「君たちはどう生きるか」の公開日にちなみ、金ロは「風の谷のナウシカ」(7月7日放送)についでコクリコ坂から」(7月14日)を放送してくれました。
恥かしながら、この作品を始めて観ました。この作品の時代性に衝撃を受け、「君たちはどう生きるか」を見る前にこの作品を観ておくべきであった。「君たちはどう生きるか」の見方が一変していたなと悔やんでおります。
1980年「なかよし」(講談社刊)に連載された佐山哲郎・高橋千鶴(作画)による少女漫画を、2011年スタジオジブリが映画化。宮崎駿が企画・脚本、「ゲド戦記」の宮崎吾朗が同作以来5年ぶりに手がけた監督第2作。
原作から時代設定を東京オリンピック前年の1963年に変更し、横浜を舞台に、自らの出生の秘密に揺れる一組の男女の恋や青春を描くというヒューマンドラマ。
企画:宮崎駿、脚本:宮崎駿 丹羽圭子、プロデューサー:鈴木敏夫、撮影:奥井敦、音楽:武部聡志、音響:笠松広司、主題歌:手嶌葵「さよならの夏〜コクリコ坂から〜」、挿入歌:坂本九、アニメーション制作:スタジオジブリ。
声のキャスト:長澤まさみ、岡田准一、柊 瑠美、大森南朋、風吹ジュン、内藤剛志、香川照之、他。
物語は、
1963年の横浜、港の見える丘にあるコクリコ荘に暮らす16歳の少女・松崎海(長澤まさみ)は毎朝、船乗りの父に教わった信号旗を海に向かって揚げていた。ある日、海は高校の文化部部室の建物、通称「カルチェラタン」の取り壊しに反対する学生たちの運動に巻き込まれ、そこで1学年上の新聞部の少年・風間俊(岡田准一)と出会う。2人は徐々にひかれあっていく。
ある日、海はコクリコ荘に下宿していた校医・北斗(石田ゆり子)の歓送パーティに俊を誘う。そこで俊は海の父親が二人の親友と撮った写真を見た。自分は海の父親に似ていると思った俊は父(大森南朋)にこのことを打ち上げたが、友人から預かった子だとしか教えられなかった。しかし、俊が海に「兄妹だ」と打ち明け、ふたりは友人として過ごしことになったが、・・。
学生たちはカルチェラタンの存続を理事長(香川照之)に訴えた。その結果。カルチェラタンの取り壊しの是非が、理事長を迎えて下される日、突然海外に出航前の船長・小野寺善雄(内藤剛志)に会うため俊が呼び出された。そこで俊が知った真実は・・・。
感想:
俊の父親は海の父ではなかった。ほっとする結末であった。しかし、駿監督がなぜ時代設定を変え、学生たちの自由な部活動を生き生きと描きながら、原爆・朝鮮戦争まで持ち出して、ふたりの恋物語を描いたか?
圧倒されるほどにこの時代が醸し出す自由のエネルギーが描かれていた。自由の砦としてのカルチェラタンの改造さらに廃止への反対に熱気を帯びた学生たちの反対運動。
原色に近い濃い緑の木々と青い海と空で描写される映像!
カルチェラタンは後の70年安保闘争時の東大安田講堂に見え、監督の“この時代”を描きたかったことが分かるような作品だと思った。
この時代、男女共学になったとはいえ、教室は別々だった。この作品では授業風景シーンはない。その中で唯一の男女の接点は部活だった。とはいえほとんど男性主体で、女性は大歓迎される時代だった。
旧制高校のばんから気風が残っており、寮歌や琵琶湖周遊歌が好んで歌われる時代、坂本九の「上を向いて歩こう」は時代を先取りした歌だった。海外航路の船長、海の母親(風吹ジュン)が渡米して助教授でいるなど当時の憧れだった。
駿監督はこの自由な気風を描きたかった。駿監督が「21世紀に入って以来、世の中はますますおかしくなってきている。日本という国が狂い始めるきっかけは、高度経済成長と1964年の東京オリンピックにあったんじゃないか」と言うのが分かる描写になっています。
この時代を、時代を経験していない息子の吾郎監督が描けるわけがない。いろいろふたりの間に確執があったようですが、最終的には駿監督の描くものが出来、ふたりが邂逅するという結末になったようですが。
「君たちはどう生きるか」をこの視点で見ると見方が一変するような気がします。
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