題歌「マイ・ハート・ウイル・ゴー・オン」が世界的な大ヒットとなり、ポピュラー界の大御所の地位を得た。シャンペンショーで歌うシーンがすばらしい。このあたりからヴァレリー・ルメルシエの演技がアリーヌの設定年齢29に合ってくる

第1子長男ジュニアの誕生。これを機会に大豪邸を購入。ゴシップ記事が反乱(笑)育児に専念!舞台と母親をやるためにネバダ州パラダイスのシーパレス・コロシアムでの5年長期コンサートを企画

2002年、長期コンサートの開始。公演が終ると豪邸に急いで戻るという毎日の生活。ギィ=クロードに癌が見つかったがアリーヌには傳えなかった。そして父親アングロマードを失った。しかし休演にはしなかった。

家族とともにプライベイト・ジェットでのヨーロッパツアー。二、三番目の子を授かった。

2010長期契約のコンサートの再開。子供の面倒見ながらのステージが続いた。夫・ギィ=クロードはスタッフ席からショーを見ていた。ヴァレリー・ルメルシエのアクションがすばらしいです!映像も美しい。

ギィ=クロードが体調を崩してマネージャー業から退き、自宅療養になった。

 自宅からステージで「アイム・アライヴ」を歌うアリーナに「リフレインのあとウサギをやって!」とサインを送り、アリーナの歌う姿に「美しい」と、亡くなった。

夫ギィ=クロードが亡くなって、「ひとりでは眠れない!」とフレッドの部屋に泊まった。早朝部屋を抜け出し街に出ると「この街には何人もアリーナはいるよ!頑張れば一番になれる!化粧をしておけ!」と声を掛けられた。ひとり街を彷徨していた。

スタッフが心配する中で、アリーナが劇場に戻り、ステージに立ちギィ=クロード亡きあとの生き方を歌うように「私の人生は私の音楽。歌を聞いて欲しい!私は人気歌手ではない!ただ普通の女、ただ普通の女」と「オルディネール」を歌い始めた。

感想

12歳のアリーヌ、随分大人びた顔だなと思っていたら、ヴァレリー・ルメルシエ本人だったと知って驚きました。当初ストーリーの乗れなかった!(笑)実が5歳の映像もあるそうです。(笑)

しかし、「マイ・ハート・ウイル・ゴー・オン」を歌うステージあたりから、ファッションも替り、すっかりセリーヌになり切って、ビクトリア・シオの歌唱と相まって、みごとな音楽エンターテインメントであるとともに夫婦愛のドラマになっていきます。

歌詩が良いし、その詩の通りの人生に泣けます。これをうまく撮った映画でした。

 夫・ギィ=クロードを前にして愛の歌を唄い続け、夫を失い夜明けのワシントン街を彷徨して新しい人生への出発として「歌うことが人生、普通の女で居たい」と歌いあげるラストシーン、涙がでました。夫ギィ=クロードの力が如何に大きかったかが分かるシーンでした。

超セレブになっても自分を失わないで歌ひとすじに歌い続けたのには、こんな夫婦の強い愛の物語があったからだと知りました。

最近新しい恋人ができたと話題になっていますが、この作品からはまさか?と。(笑)

絢爛豪華なショーは楽しめますが、他のこの種作品に比べて特に優れているとは思わなかった。しかし夫婦愛と歌だけがダントツにいい

それはバレリー・ルメルシエのこだわり「この夫婦愛がどこから生まれたか」で、少女アリーヌが大人のギィ=クロードに恋する瞬間を描きたかった。そして強いセネーヌへのリスペクトではないでしょうか。これが見て取れる作品でした。

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