とても評判の良い作品。タイトルの面白さで、WOWOWで観ました。
原案:作家・水上勉の料理エッセイ「土を喰う日々 わが精進十二カ月」、未読です。監督・脚本:「ナビィの恋」の中江裕司、撮影:松根広隆、録音:渡辺丈彦、美術:小坂健太郎、音楽:大友良英、主題歌:沢田研二、料理:土井善晴。
出演者:沢田研二、松たか子、西田尚美、尾美としのり、瀧川鯉八、檀ふみ、火野正平、奈良岡朋子。
物語は、
長野の人里離れた山荘で1人で暮らす作家のツトム(沢田研二)。山で採れた実やキノコ、畑で育てた野菜などを料理して、四季の移り変わりを実感しながら執筆する日々を過ごしている。そんな彼のもとには時折、担当編集者である歳の離れた恋人・真知子(松たか子)が東京から訪ねてくる。2人にとって、旬の食材を料理して一緒に食べるのは格別な時間だ。悠々自適な暮らしを送るツトムだったが、13年前に他界した妻の遺骨を墓に納めることができずにいた。(映画COMから引用)。
作家のツトムが編集者の真千子に促されて、若いころ寺に奉公していたころ覚えた精進料理を二十四節季に合わせて作り、これで料理エッセイを書く。自らが食材を探し調理する精進料理の数々。この料理を通して人と触れ、己の死生観に達する物語。長野の四季とその中で作られる数々の料理が見どころ。沢田研二さんの調理作法と食べる松たかこさんの演技に、食べることの楽しみを知ります。
あらすじ&感想:
作家ツトムの父は大工でお棺を作っていた。貧しさのあまり9歳のとき禅寺に就業に出され、13歳のとき逃げ出したことがあるという。精進料理は寺で覚えたもの。ツトムは13年前に妻ヤエコを亡くし長野の菅村に移住し山荘で田を耕し作家活動を続けている。そんなツトムを編集者の真知子が東京から訪れツトムの作る料理を楽しみ執筆を促す日々が続いていた。
立春(豊年のはじまり)2月。
真千子は東京を立ち、ツトムの山荘に向かった。ツトムは雪の畑に出て子芋を取り出し水洗いしているところに真千子が「ツトムさん!」と訪れた。慣れ親しんだふたいと言う感じ。ツトムは干柿を出し、お茶を勧める。真知子が「原稿は?」と聞くと「ない」と返事。酒を勧め昨年漬けた白菜を出し、暖炉で子芋を焼いて食べさせる。真知子はとても美味しそうに頬張る。「香りがいい、土の香りだ。許してくれ!子芋で」とツトム。真知子は「タイトルだけでも頂戴!」と催促し、ツトムは付けた名が「土を喰う十二カ月」だった。
ここから、二十四節季にわたり時々の精進漁師が紹介され、それにまつわる人とのつながりが描かれていく。
啓蟄(生き物が目覚める)2月、
「献立は畑と相談して作る」と寺で教えられたと言い、ほうれん草を引っこ抜いておひたしを作る。「食材を自分の手で扱うことが大切だ」と、「ここが一番うまいところ」と丁寧にほうれん草の根をきれいに洗い湯がく。米は竈で焚き、焚き上がるとお櫃に移す。これをごつごつした手で、愛おしむようにやりとげる。こげ飯は犬のサンショに食べさせる。ご飯に味噌汁、ほうれん草のお浸し。とてもうまそうに食べる。
ツトムはゴム長で水場に出かけ水芹を採取し、水洗いして刻みご飯に混ぜる。
わらび、こごめ、やまうど、タラの芽と土の臭いするという。大工(火野正平)に屋根の修理をしてもらい、お返しにタラの芽を紙にくるんで焚火で蒸して喰ってもらった。「貧乏人の知恵だ、こんなうめえもの食っていたんだ!」と驚く。
この時期、山の家に住み畑を耕し、掃除をし、身を動かすことは生きることだと身に染みて分かった。生きるとは身体を使うことで身体を使えば飯も美味い。
仏壇のヤエコに線香をあげ、近くにひとりで住むヤエコの母チエ(奈良岡朋子)を見舞った。
飯を食べて行けと大盛のご飯にたくわん。これが上手そうだった。チエは「サンショ入りの味噌はお前には食わせない」という。帰りに味噌樽とおはぎが渡された。チエは味噌作りの名人だった。「13年だ、早くヤエコの墓を作れ!」と急かされた。
小満(生命が満ち満ちる)5月、
ツトムは小僧の頃禅寺で学んだ通りに土の上に頭を出していないタケノコを掘り起こし、皮を肥料にとその場に残し、家に戻り灰汁を抜いているときに真知子がやってきた。タケノコを煮つけサンショをふりかけ、ふたりで食べた。真知子は「美味い!」と大喜びだった。
「人間は臭いや味見でとんでもない暦の引き出しを開けた。口に入れるものが土から出た以上、心深く暦を経て土地の味が味覚に絡みついている」と書いた。
ふたりは翌朝、山鳩を追い払いながら種を捲いた。
芒種(雨露の恵みを受ける)6月、
近所の農家から梅を分けてもらい、梅干しを作った。秘訣は梅のヘタを取ること。塩を振って器に入れ重石を置く。そこにチソを採取してしっかり揉み加えた。
小暑(梅雨が開け太陽が照)7月、
漬け込んでいた梅を干していると、昔世話になった和尚の娘の文子さん(檀ふみ)が訪ねてきた。亡くなった母が父と一緒に漬けた梅を“お裾分け”と差し出した。最初は酸っぱかった自分の唾で丸く膨らみ甘露のようになった。人が死んでも生き続ける梅干、その味にツトムは泣いた。
