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宮﨑あおいさんを応援します

「君たちはどう生きるか」(2023)監督の遺言!ご苦労様と感謝!

 

「宣伝は一切しない」とポスターだけが公表され、物語はベールに包まれたままの作品。漏れ聞かれたのは、タイトルは宮崎監督が感銘を受けた吉野源三郎の同名小説から採ったがネーミングだということ。「先入観なく、まっさらな気持ちで見てもらいたい」という意図だと言いますから、感想は注意ななければなりません。この作品は監督自身の私小説というべき側面が強くでた作品だと感じ、監督の作品や信条に疎い私にはとても難解な作品で、まともな感想は書けそうにない作品でした。(笑)

原作・監督・脚本(絵コンテ):宮崎駿作画監督本田雄美術監督武重洋二音楽:久石譲主題歌:米津玄師、「地球儀」、プロデューサー:鈴木敏夫制作・製作:スタジオジブリ

声の出演:山時聡真、菅田将暉柴咲コウあいみょん木村佳乃木村拓哉竹下景子風吹ジュン阿川佐和子大竹しのぶ國村隼小林薫火野正平

 

あらすじ(ねたばれあり:注意):感想を含めたあらすじで必ずしも正しいものではありません。

牧真人(:山時聡真)は10歳?の小学生、父正一(木村拓哉)は航空機物品会社の経営者。母の久子は富豪家の娘で、結核?を病んでいる。風立ちぬ」から飛び出してきたような家族。

1944年3月の東京空襲、米軍の空襲で街は火の海になり結核の母親を救い出すことはできず、家族は大豪邸のある母冬子の実家に疎開することになった。駅に着くと母の妹夏子(木村佳乃)が人力車でやってきて清楚な着物で出迎えてくれた。父から新しい母だと言われ、夏子さんから「お腹にあかちゃんがいる、触ってみて!」と言われ驚く。

真人が豪邸に着くと、一羽の青サギ(菅田将暉)がまとわりつく。これがポスターの青サギで、姿をサギ爺に姿を変えて真人と行動を共にすることになります。

真人は洋風の洒落た建物で生活が始まった。夏子さんは妊娠しているし、父が帰宅して夏子とキスする光景を目にした真人は母を不憫に思い二人を受け入れることができない。

青サギが現れて「お母さんは生きている。探さないか?」と誘う。

そこで起こったのが、父が「こんなやつはいない」とダットサンで学校に送ってくれたこと。これが原因で真人は虐めに合い、自分で頭を石で傷つけた。父は「誰にやられた?」と学校に抗議し、「寄付金300円支払ったからもう大丈夫だ」という仕事第一の父親だった。

真人が医者の診断を受け自宅療養することになった。母親と一緒に食事しても生はんかな返事で、夏子はつわりで苦しみ精神的に追い詰められ家を出て行き、見つからない。牧家にとっての大騒動が勃発した。

真人も夏子捜しに参加。真人が自分で竹を切り弓矢を作った。このとき、机の上の置かれていた本君たちはどう生きるか」(吉野源三郎)に「真人に贈る」と母のサインがしてあった。真人がこれを見て泣いた!

真人はうるさく付きまとう青サギを殺そうとするが「真人きて!」と母の声を聴く夢をみるなど、現実と幻想の世界を行き来している状況にあった。

この物語そのものが真人の幻想の中の物語かもしれない

 牧家の屋敷には奥深くに奇妙な塔のある、今は使われてない建物があった。隕石の上に大叔父(火野正平)が建てた屋敷で一度崩壊して沢山の死人が出た。大叔父は塔の中で行方不明、久子も行方不明になったが1年後に前と同じ姿で出てきたという。屋敷には7人のお婆がいるがいずれも「近づくな!」という。このあたりは「千と千尋」を思いだします。

真人は青サギの案内でこの屋敷に入り母・久子を捜し出した。しかし、久子の体に触れるととろけてしまった。真人は「お前の責任だ!」と青サギに矢を仕掛けると、これが青サギに当たりサギ爺に変身した。彼の案内でペリカンがいる世界に行く。ここは死の世界だった。

ここで真人はお婆のキリコ(柴咲コウ)に出会い、生きるための活力やペリカンの生き方から運命とは何かを学ぶ。しかし夏子はここに居なかった。真人は一度屋敷に戻った(目覚めた)。

真人はサギ爺とともに夏子を捜し邸に繋がる森の中に入るとインコの兵隊が守備するインコの世界に入った。ここは牧家の過去の世界だった。真人はヒミ(あいみょん)という女性(若い久子)に出会い、彼女の手助けで、塔のある建物に入り大祖父に会い大きな決断を強いられるとともに夏子と邂逅した。終戦から2年後、真人は家族と一緒にしっかりした少年になって東京に戻ってくる真人の成長譚だった。

 沢山の宮崎アニメをメタファーにしているが、トトロのようなファンンタジーで先の読めないミステリアスな物語だった。

感想

真人は大祖父に13個の積み木を見せられ、これを引き継いで積み上げないかと問われ、これを断り自分の生き方を選定した真人の生き方。ここに感動しました。鳥が沢山出てくる作品でしたが、鳥をメタファーとした生き方、自然に深く関わる奇想天外な童話作品として面白かった

社会に何かを問う作品だろうと予測していたので、こう来るとは思わなかった。しかし、82歳にしてこの結末、「フェイブルマンズ」のスピルバーグに見る結末と同じで、自らの人生を回想して残すべき言葉は何かと、いい終わり方だったと思います。

13個の積み木が宮崎作品数だとして、ここから登場人物を監督が関わってきた人物に置き換え、監督自身の物語としてみると、監督の生き様が浮かび上がり興味深いものになるでしょうね。皆さんの感想を見ながら、いろいろな見方をしてみたいと思います。

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