なす、きゅうりのつけものを作った。
蕎麦の実を収穫しているところに「母チエの様子がおかしいから見て欲しいと義弟(尾美としのり)がやってきた。チエを訪ねると亡くなっていた。葬儀はツトムの家で行うことになった。
ツトムは大工にお棺を作ってもらい、写真屋に「任せる!」と注文した。そして精進料理を作ることにした。そこに訪ねてきた真知子と一緒に作った。
胡麻豆腐、夕顔の煮物、なすの味噌会え、山菜おこわ(おにぎり)・・。坊主を呼ばないでツトムが勤めた。チエを見送る人はわずかと思っていたが、大勢の人が集まった。チエにうまい味噌の作り方を教わったという女性たち。それぞれが味噌を祭壇に供えていた。集まった人たちはツトムの料理を食べて「美味い!」と驚いた。チエの遺骨はツトムが預かることになった。
葬儀が終って、ほっとしたツトムは真知子に「ここに住まないか」と問うと「考えてみる」と返事した。
ツトムはチエの遺骨壺を見て、死んでも差別があるのがおかしいと自分の骨壺を焼くことにした。窯に入っていて心筋梗塞で倒れた。ちょうどそこに真知子が訪ねてきたため、緊急入院で万にひとつの命拾いした。
秋分(業楽浄土の岸に至る)9月、
退院して帰宅。犬のサンショが迎えた。そこに真知子がやってきて、糠味噌を描きまわし「ここに住むことにした」という。ツトムは梅酒を勧め「気持ちがうれしいがそれは困る。僕はひとりで住みたい」「死ぬのは嫌だ、どうして嫌なのかを書くことした」と答えた。真知子は「もうこないかもしれない」と帰っていった。
ツトムは死について沢山の書物を読み「死神と仲良く付き合う」という結論に辿りついた。
寒露(大気は冷え、空が澄む)10月、
ツトムはず~と書き物をしていたが、「禅寺では全ての執着を捨てろ」というからと一度死んでみることにした。
朝目覚めて、「死んだはずの僕に朝がくる。明日も明後日も生きたいと思うから生きることが面倒になる。今日一日暮らせばいい」と考えた。ツトムはいつ死んでもいいように妻ヤエコの遺骨を湖に散骨した。
霜降(秋が深まり霜が降る)10月下旬、
ツトムがなめこの採取で出かけ、途中で真知子に出会った。ツトムは「今夜はなめこ鍋だ」というと「なんでそんなことを言うの、結婚することにした」という。真知子には迷いがあるようだがツトムはきっぱりと関係を斬った。
立冬(木枯らしが吹く)11月、
木枯らしを聞きながら「みなさんさようなら」と床につく。朝起きると一面雪だった。
冬至(栄養をとり、無事息災を願う)12月下旬、
玄関に農家から白菜、味噌が届けられていた。ツトムは白菜を漬け込んだ。雪の畑に出て大根を抜き、水で洗って、これも漬け込んだ。米をとぎ、窯で焚いた。献立はご飯に、梅干し、ふろふき大根、大根葉の炒め物だった。
まとめ:
土から食材で採取し、食事を作り、食する。こんな自然は生活の中で、義母の死を境目に生と死を見つめ、「今日一日を生きればいい」という境地に至る物語だった。
食するとは、
「料理の献立は畑に聞け!」と季節の食材を畑から集め、手間暇掛けて作る料理。これを喰らうことだというのが「年取ったら絶対これだ!」と腑に落ちた!
しっかり食べる、さらに掃除、料理して身体を動かすことで食が進み、生きることに繋がっていく。年を取るにつれ、自分で料理することの大切さを知りました。
どの料理も食べたかった!中でもタケノコの煮物、タラの芽の蒸焼、サンショ入り味噌が食べたい!
料理のなかに見られる人の記憶。親から子に伝えられる料理、知合いから教わった料理など、料理と人の関りを改めて知ることになった。舌で味わう人と人の関係、思い出。この感覚は大切にしたいですね。
死生観、
一日一日を生死の繰り返しとして生きる考え方。これで死が恐ろしくなくなり、孤独に耐え、ひとりで生きるという考え方。分かる気がします。
ツトムはひとりでいたい心境になり若い恋人真千子との関係を解消したのは若い真千子への愛であった。ちょっと彼女は不満のようでしたが。
こんなうまいものを生み出す自然のすばらしさ。これを美しい映像と音響で見せてくれました。
ツトム役の沢田研二さん。演技がうまいとか下手とかを超えた自然体の演技、武骨な手で漬物を漬け、菜っ葉を斬る。ツトムそのものであったように思います。有名俳優さんではこの役は務まらない。ちょっと死んでみるというシーンも沢田さんに合っていた。(笑)
松さんの「ツトムさん!」と尋ねてくる声がなんともよくて、ふたりのいい関係が分かる演技でした。そしてツトムの作った料理の食べ大売りがよかった。特にタケノコ。
材料を採取し、料理していく過程を丁寧に描き、その料理を食べることで、セリフを最小限にして、人と人が繋がるという脚本・演出がすばらしかった。これからの生き方を教えてくれるすばらしい作品でした。
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